DaTa FiLe [RooT 29]
「……さっきから、随分と機嫌が悪いな。そんなに私の決定が気に入らないなら、率直に言ってくれ。別に私は君の話を聞く耳が無いわけじゃない」
「いえ、そういう意味ではなく……ただ……」
「何もそう隠さなくていい。君が何を思っていようと、何を考えていようと、私は素直にそれを意見として聞くさ。そのうえで互いに歩み寄りが必要だとなったら、そこはまた互いに話し合えば済むことだ。まあ、そう長く話し合えるほどもう時間は無いが……とはいえ、まずは言葉……何も論理的である必要は無いんだぞ? 思っていることや感じていること……ともかく、君の気持ちをそのまま、私に教えてくれ。話し合うというのはそういうことだ」
数十分に亘って洋介から伝えられた、真の【eNDLeSS・BaBeL】クリア条件と、それを実現させるため取るべき具体的な各々の行動、作戦内容を、【BeD RooM】へと引き上げてきた彩香はベッドの端へ腰を下ろし、頭の中で繰り返し何度と反芻しながら、それでもあからさまに普段と様子の違う【NooN JaCK】へ、思わず声を掛けた。
洋介が【aBoVeBoaRD】を使用した今、もはやすべてのプレイヤー間に繋がった通信はゲームクリアまで切断されない。
プライバシーを確保するには自然、【MoNiToR RooM】以外の場所へ身を移すより無い。
そんな状況の中、戻ってきた【BeD RooM】でふたりきり。
それもいつもなら感情らしきものを決して表に出さない【NooN JaCK】が、嫌悪感を隠そうともせず眉をひそめているのを見て、何の反応も示さないほど彩香は無神経ではなかった。
だから問うた。努めて優しい声音で。
責めているわけではないし、責めるつもりも毛頭無い。
単に、本心で何を思っているのかをはっきり、口に出して話して欲しい。そう思っただけであった。
そして。
「……では」
数秒の躊躇いを挟み、【NooN JaCK】は大きな溜め息とも思える深呼吸をするや、深く息を吐いて後、すっと短く空気を吸い込むと、少しばかり普段の落ち着いた調子へと戻り、座ったままの彩香へきちりと相対しながらおもむろ、口を開く。
「失礼を承知で忌憚の無い意見をさせていただきますなら、わたくしは未だに彼を信用しておりません。聞かされた話は確かに、それが事実であるという前提でならひどく魅力的な内容ではありました……が、もしそうでなかったら? それもこれも、彼の計略のうちだとしたらどうなされるのです? そも、今まで彼がやってきたことを思い返せば一体、何をどうして彼を信用できるというのですか? わたくしには到底、彼が信用するに足るような人物だとは思えません……」
それを聞き、彩香は、
嘆息とも呼べない小さな息を漏らし、上目遣いに【NooN JaCK】の瞳を覗き込むと、顎の下辺りへ指を組んだ両手を置きつつ、長く続くことになる返答を始めた。
「そこについては、私もほぼ君と同意見だ。正直、さすがの私も今になっていきなり、彼を全面的に信用しろと言われても、それはいくらなんでも無理というものだよ。だから部分的に……こちらに都合の良い部分だけ、信用することにした。現実問題、このままの状態を続けていたら、そのうち誰ひとりとして正気を保てなくなる。そして最悪は死に至る。本音を言えば、私だってもうかなりまずい……いつ限界が来てもおかしくない。これだけは現状、嫌でも明確な事実だ。そこからどうにか脱することが出来る可能性があるというなら……たとえそれが悪魔からの誘いだとしても、私は乗るほうが賢明だと……少なくとも最悪の手ではない、と思う。行くも地獄、退くも地獄なのだというのなら、どうせ同じ地獄。せめて前へ進んで地獄に落ちるほうが少しはマシだろう。あくまでも、気分的にだけ……だがね」
言って、彩香は自嘲気味な苦笑を浮かべる。
先ほどからまるで変わらず、何か悲哀すら滲ませた視線をじっと、彼女へと向け続けている【NooN JaCK】に、何か自分自身の軽薄さを見透かされたようで、堪らずそんな感情を、この期に及んでなお未練がましく隠そうとでもするように。
