DaTa FiLe [RooT 34]
室内を陽気な、しかしそれでいて薄気味の悪いほど弱く細い、鼻歌が響く。
その微細な音量に同調するよう、これもまた小さなスキップの、小さく踏み鳴らされる足音と共に。
意図的なのか、はたまた聞かれまいという意図以外の理由があるのか。その辺りの真意に関してはどうあれ、繋がったままの通信が機能している現在でさえ、辛うじてマイクに拾われるか拾われないかといったそれらの声、所作の生み出す音は、仮にスピーカーを抜けて彩香や英也らの在するフロアへ届いたとしても、自分たちがまさしく今おこなっている戦闘行為によって発する雑音により掻き消され、とてもではないが耳へ届くことはまず在り得ないことだろう。
それを理解してか、はたまた興味の外か、傍からは知れぬ思惑をその身へ含み、【NiGHT JoKeR】は舞う。淡い闇の中を。
まるで幼い子供のよう……実際、姿だけならそうとしか見えない、無邪気な笑顔を浮かべ、ひらりひらりと赤、緑、紫の奇抜な色をした髪と、それへ結び留められたヴェネツィアン・マスクに付随する真っ赤なリボン。それらをその身と共にとなびかせ、【NiGHT JoKeR】の小ぶりな鼻と喉、せわしく床の上を舞い叩く両足が、今この時、命を賭した決戦の時にはとてもふさわしくない、繊細ながら軽快な、ともすれば快くすらある音をリズミカルに発している。
その傍らでは、巨大なモニターの前へ据えられた椅子に、もはや座るというより半ば横たわり、すっかりと弛緩した手足をだらり、投げ出して柔軟な背もたれのおかげで半分、仰向けに寝ているかのような体勢で倒れる、桂一の亡骸がモニターからの光に映し出され、客観的に見れば異常を通り越して狂気すら覚える光景が広がっていた。
だが。
「~♪」
まるでそんなことに関心も無いとばかり、相変わらず大振りなシャツの裾や袖をパタパタと自らの起こす風にはためかせ、屍の腰掛けた椅子の周りを小躍りするよう、くるくると駆け回る。
そうこうして。
そんな、彼女の異様な行動がどれほど続いたころか。
ふと急に、【NiGHT JoKeR】は動きを止めてピタリ、椅子を跨いだモニターの正面辺りへちょうど横向き、先ほどまで跳ね回っていた足を落ち着けたかと思うや、ゆっくり首と視線をそちらへ傾げるように向けると、明確すぎるほどに鮮明な画像を送り出すその画面をしばし、見つめながら口を開く。
「……【BuBBLe GuM】に【SoDa PoP】……【JeLLY BeaNS】に【LoLLi PoP】……」
それはまるで歌でも口ずさむような調子で、
「偽物の味……偽物の香り……自然物に似せた人工物……だから【iMiTaTioN】? けど、僕からしたら彼らは【iMiTaTioN】ですらない……そうですね。あえて僕が呼び名を付けるとしたら……」
誰もいない空間の中、誰に伝えるでもなくただ、
「【Doa(DeaD oN aRRiVaL)】でしょうか? 配備・使用時点ですでに壊れている完全な不良品……パラメーターは異常、データは不安定、個体差は一切無し……正直、個々の名前にも何ら意味はありませんよね。個体差がまったく無いのなら、そこに個性や独自性は存在しない。名前だけが個性だなんて、それこそ量産品のナンバリングより無意味としか言いようが無い。けど……」
【NiGHT JoKeR】のささやきだけが、仄暗い【MoNiToR RooM】の中を、無音にも等しい静寂の如く木霊する。
「当然と言えば当然ですか……欠陥品のデータをいくら掛け合わせたって、出来上がるのは同じく欠陥品。所詮は失敗作、搾取されて壊れた屑……【STRaY DeaD】の残骸情報を寄せ集めたガラクタ……役割を与えられ、駒として使ってもらえるだけ幸せというもんでしょう。壊れた玩具が課される役目としたら、破格の高待遇……ただし、問題はその当事者たちにそれを理解する思考自体が無いことですが……」
言いつつ、【NiGHT JoKeR】が直視し続けるモニターには洋介や彩香、英也らと同一、灰白色をした正方形の部屋が広がり、その中央、彼女の焦点の先、不規則に明滅する、人を模った異形の存在、【iMiTaTioN】が1体、彫像のように立ち尽くしたまま、不動を保っていた。
と。
不意、【NiGHT JoKeR】は【iMiTaTioN】という存在そのものの滑稽さに、込み上げてきた笑いを抑えきれず、鼻で噴き出すように笑うや、少しくモニター側へと歩を進めると、背もたれと一緒に大きく後方へ倒れ込んだ桂一の顔近くにふわりと屈み込み、死んだ彼の耳元へでも聞かせるかの如く、
「ま、どっちにせよ僕にはどうでもいいことかな? 二条さん的な言い回しをするなら、『細工は流々、仕上げを御覧じろ』とでもいった感じですし……ここまで完璧に舞台が整った以上、さすがに不測の事態なんて在り得ないでしょうしね。結果はもう変わらない……たくさんの、自分の意思でそうしたと思い込んでる連中の、積み重ねてきたものがついに実を結ぶ……それが誰の望んだ結果なのか……もしかしたら、誰も望んでなかった結果なのか……ただひとつ、分かっていることは……」
再びつぶやき出したその刹那。
『【DuSK KiNG】の予約行動が実行されました。【ReiNFoRCeMeNT(増援)】を【NiGHT JoKeR】に対し使用。コスト40時間を対価としてランダム選択された【NeuTRaL FLooR】から40の兵員を【NiGHT JoKeR】へ加算します』
さらに連続、
『【DuSK KiNG】の予約行動が実行されました。【CeSSioN】を【NiGHT JoKeR】に対し使用。【DuSK FLooR 0502】を指定。これよりこの階層は【NiGHT FLooR】となります』
そう突然のアナウンスが淀み無く、明瞭に流れるのを耳にしながら、【NiGHT JoKeR】はすでに絶命し、目を開けたまま無表情に弛緩した桂一の耳元へと近づけていた口を、
「こうして与えられはしたものの、もはや本来の目的としては使われること無く、死蔵されたまま消滅してゆくフロアと兵員……これらについてはただ無意味というわけではなく、少なくとも別口の目的、条件……『四人の管理者が持つ固有メリットと固有スキルを、すべての種類、使用済みにする。ただし、【FouR oF a KiND】成立以後に』という、恐ろしくめんどくさい条件を整えるために必要とされ、消えていく……そして、これが終われば今度こそ本当に……」
さらに、すれすれ触れるほどまでに近づけ、
「ここから……【eNDLeSS・BaBeL】の世界から、出られますよ……一部の例外を除いて、大方の皆さんが切望していた……貴方もまた望んでいたことが……ようやく、叶うんです。これまで、ずっと願い続けてきた望みが……だから……」
言って一拍、間を置いたところへ、その間を埋めるが如くに、
「……そろそろ起きてください、寝坊助さん……最後の決め手にしてまさしく、最後の手札……文字通りの、切り札……」
『……FoRMiNG oF CoNDiTioNS(条件成立)【NiL SPaDiLLe】』
さらなるアナウンスが告げられるのへ重ねるよう、
「……【DeaD MaNS HaND(死者の手札)】……」
ささやきかけるや、うっとりと潤ませた瞳を細め、冷たく、蒼白となった桂一の頬へ優しく、そっと自らの唇を当てた。




