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oFF-LiNe  作者: 花街ナズナ
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DaTa FiLe [RooT 37]#oLD DaTa

無機質な足音が、無機質な廊下を反響する。


カツンカツンと。リズミカルとまで言えるほど、完全に一定というわけではないものの、それでも充分に小気味良く、窓ひとつ無い閉塞的な長い廊下へ、音を刻む。


意図的に踏み鳴らしたわけではない、ごく自然な硬質ゴムの靴底と、合成ゴムタイルである薄いクリーム色をしたノラメントの床材が優しくぶつかり合い、音を刻む。


と、しばらくして。


そんな廊下を前進していた靴音の主はおもむろ、その場でくるりと軸足をひねって体を90度回転させ、壁に向かう。


いや、実際には壁ではない。


一面、乳白色で染め上げられたような床から始まり、壁、天井、埋め込まれたルーバ照明からの光源位置さえ特定困難な、それでいて最低限必要量を満たした明かりの映し出す長方形の空間だからこそ視覚的に埋没してしまった、確かに壁とは異なる切れ目の前で、その人物は立ち止まり、身を向けた。


すると転瞬、よく見なければ何も無いかのように思えた壁面の一部はごくわずか、確認できる切れ目を境、横滑りに消失し、その事象をもって始めて、そこが自動のスライドドアであった事実を明らかにするや、


「おや、今日のご出勤は午後過ぎになると伺っていましたが、思いのほか早かったですね堂島さん」


開かれ、広がったスライドドアの先。


「にしても、何も喪服姿のまま来られるほど急がなくともよろしかったでしょうに。さておき、いかがでした? ご友人の葬儀は。お楽しみになれましたか?」


整然とした中にも雑然とした、人が存在するゆえの作業感が滲む、簡素ながらも機能的な造りをした室内へ並ぶ複数のデスクのひとつに座った白衣姿の年若い男性がやにわ、その上へ置かれたPCのモニターから転じ、四角く切り取られたようなスライドドアの喪失点より外、廊下側で立つ人物へと向かって首と胴とをひねり、視線に加えて声を同時、言葉を乗せて響かせ放つとそのまま、見つめて静止する。


瞬間。

投げかけられた言葉へのあからさまな嫌悪もあらわ、黒のスーツに身を包んだ女性……歩美は、それでも今まさに心中へ生じ、渦巻いた感情の激しさを動作には表すことなく、反して非常にゆったりとした足取りでもって室内に歩み入ると、しばらくの後に背後で自動的、スライドドアが閉じるのを微かな駆動音、そしてその停止音から感じ取ると、おもむろに口を開き、


「……それは、どういう意味の問いなのかしら。 今さら友人面をして彼女の葬儀に参列した、そんな私へ対する厭味? それとも確かに彼女は死んだのだという事実を、わざわざ遺体を確認しにいって断定できたことへ、私が喜んでいるのだとでも仰りたいの? いずれにせよ、笑えないどころか悪意さえ覚える無神経な発言ですわね野上さん。貴方、『口は災いの元』という戒めをご存知無くて? または、『親しき仲にも礼儀あり』は? いい歳をして最低限、社会人なら知っていて然るべき、そして守るべきべきマナーも弁えず、そういった不用意な口をきいていると、今よりいっそう無駄に多くの敵を作ることにもなりかねませんわよ」


