5
月見ヶ原の街は閉ざされている。
南側は大きな川が流れており、歩いて渡れる橋はない。
北側にはとても23区内とは思えないような、大きく昏い森がある。
そして、東と西には大きな工場の後地があって、ずっと工事していた。
東西南北、どちらへ行っても歩いて街から出るのはとも難しい。
街から出たければ。
車で南側の橋を渡るか。
この地下鉄を使って出るかだった。
僕の家には車がないので、外に出るのはいつも地下鉄だ。
年に何回かは地下鉄を使ってもっと大きな街へゆくことがある。
月見ヶ原の外に出たときの記憶はとても曖昧だ。
何より僕ひとりでは出たことがないので、行き方もよく覚えていない。
その地下鉄の駅は。
もう深夜を過ぎており、間違いなく終電は出てしまっているのだろうけれど。
地下へと続く階段にはシャッターが降りておらず。
心許ない照明がまだついていた。
「さあ、行くよ」
量産型N2は、僕と水無元さんを促して。
地の底へと向かうような階段を下ってゆく。
やがて。
僕等は洞窟のように薄暗く開けた空間にでる。
地下鉄のホーム。
それは闇の大海に浮かぶ小島のように。
暗闇の中に白く照らされていた。
ホームの壁にある時計は午前三時を示している。
「そろそろ、くるころだ」
え、と僕は量産型N2に問いかける。
「何がくるっていうの」
君は。
量産型N2は。
漆黒に塗りつぶされたような、暗いトンネルを指さす。
その奥に、光が灯る。真冬の夜空に輝くポーラスターみたいに冷たく冴えている光。
それは次第に大きくなってゆき。
やがて、流線型の汽車が姿を顕した。
それは、獰猛で凶悪な爬虫類を思わせる。
奇妙に滑らかで流線型をした姿で。
ため息をつくように、静かな音を立ててホームに止まった。
ごとんと。
扉が開く。
「乗るよ」
僕等は量産型N2に促されて電車にのる。
四人がけのボックスシートに僕等は座った。君と迎えあわせて。水無元さんと僕が隣り合わせに。
そして、またこどりと音を立てて扉は閉まり。
汽車は走り出した。
真夜中の地下鉄。どこに向かうのか判らない、その汽車は。
暗闇を切り裂き彗星のように地下を駆け抜けてゆく。
僕はその汽車の中で君に問いかける。
「ねえ、聞いていいかな」
君、量産型N2は首を傾げる。
「なんだい」
「君は僕なんだよね」
その奇妙な問いに。
君は薔薇の花びらみたいな唇を綻ばせると、そっと笑った。
「そうだよ。君は僕。僕は君だ」
「そうなんだ。じゃあさ。あのホテル・カリフォルニアに行った君も僕で君で、量産型N2なの?」
君はそっと首を振る。
「彼は量産型ではないよ。特殊仕様でプロトタイプ一号だ。プロトワンと呼ばれている」
「へえ」
僕は感心して目を丸くした。
「プロトワンと君はどう違うの」
「恐怖の質さ」
君は即答する。
「プロトワンの恐怖は、オリジナルである君に限りなく近い。深くて昏く。絶望より無惨で。望みを根こそぎ刈り取るような。真っ暗な恐怖」
水無元さんが、あきれて微笑む。
「野火くんは、そんなに怖がりなの?」
僕はえへへと笑ってみせる。
「まあね。恐いよ」
僕は量産型N2を見るとさらに問を投げる。
「どうして僕が三人もいるの? それに君は量産型だということは。もっと沢山僕がいるということなんだ」
「ああ、僕等はオリジナルである君をコピーして造られた」
げっ、コピーだって?
