DaTa FiLe [RooT 22]
『やはり……始めからもっと……疑ってかかっておくべきだったんだ……相手が子供だと思って、安易に気を許したことがそもそもの……クソッッ!!』
今から約10分ほど前。
自室でアナウンスを聞いた直後、その内容と事柄に困惑していた英也のもとへ、彩香から通信が繋げられてきた。
無論、英也に対してだけ。
桂一は含まれていない。
それから現在まで、【MoNiToR RooM】で相対した英也と彩香だったが、その10分間は極めて非生産的な彩香の一方的かつ感情的な言説に大半を占められていた。
すべてが、ではない理由はひとつきり。
ところどころで英也が差し挟む、短い応答が含まれていたためである。
半狂乱で次々、思うところを整理もつけず、ただ怒鳴り散らす彩香へ対し、英也はそれが無駄だと理解しつつも、なだめるようにその場しのぎの言葉を返していた。
『……そうでなくとも今は、兵員とかいう形で雇っている連中のことだけで手一杯……いや、違うっ! 手一杯なんて生易しいものじゃない……もう……悪夢もいいところだ……なんで、あんな……あんなクズみたいな連中の世話を、私がしなきゃいけないっっ! あんな、あんなクズどものっっ!!』
「睦月さん……気持ちは分かるが、とりあえず落ち着いてくれ。確かに言うとおり、今は問題が山積み。しかもひどいことに、ゲーム開始直後よりむしろ問題は確実に増えてきてる。麻宮少年が先ほど、我々におこなってきた謎の行為を差し引いても、問題増加の速度に消化が追いついてない状況……余裕を失って当然だ。これだけ外部ストレスが多い状態に加えて、それがいつまで続くかも知れないとなれば、我々だけに限らず必然、兵員たちの内部ストレスも限界が近いと考えて……いや、彼らの行動から失われている道徳的抑制の度合いを見るに、もう限界はとうに超えているのか……ともあれ、そこら辺りは小官にも痛いほど分か……」
『分かってたまるかっっ!!』
瞬間。
彩香は肘掛へ拳を打ちつけ、英也が言い終わるのも待たず、なお音量を上げた声で被せるようにして続けざま、がなり立てる。
『……実際に……見てもいないやつに、分かってたまるか……あいつら……始めこそ、自分たちが生き延びるためだからと、仕方なく……生存猶予期間なんて、ふざけたもののために……それでも、得なければ生き延びられないからと、仕方なく……だったのに……それが今の連中ときたら、どうなってると思う? 笑っているんだぞっっ! 無抵抗な相手を囲んで、命乞いする声も聞かず……滅茶苦茶に刺して……斬りつけて……その返り血で服も顔も、真っ赤になりながら……そいつが少しずつ……痙攣して死んでいくのを、笑って……どいつもこいつも、揃って笑いながら……楽しそうに眺めているんだぞっっ!!』
スピーカーの振動に雑音が混じるほどの絶叫。
が、その語尾は微か、声に歪みを生じていた。
感情だけで吐き出した言葉の先。それを最後。
もはや彩香の喉からは嗚咽のくぐもった音だけが漏れる。
顔を伏せ、肩を震わし、両の肘掛へ血が滲むほど爪を喰い込ませて。
表情こそ見て取ることはできないが、その心中も、何が起きたのかも、伏せられた顔の辺りから次々と零れ落ちてゆく涙だけで充分、察することができた。
本当の戦場を知る、英也なればこそ。
実際、英也とて似たようなものだった。
ただ、予測できる事態ゆえに覚悟が出来ていたというだけの違い。
かなり早い段階から予測し得た状況。
はっきり言って正規プレイヤーの自分たちでさえ、とても恵まれているとは言い難い環境であるにも係わらず、雇用している兵員たちの置かれている環境はさらに劣悪。
彼らが戦闘のとき以外、待機させられる場所は、まさにそうした場所。
空調すら見当たらない、打ちっ放しのコンクリートだけの、何も無い空間。
それゆえ凍えるほどではないまでも肌寒く、そのくせ換気されない部屋の空気は急速に淀んでゆく。
食事はひとりにつき、支給されるのはペットボトルの水が一本と、砂でも固めたような、味も香りも無い、およそ食料とも呼べないクラッカーのアルミパック一袋。
一日分が、である。
質的にも量的にも、まるで足りていない。
風呂もトイレもベッドも無く、彼らは床へ寝、部屋の隅に用便を足す。
そうなれば堆積してゆく排泄物から発生する悪臭もまた室内へと籠もり、それがさらに外部ストレスとなる。
客観的な視点で見てもこの状況、もはや限界に近い。
正規プレイヤーである自分たちも、率いている兵員たちも。
どちらの理性も半ば、瓦解してしまっているという事実。
