13 卒業
バレンタインを過ぎてからの月日は、真木にとってあっという間に流れた。三年時にクラス替えはなく、それまでと変わりないクラスメイトと毎日を過ごした。
三年になると空気の重さは段違いになり、休み時間にも勉強している生徒が目立つようになった。
成績の良い唯への風当たりが強くなり、悩んでいるという話を何度か聞いた。そのたびに塔野が唯にばれないよう、友人ネットワークを使ってそれを止めさせていた。
勉強が忙しくなったものの、ずっと勉強しているばかりでは息がつまるもので、三人で色んなところに遊びに行った。お化け屋敷に行って唯がなぜか全身傷だらけで出てきたり、ショッピングモールに行って塔野に可愛らしい洋服を着せて遊んだり、カラオケに行って真木の音痴が発覚したりした。
激辛カレーに挑戦して、挑戦しようと言い出した唯が辛さにやられて水を飲み過ぎ、翌日お腹を壊したことがあった。
回転寿司を食べに行った時、真木は勝手が分からず、お茶の中にがりを入れて二人に笑われた。
ジェットコースターに乗りに行った時には塔野がこっそり列を抜け出そうとしたが、真木がそれを阻止し、降りた時には塔野が涙目になっていた。
まだまだ思い出がたくさんあって語りきれない。これまで心の通じ合う友達のいなかった三人はその時間を埋めるようにたくさんの思い出を作った。本当に幸せな時間だった。
そして、その幸せな時間が今日、一つの幕を下ろす。
「今日で卒業か。全然実感が湧かないな」
地学室で塔野が呟く。胸には卒業生全員がつける花の飾りを付けていた。
「そうだよね。まだずっと学生でいる気がするよ」
唯も胸に飾りを付けていた。
「もう少ししたら先生に鍵を返しに行くわ」
真木は淡々と事実を告げたが、気持ちは二人と一緒だった。今日で卒業してしまうのが嫌でたまらない。
「二人はケータイ、買わないのか?」
「うーん、大学生になったら買おうかなあ。でも、アドレス帳が家族と塔野ちゃんだけっていうのも寂しいよね」
「大学生になったら、きっとたくさん友達が増えるぞ。今の唯ならきっと大丈夫だ」
「そうね。私もそれは思うわ」
「だといいけど……。結局、高校生のうちに二人以外の友達ができなかったし」
「それは、三年生は受験でそれどころじゃなかったからだ。大学生になったらまた違うさ」
そっと塔野が唯の背中を叩く。
「そうだね。そうだよね、きっと」
真木はそんな二人を、目を細めて見ていた。
「真木は買わないのか?」
「私は買わないわ。メールならパソコンでもできるから問題ないじゃない」
「わあ、さすが、意志が固いなあ」
「真木ちゃんらしいね」
それから、三人は静かに外を眺めていた。
「わたしたち、ばらばらになっちゃうね」
唯の呟きに、二人は何も言わなかった。唯は続ける。
「わたしは東京の大学、塔野ちゃんは大阪の大学、真木ちゃんは県内の大学」
「まあ、俺はまだ分からないけどな」
「私も合格発表はもう少し先だわ」
「わたしも本命の大学はまだだけどね」
真木は窓の外から目をそらせない。どんな顔をしたらいいか、何をはなせばいいのか、分からない。
「地学室も取り壊しになっちゃうし」
唯が呟く。
「使用されていない教室だもの。いつまでも残しているわけがないわ」
真木は理路整然と言うが、その言葉では寂しさは隠しきれなかったようだ。
「ああ、寂しくなるな」
塔野が真木の気持ちに同意した。塔野は人の気持ちを察するのがうまくて、いつも驚かされる。
「中学生の卒業式の時には、こんなに寂しい気持ちにならなかったな。そもそも友達がいなかったから当然か」
唯も寂しさを表した。
「今生の別れじゃないもの。また会えるわ」
涙をこらえて真木が言う。
「それ、気持ちと言葉が一致してないぞ」
そう言う塔野の言葉も震えていた。
「また会おうね、絶対だよ」
唯の言葉はいつだってまっすぐだ。今日もそれは変わらない。
「仕方ないわね」
返す真木の言葉はいつも通りひねくれていて、
「偉そうだな」
それをからかう塔野もいつも通り。
