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3 月影 (後編)

「……で、結局そのあと何て言ったの?」


 放課後の地学室で、真木が唯にそう質問した。


「なにか展示にしたらいいんじゃないかって提案したの。みんなの宝物とか、作らなくていいものならすぐにできるし、準備は展示用のプレートとか、受付や中の案内のシフト決めだけで済むしね。しどろもどろになって、全部ちゃんと言えたかは自信ないけど」

「へえ、すごくいい提案じゃない。てっきり、えっと、あの、その、とか言って終わりかと思ったのに」

「……うう、せっかく真木ちゃんが褒めてくれたと思ったのに酷いよ。まあ、あの、とか、その、とかいっぱい言ったけどね」


 唯がしおれた様子を見て、真木はにやにやしている。


「ふふ。まあ、唯ならそうなるわよね」

「うぅ……」


 ますます唯が小さくなった。それを見て満足したのか、真木は一つ息を吐くとぽつりと呟いた。


「……塔野、来ないわね」

「うん……。部活とか、教室までのぞきに行くのはちょっと迷惑だよね」

「そうね……。行かない方がいいと思うわ」

「改めて考えると、わたし達ってちょっと厄介な関係性だよね。……あ、二人といるのが嫌とかいうんじゃなくて、きっかけを話せないから、公にできないのが、その、こういうときちょっと面倒だなあって」


 唯の言葉を聞いて、真木の顔がさっと暗くなった。しかし、真木はそのことに自分で気付かなかった。

 言葉なき肯定を得て、唯は窓の外に視線を移した。そこから塔野の姿が見えないか、探すように。







 塔野は久しぶりにバスケ部に顔を出していた。ここのところ地学室にばかり行っていたから、体がずいぶんなまっていた。重たい体を引きずって練習に励む。

 そろそろ部活に出なければいけないとは思っていた。しかし、それが逃げでしかないことも分かっていた。


「塔野、最近部活でてないからなまってるじゃん」


 同じチームの女子が笑いながら塔野に声をかけた。


「うるさい。見てろよ、すぐに取り戻してやるんだからな」


 塔野はそう言って無邪気に笑った。会話をしながらも頭の中は地学室のことを考えていた。


「あはは、じゃあ楽しみに待ってるよ」


 そう言ってチームメイトは去って行った。


 塔野はバスケをやりながらも考えごとを続けていた。やはり、明日は地学室に行くべきだ。だが、何と言って唯に謝ればいいのだろう。理由を話すには、自分のこの闇を見せなければならない。だからと言って、唯や真木とこれっきりになってしまうのは絶対に嫌だった。あの地学室は、塔野にとって特別な場所だった。あの場所ならば、本当の自分でいられる。そんな気がしていた。現に、クラスにいる時は、冗談をとばしたり、面白くもないのに笑ったりしてばかりいる塔野が、あの教室ではあまり話さない。面白くなければ笑わないし、気を遣ってふざけたりすることもない。だが、唯に謝るためには……と考えてしまい、思考が同じところでずっとループを続けていた。


「ナイスシュート」


 何人かを抜いてシュートを決めた塔野に、クラスメイトが声をかけた。


「ほら見ろ、すぐに取り戻しただろう?」


クラスメイトに笑顔を向けながら、ああ、バスケみたいに唯との仲もすぐに取り戻せたらいいのに、と思っていた。







「じゃあね、塔野!」

「おう、また明日な」


 家路の途中で塔野は部活の友人と別れた。月が無表情に戻った塔野の顔を照らす。

 だが、すぐにその無表情は崩れることになる。


「唯……」


 そこに唯がいた。一瞬、自分の幻かと思ったが、きちんと影があった。本物だ。


「ごめんね。塔野ちゃん。待ち伏せみたいなことしちゃって。前に塔野ちゃんが駅前のお店の話をしていたから、もしかしたら、この辺によく来るのかなと思って」

「そんな、たったそれだけの手がかりをもとにここでずっと待ってたのか?」


 驚く塔野に唯は一つ頷いた。


「他に思いつかなかったから……。校門じゃ、目立っちゃうし、塔野ちゃんのことだからきっと誰かお友達と帰るんだろうなって思って」


 唯はまっすぐ塔野を見つめた。そして、頭を下げた。


「ごめんなさい。わたし、塔野ちゃんの嫌がること、言っちゃったみたいで」


 塔野は急に唯が謝ったことに面食らってしまい、何も言うことが出来なかった。

 唯が顔をあげ、再び塔野を見た。その段になってようやく、塔野は自分が何かを口にしなければならないことに気がついた。


「唯……、そんな、唯が謝ることはない。俺の怒った理由なんて、分かってないだろうに」


 うろたえながらも塔野はそう言った。こんなふうに、とっさに言葉が出てこない状況は、塔野には長らく縁のなかったことで、とても困惑していた。普段の会話では、だいたいどういったことを話せばいいのか、すぐに分かるのに、今は何をどう話せばいいのかが分からなかった。


