eXeCuTaBLe FiLe [DaWN QueeN 01]
「分からない……ですか。こりゃあ、のっけから厳しいな……」
返ってきた答えに対し、英也は少しくおどけた風に天を仰ぐと、ピシャリと額を叩いて大袈裟な反応をしてみせる。
だが実際のところは。
そうして、困っているのはポーズだけだと誤魔化すくらいしか、英也に取れる行動が無かっただけのことであった。
本音を言えば、英也は相当に混乱していたし、この先に取るべき手立てもまるで頭に浮かばず、はっきり言って完全な手詰まりの状況だった。
とはいえ、そうした事実を下手に知られるわけにもいかない。
敵地か、それに準ずる場所に身を置いている場合、自分の弱みを知られるのは致命的な結果を生みかねない。
ともかく今、何より優先すべきは、誰が敵で誰が味方かを知ること。
まさしく最優先事項。
こういった状況において、情報弱者は恰好の獲物だ。
だからこそ、出来うる限りの手段を用い、情報を得る必要がある。
それゆえ英也は極力、虚勢に見えぬよう細心の注意を払って立ち居振る舞いと言動を調整していた。
まず、目の前のこの女が本当に信用に足るかどうかを知るためにも。
二度目の意識が戻ってから急に現れ、自分を【DaWN QueeN】と名乗った、大仰な姿をした女について。
髪は絵に描いたような金髪の巻き毛。
それが肩をくすぐるほどの長さで切り揃えられている。
瞳はアンバー……琥珀色をし、目鼻立ちなども含めて考慮すると明らかにコーカソイドだろう。
服装は淡いスカイブルーとタンジェリンを基調にしたドレス。
かなり古風なデザインに見えるが、立襟が高く、肌の露出が極端に少ない作りはヨーロッパの堅苦しい席などでまれに見かけたことがある。
職業柄、特段衣料品に詳しいわけではないのだが、そうした仕事関係の知識としてこのドレスがローブ・モンタントと呼ばれる通常礼服である程度までは知識のうちにあった。
といって、そんな知識が何かしら役に立つとも思えなかったが……。
「ゲームというものは得てして序盤と終盤が最も難しいものよ。別にそれほど特別なことではないわ。それに、私の想像が正しければ貴方は恐らく世間一般に知られている、云わば表面上の【eNDLeSS・BaBeL】についての知識はそれなり、持ち合わせているように思うのだけれど?」
ドレス姿の女性……【DaWN QueeN】はそう言って首だけを前へと倒して顔を突き出すと、左の中指で艶やかな己の唇をなぞりつつ、探るような目つきで英也を観察し続ける。
これに対し、英也は顔は下げずに視線だけを【DaWN QueeN】へ向けると、鼻から溜め息、口から声を漏らした。
「何だか、腹の中を見透かされているようで気持ち悪いですね……もしや、ご婦人は小官のことを少ながらずご存じなので?」
「個人情報に限れば、ほぼすべて存じ上げてますわよ。ただし、貴方の胸の内までは分からない。いくら私でも人の心を読むなんて高度な芸当は身に付けておりませんから、単なる憶測を述べたまでですわ」
「だとしたら、その憶測の根拠は?」
「貴方のその所作よ。貴方の声や一挙手一投足には、微塵の乱れも感じない。たまにわざと乱れた体を装ったり、とぼけた抑揚をつけたりしているけれど、そんな時でも全体を支えている芯の部分がまるで揺るがない。思うに、警戒はしながらも状況を打開するため、私を含め、現状におけるあらゆる情報を模索中……といった印象なのだけど、当たっているかしら?」
「……お見事です」
この回答には正直、自分についての事前情報を知っていたうえでという前提こそあれど、それを差し引いても余りある【DaWN QueeN】の鋭い洞察に、英也は警戒心をより強めながらも、八割方の本音をつぶやいてまた少しばかり考え込む。
ところが。
「ねえ、中尉」
「……二等陸尉ですよ。その呼ばれ方だと、妙にきな臭い感じになるんで勘弁してもらいたいんですがね……」
「あら、私はこのほうが軍人さんらしくて好きなのだけれど……それより貴方、私を警戒するのは状況からして仕方ないとは思うけど、そう悠長に構えていて大丈夫?」
「は?」
やにわに話しかけてきた【DaWN QueeN】の言葉に、思わず英也は意図せず間抜けな声を上げた。
一瞬、何を意味して話しているのか、判然としなかったために。
が。
瞬時にまた一言。
「このゲーム……【eNDLeSS・BaBeL】はもう始まっている。そしてゲームには勝敗がある。勝てば何かを得、負ければ何かを失う。これでもうお分かり?」
「……!!」
継がれたのを聞き、英也は双眸をかっと見開くや、左手へ視線を落とした。
そこには変わらず、奇妙な色彩を放つ数字。
しかし。
