5 文化祭
風の冷たさが一段と増した十一月のはじめ頃、唯たちの学校では文化祭が開催される。
文化祭なんて、友達のいない自分には憂鬱な行事でしかないと、唯は思っていた。だけど、今年は違う。真木や塔野と文化祭をまわれたらどんなに楽しいだろう。唯はその想像だけでわくわくしてきた。
「真木ちゃん、塔野ちゃん、文化祭の日ってどうするの?」
いつもの地学室で、唯が満面の笑みを浮かべて二人に尋ねた。明らかに一緒にまわることを期待している表情だった。無下に断ろうものなら、とんでもない罪悪感にさいなまれること請け合いだった。しかし、そんなもの意にも介さないのが真木だった。
「私は文化祭の日、クラスの出し物で二日ともつぶれるわ」
唯が明らかに落胆した。塔野は唯を励まそうとしたが、真木の言葉がひっかかった。
「真木がクラスの出し物にそんなに関わるのか…?」
普段の真木の様子から考えると意外だった。唯もそうだったらしく、落胆から一転、好奇心溢れる表情に変化した。
「そうよ。悪い?」
対する真木の答えは、いつも通りの無愛想なものだった。
「え、真木ちゃん、何をするの……?」
唯が尋ねると、真木はこともなげに「占い」と答えた。
「私が占いの本を読んでいるのを、クラスメイトが目ざとく見つけて、私に文化祭でやらないか、って誘ってきたの。私自身、占いを実践するのは楽しそうだと思ったから、二つ返事で快諾したわ」
真木の返事に、二人は納得した表情で頷いた。真木はとことん自分の好きなことをつきつめるのが好きな性格なのだ。自分の興味あることを出し物としてするのなら、面倒な文化祭に深く関わるというのももっともな話だった。
「塔野ちゃんはどうするの?」
唯が、攻撃の矛先を塔野に替えた。
「俺か?うーん、バスケ部の出し物に顔出して、クラスのやつもやって、空き時間は部活のやつと回ろうかなと思ってたんだけど…」
唯の顔がどんどん暗くなっていくのを見て、塔野は慌てて首を振った。
「でもでも、唯と文化祭をまわる時間くらい、捻出できるぞ」
「本当!?」
唯は途端に顔を輝かせた。
「ああ、もちろんだよ。文化祭で、いろんな奴が出入りしてるし、周りのやつはお祭り気分で調子づいている。ちょっとくらい、俺たちが一緒に行動してたって大丈夫だろう」
塔野は後半、真木に向けて話していた。真木はそれを受けて小さく頷いた。
「そうね……。ちょっとくらいならいいんじゃないかしら」
「やったー!」
唯は両手を大きく上げ、喜んだ。
***
文化祭当日。唯は塔野との待ち合わせの時間まで、ぶらぶらと学校の中を歩いていた。ちょうどクラスのシフトが終わったところだった。シフトの終わり時間は予定されていた通りの時間ではない。男子が一人すっぽかしてしまったため、唯は予定よりも二時間長く教室にいたことになる。特に予定もないのでこのまま塔野との約束の時間まで教室にいようと思っていた。しかし、仲のいい女子四人組がシフトの交代のためやってきておしゃべりを始めた。なんとなく居心地の悪くなった唯はあてもなく教室を出てきてしまったというわけだった。
教室を出ると居心地の悪さは唯の中でますます大きくなり、胸を圧迫した。普段の教室ならば、ちゃんと自分の席があるため、そこにいればいい。だが、文化祭のような場所では、自分の席は無い。みな、友達を誘い、友達と一緒にいることで自分の席を確保しているのだ。それができない唯はどこに行けばいいのかが分からなかった。誰かに笑われている気がして、どこかに行ってしまいたい衝動に駆られる。
ふと顔をあげると二年D組の教室の前だった。ここは真木のクラスだ。そのことを思い出し、唯は逃げるように教室に駆け込んだ。
「いらっしゃいませ。……あら」
暗幕で光を遮断した教室に、真木は一人で座っていた。
黒いローブがよく似合っていて、本物の占い師のようだった。
「あれ、真木ちゃん、一人?」