調子こそ丁寧ではありながら、それでいて言外に責めるような響きを持つ、不思議な声音で彼女は答えた。


が、ほどなく。


「まあま、堂島さーん。別に野上さんの『悪気が無いからこそより性質が悪い失言』なんて、今に始まったことじゃーないでしょ? お互い普段から聞き慣れたもんじゃありませんか。ここはむしろ、大人としての対応力の違いを見せる意味でも理性的に聞き流してあげたらどうですかー? 思うに、野上さんはお友達なんて高尚なもの、生まれてこのかた持ったことなんて一度もあるはず無いでょうし、その辺りの普通なら理解したり、おもんぱかったりすることができるはずの思考でさえ欠落してるっていうか、持ち合わせてさえいないんだと思いますよー? と、考えれば、この程度のことすらも分からない……いえ、分かることの出来ない、孤独で哀れな男の失言ひとつを、いちいち神経質に取り沙汰するのはむしろ可哀そうってもんでしょー。ねえ? 野上さんもそこいらの客観的心理はポンコツだから理解できないとしても、自分が欠陥人間だっていう事実くらい、主観では理解してますよね。どうです? デリカシーも友達も無い、仕事仲間にすら嫌われる言動しか吐けない、独りぼっちの寂しい寂しい野上さん?」


部屋の奥、置かれたモニターの裏に姿が隠れていた小柄な少女が不意、ひょっこりとそんなモニターの脇から首を出し、屈託の無い笑顔とは裏腹、どう考えてもわざとやっているとしか受け取りようの無い、無用に棘のある言い様でもって英吾へ対し、逆撫でするような問いを発すると、それへ分かりやすく無表情な顔を少なからず崩し、不快感を露に覗かせた彼の様子へ、歩美はつい今しがたまでの腹立たしさはどこへやら、まるで嘲笑するよう、ふっと鼻で一笑を漏らすや、すでにおどけた顔と目線を英吾から歩美へと移していた祥子を見つめて微笑むと、さらに畳み掛けるようにして、


「そうね……思えば私も大人気おとなげありませんでしたわ。先ほどはつい、きつい言い方をしてしまってごめんなさい、孤独な野上さん。以後、発言には気をつけますので、どうか許していただけないかしら?」


しつこく言い加えて意地悪く、流し目で英吾の歪んだ顔つきを満足げに確認する。


自然、この歩美の発言を最後、室内はひどくピリピリとした険悪な沈黙に支配されていった。


当然と言えば当然、基本的には最初の引き金となった失言をした英吾と、その言葉を受け、過剰な厭味で応酬した歩美との間で。


互いに交わし合わせる視線の中へ含む厭悪の情を、どちらも時間とともに強め、募らせながら。


途中、煽るだけ煽って必要以上に事態を悪化させておきつつも、そのまま当たり前とばかり、傍観へ回るとニヤニヤ、いやらしい笑いを浮かべて前のめり寝そべるよう机に両肘を突き、組んだ両手の甲へ顎を乗せ、重苦しい空気をむしろ楽しんでいる風な祥子の、まるきり余所事といった無責任そのものの、不謹慎に過ぎる眼差しだけを例外として。


だが。


「もうその辺にしときなよ、ふたりとも」


突如として、歩美、英吾、祥子の3人しかいなかったはずの部屋の中、その奥隅に現れた博和が、壁へ背をもたれて腕を組み、呆れた調子で口を開くやいなや、それまで部屋の中を包んでいた鉛の如き雰囲気は、無論のこといきなりとしか言いようの無い彼の出現に驚かされた3人が、揃って目を奪われたのをきっかけ、ひといきに消し飛ばされた。


どこへ潜んでいたわけでもない。隠れていたわけでもない。

言葉通り、文字通り、急に何も無いところから湧いて出てきた、博和自身と、


「いやさ、僕だって何も君らへ無理に仲良くしろとかってことまでは言わないけど、研究に個人的な感情を差し挟んでいいのは、全体もしくは一部の効率性を上げられるとかっていう前提があるときだけにしないとまずいだろ? そういう、純粋に非効率的感情の発露なんてのは、研究の前進・発展にとってマイナスへ働くことがほとんどなわけだし。ただまあ……そうした感情によって理性的な時じゃあ普通、出てこないようなアイディア……ユニークな発想が湧いてくるなんて場合もあったりするから、こういうことを一概に否定しちまってもいけないとも思うんで、いろいろと難しいとこではあるけど……」


