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2 距離感 (後編)

 結局その日は小日向が泣きやんでから、帰ることにした。

 小日向は塔野に家まで送ると言われたが、断って一人で帰ることにした。歩きながらまた泣き出してしまったら塔野に迷惑がかかるかもしれないと思ったからだ。

 小日向は一度泣き出すとなかなか泣きやまない。悲しい気持ちがなくなってしまっても、涙は慣性運動をするのか、なかなか止まらなかった。しかも、一度涙が止まっても、いきなりまた泣き出してしまうことがある。厄介だが、小さいときからの習性なので、治る気配はなかった。


「わたしは駄目なんだ」


 唯は独りごちた。


「昔からそう。私は、いつも人とうまくやっていけない。私は駄目なんだ。欠陥品なんだ」


 そう呟くと、涙が浮かんだ。


「きっと、もともと人と少し違うんだ。おかしいんだ、何かが。だから、欠陥品になっちゃったんだ。……こんな自分、嫌だ」


 その言葉と同時に、涙が勢いよく溢れだしてきた。手でぬぐうのも間に合わず、小日向は涙のこぼれるままにしていた。

 泣きながら、小日向は今までの自分のことを考えていた。


 小日向は、小学生までは普通の女の子だった。友達もそれなりにいたし、会話にも不自由していなかった。中学生にあがって、急に周りが成績のことで騒ぎだした。小日向は小さい頃からずっとトップレベルの学力を維持していた。そんな小日向に、周りがやっかみの視線を向けるようになったのだ。それは小日向の友達も例外ではなかった。


「小日向さんは先生のお気に入りだから」

「成績いい人はいいよねー」


 友達にそんな言葉をかけられるようになり、小日向は必死でそれを否定しようとした。


「別に先生のお気に入りじゃないよ」

「わたし、そんなに成績良くないし」


 そんな小日向の言葉に、友達はいじわるな言葉を返した。


「えー、先生のお気に入りになっているのに気付いてないんだ。それが当たり前ってこと?」

「うわ、贅沢者だねー」


「成績良くないって?小日向さんのレベルで成績良くなかったらうちらどうなるんだよ?」

「最低ってこと?そんなこと言う方がサイテー」


 どんな言葉を返しても、小日向の思うような意味にはとってもらえなかった。そんなことを繰り返すうちに、小日向は会話の仕方が分からなくなってしまった。コミュニケーションをとれなくなると、自然と友達はいなくなる。そうやって、小日向は気付くと一人になってしまった。

 何度か友達を作ろうとした。しかし、誰にどんなタイミングで何を話せばいいのかが全く分からず、いつもおろおろしているうちに機会を逸してしまっていた。ときどきクラスメイトが話しかけてくれることもあったが、いつも驚いて変な受け答えをしてしまい、それ以来誰も話しかけてこなくなってしまった。

 そんなことを繰り返し、結局、中学一年から今に至るまで友達を一人も作れなかったのだ。小日向は、それを自分がおかしいからだと思っていた。自分が、人が当たり前にとれるようなコミュニケーションもとれない欠陥品だから仕方がないと思っていた。


 今回は、今までで一番上手く行っていた。だんだんそれなりに話せるようになってきていた。でも駄目だった。やっぱり欠陥品はどうしたって駄目なんだ。小日向はただひたすらに落ち込んでいた。結局、小日向は日の暮れるまで泣き続けていた。





***


 翌日、小日向は学校に来た。昼休みに地学室に行こうとしたが、なんとなく躊躇われて足を運ぶことが出来なかった。小日向は昼休みに一人でご飯を食べながら考えた。私は中学生になってからずっと一人だった。そんな私に、二人もかけがえのない友達が出来たのだ。これは、欠陥品の自分にとって奇跡に近いことだった。だから、その友達を大切にすべき、いや、しなければならないのだ。小日向はそう思い、放課後、勇気を出して地学室を訪れることにした。