実際の戦場でも、軍が内部崩壊を起こす要因の一位は士気・モラルの著しい低下による。
しかもこの【eNDLeSS・BaBeL】に関して言えば、実際の戦場より条件はひどい。
明確な到達目標が存在せず、衣食住すべてが最低レベル。
それがいつまでも続き、蓄積されていくストレスは上限知らずで増大する。
これで正気を保てるほうが、むしろ異常だ。
そのため、少しでも全体の士気・モラルを維持しようと、英也は兵員たちに虐殺を禁止する代わり、掠奪を容認していた。
主には衣服。ポケットへ入ったわずかな飴やガム、チョコなどの菓子。それらの収奪は、仲間へ対して以外は完全に容認していた。
必要以上の殺害を抑制し、同時に殺害そのものへ娯楽性を求めないよう、配慮しての決定である。
しかし、そんな已む無き決断は、本当の戦い……殺し合いの本質を、知識としてだけでなく経験的にも把握している英也だからこそ下せたもの。そこを警察官でしかない彩香へ求めるのは酷だろう。
でなくとも、彩香の性格からしてそんな道徳面の妥協など始めから無理だと英也とて承知していた。
自分が妥協することだけでなく、誰かが妥協することも、納得できるはずがないと。
だから黙っていた。
いや、黙っている。
提案したところで彼女が否としか言わないのは分かりきっていたし、単に自分への心象を害するだけだとも分かっていたゆえ、何も言わずにいたのだ。
その行為自体に間違いは無い。
間違いは無い、が。
理屈と感情は別物。その点は英也もまた変わらない。
だから今、モニターへ映る彩香の痛ましい様子を目にし、胸を抉られるような思いに支配される。
眉をひそめ、顔をしかめ、奥歯を噛み締め、無意識に己を責めるよう強張る、全身の感覚を味わいながら。
上辺だけ取り繕った言葉をいくら並べたところで彩香に効果が無いと分かった今、もはや自分に残された対応の選択肢は、そんな彼女をモニター越しに見つめることしかないのだと、英也は嫌というほど理解出来てしまうだけに。
だが。
『……そうだ……』
思い、罪悪感と自責の念へ意識を沈め、まさに溺れるような息苦しさに苛まれる彼は、幸か不幸か一時、その苦しみから開放されることになる。
危うく聞き損ねてしまうかというほど小さくスピーカーを通し響くささやき声で、彩香が話を唐突と再開するのを聞き、
『始めから疑うべきだった……名を……自分の名前も、始めから偽ってくるようなやつなんか……信用するほうが、馬鹿だった……』
「?」
苦悩から疑問へと瞬時、表情を変えた自分と同じく急、首をもたげて涙に濡れ、赤く腫れた瞼を押し開いて正面へ向く彼女の顔が大画面の中央に映るのを目にした英也は無意識、吐息のような声を漏らした。
マイクにも拾われることのないそんな音へ気づくはずも無く、なおも言葉を継ぐ彩香への視線はそのままに。
『言うタイミングが無かったから……か。それとも、私の単なる粗忽か……いずれにせよ今まで話さなかったが、最初まだ二尉と出会う前……倒れている彼……あの少年を見つけたとき、職業的な癖から咄嗟に彼の持ち物を調べた……もちろん、無事かどうかも確認しつつ……別に何も……私だってそこまで非情じゃ……』
「分かってるさ。小官も、立場や職業こそ違っちゃあいるが、本質は似たようなもんだ。未知の状況にあっては、そのようにしろと教えられ、それが習慣となって身に染み付いてる。気持ちは分かるし、あの場ではそれが正しい行動だとも思う。責める気なんてさらさら無い」
『……気遣いだとしても、そう言ってもらえると気が楽になる……ありがとう、二尉』
「それこそ、お互い様ってやつだ。気にしなさんな。で、一体なんの話を? 麻宮君……あの少年が、どうしたと?」
『ああ、それが……』
形ばかりか、それとも何かが吹っ切れたのか、多少の落ち着きを取り戻し、
『私が始めて……倒れていた彼を発見したとき、その胸ポケットから取り出して確認した学生証の名前は、「麻宮桂一」じゃなかったんだ……』
「……え?」
懐疑も露な声を上げる英也へ対し、彩香が口にしたのは、
『……「麻宮桂一」……あれは、偽名……偽名だったんだ……私が実際、彼の持っていた学生証で確認した……記載されていた名は……』
口にしたのは、
『……「糸田洋介」……』
英也にとっても、事実を話した当人である彩香にとっても、まるで聞き馴染みや聞き覚えといったものが欠片も無い、どこかありふれた姓名。
しかしほどなく。
ふたり揃い、この名の真に意味するところ、理由とするところが、自分たちへと知らされることになろうとは、この時点ではまだ何ら知る術も無かった。




