DaTa FiLe [RooT 27]
いつの間にか勝手と横入りし、話を引き継いだ【NiGHT JoKeR】が、ひとまず自分の言いたいことだけ好きなように言い散らかして再び、見るだけで人を不快にさせる笑みを浮かべたまま、それが自然とでも言わんばかり、ゆっくり口を閉ざしたのとほぼ同時。
あまりに突然、想像していた悪意よりもなお上をゆく【eNDLeSS・BaBeL】のクリア条件と、それまで聞かされてきた数少ない言動から、漠然とした印象だけで【NiGHT JoKeR】にも近しい狂人の類かと思い込んでいた洋介に、そんな環境的な裏があるとは考えもしていなかった英也と、不安定な精神状態ながらも話だけは耳をそばだて聞いていた彩香は、あまりに急、無理くり流し込まれるように許容範囲を超えた大量の情報を与えられ、とてもではないが思考がまとまらず、さらに混乱の度を深めていたその時。
分かりやすくもわざとらしく、【DuSK KiNG】は大きな咳払いを合図、まさしくそんな彼が切り出してきたのが、今のままではただただ困惑しきりでどうにもならぬ英也と彩香にとっては、あり難いとしか言いようの無い、ここまでの話を理解するうえで絶対的不可欠な話の補填、説明であった。
『……すまんな、長内君に睦月君。どうも若い者は話を一足飛びにしたがって困る……』
言って短く、【NiGHT JoKeR】への苦言も含め前置きし、
『では、長くなってしまうと思うがまず、順を追って話をさせてもらおう。本題はもちろんこのゲームからの脱出……つまるにクリア条件についてではあるが、それ以前にこの場は交渉の場だ。真実のみを知ったところで、対処の策が知れるだけ。それでは意味は無い。というより、どうにもならん。皮肉にも、私の同盟者である洋介がまさしくそうだったようにな』
極めて整然とした態度と口調をもって語り出す。
『彼……洋介は、私とは同盟関係にあるという点での贔屓目を差し引いても、今までこの【eNDLeSS・BaBeL】へ挑んできた数多のプレイヤーたちの中でも、恐らくは最高と言っていいほどのゲーム・センスの持ち主だ。誇張でも何でもなく、文字通り最高のプレイヤーだと断言してしまってもいい。ただし、あくまでも常識的な観点で言うところのゲーム・プレイヤーとして、という限定つきでな。そして、それが洋介にとって最悪の結果……や、結果という言い方は早計か……何せ、洋介はまだ生きているからな……となると、経緯……とでも言うのが今のところ、最も適切かもしれん……ともかく、彼の秀でた能力が裏目に出てしまった。しかも、とてつもなくひどい形でだ』
「……要するに、聞いた限りから素直な推察をするとその……お前さんの優秀すぎる同盟者くんが裏目を引いたとやらで、さっき言っていた……確か、彼はもうここで三ヶ月以上もこんなゲームを続ける羽目になった、というのが経緯に当たるのか?」
『うむ、そのような解釈でまず間違っていない』
さりげなく混ぜ込まれた、英也の厭味にもまるきり反応することなく。
代わり、不意に自分の顔の前へ、やおら人差し指を立てて【DuSK KiNG】は言葉を継いだ。
『おおむね……そう、おおむね1分に一人……だな』
「……は?」
『こちらの、一般に知られた【eNDLeSS・BaBeL】とは異なる【eNDLeSS・BaBeL】において、正規プレイヤーが1分間、生き延びるたび、犠牲とする必要のある人間の、平均的な人数だ』
「!!」
出し抜け、いきなり突拍子も無い数字を伝えてきた【DuSK KiNG】へ思わず、英也も彩香も問う言葉すら見つからず、閉じた口の奥、喉の中で音にもならない驚愕の声を張り上げる。
ふたりとも外向き、その感情を語るのは声には非ず、皿のよう見開かれた双眸と、蒼ざめた顔色のみに。
しかし、【DuSK KiNG】はさしたる感情の動きも見せず、なお語り続けた。
