DaTa FiLe [RooT 24]
一体今、何が起きているのか。
一体今、何が起こっているのか。
単純であるがゆえに強烈な疑問の波へ飲み込まれ、彩香も英也も互いを習ったように呆然とし、モニターの中へと新たに出現したふたつのウィンドウへ映る【NiGHT JoKeR】と、自身を糸田洋介だと名乗る桂一に瓜二つの少年をはっきりと視界の中へ捉えながら、あまりのことにほぼ思考を停止させてしまっていた。
が、それもしばしのこと。
体感的には数秒。実際には1分近くの時を経過したころ。
どこか遠く聞こえるような錯覚を伴って耳へ入ってきた、モニターから響く微細な電子機器の駆動音によって咄嗟、剥離して夢現となっていた意識が鮮明さを取り戻した彩香は、はっとしてすぐさま、ほとんど無意識のうちに欲求するところをがなり立てる。
「切れっ! 早く……早く、この通信を切れっっ!!」
理性ある思考で導き出した命令などではない。
とにかくただ、発作のように意識の表層を覆い尽くすばかり広がった、少年へ対する嫌悪の情から、思わず椅子から立ち上がり、今にも前のめりになった姿勢でもってモニターを殴りつけんばかりの勢いで。
しかし。
『まあそう邪険にしないでくれよ婦警さん。気持ちはよく分かるけどさ。とりあえずは落ち着いてくれ。大体この通信、今となっちゃあどうやっても切れないぜ? こうした本人である、俺自身にすらね』
ウィンドウを通し、軽薄な笑いを浮かべた洋介の口にした話が、自分の放った叫声の余韻に掻き消されることなく、耳へと届いてきた。
途端。
彩香は己の乱れた息遣いが、体の内側で振動となり、響き渡るのを聞きつつ、まだまるで纏まらぬ考えで狼狽しながら、何か助けでも乞うように背後の【NooN JaCK】へ向かって身をひねり、その彼を不安げな瞳で見つめる。
と、返ってきたのは小さな頷き。そして、
「残念ですがマダム、彼の言っていることは事実でしょう。相手の了承無しに通信を繋ぐ手段はこの【eNDLeSS・BaBeL】において、ひとつきりしかありません。すなわち、【DuSK KiNG】との同盟者が持つ固有メリット……【aBoVeBoaRD(公明正大)】の実行……それのみです」
手短な説明。
【aBoVeBoaRD(公明正大)】
【DuSK KiNG】との同盟プレイヤーが持つ常時発動効果。
【DaWN QueeN】の常時発動効果である【SoCiaBLe】と同じく、すべてのプレイヤーのあらゆるパラメーターや行動をノーコストで見ることができる代わり、自分のパラメーターなどもすべてのプレイヤーに筒抜けとなる。
が、こちらの固有メリットはさらに先がある。
上記に加え、誰からの通信も拒否不可能となる代わり、すべてのプレイヤーは無条件で通信が繋がるようになり、以後は切断も不能となる。
実行者たる【DuSK KiNG】同盟プレイヤー自身であっても、二度と中止することは出来ない。
また、【DuSK KiNG】同盟プレイヤーと他プレイヤー双方とも、固有スキルすべてに関し、ゲームへ参加している全プレイヤーへ対して事前連絡を入れなければ実行できなくなるため、被る戦略的透明性は【SoCiaBLe】の比ではない。
よって、こうした極端に過ぎる効果がゲームバランスを崩さぬようにと、常時発動効果ながら、発動のタイミングはプレイヤー自身に任される。
ただし一旦発動した場合、その効果はゲームクリアまで継続するため、多くのプレイヤーは未発動のままゲームを終えることも珍しくない。
『そういうこと。自分で使っておいてなんだけど、ほんとメリットとデメリットが隣り合わせの危なっかしい効果だからね。はっきり言って、これの発動にはさしもの俺でも二の足を踏みまくったよ。躊躇しすぎて何度か命令を噛んじまったほどに、さ』
『……それでも、最終的には実行した。ということは……』
『恐らく、おたくの考えてる通りだと思うよ軍人さん。それだけ俺も、切羽詰ってるってこと。もう、長期的な損得勘定なんかしてられる状況じゃあないんだ。何せ、今が絶対に逃すわけにゃいかないチャンス……いや、活路って言うべきか……待ちに待った……待ち望み続けた、唯一無二……』