しかし。
「……頼む。そんな目で見るのは止めてくれ……そうさ、私は目先の損得で彼を見る目を変えた。というより見方が変わった、と言ってもいい。ああ……分かってるとも。私は口先ばかりで、本性は卑しく、浅ましい人間だ。物で……正確には物じゃないが、ともかく欲得で心まで動かされるような、そんな薄っぺらく、意地汚い人間……君の前では今までさんざん、綺麗ごとを並べてきたというのに、それがいざとなったら……私の信念なんて、こんなものだったんだなと気づかされた……まったく、君に軽蔑されるのも当然だよ……」
態度とは裏腹。
彩香の心は、深い根の部分で己を飾ること、偽ることを、己自身が許さなかった。
後ろめたさから手を合わせ、見えぬよう伏せていた左手を、ふと広げ見る。
6131。
加算された実数、6000時間。
それが作戦実行の前金として洋介から渡された、いわば唯一所有している階層、【NooN FLooR 1188】の値段。
【DuSK KiNG】へも預けていた虎の子の生存猶予期間さえ残らず引き出し、英也と彩香の双方に対して支払われた代金。
毒に犯され、邪魔な荷物でしかない、それも自身では放棄すらもできない階層の価格。
洋介の言うには計算上、これから自分たちがおこなう行動に必要となるだろう生存猶予期間を除いたうえで、ほぼ彼が差し出せる限界値の譲渡。
これにクリアのための作戦行動を予定通りおこなうという条件はつくものの、もはやそれはおまけ程度に過ぎない。
ゲームクリアが達成できれば、ここから脱出できる。
それを思えば、他の手間など手間のうちにも入りはしない。
そう、現実的な損得勘定をすればするほど、彩香はどんどんと自分が惨めに思え、必死に堪えなければ自然と顔を伏せてしまいそうだった。
が。
「……マダム」
実際に【NooN JaCK】が彩香へ抱いていたものは軽蔑でも猜疑でもなく、
「誤解なさらないでください。私の気掛かりとは、そんなことでは……」
「……では、やはり……彼の言っていた『クリア条件を満たすため、すべての管理者を倒す必要はあるが、それは当人が降伏すれば良いだけのことであって、何も死んだり、殺したりするといった必要は無い』という説明についてか。当たり前だな……そんな都合のいい話、私だって本心からは信用していない。だが……これだけは信じてくれないか? 【NooN JaCK】……もし、いざクリアのために、君を殺さねばならないなどという事態になったなら、私は自身の名誉に掛けてそのようなことは断じておこなわないし、おこなわせないと誓う。自分が助かりたいがため、君の命を犠牲にするのも躊躇わないなんて……そこまで私も腐っては……」
「違います、マダム。元よりわたくしの命など、貴女が救われるというなら喜んでいくらも差し出すつもりでおります。そうではなく……私の杞憂するところは指示された作戦……彼が今回、使用を決断するまで放置されていた【aBoVeBoaRD】と同じく、これまで使わずにいたマダムの固有メリット、【aCCeLeRaTioN(加速)】の実行についてです。確かに彼の説明が虚偽でないとすれば、【FouR oF a KiND】の成立と同時に出現する4体の【iMiTaTioN】を倒すため、これは必須の行動でしょう。しかし……」
純粋なる彩香への憂慮と、心底からの彼女に対する、
「分かっておられますか? この常時発動効果は固有メリットとは名ばかり……彼の計算が正しいとして、そしてすべての作戦行動が何事も無く実行されるとすれば、当然ながら問題はありません……が、だとしても……」
忠誠と献身。
ゆえにこそ、
「もしも、その過程でひとつでも……わずかにひとつでも、問題が発生すれば……マダムの生存猶予期間、6131という膨大な時間をもってしても……」
【NooN JaCK】は苦しげ、
「一瞬のうち……マダムの寿命は、尽き果ててしまう……ということを……」
憂いに染まった瞳を逸らすことなく彩香へ向け、搾り出すよう言い終えると固く、口を閉じてしばし、血の味が染み出るほど奥歯を噛み締め、その場に沈黙したまま直立し続けた。




