DaTa FiLe [RooT 35]
『【DuSK KiNG】の予約行動が実行されました。【ReiNFoRCeMeNT(増援)】を【NiGHT JoKeR】に対し使用。コスト40時間を対価としてランダム選択された【NeuTRaL FLooR】から40の兵員を【NiGHT JoKeR】へ加算します』
【iMiTaTioN】との死闘のまさに只中。
自らの目の前、凝視する先でまさしくそれを今、床へと組み伏せている【NooN JaCK】と共に、唐突なアナウンスを耳にし、硬直したよう真っ直ぐと、強制的にコンクリートの床へと突っ伏させられた【iMiTaTioN】の頭部へ対し銃口を向けていた彩香も、聞こえてきた音声とその内容のあまりの意外さに、思わず最優先すべき攻撃の狙いもそぞろ、銃身に押し付けるよう添えていた頬も視線も外し、集中から一転、分散して踊る注意と意識をやにわに何事かと探るため、持ち上げた首をキョロキョロと左右へと振り、そこへ付随する双眸、そばだてた両耳に再分配し、色濃い困惑と動揺を挙動にも表情にも隠すことなく表しつつ、徐々に当初の感覚である驚きよりも強くなってゆく焦りの感情へ促されるまま、いたずらに無意味に、件の音声の出所を模索する。
聞こえたメッセージの意味も同時平行、高速な思考の中であまりにも絞り込む要素が乏しく結果、膨大かつ無為な推測を繰り返しながら。
一体、ここに来て何が起きたというのか。
ここまで来て何故、何が起こったというのか。
ただ、純粋すぎるほどの疑問によって。
しかし。
『【DuSK KiNG】の予約行動が実行されました。【CeSSioN】を【NiGHT JoKeR】に対し使用。【DuSK FLooR 0502】を指定。これよりこの階層は【NiGHT FLooR】となります』
当然と言えば当然。
さらなるアナウンスは彩香の疑問へ欠片も答えることなく単に、さらなる予約行動の実行を伝えるのみ。
そして。
『……FoRMiNG oF CoNDiTioNS【NiL SPaDiLLe】』
惑乱とした思考と意識を、顔でも態度でも隠し切れない彩香を無視し、アナウンスの音声は急、それまで以上の無機質な口調へと転じたかと思うや、何を伝えているのかさえ分からない独りよがりな、それでいて明らかに混乱した、理解不能の説明を継ぎ接ぎに続けてゆく。
『……CoMPiLe eRRoR……』
『【NiL SPaDiLLe】は【eNDLeSS・BaBeL】内のシステムにおいて実行不能な……』
『……eXCePTioN……』
『例外的強制実行の対象命令と確認……システム破損の可能性を考慮のうえで【NiL SPaDiLLe】を……』
『……RuNTiMe eRRoR……』
『【NiL SPaDiLLe】の強制実行により、メインシステムに重大なエラーが発生。システムがダウンします。自動的にサブシステムへ動作を移行……FaLL SaFeを無効化……aLeRT……aLeRT……』
意味は分からぬまでも、明らかに何らかの緊急性を告げるメッセージが流れるやいなや、狭い室内へ今度は警告音らしき不快なビープ音が、鼓膜を切り裂くほどの大音量で轟き出した。
瞬刻。
彩香は信じ難い……いや、俄かに信じたくない、それが事実であることを拒絶したくなる、そんな光景を、驚愕に見開かれた双眸へ捉えることになる。
先ほどから常に目を離さず、見つめ続けてきた【NooN JaCK】と、それへ封じられた【iMiTaTioN】。そのふたりが、
ほとんど一瞬のうち、淡い閃光を伴って大量のブロックノイズへとその姿を変え、分解消滅をし始めるのを。
それは時間にして数秒。突然の悪夢。
【iMiTaTioN】だけが消滅を始めたのならまだいい。それなら単に、何がしかのタイムラグということで納得もできるし、メリットはあれどもデメリットは存在しない。
だが。
