DaTa FiLe [RooT **]#LoST
緩慢な、もしくは。
ひどく落ち着いているのか。桂一はようやく開口してからも、そこからの第一声を発するまでに長らくの……といっても、状況的に長いと表現できるだけの話であり、実際は1分にも満たない時間であったが……ともかく、少なくとも口を開きいた彼が話し始めるよりも先、
「……下らない……実に、下らない幕引きですね……」
【NooN JaCK】の、嘆息かと聞き違えそうになるほどの落胆の一言が、不気味な笑い声の木霊する部屋の中を縫い、各人の耳へと届く。
と、続いて、
「いえ……むしろ、これこそが現実的とでも呼ばれる展開なのではなくて? 物事の幕引きに……最後の最後に、ドラマがあるだなんて、そういったご都合主義な流れというのは、よくある物語の中に限ってのお話ですわよ。現実は得てして楽しいのは経過だけ。結果が出てしまえば、あとは冷めてゆくだけ。だから続けてゆかなければならない……私たちは、ね。そう考えれば、これもまた単なる節目でしかない。それなら、この退屈さも納得できることだとは思わないかしら?」
【DaWN QueeN】はあくまで、受け止め方の問題であると【NooN JaCK】が漏らした不満へ対し、ひとつの仮説を答えとして返した。
すると。
薄闇に覆われ、判然としない【NooN JaCK】の顔へ、理屈で理解できても感情がそれに反発しているといった、如何にも分かりやすい渋面を表しつつ、それでもどうにか理性を優位に立たせ、形ばかりの同意を示すよう、首を何度か小さく上下させる。
そんなやり取りがなされている間。
桂一がゆるゆると、いつまでも声を出さずいる間。
洋介はといえば、
腰を落としていた体勢が瓦解。床に片膝を突いていた。
決して望んだ体勢ではなかったが、そうせざるを得なかった。
何故なら。
喉元の違和感に起因する呼吸の停止により、今や洋介の四肢には思うとおりの力が加えられなくなっていたからである。
とはいえ、この段になるとさすがに洋介も、自身へ起きた『何か』をぼんやりとだが理解し始めていた。
徐々に……まるで凍りついていた時間が溶け出したように、違和感の根源である己が喉元を中心、じんわりと焼けるような痛みがその強度を、際限が無いかのごとく増してゆき、思わず喉へと伸ばした左手の指先が些細、触れた硬い感触。それと同時に増大した鋭い痛み。そして何より、自分へ向かって伸ばされた桂一の右腕。
これらから導き出される答えはつまり……。
「……複雑そうな顔してんな、お前。分かったような……分からないような……みたいな、そういう顔……」
瞬刻。桂一の口はようやっと言葉を紡ぐ。
言うとおり、まるで答えは分かるが、そこへ至るための式が分からないといった、苦悶と疑問と困惑とによって斑に彩られた形相を浮かべる洋介へ向かって。
「思うに、主にお前が考えてることって『なんでカウントが終わる前に自分は攻撃されたのか』とか、『なんで銃を使わず、ナイフを投げつけてきたのか』とか、『そもそもなんで俺はナイフなんか持っていたのか』とか、そういった辺りか? まあその顔色を見るに、この推測で間違いはなさそうだけど、それはひとまず置いといて、ひとつ……答えを言う前にひとつ……言わせてくれ」
表情と言うにはあまりにも動きに乏しく、かといって無感情というほど何らの意思も感じられないとまではいかない……先ほどの時点においてはそれを厭世観から来る混沌とした感情がもたらす、表現しようの無い面様が無理くり、体を成した仕儀なのたろうと洋介に結論させた顔つきのまま、桂一は欠片の抑揚も無い声に乗せ、言った。
「お前って……自分が思ってるほど、純粋でもなんでもないぜ……?」
途端。
それを聞いた洋介はすべてを、まさしく比喩ではない、すべてを理解した。
両眼の端が裂けるのではというほどに大きく双眸を見開き、それまでとは一転、ただ一色……驚愕という一色の感情に塗り潰された、瞳を桂一の顔へ釘付けながら。