「そうよ。もう一人、占い師役の子がいるんだけど、サボってるみたい」
そう言って真木は肩をすくめた。
「クラスのみんな、真木ちゃんに全部押し付けてるんだ…!」
唯は怒りを覚えたが、真木はそうでもないようだった。何でもないように言葉を紡ぐ。
「ま、誰かと一緒よりも私も一人の方が気楽だから、別にいいんだけどね」
「そんなものかな」
ふと、自分のクラスのシフトのことを思い返した。あの四人組が来なければ、唯は一人でも教室に残っていただろう。むしろ、一人の方がずっと嬉しいくらいだ。
「それで、何を占って欲しいの?」
タロットカードを机に広げながら、真木は唯に尋ねた。
「え? あ、そっか。ここは占いをするところだったね」
「そうよ。唯ってば一体何をしに来たの?」
「真木ちゃんに会いに」
真木は表情を一切変えずに、何も言わなかった。
「えっと……何を占ってもらおうかな。未来の全体的な運勢とかで占ってもらえるのかな」
気まずさに耐えきれず、唯が口を開いた。
「全体的な運勢ね、分かったわ。それじゃあ、このカードに手を置いて念じてもらえる?」
唯は言われた通り、カードに手を添えた。
「はい。じゃあ、まぜるわね」
唯が手をひっこめたのを見ると、真木は慣れた手つきでカードをまぜ始めた。
「真木ちゃん、よく占いしているの?」
「そうね。嫌いではないわ」
「ふうん。真木ちゃんって占いとか信じないタイプだと思ってた」
「ま、あまり信じることはないわね。ただの遊びよ、遊び」
真木の手元に吸い寄せられるようにカードが集まり、あっという間にカードがもとの山に戻った。唯は真木の手元を手品でも見るように見つめていた。
「さて、この山を左手で適当に三つの山に分けてもらえる?」
唯は緊張した面持ちでカードを分けた。
「このうちの一つの山を一八0度回転させてくれない?」
端の山を半回転させた。
「こういうの、初めてやるから緊張するな」
「カードを切っているだけなんだから、そんなに緊張することないわよ。……それじゃあ、山を一つに戻してもらえる?順番は好きにしていいから」
唯は最初とは違う順番にカードを重ねた。
「それじゃあ、占って行くわね」
真木が軽やかな音を立ててカードを机に並べていく。
「唯の運勢は……そうね、一言で言えば前途多難かしら」
「うっ、それってめちゃめちゃ運勢悪いってことじゃない?」
唯が顔をしかめてそう言うと、真木はそうね、と遠慮なく肯定した。
「でも、最終的な結果には希望を表す星の正位置が出ているわ。それまでが塔の正位置や月の正位置といったなかなか大変なカードが揃っているけどね」
「塔? 月? それってよくないの?」
「そう。トラブル、災難などを表しているわ」
「つまり、何か色々と良くないことが起こるけど最終的には希望に満ちた結果が待っているってこと?」
「そう。終わりよければすべてよし」
「よくないわっ!」
そう吠える唯を見て、真木がくすくす笑い出した。
「ねえ、これイカサマじゃないよね?」
真木があまりにも楽しそうに笑うからか、唯が疑いの目を向けてそう呟く。
「まさか。占いでイカサマなんかしてどうするのよ」
唯の発言がまた面白かったのか、真木がまた笑った。
教室に一組のカップルが入ってきたのと入れ替わりに、唯は教室を出た。真木がそっと鼻の頭にしわを寄せたが、気づかないふりをした。部外者の唯はさすがにあの場には居づらい。だから、真木が一人であのカップルを相手するのは自然なのだと何度も言い聞かせた。
真木と別れた後、唯は地学室で約束の時間までのんびり過ごしていた。占ってもらった後で鍵を借りたのだ。きっと鍵を借りなければ、唯はトイレで時間を過ごすことになっただろう。学校の中で誰にも見つからない場所といえば、他にはそのくらいしか思いつかない。
約束の時間の少し前に、唯は地学室を出た。待ち合わせ場所に向かう。