『そこまで驚くほどの数字だったかね? 少し冷静になって予測計算してみれば、正確な数字ではなくとも近似値くらいは君らにも想定できたと思うが。スタート時点で与えられる初期生存猶予期間の168時間などは君たち自身が経験したであろう通り、焚き火の前の雪かと見紛うほど簡単に溶けてゆく。そしてその先を生き延びたにしろ、結局は選択肢らしき選択肢などほとんど存在しない。時間経過で消費される分だけならまだしも、防衛のための命令やスキル使用によっても生存猶予期間は膨大に消費される。兵員を雇い入れているならなおさらのこと。彼らにも個々に生存猶予期間を補充しなければ兵力維持もままならない。単に生きるというだけですらこれだ。それに足してもし、ゲームクリアを目指した能動的戦闘行為といったものが加わればどうなると思う? 言っておくが今、この場にまだ生きて残っているという時点で君らもまた、おこなっていないはずはない【NeuTRaL FLooR】における虐殺行為の回数は、過ごしたきたゲーム時間の極端な長さと、君らとは異なり、非常に積極的戦闘を繰り返してきた洋介とでは数倍……などというもので利くわけがないな……数十、数百倍の差はあるはずだろう。その上での平均値が1分に一人。分かるかね? 死んだ【NiGHT JoKeR】の同盟者を含めても君たち、三人……四分の一まで薄めてもこれだけの人数を日々、殺し続けなければ今の今まで生存することは叶わなかったのだよ。洋介は』
「……それが……その安っぽい、お涙頂戴といった話が……よしんば事実だとしてもそれが……これまでおこなってきた小官たちへの好戦的かつ非礼な行為の数々や……今まで殺してきた……数え切れない人々への言い訳……だと?」
『まるで違う。見当違いも甚だしい。そんなこと、言い訳など出来るはずも無し、言い訳をする資格すらも彼には無い。自分で選び、自分でおこなったことなのだから、如何に子供とはいえ洋介は己の行為に責任を持つ。多少の言葉や態度、上辺だけの弁解程度で済むはずがないということくらい、彼にだって分かってはいるだろう』
「なら、なおのことあんたは……一体、小官たちに何を言いたいんだ!?」
前置きされたとはいえ、さしものこれほど長々と不愉快な、それでいて要点の見えない話を長々と聞かされ、思わず抑えたはずの声の終わりを荒げさせた英也の問いに、しかしやはり【DuSK KiNG】は落ち着いた調子を崩さず、回答する。
『予想以上に察しが悪いな長内君。君はそれでも本当に軍人かね?』
「小官は自衛官だっ! 軍人じゃあないっっ!!」
『だとしても、こと戦時下における人間が取る適応パターンについてぐらいは知っていて然るべきだと思うが……君は、そんなことすら知らないとでも?』
「!……」
堪えきれず、がなり声を上げた英也が途端、沈黙した。
ただの一言。
わずかに一言。
付け足された【DuSK KiNG】の言葉から、今に至るまで聞かされてきた要領を得ない話の意味を瞬時に理解し、文字通り愕然として。
すると、そんな英也の変容から彼の思考がようやく把握へと向かったのを察するや、【DuSK KiNG】は気疲れしたような嘆息を漏らし、別ウィンドウへ映る彩香にも一瞥を送ってやおら、再びの口上を始めた。
『……人というもの……まあ、実際は人だけに限らず、およそ痛覚を備えていて、それに加え、情動反応・学習能力・意識行動といった三つの要素が発現可能なレベルの脳機能を持った生物は、物理的・肉体的苦痛や、環境的・精神的苦痛に対して恐怖を抱くよう出来ている。そしてひとたび恐怖を感じると、生物は自分が今現在、晒されている苦痛から逃れようと、意識的・無意識的に逃避行動をおこなう。初歩的な段階なら、直接にそれらの苦痛から遠ざかろうとしたり……つまり苦痛の原因から離れようとしたり、といった行動をな。で、さらにこれより高次な思考と意識を持つほど脳が発達した生物になると、今度はそうした苦痛から、外的にではなく、内的にも逃避する能力を獲得してゆく。直接の回避が不可能だと判断した苦痛に対しては、もう外的逃避行動が意味を成さないと悟り、内的逃避行動を取るわけだよ。