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9 聖夜 (中編)

 クリスマスパーティー当日。真木が唯の家の前に着くと、不審者がいた。

 唯の家の前を行ったり来たりして、インターフォンを押そうとする。だが、押せずにまた行ったり来たりしている。

 通報しようか、という考えが一瞬頭をよぎったが、もう誰かがしている後かもしれない。それだと逆にまずいと思って、真木は不審者に声をかけた。


「塔野」


 びく、と肩を震わせて塔野が振り返った。


「あ、真木」

「……何してるの」

「いや、あの、……インターフォンが押せなくて」


 真木は盛大にため息を吐いた。


「誰が見ても間違いない、正真正銘の不審者だったわよ」

「そ、そこまで言わなくても……」


 塔野が落ち込んだ。だが、塔野に構っていてはいつまでたっても唯の家に行くことは出来ない。


「まあ、唯には見られていないでしょうから、大丈夫よ。さ、行くわよ」


 真木は塔野を強引に家の前まで引きずっていった。


「お、おい、まだ心の準備が……」


 塔野を無視してインターフォンを押す。


「はーい。……あ、塔野ちゃんと真木ちゃん。一緒に来たんだ。ちょっと待っててね」


 唯の声が聞こえてきて、塔野がどうしよう、どうしよう、とうめきだす。


「どうしようじゃないわよ。いつも通りで大丈夫だから。ほら、しゃんとして」


 ガチャ、と鍵の開く音。さすがにこのままではまずいと思ったのか、塔野が自分で立つ気配がした。


「お待たせ。どうぞ、いらっしゃい」


 唯が満面の笑みで迎えてくれた。


「おじゃまします」

「おじゃまします」


 真木、塔野の順で唯の家にあがる。

 唯の家は、それほど大きくなかったが、こぎれいで、温かみのある印象を受けた。玄関に飾ってある少年と少女の置物が可愛らしい。クリーム色のカーペットにピンク色のスリッパが置かれた。唯が来客用のものを並べたのだ。


「どうぞ、こっちがリビングだよ」


 そう言って唯が促す。

 その言葉に、塔野が小さく息を吐いた。いきなり唯の部屋に通されたらどうしよう、とでも考えていたのだろう。良かったわね、塔野、と真木はこっそり塔野に笑いかけた。


 リビングに入ると、ツリーが飾ってあり、リースやリボン、ペーパーフラワーでデコレーションがされていた。これはきっと、唯が自分でやったのだろう、と真木は当たりをつけた。


「部屋の装飾まで凝っているわね」


 真木がそう言うと、案の定、唯は嬉しそうに笑った。


「えへへ、ちょっと頑張っちゃった」


 塔野はまだ緊張が抜けないのか、一言も喋れずにきょろきょろしている。そろそろ覚悟を決めなさいよ、と真木は内心呆れていた。

 鞄を置いて、ソファに腰かける。唯、真木、塔野の順になった。やはり自分が真ん中なのか、と真木が思っていると、唯の母らしき人が現われた。


「いらっしゃい。今日は来てくれてありがとうね」


 唯の母は目が大きく、唯によく似ている。40代前半くらいだろうが、少女の愛らしさが面影に残っている。それはきっと表情が無邪気なせいだろう、と真木は分析していた。


「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」


 真木がとっておきの丁寧さで唯の母に頭を下げた。つられて、塔野もありがとうございますと頭を下げた。真木の礼儀正しさに、唯の母は一瞬戸惑ったようだ。だが、すぐにどういたしまして、と笑った。


「今日のパーティーのためにごちそうを作ったの。みんな、遠慮せずに食べていってね」

「準備、手伝います」


 真木が立ちあがり、少し遅れて塔野も立ちあがったが、唯の母は手で制した。


「いいのよ。今日はゲストなのだから、ゆっくりしてて」

「そうだよ。それに、もうほとんど準備は終わっているから、大丈夫だよ」


 唯の言葉を聞いて、それでは、と真木は再び座った。塔野もそれに倣う。


「お言葉に甘えて、くつろがせていただきます」

「ええ、のんびりしていて」


 そう言うと、唯の母はキッチンへ消えていった。唯もその後へついていく。


 唯の母は優しそうだ。つらいことがあれば母に泣きつき、愚痴を聞いてもらう。そうすれば、優しく頭をなでてもらえる。そんな日常が目に浮かんだ。唯はきっと温かくて、優しい家庭で育ったのだろう。唯の素直さ、純粋さはこういう家庭だったからこそ身についたものなのだ。母について料理の盛り付けを手伝う唯を見ながら、真木はそんなことを考えていた。

 羨ましいだろうか。分からない。自分は、そんな家庭で育ったことがないから。それが良いものなのか、疎ましいものなのか、判断がつかない。ただ一つ言えるのは、こんな家庭で育っていたならば、今の自分は形成されなかったと思う。心の中に嫌な気持ちがじわり、じわりと染み込んできた。その理由を説明できなくて、真木は気持ち悪い、と思った。