「それってコピー機でコピーとるみたいに複製したってことなの?」
量産型N2は、くすりと笑う。
「今僕等はそれを説明してくれるひとのところに向かっている。説明は彼に任すよ」
「え、誰?」
量産型N2は穏やかに笑って言った。
「彼もまた、君であり僕である。その名は。人力コンピュータ」
「ええっ?!」
突然。
がくんと。
汽車が停止する。
「着いたの?」
「いや、真空チューブの中に入った。これからリニアモーターシステムに駆動される」
君は相変わらず、穏やかに笑っている。
「すぐに超音速に達する。そうすれば、じき目的地につく」
汽車は。
ジェットコースターみたいに加速したけれど。
音もなく揺れもなく。宇宙空間を飛ぶように静かだった。
そして、やがて。
汽車は音もなく減速して、線路の上を走り出す。
ようやく。
目的地についたようだ。
「さあ、ついたよ」
僕等は汽車を降りる。
そこは地下の建築現場みたいなところだった。
フェンスで囲まれ、その向こうには向きだしの鉄骨に鉄パイプが組まれており。
そして、そこが巨大な自然の地下ドームであることは窺い知れた。
僕等はその地下ドームの中を歩く。
通路の両脇はフェンスで囲まれていた。
そして。その建物が姿を顕す。
それは。
石でできた寺院のような建物。
灰色で陰鬱で物凄く歴史を感じさせる、ある意味廃墟みたいな。
その建物の前に僕等は立ち止まった。
「さて」
量産型N2はその建物を指し示す。
「あそこの中に人力コンピュータがいる。彼が全てを説明してくれるよ」
進もうとする僕等に、君は声をかける。
「ああ、人力コンピュータにはひとりで会いたまえ。水無元さんは、僕とここで待とう」
「どうして?」
「僕たち以外が知る必要の無い秘密があるからさ」
水無元さんは、肩をすくめる。
「行ってらっしゃい、野火くん」
僕はため息をついて、水無元さんに手を振ると。
重い石の扉に手をかけた。
ホテルは夜に覆われた。
夜空はとてもとても。深い藍となった。それは深海の青さ。その無限に近い深みを持つ藍の空に。
ダイアモンドの欠片みたいな星々が瞬いている。
君は。
石柱の並ぶ中庭を抜け。
食堂のある棟へと向かった。
君は。
食堂のある広間へと入る。
そこは目が眩むように豪華な場所であった。
天井には天使が智天使舞い飛ぶ壁画が描かれている。
そして、光の宮殿みたいなシャンデリアが吊るされていた。
広間の中心では。
優雅な真紅のドレスを着た女たちと。
漆黒の獣みたいに黒衣の男たちが。
くるり、くるりと。
輪を描きダンスを踊っていた。
「よお、遅いじゃないか」
昼間に会ったあの女が。
君に声をかける。
女はくすくす笑いながら、傍らのテーブルを指し示す。
広間の周囲には、食卓が並べられている。
そこには。
正装した男女が腰を降ろしていた。
皆ホテルの客である。着飾っており端正な顔立ちをしたひとたちは。
まるで告別式に出席したひとたちみたいに無表情だ。
そう。
彼らはこれから、何がおこるか知っている。
「ディナーで食卓にあがるのはひとりだけさ」
女はライオンみたいに獰猛な笑みを見せた。
君は。
困ったようにうつむく。
「止めてください」
君は呟くように言った。
「怖いじゃあないですか」
女は楽しげに笑う。
「ああ。でもそのひとりが君かもしれないよ。どうするね」
君は。
憂鬱な笑みを、その薔薇色の唇に浮かべた。
「その時は仕方ないので、撃ちます」
「で、君は何を待っている?」
「オリジナルを」
女は驚いたように、眉をあげる。
「オリジナルがここにくるのか」
「ええ。ついさっき月見ヶ原にT.ウィルスが散布されました。もうすぐです」
女は頷いた。
「なるほど。それで、量産型ではなくプロトワンである君がきたということか」
女の言葉に。
君は困ったように顔をあげる。
「何者なんですか、あなた」
「言ったはずだよ。君と同じホテルの客だと。では待とう。ディナーの主役が登場するのをね」