 放課後。小日向は地学室に足を向けた。正直に言うと、地学室に辿り着く前にそうとうな時間がかかってしまった。やはり、勇気が出ずにすくんでしまっていたのだ。行こう、やめよう、という葛藤を繰り返し、なんとか地学室の前に到着した。だが、なかなか扉を開けられずに、扉の前でおろおろしてしまう。そのとき、中から声が聞こえてきた。


「真木。お前、昨日のことを小日向に謝れよ」


 塔野の声だ。小日向は思わず息を止めた。


「嫌よ。どうして私が謝らなくちゃいけないの?」


 真木の声は凛と透き通っていた。それが当然の主張である、と言わんばかりの声音だった。


「どうしてって、せっかく小日向が楽しみにしていた買い物だったんだぞ。少しくらい、小日向のことを考えてやれよ」

「楽しみにしていたら何したっていいの?私は振り回されて疲れちゃったのよ。早く帰りたくて当然でしょ?」

「真木、お前には協調性ってものがないのか」


 小日向は、そこまで聞いたところでいたたまれなくなって思わず走り出していた。

 大好きな二人が、私のせいで喧嘩してしまっている。その事実が、小日向の心を苦しめた。







「あれ、今なんか足音がしなかったか?」


 ふと塔野が呟いた。


「足音?そんなもの、聞こえなかったわ」


 真木は顔色一つ変えずにそう言った。


「そうか。まあいい。とにかく、真木、お前は小日向に謝るべきだ。小日向はずっと一人で今まで友達がいなかったんだ。友達との過ごし方が分からなくたって当然だろう?」

「小日向さんの状況は知っているわ。でも、だからってどうして私が配慮の足りないあの子に謝らなくちゃいけないの?小日向さんは私のことを思いやらなくてもいいの?」


 真木は静かに言い募る。頑なな真木の様子に、塔野は大きなため息をついた。


「真木。お前そうとう頑固なんだな。知らなかったよ」

「そんなことないわ。私はただ、自分の信念に反することをしたくないだけよ」


 そういうのを頑固って言うんだよ、と塔野は呆れ気味に呟いた。


「真木。このままお前が謝らなかったらどうなる?小日向はずっとこの教室に来なくて一人ぼっちに逆戻りだ。せっかく、だいぶまともに話せるようになってきたのに…」

「そんなの、自業自得じゃない」

「……真木。それ、本気で言ってるのか?」


 塔野は真木を睨みつける。普段穏やかな笑みを絶やさない塔野がひとたび睨みを利かせると、かなり迫力がある。しかし、そんな塔野を前にしても、真木は全く動じなかった。


「そうよ。だって、小日向さんが自分のことしか考えなかったせいだもの」


 その言葉を聞くと、塔野はさっと真木に背を向けた。


「お前がそんなやつだったなんてな」


 そう言って塔野は地学室を去って行った。

 真木は、そんな塔野の背中をじっと見ていた。

 自分は悪くない。それだけは真木の中で揺るぎないことだった。でも、悪くないのにどうしてこうなったのか、真木には分からなかった。理不尽さに腹が立ったが、ひとしきり腹が立った後には虚しさが漂った。

 一人で眺める夕暮れは毒々しかった。





***


 翌日、小日向は学校を休んでいた。そのことを、塔野は小日向と同じクラスの友人に聞いた。小日向さん、学校休んだことないのに、珍しい、とその友人は話していた。塔野は小日向の家まで駆けつけようと思った。だが、塔野は小日向の家を知らない。電話番号も、メールアドレスも知らなかった。小日向に友達はいなかったのだから、クラスメイトに聞いても無駄だろう。あとは担任に聞くしかなかったが、個人情報の取り扱いが厳しくなっている今、一日学校を休んでいるくらいでは連絡先を教えてもらえないだろう。しかも、小日向と塔野はあの教室以外では話をしたことがない。よって、担任に小日向の友達だ、と話したところで不信がられるのは火を見るより明らかだった。

 塔野は自らの無力さを悔い、小日向のことを何も聞かなかったことを後悔した。会えるのは当たり前だと思っていた。あの教室に行けば、塾のある日以外はいつもそこにいたのだから。それが危うい土台の上に築かれた当たり前だなんて、思ってもいなかったのだ。