「唯は母親似なんだな」


 塔野がぽつり、と漏らした。沈黙に耐えきれずに出てきた言葉のように感じた。


「そうね。特に目元がそっくり」


 真木が言葉を返す。会話に集中することで、自分の中の嫌な気持ちをごまかそうとした。


「お母様にご挨拶したら? 唯さんは自分に任せて下さいって」

「な、なに言ってるんだ!」


 真木は赤くなる塔野を笑った。そうすることで、少しだけ気分が晴れた。

 塔野をからかっているうちに、テーブルの上には料理がどんどん増えていった。シーザーサラダ、カルパッチョ、チーズの盛り合わせ、ガーリックトースト、ブイヤベース、そして七面鳥の丸焼き。


「すごく豪華な料理だな」

「ええ、全部食べきれるか不安なくらい」

「ふふ、唯の友達が来るっていうから、気合い入れすぎちゃったかしら」

「残りはうちで食べるから、二人とも無理して食べなくても大丈夫だよ。食後にはケーキもあるからね」

「そう、ケーキは唯が頑張って作ったから、お二人ともぜひお腹を空けておいてね」


 唯の母の言葉を聞いて塔野は「唯の手作り」と呟いて、思考停止してしまったようだ。まったく、本当に中学生男子みたいね、と真木はこっそりため息を吐いた。

 真木はサイダーをシャンパングラスに注ぐ。


「うわあ、おしゃれだね。大人っぽい」


 唯がはしゃいだ声をあげる。確かに、ただのサイダーも、シャンパングラスに注ぐと、何か特別な飲み物のように見えた。


「これだけでテンションあがるよな」


 思考停止から復活した塔野が唯に微笑みかける。ここにきてやっと塔野はまともに唯と言葉を交わした。それまでの挙動不審ぶりが嘘のように、いつも通りの態度だった。やろうと思えばできるんじゃない、と真木は息を吐いた。やはり、演技は得意だということなのだろうか。


「それじゃあ、皆さんグラスをお持ちください」


 少し気取った調子で唯が音頭をとる。


「ではでは……メリークリスマス!」

「メリークリスマス!」

「メリークリスマス」


 三つのグラスがぶつかり、小気味よい音を立てた。


「二人とも、今日は来てくれて本当にありがとうね」

「こちらこそ、こんな立派なごちそうを用意してくれてありがとう」

「飾り付けもすごいもんな。ありがとう」


 会話を挟みながらも、料理へのびる手は止まらない。普段ではお目にかかれないごちそうに、三人は舌鼓を打った。


「友達と過ごすクリスマスもいいものね」

「ああ。最近はクリスマスって恋人と過ごすものってイメージが定着しつつあるけど、別に友達と過ごしたっていいもんな」

「塔野ちゃん、真木ちゃん。恋人とか、好きな人とか、いないの?」


 唯の投げた爆弾に、塔野はむせた。せきを繰り返して、赤くなった顔をごまかしているようだ。今、失言したことを後悔しているだろう。真木は塔野の顔を見ながらそんなことを考えた。


「と、塔野ちゃん大丈夫? お水、飲む?」

「あ、ありがとう……」

「塔野は、まず、恋愛対象がどっちかっていう問題があるでしょ。だから、難しいし、いないんじゃない」


 塔野があまりにも憐れだったので、真木は助け船を出した。


「ちなみに、私もいないわよ」

「そっか。みんないないんだね」


 塔野が真木に視線を送る。塔野の感謝を読みとって、真木は一つ頷いた。


「唯もいないの?」


 真木が尋ねる。


「うん。今はいないな。……中学生の頃はいたけどね」

「どんな人だったんだ?」


 塔野が興味を隠しきれない様子で訊いた。この話は二人にとって初耳だった。


「一つ年上の先輩だよ。応援団の団長をやってて、体育祭の時に、前に出てみんなの指導をしてたの。一言も話せなかったけど、ずっと憧れてたな」


 唯が遠い目をして語る。


「告白とか、しなかったの?」

「うん……。そんな勇気、なかったもん。……田中君はすごいよなあ、勇気を出して、デートに誘って」


 唯の表情が陰る。田中の話が出てきたのは、唯が田中の誘いを断った日以来、初めてのことだったので、真木は驚いた。唯は田中のことなどもうあまり気にしていないのだろうとばかり思っていたが、それは違うようだ。唯は唯で、田中の誘いに乗らなかったことをずっと気にしていたようだった。

 もしかしたら、自分が思っているよりずっと大きな罪悪感にさいなまれていたのかもしれない。唯の伏せられた目を見つめて、真木はそう思った。


「田中の誘いを断ったことで、唯がそんなに自分を責めることはない」


 ぽつり、と塔野が呟いた。気負っていない、素直な励ましの言葉だった。


「うん……。ありがとう」


 唯の陰を完全に取り払うことは出来なかったが、それでも、唯は笑顔を取り戻した。


「ごめんね、暗い雰囲気にしちゃって。ささ、まだご飯が残ってるよ。食べよう」


 真木は、塔野のように唯を励ます言葉が出てこなかった。唯が実は落ち込んでいることに気付きながらも、どんな言葉をかければいいか、浮かばなかった。塔野はすぐに適切な言葉を見つけて、唯を慰めることができた。塔野は、やはりコミュニケーション能力が高いのだろう。分かっていたことだが、真木は改めて実感した。コミュニケーション能力に関して、真木は塔野に一生勝てない気がしていた。