何も変化していないわけではない。
数値が。
減っている。
というより。
減り続けている。
最初に見た時には168だったはずの数値が留まることなく急速、158……148……と。
刹那、英也は慌てた様子の中にも冷静さを保ち、即座に【DaWN QueeN】へ端的な質問を投げかける。
「ご婦人、ここでのゲームの操作方法は!?」
「御自身のフルネームのあとに命令をつけなさい。音声だけで操作できるわ。モニターで確認しながらね」
「長内英也・現在のゲーム状況、映せっ!」
答えを聞くのと同時、すぐさま命令を叫びながらモニターに前へ英也は向き直った。
途端、画面内に無数のウィンドウがサムネイル状に表示される。
ほとんどは何らかのパラメーターが羅列されたウィンドウだったが、それらを除くいくつかは、先ほど見せられた【NeuTRaL FLooR】の映像に酷似したものや、二次元的に何かの図を表しているものもあった。
そんな中から、英也は目をせわしなく動かして今現在、まさに今、必要としている情報を探していく。
すると。
『【DuSK KiNG】からの攻撃により、【DaWN FLooR 2153】が占領されました。これよりこの階層は【DuSK FLooR】となります』
目当ての情報を探している最中、その声はまさしく不意を打って室内に響き渡った。
またさらに。
『【DuSK KiNG】からの攻撃により、【DaWN FLooR 2152】が占領されました。これよりこの階層は【DuSK FLooR】となります』
皮肉にも、どこかにあるのだろうスピーカーから轟く、聞きたくも無い報告を耳にした次の瞬間、目的のものらしきウィンドウを見つける。
咄嗟、英也はまたしても叫ぶ。
「長内英也・現在進行形で戦闘のおこなわれている場所を表示! 状況説明の音声も同時に流せ!」
瞬刻、モニターには数あったウィンドウは消え失せ、ただひとつ残ったウィンドウが画面全体に展開される。
それは、まさしく塔……【eNDLeSS・BaBeL】の図解。
細かな階層のひとつひとつが透過し、見通せるよう描かれた3Dモデルの【eNDLeSS・BaBeL】。
そして示された図解の中で、悪夢のような状況は着々と進行していた。
およそ2000から2200と回数表示された部分が、少しずつながら確実に、騒がしく色を変化させ、
『【DuSK KiNG】からの攻撃により、【DaWN FLooR 2151】が侵略されています。ただちに防衛行動をおこなってください』
『【DuSK KiNG】からの攻撃により、【DaWN FLooR 2098】が侵略されています。ただちに防衛を行動をおこなってください』
『【DuSK KiNG】からの攻撃により、【DaWN FLooR 2097】が侵略されています。ただちに防衛行動をおこなってください』
『【DuSK KiNG】からの攻撃により、【DaWN FLooR 2096】が侵略されています。ただちに防衛行動をおこなってください』
次から次へと自分の階層に攻撃が加えられていることが示される。
「ええい、クソッ!!」
これには、さしもの努めて理性的であった英也も一方的かつ絶望的な状況に苛立ち、椅子の肘掛けへ右の拳を思い切り叩きつけた。
最悪である。
冷静さを保とうとするばかり、肝心な部分で呆けていた。
何より優先しなければいけないことすら、勘違いをして。
そう。
本当に優先させるべきたったのは。
ゲーム。
自分が【eNDLeSS・BaBeL】にエントリーした時点で、優先順位はそちらにシフトしていた。
それにも気づかず、貴重な時間を……いや。
命を浪費してしまった。
「……人は本当に危機的な状態まで陥らないと、速やかに他者を信用できない……」
やおら、【DaWN QueeN】は独りごちるように言う。
音も無く、するりとモニターの前で混乱する自身を抑えている英也の側へ寄りつつ。
「いい? 中尉。ここでの【eNDLeSS・BaBeL】では、自分の所有する階層が他のプレイヤーに奪われると、10時間分の生存猶予期間がマイナスされるの。つまりは初期状態で17の所有階層を失えば即刻さようなら。問答無用にね」
「……それを……そんなことを信用させるためだけに、わざわざこんなになるまで黙ってたのか……?」
今更……としか思えない【DaWN QueeN】の話を聞きながら、英也はなおも響き続ける攻撃と占領の報告を一緒に耳にしていた。
すでに事前知識が通用しない領域まで足を踏み込んでいる以上、信じるではなく、信じるしかない相手を信じなかった報いの大きさに、後悔と方向の定まらない怒りを抱いて。
されど。
