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9 聖夜 (前編)

 結局、唯はデートの誘いを断ったと話していた。


「そう」


 真木は小さく一言だけ絞り出した。塔野は何も言わなかった。


「わたし、二人以外に友達もいないから、今は恋愛について考える余裕がないと思ったんだ。そう話したら、仕方ないね、って言って笑って背中を向けたよ」


 顔では笑っていても、心の中では泣いていたんだろう。真木は気の弱そうな田中の顔を思い浮かべていた。


「クリスマスは、二人とも予定ある?」


 暗い雰囲気を打ち消すように、唯は努めて明るくそう言った。


「どうして?」


 回答する前に、真木は疑問を呈した。


「せっかくだから、わたしの家でクリスマスパーティーをしようと思って。わたしの親も、ぜひ友達を呼んでおいでって言うんだ」


 無垢な笑みを浮かべて、唯が誘う。真木は、唯の誘いに衝撃を受けた。屋上での出来事を境に、三人の関係性は決定的に変わってしまった。そのことに唯は全く気付いていないというのだ。なんて幸せなことだろう。

 でも、真木は夢見たかった。もう一度、パフェを食べに行った時のような、お互いにお互いのことを信頼して本音で話せる関係に戻りたかった。呑気に笑って、遊びたい。だから、塔野が口を開く前に言葉を発した。


「それはいいわね」


 まさか真木が乗ってくるとは思わなかったのだろう。唯が驚いた顔で真木を見つめる。


「本当に?」

「ええ。楽しそうじゃない。塔野もそう思うでしょ?」


 真木が無言のプレッシャーを与えながら塔野を見つめる。もともと気の弱い塔野がその重圧に逆らえるわけもなく、無言で頷いた。


「やったー。それじゃあ、決まりだね」


 唯が満面の笑みで喜んだ。塔野はうつむいたまま、唯の方を見ようともしなかった。







 唯が帰った後、塔野は真木に詰め寄った。


「どうして、唯の誘いを受けたりしたんだ」


 塔野の表情があまりにも苦しそうだったから、真木はこの質問を軽く受け流すことが出来なかった。


「どうしてって……。今までだったら、迷いなく誘いに乗っていたでしょう」

「今までと今では全く状況が違う。俺は……」


 塔野は下を向いたまま黙りこくってしまった。


「そんなに自分を責めなくてもいいと思うわ」


 塔野が顔を上げた。


「唯の中では、きっと答えが決まっていたのよ。あなたは、ただ唯の気持ちを代弁しただけ。あなたが逆に誘いを受けるように助言していたとしても、唯はきっと断ったと思うわ。唯は芯の強い子。そうでしょ?」


 真木の言葉を聞いて、塔野はようやく笑った。まだぎこちなさは残るものの、温かい笑みだった。


「そうだな。そうだった。唯は、強い。俺なんかに流されるような性格じゃないもんな」

「そうよ。だから、クリスマスパーティーを楽しみましょう。せっかく唯の家に行けるんだから」


 塔野の笑みが固まった。


「唯の……家?」

「そうよ。唯がそう言っていたじゃない。自宅でクリスマスパーティーをするって」


 塔野の顔がみるみる赤くなる。


「え、え、え、どうしよう。唯の家に行くのか? 唯が毎日過ごしているところに? ご両親への挨拶とか、考えなきゃ。ていうか、まさか唯の部屋にも入ったりするのか? 唯の机に唯のクローゼットに唯のベッド……」

「塔野、ちょっと落ち着きなさいよ。男子中学生みたいじゃない」


 真木が塔野の肩を叩くと、塔野は我に返ったようだ。焦点の合った目で真木を見る。


「あ、ああ。ちょっと動揺してしまって」

「ちょっとどころじゃなかったけど」


 くすり、と真木が笑うと、塔野が頭を抱えて真っ赤になった。


「……恥ずかしい」


 まったく、塔野は落ち込んだり、舞い上がったり忙しいわね、と真木は苦笑した。







 帰り道、唯はクリスマスパーティーのことを考えていた。まさか真木がクリスマスパーティーに賛同してくれるとは思わなかったから、そのことが余計に嬉しかった。


 このクリスマスパーティーは、単純に楽しむためだけのものではない。両親の友達を家に連れてきてほしいという願いと、唯の田中の誘いを断ってしまった罪悪感をごまかしたいという思いのためのものだ。

 自分でも、卑怯だと思う。人の好意を断って、その辛さを楽しみで埋めてしまおうとするなんて。でも、唯にはそれしか方法が見つからなかった。中学生以降、塔野と真木以外からほとんどまともに他人からの好意を受け取って来なかった唯にとって、田中の好意はとても大きなものだったのだ。その分、罪悪感もひとしおだった。それでも、誘いを受けてしまってから断るよりは、まだましだった。もしかしたら、断った理由の一つには、このことが挙げられるのかもしれない。あまりにも臆病で自分勝手だ。楽しいことを考えていたはずなのに、思考は自然と暗い方向へ走って行った。久しぶりに感じる自己嫌悪の感情に唯は打ちひしがれていた。


 自分のことについてネガティブなのは相変わらずだった。人のことならばポジティブに励ませるのに、どうして自分だと駄目なのだろう。やはり、自分は欠陥品だ、という結論に落ち着いた。

 そんなことを考えているうちに家に帰りついてしまった。今日は父が早く帰ってくるから、早く帰ってきてみんなでご飯を食べましょう、というメールが母から届いていた。そのために、唯は先に帰ってきたのだ。もう父はいるだろうか、と考えながら呼び鈴を押した。