「ううん、わたしに理由が分からなくても、怒らせちゃったことは謝らなきゃ。この間の真木ちゃんとのときだって、そうだったもん。真木ちゃんが怒って帰っちゃった時、理由が分かんなくても、とにかく謝っておけば良かった、って思うんだ。理由なんて、そのあとで聞けばいいもん。謝らないと、話すこともできないから」


 唯に曇りないまなざしで見つめられ、塔野は思わず視線をそらしてしまった。


「唯。そんなやり方じゃ、自分が悪くなくても謝ることになるじゃないか。損するぞ」


 きちんと謝れる唯をすごいと思っているのに、口からは小言がもれてしまう。


「いいの。このまま話せなくなっちゃうより、ずっといいから」


 はあ、と塔野はため息をついた。唯がまぶしすぎて、自分がみっともなくなる。くだらないことにこだわって、大切な友達に自分のことを話せないのが情けない。


「……唯には、敵わないな。俺の怒った理由を、話さないとな」


 やっと、それだけ塔野は絞り出した。


「だけど、二度話すのは出来れば避けたいな。真木のいる時に話したい」


 塔野は、今話すのを後回しにしてしまうことで、今後何かと理由をつけて話をする機会をどんどん先延ばしにしてしまう気がした。そして、とうとう話さずじまいになる予感がした。でも、そんな自分を止めることが出来なかった。


「分かった」


 唯は小さく頷いた。塔野は唯の頷きを恨めしげに見た。頷かないでくれ。今話して、と言ってくれ。自分は、唯の思っているほど強い人間じゃない。弱虫で、卑怯な人間なんだ。口約束なんて、きっとすぐに破ってしまうんだ。そう、塔野が絶望していた時だった。


「私なら、ここにいるわよ」


 凛と響く声がして、振り向くと、そこには腕を組んだ真木がいた。


「真木」

「唯が一人で真木を待つと言って聞かないから、心配して見に来てみたの。無事につかまって良かったわね、唯。塔野、私もいるから、遠慮なく今話していいわよ」

「相変わらず、偉そうなやつ」


 そう言って塔野は笑った。言葉とは裏腹に、真木の登場とその言葉に、塔野はずいぶん救われた。ああ、これで自分は話さざるを得ない状況になった。弱虫な自分でも、これなら話すことが出来る。そう思って、胸をなでおろした。







 三人は近くのファミレスに入った。夕飯も一緒に取ろうということになったのだ。唯は家に電話をしに席を立った。


「真木は家に連絡しなくていいのか?」


 塔野はときどき部活の友人と夕飯を食べて帰るため、いつも連絡は家族へのメール一本で済ませていた。真木も同じ状況なのかと思い、軽く尋ねた。


「夕飯は、いつも私が自分で作って、自分で食べてるの」


 ぽつり、と真木はこぼした。その様子が、いつもの居丈高な真木の姿からはかけ離れていたため、塔野は言葉を失った。


「ごめんね、塔野ちゃん、真木ちゃん、お待たせ。夕飯、食べて帰っても大丈夫だって」

「お、おう、そうか。それは良かった。じゃあ、メニュー決めて注文するか」


 唯は珍しくどもった塔野を不審に思ったが、何も言わずにメニューに視線を向けた。空腹には敵わなかった。

 注文の決まったことを目で合図して店員を呼ぶ。


「わたしチーズハンバーグ」

「私は焼き魚定食を」

「俺はミートソースパスタ」


 三人三様の注文を済ませ、三人は向き合った。


「さて、何から話そうか」


 塔野は思案した。そして、まだ唯に謝っていないことに気がついた。


「唯、ごめん。まだ唯に謝って無かったな。申し訳なかった。あれは、唯が悪いんじゃない。俺が勝手に怒っただけなんだ」

「そんな」


 そう言って唯は否定しようとしたが、そもそも怒った理由が分かっていないので、その先の言葉が出てこなかった。それが分かって、塔野はさらに自分が腹立たしくなった。


「単刀直入に言う。俺は、女が嫌いなんだ」

「えっ……」

「……」


 塔野は苛立った気持ちのまま、言葉にしてしまったため、その言葉が色々な誤解を生むことに気がついたのは、口にした後だった。


「あ、いや、別に唯と真木が嫌いだとか、そういうわけじゃなくてだな……」


 うーん、と塔野は頭を抱えた。今まで自分の抱えた闇を言葉にしたことが無かったので、何と言ったらいいのか分からなかった。


「女、の世俗的なイメージが嫌いなんだ。家の中に閉じ込められて、男にすがるしか生きていくすべがない。弱く、保護しなければならない存在。そういうイメージ。……そんなイメージは、もしかしたらもう古いものなのかもしれない。でも、俺はその幻想から逃れられないでいるんだ。かっこ悪いから、ずっと言えなかった」