ふざけた格好をして笑い合う、たくさんの生徒とすれ違った。メイド服、和服、おばけなど服装は多岐にわたっている。みな例外なく楽しそうだった。普段ならば、寂しい思いをするところだが、今日は違う。塔野と文化祭をまわるのだ。そう思うと自然と笑みがこぼれてくる。不審な表情にならないように、必死に顔を引き締めて歩いていた。
待ち合わせ場所にはすでに塔野がいた。だが、そこには塔野だけではなく、友人らしき人物もいて、楽しげに話をしていた。唯はなんとなく声をかけるのが躊躇われて、塔野から少し離れたところで立ち止まった。じっと塔野を見つめているわけにもいかず、視線を虚空にさまよわせ、居心地の悪さから手をもじもじとさせていた。
塔野が友人と別れたところで、唯の存在に気がついた。
「あれ、いつからそこにいたんだ? ごめんな、気づかなくて」
塔野が唯の目を見て笑顔になる。唯も、自然と口角が上がるのを感じていた。
「さっき来たところだから、気にしないで。さ、行こう行こう」
そう言って連れ立って歩きだした。
唯はこれまで文化祭をまわったことが無かったので、行きたいところがたくさん会った。食べ物の店をめぐり、いくつかおいしそうなものを買い食いした。手芸部の部室で可愛らしいアクセサリーを買った。お化け屋敷に入り、塔野がびっくりするくらい怖がった。出てきた時には泣きそうな表情になっていた。
唯は初めての経験を無邪気に楽しんでいた。
何度か、塔野の友人とすれ違い、塔野が声をかけられた。そのたびに唯との関係性を尋ねられ、塔野は適当にごまかしていた。友人たちも文化祭という非日常空間のためか、さして追究してこなかった。
お化け屋敷の恐怖からようやく立ち直り、次はどこに行こうかと話していた時だった。 塔野の友人らしき女子が話しかけてきた。それ自体はそれまでも何度かあったことだったが、その女子は今までの友人と違い、明らかに唯に敵意を向けているようだった。
「塔野、どうしたの?小日向さんといるところなんて初めて見た」
「あはは、そうかもな。ま、たまには部活やクラス以外のやつとまわるのもいいかな、なんて思ってさ」
「ふーん、そう」
その女子は、ちらりと小日向の方を見ると、塔野の耳元に口を寄せ、手を添えた。
「塔野は小日向さんのことあんまり知らないみたいだから、教えてあげるね。小日向さんって友達一人もいないんだよ。一人も、だよ。ありえなくない? きっとすっごく性格悪いんだよ。塔野、気を付けてね」
その女子はこそこそと塔野に囁いた。その声量は大きすぎず、かと言って唯に聞こえないほど小さい声量ではなかった。わざと自分に聞こえるように言っている、と唯は感じた。
塔野は、ははは、と乾いた笑い声をあげ、そうなのか。知らなかった、と呟いた。
「ほんと、気を付けてね。それじゃあ」
唯を一瞬睨みつけ、その女子は去って行った。あっという間のことで、唯は何も反応が出来なかった。
塔野と唯の周りを沈黙が覆い尽くす。二人とも、感情が外に溢れ出るのを抑えるので精いっぱいだった。
「わたし、もう帰るね。今日はありがとう」
唯はやっとのことでそれだけ絞り出した。
「待ってくれ。こんな形で文化祭を終えるなんて駄目だ。地学室で、待っててくれ。遅くなるかもしれないけど、必ず、行くから」
塔野の必死な様子に、唯は驚いた。塔野がこんな形で引きとめてくれるなんて思っていなかったからだ。塔野は、周りに合わせるタイプで、あまり自己主張をする性格ではないと思っていた。だから、帰るつもりだったのに、唯は頷いてしまっていた。
「うん、ありがとう。必ず行くから」
安堵したのか、綺麗な笑顔を浮かべて、塔野は去って行った。その背中を見て、唯は胸のあたりがゆっくりと温まるのを感じていた。
夕陽が差して、文化祭の終わりを告げる。今ごろ、みんなは校庭に集まり、後夜祭の始まりに胸を躍らせているのだろう。唯は後夜祭があることは知っているが、具体的に何をするのかはあまり知らない。地学室の窓からそっと覗き見るが、角度が悪く、校庭の様子は全く見えなかった。