 そんなことを考えているうちに、たちまちお腹が満たされた。気がつくとケーキが入るスペースは残っていなかった。ゲームをして、少し時間が経ってから食べよう、と唯が提案した。二人は二つ返事で快諾した。


「ゲームって何をするんだ?」

「へへへ、この間テレビでやっていたゲームなんだけど、紙とペンだけでできるんだよ。有名なキャラクターを、何も見ずに描いてみよう、っていうゲームなんだ」


 絵を描く、と聞いて、真木の息が止まった。塔野と唯が何か話しているようだが、聞き取れない。そっと手を左胸にあて、落ち着こうと試みる。心臓が暴走しているのを掌で感じた。

 息を吸って、吐く。意識して呼吸をすることで、だんだんと脈拍が落ち着いてきた。少しずつ周りの音が聞こえてくる。


「唯は絵を描くの、得意なのか?」

「うーん、そんなに上手くはないよ。でも、絵を描くのは好きかな」

「俺はからっきしだよ。見て描いても、何を描いているのか分からないって言われる」

「そういえば塔野ちゃんは芸術、音楽選択だったもんね。真木ちゃんは絵、上手そうだな」

「そうか? 結構下手なんじゃないか」


 急に話の矛先が自分になり、真木は顔をあげた。何でもない風を装う。


「……あまり上手くはないわ」

「ほら、俺の考えが当たった」

「えー、でも、わたしたちから見たら上手なのかもよ。真木ちゃんって理想高そうだもん」

「ああ、それはあるかもしれないな。じゃあ、試しに描いてみようぜ。ドラ〇もんなんてどうだ?」

「それならみんな分かるし、いいね。はい、紙とペン。出来上がるまで、お互いに見えないようにしようね」


 唯が手際よく紙とペンを配る。いつの間にか、みんなで絵を描くことになってしまった。再び真木の鼓動が速くなる。ペンを握ることすらできない。最後に絵を描いたのはいつだろう。中学生の頃だった気がする。描いた絵は、引き裂いてしまった。今まで描いた絵は、残らず同じ運命をたどっていた。


「どうしたんだ、真木」


 塔野が真木の様子に気づいて声をかける。その声を聞いて唯が顔をあげた。


「……どうやって描こうか、悩んでいたの」

「なんとなく描けばいいよ。ゲームなんだから、それっぽく描ければ大丈夫だよ」


 唯が明るく声をかけた。


「ええ、そうね」


 そうは言ったものの、ペンをとることはできなかった。


「……もし描けないようなら、無理に描かなくたっていいんだぞ」


 真木のただならぬ様子を察して、塔野がそう声をかけた。


「上手く描かなくちゃ、っていうプレッシャーを感じちゃったかな。ごめんね。気にしなくていいからね」


 唯が見当違いのことで謝る。唯はいつだってそうだ。持ち前の鈍さで色んなことに気付かない。そして、空気が悪くなったら、とにかく謝る。

 嫌なことも気づかず通り過ぎていくのだろうな、羨ましい、と思ったところで、さっきの暗い顔を思い出した。鈍くても、人の気持ちが分からない子ではない。唯は唯なりに思い悩んでいることがあるのだ。一概に、唯の方が幸せだなんて言えない。

 そこまで思考が巡ったところで、真木はペンをとった。紙に押し当て、日本の誰もが知っている特徴的な顔を描こうとした。

 円を描いたところで、真木の手は止まってしまった。


「描けない」


 真木はペンを置いた。


「普段よく見ていても、いざ描こうとすると描けないよね」


 唯がとんちんかんなフォローをした。塔野は力強いまなざしで真木を見つめていた。


「どうして描けないのか、聞いてもいいか?」


 塔野が尋ねる。


「別に言いたくなかったら、言わなくてもいい」


 そう言われて、真木は戸惑った。今まで、自分の深いところに根ざした感情を人に伝えたことが無かったからだ。伝える人がいなかったのだから、当然と言えば当然だ。真木は、このことを話すべきか悩んだ。どう言えば伝わるのか、見当もつかなかった。


「真木ちゃん、どんなことだって、わたしたちちゃんと聞くよ」


 唯がまっすぐに真木を見つめた。

 思えば、この二人は、心の深い部分の叫びを、今まで真木に話してくれていた。唯は、人とうまく話せなくて、距離感がつかめず、ずっと友達がいなかったこと。塔野は自分の性別に疑問を持っていて、人気者の自分は演技で作り上げたものだということ。

 それならば、自分も二人に語るべきではないのだろうか。自分が心の奥深くに抱えている闇を。


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