もはや肉体を守れないのだとしたら、せめて最期の時が来るまでの間、精神だけは守ろうと。もちろん、生物学的に見ればこんな行動には何の意味も無い。ただ、これは意味の有る無しではなく、生物が高度な脳機能を獲得してゆく進化の際、システマティックに切り捨てられず、残っていった過程が生み出したバグ……と言い切ってしまうのは、少しばかり乱暴か……予備機能? または補助機能とでも言っておこうか……さて、それを踏まえて人は、戦時下などの非日常・非常時といった状況に置かれたとき、必ずと言っていいほど共通した変化を起こす。辛すぎる事柄や、許容できないほどの苦痛を感じると、肉体以上にまず精神を守るため、そこから逃避するよう自らにセーフティを掛けるのだよ。長距離ランナーなどが肉体の上げる悲鳴を掻き消すために起こす「ランナーズ・ハイ」然り、戦場で体験するあまりに強烈な死の恐怖から逃れ、それでもなお戦わざるを得ないがゆえに引き起こす「コンバット・ハイ」然り。君らが実際に経験もしくは体験したかどうかは知らんが、一般に聞き馴染みのある言い方をするならつまるところ、どれもただひとつの言葉で表せる。「堅実逃避」だ。実に飾り気が無く、正確に内容と目的のみを言い表した、シンプルで機能的な、美しい表現だと思わないかね?』
継ぎ目無く延々、次から次。
終わることなく流れ出す言葉の洪水。
そうして。
どれほどが時間にして経過したころか。
『しかし、ただ単に「現実逃避」といっても、個人差によって少しばかりその方途は異なる。大別すると、おおよそ二通り。「感情破棄」か、または「擬似発狂」……』
口を動かし続けているところへ突如。
『……もう、いいよ……【DuSK KiNG】……』
半ば言葉尻へ被せるよう、力無い制止の声を発したのは、
『もう、充分だよ……そこまで話せば後は、長内さんや睦月さんなら不足分も察して補填してくれる……それより、今は何より……急いで……ここから……』
顎を若干、引いたように顔を伏せ、何やらまとまりの無い話し口でどこか、朦朧と、曖昧とした、洋介だった。
『そう……分かってる。他の誰でもない。逃げてたのは……いつからか、ずっとこの世界から……この現実から必死で目を逸らそうと、逃げてたのは……俺、自身だよ。認めたくなかったから……この現実……受け入れたくない現実を……だから、それでそんなものすべてから、ただ闇雲に逃げ続けて……何もかもを直視しないで済むようにって、狂ったふりして……壊れたふりして……馬鹿みたいに誤魔化して……』
それまで英也、彩香らに吐いてきた、見せてきた傲岸不遜な言動や態度の片鱗すらどこへ雲散したものか、年齢相応の危うさと脆さを合わせ感じさせるその雰囲気が、まるで死んだ桂一と外面だけでなく内面までもが一致したようにイメージが重なり、一種、言い表し難い不気味さすら覚えて互い、背筋へ冷たい汗が滲む。
と、そんなふたりの戸惑いを知ってか知らずか咄嗟。
『……お願いします……』
一旦、途切れたと思われた口を露の間を空け再度、開いた洋介は、やにわに弱々しくも言葉を継ぐや、
『やり方が強引だったことは自覚しています……非礼な口を聞いたことも……失礼な態度も……謝って済むようなことじゃないことも……でも……』
モニターの中、顔を伏せるのとはまるきり違う、背を屈め、肩を落とし、深く頭を下げた姿勢となって、
『……許してくださいだなんて、虫のいいことは言いません……だけど、それでも協力だけは……力だけは……どうか貸してください……このゲーム……【eNDLeSS・BaBeL】をクリア……脱出の条件を満たすことは、俺ひとりじゃ……』
途中、何度となく声をつまらせ、
『ひとりじゃ……絶対に……無理なんです……』
最後は、誰の耳にも明らかな嗚咽の混じる声を振り絞ると、下げた頭をなお深く下げ、微かに震える肩の横、影となって見えない顔の位置からポツポツと、滴る涙を暗く、闇に飲まれた足元へ向かい、いつまでも零し続けた。