 塔野は小日向に仲良くなるきっかけが必要だとアドバイスしたことと、真木をショッピングに誘ったことに対する責任を感じていた。でも、塔野を突き動かしているのはその責任感だけでは無かった。

 塔野はクラスや部活動の友人たちといつも通りの時間を過ごしながらも、心の中では小日向のことを考え続けていた。







 真木は一人で地学室にいた。本を読みながら、静かだな、と感じた。真木はずっと好んで一人で過ごしてきていたが、そんなことを感じたのは初めてだった。三人でいたときも、そんなに話をしていたわけではない。でも、そのときは静かだなんて全く感じなかった。よく分からない。真木はよく分からないことが苦手だった。気持ちが悪い。だから、分析する。自分が納得のいく理由を見つける。思考を開始した。静かなのは、二人がいないから。二人がいないとどうして静かなの?静かってどういうこと?…寂しい?まさか。真木は鼻で笑ったが、他に納得のいく理由を見つけることが出来なかった。ずっと一人で過ごしてきた。それが変わり者の自分にとっては最善なはずなのだ。

 ふと外を見る。三人で見た夕焼け。あの時は、あまりの美しさに息をのんだ覚えがある。昨日の夕焼けは赤い色が毒々しく感じた。今日の夕焼けは町を焼き尽くすかのように赤かった。私の心も焼き尽くして、その光に飲み込んでほしい。そうすれば、私もまともな人間になれるかもしれないから。夕陽をあびながら、真木はそんなことを考えた。







 小日向は自室の窓から夕焼けを眺めていた。小日向の目に夕焼けは寂しげに映った。太陽は一人ぼっちで寂しいから、まわりをみんな自分と同じ色に染めてしまうんだ。寂しさゆえの自分勝手な押し付け。わたしと一緒だな。小日向はそう考えて少し悲しくなった。

 小日向は落ち込んでいたが、一昨日とは少し違う落ち込み方だった。一昨日はひたすら自分が欠陥品であることを嘆いていたが、今日は自分の行いを冷静に振り返り、反省していた。真木は自分に散々振り回されて疲れ果てていたのだ。よく考えれば真木は遊びに行った日にこう言っていた。人混みが嫌いで、小日向ばかり騒いで楽しめないと。それは嫌になって当然だった。地学室の前で聞いた、真木の本音。小日向は深く傷ついたが、心底知ることが出来て良かったと思っていた。あの言葉を聞かなかったら、自分の行いの性質の悪さに気づくことが出来なかったと思うからだ。

ショッピングビルに向かう途中で真木は言っていたではないか。人混みが嫌いだと。その時点で、もう少し行動を考えるべきだったのだ。今回の件は、どう考えても自分が全面的に悪い。自分が悪いことを認めるのには勇気がいる。小日向は一晩で自分の悪さに向き合うことが出来なかったのだ。だから、今日一日休んで冷静に自分の悪かった点を認めようと思った。

わたしは欠陥品だ。だからこそ、自分と一緒にいてくれる貴重な友達を大切にしなければならない。そのために、自分の悪いところはできるだけ改善しなければならない。つらくても、向き合う勇気をもたなければならない。それが、小日向唯がこの日出した結論だった。

 太陽が、力を失ってビルの陰に沈んで行った。





***


 再び太陽が昇る。小日向は太陽に背を向け、学校に向かって歩き始めた。

 勇気なんてない。でも、自分には伝えなくちゃいけないことがある。その思いだけが小日向を突き動かしていた。







 小日向が学校に来ている。その事実を知って、塔野はすぐに小日向のところへ駆けつけたかった。けれども、前に真木が話していたように、自分たちが知り合いになったきっかけを話すとどうしてもあの教室のことを話さなければならなくなる。正直、真木と顔を合わせるのは嫌だったが、塔野は昼休みに地学室に向かうことにした。