実際にはその【iMiTaTioN】を押さえつけている【NooN JaCK】の体もまた、恐ろしい早さで分解が起きていた。
極端な話、一体何事が今、起こったのかを認識する時間すら与えられず、呆然とそんな忌まわしき数秒を、ただ観測するだけで終えることとなる彩香の耳に、まさしく最後。
「……どうやら、やはり謀られたようです……マダム」
ふと、自嘲した苦笑のような、それでいて柔らかい微笑ともとれる、不思議と穏やかな笑顔を彩香へと向けるや、すでに全身は言うに及ばず、頭部も口元と片目の辺りだけとなった【NooN JaCK】は、
「……申し訳ございません……結局、最後の最後まで貴女のお役に立つことが……」
そこまでで途端。
言い切る間も無く細かな光の粒が四散するよう、彼は消え失せた。
【iMiTaTioN】を伴って一緒くた、後に彼らのいた場所へ数本、白黒の細く慌しく明滅するノイズの線をしばし残して。
刹那。
彩香は何か伝えなければと漠然、思って声を出そうとしたが、彼女の口は水から引き上げられた魚のようにパクパクと開閉するばかりで何ひとつ、言葉を発することは出来なかった。
無論、もしそれが出来ていたとしても何の意味も無かったであろうが。
彼女が声を出そうとした時点ですでに、【NooN JaCK】も【iMiTaTioN】も完全に消滅していた。
だから彼女が言葉を発っせていたとしても、それが【NooN JaCK】の耳へ届いていた可能性は極めて低い。ゼロと言い切ってしまっても問題が無いほどに。
しかし、そうした行為の無意味さと同じく、この卒爾に起きた現実もまた、もはや起きてしまった、成ってしまったという取り返しのつかなさから言えば、別の形での無意味さを生み出したことは間違いない。
そう、【iMiTaTioN】は消えた。
が、【NooN JaCK】も消えてしまった。
それが今、目の前で起きた事柄のすべてであり、変えようの無い事実としての結果。
なればこそか。
もはや混沌としてまるきり処理のしきれなくなった数多の感情が渦巻く心の内とは反比例するよう、まるで能面の如き無表情のままな彩香の頬を瞬間、涙が伝う。
それはどの感情によってもたらされた涙なのか。いまやほんのわずかも思考する力さえ失った彩香自身には到底、さりとて第三者の思考によってすら、恐らく理解することは出来ないだろう。
怒りからなのか。悲しみからなのか。はたまた狂気からなのか。
そうでなくとも、怒りひとつをとってすら、それが洋介に対する怒りからなのか、それとも自らに対する自責の念に伴う怒りからなのか、あるいは【eNDLeSS・BaBeL】というゲームそのものに対する怒りからなのか。
もしかすれば、そのどれでもないかもしれない。
それともまた、そのすべてであるかもしれない。
いずれにせよ、彩香は流す。
壊れた蛇口のように、両の目から次々、溢れ出す涙を。
歪んで揺れる視界の中、とうにノイズの欠片ひとつすら残さず消え去った、【NooN JaCK】のいた床を、壁を、空間を見つめ、声を上げる気力すら無く、崩れるようにその場で膝を折ると、構えていた銃を脱力した腕から滑り落とし、ゴトリと重い落下音とともに転げた銃と同じよう、支える力の失せた両膝を無防備、コンクリートの固い床へと打ちつけるや、いまだ鳴り止むことのない、かまびすしく響くビープ音を聞きながら、網膜へ、脳裏へ、焼きついた彼の最後の笑みを、何度も、何度も、止まることなく溢れ流れる涙とともに、頭の中で繰り返し再生されるそれを幻の如く眼前に見て彩香は、
転瞬。
「……ぁぁあああああああああああああああっっ!!」
裂けんばかりに口を開き、裂けんばかりに喉を揺らし、裂けんばかりにまだ次々と終わることなく涙を溢れさせる双眸を見開き、灰白色の天井を仰ぐと、聞く者にその精神の崩壊と発狂を容易に知らしめる、錯乱した叫声を、大音量で轟き続ける警報音さえ掻き消し、室内の隅々(くまぐま)へまで響き渡らせた。