自分で止めに入っておきながら、その行動が必ずしも正しかったのかどうかという自問自答で勝手に考え込み、途中からはその発言のほとんどが独り言と化していった彼の、声と言葉を主たる要因として。


しかし。

博和の登場により愕としたのも一瞬のこと。


数秒と時を置かず今度は、


「……DeaD MaN TaLKiNG~♪(死人がしゃべってる)」


祥子が茶化すように歌い語る。

もちろん、


「その辺で止めておいてくれ名田部さん。分かっちゃいるだろうが、この部屋だってご多分に漏れず、きっちり盗聴されてる。というより、君らの行動範囲内で諜報がおこなわれていない場所なんて、それこそもう『こちらの世界』だけだ。それだけに、さしもの上の連中が総出で調べを尽くそうとも、僕の存在にまでは気づけやしないだろう。だとしても、そういう妙な言動は彼らに不必要な疑問を抱かせる。そうなった場合において、君らは楽に死ねなくなる可能性が高まるぞ? 僕らが……君らが何をしているのか、何か隠してやしないか、そして隠しているなら、何を隠しているのか。そういった、胸の内で膨らんだ疑問を払拭するため、彼らは積極的かつ安易に、拷問という手段へと出るかもしれない……いや、高確率でそうするだろうな、彼らなら。人間、死ぬ覚悟ってのはそれなり簡単に出来たりするもんだが、苦しみや痛みへの覚悟ってのは……これはなかなかに出来るもんじゃあない。少なくとも、君が望んで生きたまま指を一本一本、丹念に切り落とされたりすることへ喜びを覚えるような趣味が無いのなら、それ以上の悪ふざけは控えたほうがいい。誰のためでもない、自分自身のために……ね」


即座に博和は戒めるかのような目つきで祥子のほうを見遣ると、穏やかな中にも反論を許さぬ断固とした調子でピシャリと彼女へ釘を刺した。


途端、果たして祥子はすぐさま口を閉じる。


といっても、つまらなそうに手の上へ乗せていた顎を机の上へと落とし、不満げに細めた視線を投げかけ続けるといった、ささやかな抵抗の姿勢だけは続けていたが。


とはいえ、もはや場の主導権が博和に移った事実は変わらない。


「……さて」


静かに、しかしはっきりと対象を見据え、博和は改めて口を動かし始めた。


「まずは堂島さん、ご友人の睦月さんについてはお気の毒だった。と、言ったところで事前に予想……というより、こうなるよう仕向けた当事者のひとりでもある僕が言っても真実味なんて無いが……だとしても一応、形ばかりとはいえ、お悔やみだけは申し上げさせてもらうよ」