「唯? ちょっと待っててね」


 母の明るい声がインターフォンから聞こえる。しばらくして、バタバタと足音がし、鍵の開くガチャ、という音が鳴った。


「おかえり、唯」


 母がいつも通りの笑顔で迎えてくれた。


「ただいま」


 唯も笑顔で返す。すっと、心の中の暗いものが外へ出ていった。


「寒かったでしょう。早く中に入って」

「はーい」


 扉を閉めると、室内の暖かさが身にしみた。それだけで幸せを感じる。


「おー、唯。帰って来たか」


 父親が自室の奥から声をかける。もう帰宅していたのだ。


「ただいま、お父さん」


 そう言って靴を脱ぎ、階段を上って自分の部屋へ入る。

 鞄を置いて、手早く服を着替え、再び階下へ舞い戻る。洗面所へ向かった帰りに、台所に立ち寄った。


「お母さん、何か手伝うことある?」

「それじゃあ、このお皿を並べて」


 唯は言われたとおりにお皿を並べる。


「今日はすき焼きか。ごちそうだね」

「ええ、たまにはね」


 母が嬉しそうにそう言う。父が早く帰ってきた時には大抵こんな感じだ。


「お母さん、あのね、クリスマスパーティーにお友達呼ぶことになったよ」


 唯が嬉々としてそう言うと母の笑顔が深くなった。


「まあ、本当に? お母さん、とっても嬉しいわ。唯に友達が出来たって聞いた時から、私、絶対におもてなししなくちゃいけないと思っていたもの」

「お母さん、声抑えて。一とお父さんに聞こえるから」

「ごめんなさい。一とお父さんには秘密だものね」

「そうだよ。一がわたしに友達いなかったこと知ったら絶対にバカにするし、お父さんは心配し過ぎて禿げちゃうよ」


 母がくすくすと笑う。


「お父さんあれ以上禿げちゃったら困るものね」

「そうだよ。心配事は少ないほうがいいよ」


 唯は冷蔵庫から卵を出して並べ始めた。


「クリスマスパーティー、何を作ろうかしら」

「ビーフシチューとか、お料理にして。ケーキはわたしが作るから」

「分かったわ。ケーキは唯に任せる。お菓子作りは得意だもんね」

「得意ってほどじゃないけど……。まあ、普通のショートケーキくらいは綺麗に作れるかな」

「せっかくだから、ブッシュ・ド・ノエルなんて作ってみたら?」

「ああ、切り株の形の? うーん、作ったことないから、ちょっと心配だなあ」

「唯が好きなほうでいいと思うわ」


 母はそう言いながら鍋をコンロに乗せた。


「あなたー、はじめー。ご飯よー」


 その声につられて、二つの足音が聞こえてきた。


「おー、今日はすきやきか」

「……すきやき」


 額の広い父と反抗期真っ盛りの一がダイニングに現われた。


「一、ちゃんと手を洗った?」

「……」


 一は大儀そうに洗面所の方へ向かって行った。


「まったく、一は相変わらずね」


 母の呟きに唯は同調した。


「本当にね。もう中学二年生なんだから、返事くらいすればいいのに」

「その点、唯は反抗期が無かったから助かったわあ」

「これから来るかもしれないよ」

「またまたあ」


 そう言って二人は顔を見合わせて笑った。

 そこに、何楽しそうにしているんだ? と父がやってきて、黙って一が椅子に座り、小日向家の一家団らんの時間が始まった。





***


「クリスマスパーティーなので、クリスマスプレゼントを買って交換することにしよう」


 クリスマスパーティーをすることになった翌日の放課後、唯が唐突に切り出した。

 また、この子は空気の読めないことを、と真木は思ったが、表面には出さないようにした。


「クリスマスプレゼントか。パーティーっぽくていいんじゃないか」


 今度は塔野が乗り気で、唯は目を輝かせた。あなた、昨日までどんな顔で唯に会えばいいんだって、消極的だったじゃない、と真木は呆れていた。立ち直りが早いというか、単純と言うか。


「真木ちゃん、どうかな……?」

「……いいと思うわ」


 結局断り切れずに承諾した。唯がそれじゃあ決定、と無邪気に声をあげた。


「値段はだいたい千円くらいまででいいかな」

「そうだな、それくらいが妥当じゃないか」

「そうね」

「えへへ、プレゼント、何にしようかな。うわあ、今から楽しみ」


 唯の頭の中はいつも平和そうでいいなあ、と真木はその屈託ない笑顔を見ながら思っていた。それを見つめる塔野の笑顔がまた溶けそうなほど優しげで、真木はため息を出さないようにすることで必死だった。唯は可愛いなあ、とか思っているんだろうな、と想像すると、何とも言えない気分になる。

 塔野が罪悪感から解放された。それはとてもいいことだ。それは、三人の関係を修復するうえで無くてはならないパーツだった。でも、それだけでは足りない。塔野が自分の想いを自覚してしまったから。もう、以前と同じ三人ではない。どうやったら以前に近づくのだろう。真木は目を閉じた。


「ねえ、真木ちゃんはプレゼント、何にする?」

「……それを言ってしまったら、当日の楽しみが無くなっちゃうじゃない」


 唯のあまりにストレートな質問に、真木はつい笑ってしまった。つられて、唯も、そうか、と笑う。塔野も笑う。

 しばらくはこのままでいいか、と真木は問題を棚上げした。


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