「カウントの途中で攻撃したから何だ? 【NiGHT JoKeR】は合図をするとは言ったが、別に合図やカウントが終わってからでなきゃ攻撃しちゃいけないなんて言わなかったろ? それに銃もだ。銃と弾をそれぞれの分、置くとは言ったが、それで殺さなきゃいけないとも言っちゃいない。長々としゃべっちゃいたが結局、あいつが決めたルールはたったひとつ、『殺したら勝ち。殺されたら負け』。それだけ。なのに、お前は勝手に自分でルールを独自解釈して機を逃した。先入観で勝手にルールを付け足した。自分に対する足枷を。ここ一番、この時のためだけにと言っても過言じゃない、この場面まで来て、急にお前はこれまで必死になって生き延びようと足掻いてきた自分へ足枷を付けたんだよ。それも自分自身で」
そう朗々と語る桂一の姿を見ながら、洋介は彼の表情や様子から感じ取っていた、あらゆるものが致命的な勘違いであったことへ今さらに気づき、深々とナイフの突き刺さった喉笛まわりの皮膚や肉が動くことでさらにいや増す激痛と、舌の付け根辺りまで上ってきた鮮血が口中へ溜まってくるのも構わず、対象の定まらない怒りに任せ、残された瑣末な力を使い、弱々しく歯軋りをする。
桂一が発していたのは、厭世観などではなかった。
ましてや、諦めや現実逃避などといったニヒリズムとも違う。
実はもっと単純。こと、ここに至るまで気がつかなかった自分の愚かしさを呪いたくなるほど。
つまりは。
洋介に対する呆れ。それも徹底的なまでの。
何も期待しない、していない、そういった侮蔑の感情すらも通り越し、見下げ果てた末の反応。その結果としての不可思議な様子、形相。であったのに、そうした思考が完全に頭から抜けていた。
まさか自分がそのように見られるなど、思われるだなど、想定すらしていなかったがゆえ。
しかし、もう遅い。何もかもが。
自尊心からか、それとももっと低俗な慢心からか、桂一という相手を見誤った時点、この結末は決まっていたのかもしれない。
だのに。
「お前ってさ……俺と違って下手に知識があった分、生き延びるための方途とか、いちいちやたらと考え込んで決めてたろ? けど、俺はお前と比べてひどく、知識も経験も少なかった。や、正確には意図的に少なくされてた。個体差を出すためにな。そして結果的、それが俺をお前よりも純粋にしてくれてたんだよ。深く考えるよりまず、目先の利益優先で生き残ろうと動き、睦月さんや長内さんたちとも、圧倒的戦力差のあるお前が共通の敵として脅威だった事実も合わせ、ギリギリまで共同戦線や相互不可侵を守り、それなり良好な関係を維持しようと努めた。何故だか分かるか?」
身悶えするほどの苦痛。呼吸の不能。まともに考えてもう生き延びる術なと有りはしない。
それでも、もはや論理ではなく、暴走した生存本能に引きずられるだけとなった洋介は、わずかでも動かすたび、倍増しの重苦をもたらす首周りを出来うる限り動かさぬよう、視点も思うように出来ない状態で足元の床をまさぐり、まさに死に物狂いの様相で指先と手のひらからの触覚だけを使って銃と弾丸を拾おうとしていた。
まるでそんな洋介を憐れみ、諭すような調子で……さりとて、当の洋介にもうそんな話を聞く余裕も、理解する思考も、失われていることは百も承知のはずなのに、桂一もまた、言葉を止めようとはしない。
かくして。
「俺が生き延びるためだ。根本はおんなじだよ。お前とさして変わらない。ただ、お前みたいに『自分だけは生き延びる』じゃなく、俺は『自分が最終的に生き延びられるなら、過程でも結果でも、その中にそれ以外の何かが混ざろうと別に構わない』っていう意思で動いてた。つまりお前、自分が生き残るってことへ思考を巡らしすぎて、逆に手が縮こまっちまってたのさ。最善手なんて状況状況によって変わるってのに、お前は結果的には遠回りな絡め手ばっかり、頑迷な思い込みを払拭できずに打ち続けた。その結果が今のお前だ。おかげで学んだよ……知識ってのは多ければ良いってもんじゃないって。下手に知識や経験が多すぎると、そっちへ引っ張られちまう……前はこうだったからとか、こういう話があるしとか、そういう先入観は役に立つときもあるけど、場合によってはせっかくの知恵を濁らせる。なまじ、正解を導き出すための要素が多い分、思考が偏るんだ……そうして、最後は自分自身が求めてることの本質まで忘れちまう……論文は思索しない、数式は思索しない、情報そのものは……思索しない……いくら知識があったって、考えるのは俺たち自身だろ? そんな基本さえ忘れちまうぐらい、思考が知識に濁らされちまった時点で……純粋じゃなくなっちまった時点で……もう……」