こんな日々が今日で終わるなんて。本当に信じられない。寂しい。悲しい。もっと三人でいたい。行っていない場所がたくさんある。してないことがたくさんある。出会うのが遅すぎた。こんなに楽しいのなら、もっと早くから出会っていれば良かったのに。真木の中にたくさんの想いがあふれた。学校を卒業するのがこんなにつらいものだなんて知らなかった。
外から温かな光が差し込む。夕陽だ。三人が同じ橙色に染まる。唯の横顔は、世界を救わんとこの世に舞い降りた天使のようだった。塔野は人々の心を癒す美しい彫刻のようだった。真木は、この光景を一生忘れない予感がした。
三人で窓の外を眺めながら他愛のない話をした。サークルはどうしようだとか、一人暮らしは不安だとか、料理はできるかだとか。
「もう帰る時間だぞ」
地学室の鍵を真木に貸した、真木の担任教師が声をかけた。その言葉で我に帰る。いつの間にかそんな時間になっていたのだ。
真木は地学室の鍵を手に取る。一年半の間、ずっと大切にしていたもの。それを、あるべき場所に返す時が来たのだ。
「先生……、地学室の鍵を貸して下さり、本当にありがとうございました」
真木が教師に頭を下げる。それはいつもの、完璧な礼儀作法にのっとったものではなく、年相応のちょっと不格好な、しかしまっすぐな好意を示すものだった。
教師は少し驚いたが、何かを察したのか、すぐ笑顔になった。
「真木……、高校生活は楽しかったか?」
「はい!」
間髪いれずに真木が答える。
「そうか、それならいいんだ。……よし、じゃあ三人とも、気を付けて帰るんだぞ。家に帰るまでが卒業式だからな」
そう言って教師は帰宅を促す。
「先生、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
塔野と唯も教師に礼を言う。教師はただ満足げに頷いた。
三人は地学室を出て、帰路につく。ここに戻ることはもうない。
「わたしたち、どんな大人になるのかな。そもそも、ちゃんとした大人になれるのかな」
「唯は大丈夫よ。きっと、ちゃんとした大人になれるわ」
真木が答える。
「唯は、って俺はだめってことか」
塔野が笑う。
「まあ、唯よりは心配ね。人間関係を築くのは上手いけど、その分色々と背負っちゃいそうな気がするわ」
「……うん、それ、すごく当たってる」
「だから、早く恋人でも見つけることね」
「こっ……!?」
「塔野ちゃんなら大丈夫だよ。きっと素敵な彼氏ができるよ!」
「そ、そうか……?」
複雑な顔で塔野が呟く。
「真木ちゃんは、研究者とかになってそう」
「ああ、確かに。自分の道を極めてそうだよな」
「そうね。ちょっと変わった道を歩んでそう」
「でも、それってなかなか他の人に出来ないことだよ。すごいことだよ」
唯が無邪気にほめる。真木は不覚にも嬉しくなってしまい、何も言えなかった。
真木は「普通」ではない自分が嫌だった。分かってもらえないから。友達になれないから。でも、今は「普通」ではない自分を素直に受け止められる。分かってもらえるどころか、「普通」でないことをすごいと言ってくれる友達が出来たから。
「これから新しい環境になるからな。頑張らなくちゃなあ」
「そうだね。でもきっと、新しい環境でも素敵なことがいっぱい待ってると思うよ」
「唯は楽観的ね。最初に会った時とは大違い」
「そうかもしれない。それはきっと二人と出会ったからだね」
「また、唯はそんな恥ずかしいことをさらっと言うんだから」
「はは、それが唯らしいんだけどな」
いつまでもこうしていたい。でも、それはできない。時は進み、歩き続けなければならない。だからこう言うんだ。
「またね」
「また会おうな」
「また会おう」
そうして、三人はそれぞれの道を歩き出した。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
WEB上に小説を連載するのは初めてだったので、少しドキドキしています。
わずかでも読んだ方の心に残るものがあれば嬉しいです。それを私に伝えていただけるなら、もっと嬉しいです。
本当にありがとうございました。