 昼休みになって、真木は地学室に足を向けた。真木は、今日自分が地学室に向かっている理由を分析する。昨日からずっと何かが足りない気がしているのだ。それは、あの教室にある気がしている。それが何なのか、真木にはよく分からなかった。しかし、いつもと違って、このよく分からなさは真木にそれほど不快感を与えなかった。

 






「真木、知ってるか?今日は小日向が学校に来ているらしいぞ」


 小日向が地学室の扉の前まで来た時、中から塔野の声が聞こえてきた。


「そう」


 真木の短い返事。小日向は、また自分のせいで二人が喧嘩してしまうのではないかと思い、急いで扉を開けた。

 真っ先に塔野の驚いた顔が目に入る。少し離れたところにいつも通りの無表情で真木が立っている。


「小日向」


 塔野が声をかけた。小日向は何も言わずに、塔野と真木の間に立つ。


「真木ちゃん、塔野ちゃん、ごめんなさい」


 小日向はそう言うと、二人に向かって頭を下げた。


「わたし、初めての友達とのお買い物で、舞い上がって、二人のこと、全然考えられてなかった。嫌な気持ちにさせちゃって、本当にごめんなさい」


 小日向の言葉に、塔野は頭をかく。


「……真木。お前も何か言うことあるんじゃないのか」


 真木は戸惑った。まさかこんな展開になるとは思いもよらなかったのだ。どうしたらいいか分からず、真木は何も言えなかった。


「いいの、塔野ちゃん。今回のことは、わたしが全面的に悪いんだもの。わたしのせいでごめんね。二人に喧嘩、させちゃって…」

「いや、別に気にするな。俺は俺の正しいと思ったことをやっただけだ」


 塔野の言葉を聞いて、小日向は微笑んだ。


「ありがとう。塔野ちゃん」


 そして、二人に向き直る。


「あと一つ、二人に言いたいことがあるの。わたし、今までまともに友達がいなくて、全然、友達との距離感とか、気の遣い方とか、分からないの。だから、これからも、もしかしたら同じようなことを繰り返しちゃうかもしれない。こういうのって、誰かに教えてもらったからって分かるようなことでは全然ないと思うんだ。自分で経験して、知っていくしかないんだと思う。他の人が中学生くらいのときに体験したことを私はまだ体験してなくて、すごく遅れてるんだろうなって、分かってる。二人には迷惑ばかりかけることになっちゃうと思うんだけど……これからも友達でいてくれますか」


 小日向はまっすぐな目を二人に向けた。


「当然だろう。まあ、友達なんて迷惑かけ合うのが当たり前みたいなところがあるしな。そんなに気にするなよ」


 塔野は微笑んだ。二人は、真木に目を向ける。

 真木はまだ戸惑っていた。自分の中の気持ちは決まっていたが、意地とか、見栄とか、そういうもので素直にそれを口に出せないでいた。少し、言葉を考えて、ようやく口を開いた。


「そうね。いいわ」


 短く、聞き様によっては淡白にしか聞こえない返答だったが、小日向は大いに喜んだ。


「やったー!」


 そんな小日向を見て、塔野は息をついた。


「まったく……小日向は甘いなあ。ま、今回の件は小日向に免じて水に流そうぜ」


 そう言って塔野は真木に向かってにっと笑った。


「ええ」


 真木は短くそう言った。その顔は少し微笑んでいた。


「ね、真木ちゃんと塔野ちゃんのこと、名前で呼んでいいかな??」


 小日向は笑顔でそう言ったが、それを聞いた二人は凍りついた。


「……家族以外に名前で呼ばれたことはないから…ちょっと」

「俺は……なんていうか、自分の名前、気に入ってないからな」

「えー、呼んじゃだめ?」


 小日向が眉を下げると、塔野はその頭をぐしゃぐしゃとなでた。


「まあ、そう落ち込むなよ、唯」


 その台詞を聞いて、小日向はぱっと顔を明るくした。


「ふふ、唯は単純なのね」

「お前はもっと言葉を選んで話すようにしろよな」


 呆れたように塔野は言ったが、その言葉には親愛が満ちていた。


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