自分は変わったつもりでいたけど、変わっていなかった。それは、自分自身についてだけじゃない。周りの環境もそうだったのだ。唯は今日のことで改めて思い知った。ちょっとクラスメイトが話しかけてくれたくらいで何をいい気になっていたんだろう。
仲良く出来ないやつは変なやつ。学校の中ではそんなよく分からない法則がすみずみまで浸透している。もしかしたら、それは学校の中だけじゃないかもしれない。だから、自分みたいなやつが、人気者と一緒にいたら迷惑なんだ。
「やっぱり、塔野ちゃんに一緒にまわろう、なんて言うんじゃなかったかな……」
一緒に文化祭をまわったのはとても楽しかったが、罪悪感がすべてを台無しにしてしまう。唯は後悔していた。
地学室の扉が開く音がした。唯が振り返ると、塔野が立っていた。
「塔野ちゃん」
「唯、ごめんな。遅くなって」
塔野は扉を閉め、唯のいる窓際に近づいてきた。
「ごめんな。唯の悪口に対して何も言ってやれなくて」
唯は思ってもみないことを言われて、何も言えなくなった。塔野が立ち止まる。
「俺、少しは変われたつもりでいたけど、やっぱり駄目だな。唯や真木以外の相手だと本音で話せない。はらわたは煮えくりかえっていたけど、笑ってごまかすことしかできなかった。本当は『噂だけで人を悪く言うなんて最低だ。謝れ』くらい言ってやりたかったんだけどな。かっこわるいな」
塔野はそう言うと、はあ、と深いため息を吐いた。そのため息が、唯にかかった口の開けない魔法を解く。
「そんなことないよ! あの人があんなこと言うのも無理ないよ。わたしは本当に二人以外の友達がいなくて、クラスの人ともまともに喋れないんだから、あれくらい言われたって当然だよ。そんなわたしが悪いの。わたしのせいで塔野ちゃんまで悪く言われちゃうところだったんだから、わたしの方が謝らなきゃ。ごめんね」
「そんな……、唯、お前そんなことを考えていたのか?」
今度は塔野が驚く番だった。
「お前は悪くない。友達がいないのだって過去にちょっといじわるされて、友達の作り方が分からなくなったからだろう。性格が悪いとか、そんなことは全くない。むしろ、俺なんかよりずっと性格いいし、まともだ。あんなこと言われるいわれはない」
「塔野ちゃん…」
唯は、今日塔野に呼びとめられた時と同じ感情が湧きあがるのを感じていた。塔野は、自分は変わってないというようなことを言っていたが、そんなことはない。きちんと自分の本音を話せている。
「塔野ちゃん、変わったね。強くなったよ。自分から謝って、自分の本音、話せてる。きちんと主張できるのっていいな」
唯の言葉に、塔野ははっとした。
「そうか? 俺、変われているか。俺、ちゃんと……」
そのとき、校庭から音楽が流れてきた。後夜祭のフォークダンスの曲だ。塔野は唯に手を差し伸べた。
「一緒に踊らないか」
唯は目を見開いた。
「わたし、運動音痴だよ。それに、踊り方なんて分からないよ」
「大丈夫。俺もそんなに上手くないから」
そう言うと、塔野は唯の返事も聞かずに手をとって踊り始めた。
「そういう時って自分がリードするから大丈夫だよ、って言うんじゃないの」
くすくすと唯が笑う。
「そうだな。ちょっと本音を言いすぎたかもしれない」
塔野も笑う。手をとる。ステップを踏む。回る。手を離す。単純な動作の繰り返し。普通のフォークダンスと違って、永遠にパートナーは変わらない。手を離しても、次の瞬間にはまた手をとっている。
「わたし、こんなにちゃんと踊れたのって初めてかも」
「奇遇だな。俺もだよ」
地学室に二人の笑い声がこだました。二人はダンスに夢中になっていて地学室の扉が開いても気づかなかった。真木は地学室の中に足を踏み入れようとして、躊躇い、結局足を戻してしまう。そっと扉を閉めて、地学室に背を向けた。