 塔野は言葉にすることで、自分の闇が形になっていくのを感じていた。話しながら、自分が何にとらわれていたのかが分かってきた。


「だからきっと、俺は俺なんだ。女ではない、俺。世間はもしかしたらこれに性同一性障害って名前を付けるのかもしれない。俺は、女である自分を否定している」


 そこまで話してしまってから、塔野はふう、と一息ついた。なんだ、自分が抱えていたのは、言ってしまえばこれだけの闇に過ぎなかったのだ。どうしてこれをずっと言えなかったのだろう。言葉にすると、自分で思っていたよりずっと小さい悩みに感じられた。


「そうか、だから、わたしが女の子らしいって言った時に怒っちゃったんだね。自分は女の子じゃないと思ってるから。ごめんね、軽率なことを言っちゃって。もう一度、謝らせて」


 そう言って、唯は頭を下げた。それを塔野は慌てて制す。


「謝るな。別に謝らせたくて理由を話したわけじゃない。それに、事情を話していなかった俺の方が悪いんだ。唯が頭を下げることは無い」


 唯が頭をあげたのを見てから、塔野は続きを話した。


「俺のフルネーム、まだ教えてなかったな。塔野姫香って言うんだ。上が男二人だったから、女の子が生まれたのが嬉しくて『姫』なんて言葉を入れたらしい。姫こそ、俺の嫌うものなのにな。王子にすがることでしか生きていけない、弱い存在。そんな名前を付けられるなんて、皮肉だよな。俺は、自分の名前が嫌いだ」

「だから、塔野ちゃんは名前を教えてくれなかったんだね」


 唯が小さく呟いた。真木は静かに塔野の目を見ていた。

 三人とも黙りこくってしまった。その間に、食事が運ばれてきたので、みな一言も発さずに口を付ける。塔野は、心配だった。自分が二人に変な奴だと思われたんじゃないかという考えが、何度も頭をもたげた。普段はおおらかで細かいことを気にしない人格を装っているが、実は小さいことでくよくよ悩む性格だということは、自分が一番よく知っていた。不安が自分を侵食するのを止められなかった。


 だから、真木の次の一言に塔野はきょとんとしてしまった。


「まあ、だから何? という話よね」


 真木がいつものポーカーフェイスでそう呟いた。


「べつに、塔野の悩みを聞いたからって何かが変わるわけじゃないわよね」


 塔野には、真木のその言葉の意味がしばらく分からなかった。


「塔野は男だろうが、女だろうが、ゴキブリが嫌いだし、文系科目が苦手だし、ヘタレなままじゃない」

「お前、どさくさにまぎれてなに言いたい放題言ってるんだよ」


 塔野がそう叫ぶと、あはは、と無邪気な笑い声が聞こえてきた。唯がお腹を抱えて笑っていた。


「あはは、そうだね。塔野ちゃんは塔野ちゃんだもんね」


 唯の言葉が、塔野の中にすっと入ってくる。それと同時に、真木の言いたかったことが分かり、塔野はなんだか少し気恥ずかしくなった。


「なんか、塔野ちゃんは特別な悩みを抱えてるから、気を使わなくちゃいけないかなって構えてたんだけど、そっか、これまでの塔野ちゃんと何も変わらないもんね」


 あ、でも、と唯が言葉を足す。


「もしもわたしが無神経なこと言っちゃったら、その時はまた怒ってね。わたし、塔野ちゃんと違う女性観を持ってるから、また酷いこと言っちゃうかもしれない。もちろん、言わないのが一番なんだけど……、そこはちょっと分かんないから。許してくれなくてもいいから、ただ何度でも謝らせてね」

「唯……」


 唯の言葉に、塔野は胸が締め付けられた。唯は、こんな面倒くさい自分と進んで関わろうとしてくれている。そのことが、塔野にはかけがえのないことのように思えた。


「ま、そういうこと。だから塔野、また地学室に来なさいよね」

「真木……」


 真木の不器用な励ましが、塔野の胸に染みた。悪口交じりだったのは、真木なりの照れ隠しだったのだろう。そのことが、不慣れなことをしてでも塔野を励まそうとした現われのような気がして、塔野は心が温かくなるのを感じた。


「うん……、また行くよ、あの地学室に」


 そう言って心から笑った。温かい月影が塔野を包み込んでいた。


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