9
部屋の中で。
わたしは、震えていた。
飢えが。
体の奥底で欲望が疼き。
わたしの奥深いところを穿つような。
飢えが。
やって来ようとしている。
逃げ出したかったのだけれど、それが叶わぬことであると。
わたしは知っていた。
わたしはこの部屋しか知らない。
ひとりで部屋からでる術を持たなかった。
それより。
何よりも。
自分自身の欲望から。
身体の奥底を焔で焼き焦がすような。
その飢えから、逃れることはできない。
そして。
扉が開く。
端正な顔をした、黒衣に身を包んだ初老の男。
魔物のように口の両端を吊り上げて笑うと、優雅に一礼する。
髪が額に、ひとふさかかる。
黒衣の男は。
名をドクター・キョンと言った。
この世界を。
そしてこのわたしを。
造りあげた男。
「お迎えにあがりました」
ドクター・キョンは手でわたしの行き先を指し示す。
そう。
飢えを満たしに行かなければ。
わたしは。
わたしでなくなり。
身体の震えが止まる。
わたしは真夜中の闇みたいに漆黒のナイトドレスを身につけると。
部屋から外へと踏み出す。
君は。
ディナーが始まったことを知ったが。
今のところなすこともなく。
馴染みの恐怖を纏ったまま。
広間の中央で演じられていくショウを見ていた。
黒衣の男に導かれるまま、広間の中央へ連れ出されたおんなは。
何かに耐えるように、震えていた。
黒衣の男は野生の黒豹みたいに優雅な笑みを見せると、氷の欠片みたいに冷たい煌めきを見せる、ナイフを抜いた。
おんなは。
泣き出しそうな、縋り付きそうな。
儚げな表情をして立っている。
黒衣の男は、手にしたナイフを振り上げるとおんなに向かって振り下ろす。
何度も。
何度も。
まるで花束の花を散らすように。
おんなのドレスが切り刻まれ。
おんなの足元へ。
はらり、はらりと。
落ちてゆく。
やがて。
夜空に輝く月のように白く輝く裸身をさらけ出したおんなは。
苦しいような。
耐え切れぬような。
それでいて何処か甘やかな吐息を。
ほうと漏らす。
黒衣の男は獣のように、口をひらいて笑う。
その口には。
抜き放たれた刃みたいな牙があった。
切なそうな瞳で黒衣の男を見つめるおんなに、黒衣の男は牙を突き立てる。
おんなは。
耐え切れぬような。
恥じらいを含んでいるような。
秘めたものを、漏らしてしまうような。
掠れた嗚咽を静かに放った。
ああ。
そのとき。
広間に声にならないどよめきが、沈黙につつまれたまま響き渡る。
ドクター・キョンに連れられた漆黒のナイトドレスの女が姿を顕す。
美しい。
あまりに美しいすぎるがゆえ。
むしろ異形にすら見える。
真夜中の怪物。
ナイトドレスの女は暗黒の太陽が星無き夜を支配するように。
静かに。
広間に君臨した。
そしてナイトドレスの女は黒衣の男から全裸のおんなを受け取ると。
飢えた獣が獲物を喰らうように。
その首筋へ。
くちずけをした。
バイオリンのE音を狂ったように掻き鳴らす、そんな悲鳴が。
広間に響き渡った。