自ら語る内容そのまま、如何にも形式的な応対と文言。


「と、空々しい建前はこのぐらいにして、ここからちょっと、個人的な疑問……ていうよりかほとんど、おしゃべりみたいなものになるんだけどさ」


まるきり何の感情も伴わない通り一遍な前口上の台詞を、事務的に並べ、


「……今回の件、こちらで予想していたシナリオから逸脱するってほどじゃないまでも、それにしたって想定範囲内の外枠、ギリギリぐらいへ流れがずれ込んだのは間違いない。まさか、病室の盗聴を知った上で堂島さん……君に、君のご友人である睦月さんへ、わざと【eNDLeSS・BaBeL】に関する機密情報を洩らしてもらった目的……今後の僕らがどう動くべきかの判断材料……代償として、情報を漏らした君は間を置かず処分されるだろうが、それによってこれ以後、残された短い時間でおこなえる、限られた行動の優先順位が決定できるだろうと、そう予測して君に頼んだ……のに、事実として殺されたのは君のご友人のほう。多少なり彼女の独断専行に行き過ぎがあったとしても、政府の忠実な走狗であろうはずの睦月さんと、とうに雇い主との契約を何度と無く反故にし、いつ殺されても文句の言えない堂島さん。誰の目から見ても処分されるべき優先度は君のほうが数段上のはず。だったのに、処分されたのは睦月さんが先。しかも君も含めての同時処分というんならまだ理解も出来るが、これだけ大きく時間差を空けてだ。恐らく、処分を実行したのは長内さんだと思うけど、そうなると余計にこの処分順の前後は奇妙としか言えない。正直、両政府の思惑や予定に沿ったものだとは考えにくい。ならばこの結果は? 長内さんの独断なのか? だとしたらその目的は? 彼……長内さんが雇い主からの命令に背くメリットとは? 分からない……まるで分からないよ。アメリカから日本政府へのお目付け役であり、造反者を見つけ出しては処分する役目も持つ彼にとって、下された命令を正確に果たさなければ……しかもそれが意図的にだとしたら、彼の雇い主はそれを見逃してくれるほど寛大なはずはない。僕らと違って彼のような使い捨ての【NoC(非合法諜報員)】にとっては即、身の破滅だろう。実際、僕のところに集まってきてる情報から見るに、彼の【D.N.N.D】はもう機能が止まってる。任務上の必要性から、日本こちらへ戻ってすぐ埋め込まれたはずの【D.N.N.D】がね。交換……は、故障や不具合のリポートが上がってきてないから有り得ないだろうし、取り出し……をする理由はそれ以上に見当たらない。一旦、埋め込まれた【D.N.N.D】は、脳との間に電気生理学的な相互依存関係を構築する。都合が悪くなったから取り出してポイ……なんてことは出来やしない。となると、彼の【D.N.N.D】が機能停止したってことはすなわち、長内さんが死んだか……または殺されたと考えるべきだが……だとしても、そうなることを予見できないほど長内さんは浅はかな人じゃなかった。けど、そうするとなおさら分からなくなる……結局、睦月さんも堂島さんも、どのみち始末される運命に変わりはない。だったら、なんでわざわざ? 自分も処分の対象にされるだけで、わずかばかり堂島さんの処分時期が延びるくらいしかメリット……や、それ以前にこんなものがメリットか? やっぱり分からないな……まあ、彼の意味不明な行動の結果が、僕らの行動や計画に具体的な影響を及ぼさないことだけは確かだから、無理に理解しようとする意味も無いっちゃ無いんだが……とはいえ理解不能な事象が実害こそ無くても、残されるのは研究者として気持ちのいいもんじゃない。出来たらその辺り、すべてがひと段落して時間に余裕が出来たら個人的、長内さん自身のデータにでも直接、聞いてみることにしようかね……」


長々と思うさま、自身の感じた疑問を独りよがりに吐き出すと、博和はようやく沈黙した。


考え込んだ風に瞑目して壁へともたれかかり、天を仰いで倒した頭部を、そんな壁の固い感触にコツンとぶつけ、相変わらず視界の先で直立した彼を、歩美と英吾とに揃い、数分前までの揉め事などすっかり忘れたよう、その当事者たちの怪訝にひそめられた眉の下に光る、双眸へ見つめられながら。


しかし。


ただひとり例外、祥子だけはそちらを見ない。


冗長な博和の話に飽きたわけでもなく単純、もとより興味をくすぐられる話題でなかったらしく、思考を深めて目を瞑る博和と相反、何を考えるでもなく眠たげに瞳を閉じ、音も無く深く、息を肺腑へ吸い込むやボソリ、


「……大方、情でも移っちゃったんでしょ……くだらない……」


まだ起きているのに寝言のような曖昧さでそう小さく独りごちて途端、残った多量の空気を肺の中から余さず追い出すよう、間の抜けた声とともに大きなあくびを恥ずかしげもなく響かすや、机上に伸ばした己が右の二の腕に、これぞ枕とばかりゴロリと首を転がすと、数瞬と待たず、穏やかな寝息を立てて熟睡していた。


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