言って、差し挟まれた英也の言葉へ答えるよう、なお語り続ける洋介の声に徐々、何故だか無理に感情を押し殺すような停滞が生じだしたのへ、彩香も英也も奇妙な違和感を抱き始めるまでには、そう時間は掛からなかった。
顔こそ見てはいなかったが、最初の通信による会話から受けた感想は、傲岸不遜とまではいかないものの、それに近しい人物像。それが洋介への第一印象。
だが今、今回は顔を晒して話している少年から、それらの所感は感じ取れない。
ややもすると同一人物であるとは到底、思えない雰囲気の違い。
ところが。
『そうですねー。そうそう巡ってくる機会じゃあないのは確かでしょう。この【eNDLeSS・BaBeL】をクリアする……表向きじゃなく正真正銘、本当にクリアするためのその条件を、満たせるかもっていう機会は』
彩香と英也が洋介への違和感を募らせ始めたのとほぼ同時、今度は【NiGHT JoKeR】が横槍を入れた。
途端、はたとしてふたりは洋介と異なるウィンドウへと映る【NiGHT JoKeR】に視線を移す。
その瞬間。
心に、想像の範疇であった事実への軽微な衝撃と、想像の外にあった事実による甚大な衝撃との双方を受けて。
異なるウィンドウへ映っている時点、なんとなくでもふたりはもう洋介が桂一とはまた別人であるということは、気持ちで納得できずとも理性では理解していた。
だから、モニターから身を引いて椅子の横へと位置を変えた【NiGHT JoKeR】の姿と、その椅子に座った桂一の姿を見ても大した驚きは感じなかった。
だが。
そんな桂一が。
椅子に座っている桂一が。
脱力して横へ折れた首を自身の肩に乗せ、うっすらと開かれたふたつの瞳に一切の光を失っているのを認めたとき、ふたりは正確に言うなら驚き以上に言い知れぬ不安と恐怖を覚えた。
しかも。
『ん? ああ、桂一さんですか? ええ、分かってますよ。おふたりがお聞きになりたがってることは』
【NiGHT JoKeR】はそうしたふたりの様子を見て取るや、即座に彼らの疑問へ答える。
『お察しの通り、死んでます。呼吸もしてませんし、心臓も動いてない。瞳孔も散大しちゃって黒目が大きく見えるようになったから、まるでお人形さんみたいでしょー? ちなみに死因は時間切れ。ま、このゲームではよくあることです。じゃなくても、ただでさえ燃費の悪い【SuRRoGaTe】を使って英也さんとこの【VeNoM】二連発ですからねー。これまで大事に貯めてきた生存猶予期間、このためだけに頑張って蓄えてきた生存猶予期間……きっちり2000時間。それを一瞬にして消費、減算……むしろ、時間切れ起こさないほうがおかしいのではー?』
認めたくなどない。信じたくなど無い。そんな事実をまるで隠しもせずに。
『でも悲しむ必要なんか、これっぱかりもありませんよ。桂一さんだって、お友達を助けるため……って、実際はそう勝手に思い込んでただけなんですけど……だとしても、自らを犠牲にするなんていう、普通はなかなか出来ない英雄的行為を貫き、それなり自己満足して死んでいけたわけでしょうから、当人としては本望なんじゃないかと思いますしー? それに、正規プレイヤーの遺体は時間切れになっても、こうして形を残すことができます。死体が残るだなんて【eNDLeSS・BaBeL】の中じゃ、ごく限られたプレイヤーさんたちだけの特権ですからね。加えて……』
言いつつ、愕然と画面を見つめることしか出来ない彩香と英也を見つめ返しながら、【NiGHT JoKeR】は命の抜けた桂一の肩をひと撫ですると、やにわに髪を鷲掴んで頭を持ち上げ、虚ろとなって何も見てはいない瞳をモニターに向けつつ、その顔へ愛おしげに数度、頬ずりし、
『……そもそも桂一さんが死んでくれないと、ゲームクリアに必要な大前提が用意できませんから……』
そう言葉を継ぐや、これまで一度として見たことも聞いたことも無い、柔和な声音と微笑みを湛え、【NiGHT JoKeR】はまた改めて、青白く色を失った桂一の、冷たくなった頬を、優しく指で撫ぜた。