言ってしばし、息継ぎの間を空けるや、
「終わってたんだよ……お前……」
簡潔に付け加え、言葉を終える。
刹那。
ガシャンという硬質な音を鳴らし、ようやっと手にした銃をすぐさま床へと落とした洋介はついに力尽き、横向きで倒れ込んだ。
微か、横倒しとなった状態で体を痙攣させ、今際の際、銃を持つ握力すら失った右手を、宙空でひらつかせ、何かを掴もうと、何かにすがろうと、するようしばらく動いた後、その手を自然落下させて息絶えた。
突っ伏したその死に顔は、呆けたよう見開いた目が虚空を見つめ、喉へ刺さったナイフの傷口以外にも、唇の端や鼻の穴からも少量の出血を床へ垂らし、弛緩して開いた口元からは血に染まった前歯が覗く。
何か、物言いたげな錯覚を、見るものへと与えるように。
それから数瞬後。
相変わらず響き渡る、かまびすしい笑い声へのものか、それとも他の理由か。いずれにせよ不快感を隠しもしない低い声音で、
「……これは、何に腹を立てるべきなのだろうな。(これ)のことを、長らく買い被っていた私自身にか? それとも、この陳腐な結末をお膳立てした小娘にか? が、何にしろ共通した記憶を持っていたこの連中へ対してナイフの一本程度、事前に渡していたくらいではさしたる優位性にもなりはすまい。詰まるところ、これこそが【NiL SPaDiLLe】……あるはずの無い個体差が生み出した結末だと、そういうわけなのか?」
真正面。
部屋の中央に立ち尽くす桂一。
部屋の中央に倒れている洋介。
それらを横切り、対面の壁際、床を転げ回り腹を抱えて悲鳴のような奇声で笑う【NiGHT JoKeR】に、【DuSK KiNG】は問う。
転瞬。
室内を静寂が支配した。
それまで狂ったように笑い続けていたものを、スイッチでも切ったかの如く瞬時に止め、ゆっくりと冷たい床の上で身を起こし始めるや、
「【NiL SPaDiLLe】……? それは単に【eNDLeSS・BaBeL】のゲームシステム部分を破壊するために用意されていたファイルデータでしかありませんよ。特定のアカウント内に潜められたウィルスみたいなもんです。けど、それだけが目的なんだったら、何も桂一さんを引っ張り込む理由は無かったでしょ? 洋介さんだけで用は足りたはずです。では、なんで僕は桂一さんをこのゲームへ参加させたんですかねー? もちろん、二条さんの思惑も絡んでますんで、純然たる僕の意思だけでってわけじゃありませんけど、少なくとも僕が何を意図して桂一さんを引き込んだのか……」
やにわに流暢な口調で話し出したものの、しかしこれまでの笑いすぎで声がかすれ、一旦、堪えるように言葉を止めると、ひとつ大きめの咳払いをして熱っぽくなった喉をさすり、
「お前……一体、何を言い……」
「ところで」
そのタイミングに質問を挟もうとした【DuSK KiNG】の言葉を遮って、
「【DuSK KiNG】、知ってますか? 死んだ人間っていうのは、二度と生き返らないんですよ」
突然、意味深長な口調でそう述べると、ちょうど【DuSK KiNG】との間へと立つ桂一に目配せで視線を誘導し、
「そう、人間は生き返らないんです。絶対に……ええ、絶対に……」
訝しげな顔つきで桂一と【NiGHT JoKeR】とを交互に何度か見遣った【DuSK KiNG】の、口には出さぬ問い掛けを意に介さず、誰へ伝えるでもない独り言のような調子で、ポツポツと同じ台詞を繰り返した。