もはや逆に聞く耳を持たなくなったようにしか思えない英也に対し、【DaWN QueeN】は話し続ける。
「どちらにせよ、初期状態で防衛やその他の煩雑な行動をおこなうのは、ほぼ不可能だったのよ。時間的に……ゲームシステムを理解するまでの時間的に。だけど手は無いわけじゃないの。というより、手はひとつきり。そう、ひとつきりなの」
「……?」
「【BiND oVeR(強制停戦命令)】を実行しなさい。この命令を実行すれば以降12時間、すべてのプレイヤーはこちらへ攻撃をおこなえなくなる。もちろん、現在攻撃中だとしても攻撃はキャンセルされる。ただし、この命令は生存猶予期間48時間をコストとして消費するわ」
「48時間……」
「そう、48時間。それがこうまで状況が悪化するのを待っていた理由。もし、もっと猶予が大きい状態だったなら、中尉は絶対この策を信じようとはしなかったでしょうし、実行もしなかったはず。それこそ時間切れまで。追い詰められなければ出来ない行動だろうと承知していたからこその黙秘。分かって頂戴……今はまだ信用してもらえないだろうけれど、私は本当に貴方を助けたいの。そう安易に死なせたくはないのよ……」
言われ、英也はまた自分の左手を見た。
88。
もう残り88時間。
ここからさらに48時間となれば、残すはわずかに30時間。
迷いが無いといったら嘘になる。
それどころか、迷いしかなかった。
知らぬ間に崖の淵まで追いやられていた混乱は、そうやすやすとは拭えない。
だが、見つめていた己の左手。
その数値が。
78。
駄目押しとばかり10時間を失って転瞬、
「長内英也・【BiND oVeR】! 実行しろっ!!」
吼えるように言い立てた須臾、ピタリと音声が止む。
声質も、音量も、何より内容が深い極まる音声が。
それと同時。
英也は崩れるように椅子へ腰を落とすと、深くうなだれ、深く溜め息をつき、右手で顔を覆う形に押さえた。
指の間から視線を伸ばし、しばし左手の数値を見つめつつ。
『【DaWN QueeN】より【BiND oVeR】が実行されました。他プレイヤーは今後12時間、【DaWN QueeN】所有階層への攻撃が不能となります』
しばらくの間を空け、再びどこかから流れてくる音声を聞き、安堵の吐息のために肺を満たそうと、大きく開いた口から強く空気を吸い込む。
自然、膨脹した胸が一気に息を吹き出すや、張りつめていた緊張の糸が急激に緩んだせいか、つい今しがたまで自分でも情けなくなるほど失われていた理性が戻ってくると、英也は顔を覆った右手が、冷汗でじっとりと濡れた感覚を伝えてくる。
29。
左手の数値。
結局、12時間の安寧を得るため犠牲にしたのは138時間。
自然経過してしまった時間も合わせれば139時間。
それなりの余裕があるものと思っていたはずが、気づけばこの始末。
さりとて。
英也もただで起きるつもりは無かった。
「……ご婦人」
背を丸め、顔を伏せたまま【DaWN QueeN】へ問いかけると。
「何かしら? 中尉」
「このゲーム……こちらの【eNDLeSS・BaBeL】でも、他のプレイヤーとのコミュニケーションは可能なんですかね?」
「可能よ。モニターとカメラを介して直接会話するような通信コミュニケートがね。けど一度につき1時間のコストがかかるわ。その代り、同時複数人での会話もできるし、時間制限も無い。うまく使えば1時間のコストなんて気にならないほど有益なはずよ」
「有難いですな……思うに今日、始めて素直に喜べる情報ってやつです」
返ってきた答えに満足し、英也は勢いよく身体を跳ね上げ、汗を拭いつつ右手で短い前髪を掻き上げる。
先ほどまで顔に差していた影を払い、覚悟を決めた微笑みを浮かべて。
「ただし中尉」
「はい?」
「先に申し上げておきますが、【DuSK KiNG】のプレイヤーとは通信不能です。何故かまでは存じ上げませんけど、あそこのプレイヤーは他プレイヤーと、戦闘以外での接触は一切しようといたしませんので」
「ほう……それはまた、有益な情報を感謝します」
そう述べながら、英也は。
「さて……と、【DuSK KiNG】……ねえ……」
ふと、どこまでの高さがあるのか光量が足りず、はっきりとしない天井を仰ぎ、【DaWN QueeN】には聞こえぬよう、心の中で。
(思い返してみれば、さっきこっちへ攻めてきてたのは【DuSK KiNG】だけだったか……まあ、管理者は直接行動を起こさないから当然、攻撃の意思はそこのプレイヤーによるものだろうが、何にせよ)
思って、最後にポツリと。
「……借りは、いずれ返すぞ……クソが……」
こぼすようにつぶやき、背もたれから上体を離すと、眼前のモニターへ向かい合った。