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oFF-LiNe  作者: 花街ナズナ
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WiLL NoW ReBooT/oPeRaTioN CoMPLeTeD.

「うろ覚えなんだけど、出典は確か……[出エジプト記]だったかな? 『汝の神、イェホバの御名をみだりに唱うることなかれ。イェホバはその御名をみだりに唱うる者、罰さずにはおかず』とか、そんな文言があったと思うんだけど……個人的な感想を言わせてもらえば、自分の名前を呼ばれただけでキレるような神を自ら望んで信仰しようなんて、古代ヘブライ人てのはよほど内罰的だったのか、それとも潜在的に重度のマゾヒストだったのか……いずれにせよ、間違い無く正気を疑うレベルだね。恐らく僕には永遠に理解できそうにないよ」

「……はあ……」


まだ少しずつ、慎重に啜り飲むのがせいぜいといったほどに熱い、オフィス脇へ設けられたセルフ式コーヒーサーバで自ら入れてきたカフェ・マキアートの熱を、使い捨てのプラスチック製デミタス(通常サイズの半分の大きさをした、エスプレッソ用コーヒー・カップ)の持ち手から掛けた指先と、立ち上る香ばしくも甘い香気の混ざった湯気からほんのりと感じ取りつつ、博和は連綿と並ぶ机の中途に置いた椅子へもたれかかり、まるで日常会話といった風でひどく難解かつ専門的、そして退屈な話題を打ち、案の定、同じく使い捨てのカップを握り、そんな話の内容へ眉をひそめた聞き手のひとり……痩せぎすな体躯を博和とほぼ向かいの位置に据えた椅子へとうずめ、目元の近くまで伸びた黒髪の下、こけた頬と血色の悪さが際立つ顔を向ける猫背気味の男が漏らす、明らかな生返事を耳にした。


すると。


「おい馬場、そうやって無闇やたらと流されて、いい加減な返事はしないほうがいいぞ。二条さん、大概のことには気が利くくせに、何故だか話の流れやノリみたいなもんについちゃあ、からきし察しが悪いからな。そんな調子でヘイヘイ調子よく声を返してると、いつまでも延々、主題が掴めない謎な話を続けられちまう。気を使うってのもそりゃ大切だが、言うべき時にはここぞとハッキリ自分の意見を言わなけりゃ、まだまだこの悪気の無い拷問が続行されることになっちまうぜ?」


猫背の男の真横へ同様、椅子に座った巨躯の男が横へ首を向け、馬場と呼んだ猫背の男に対し、口元から今まで啜っていた、濃いエスプレッソの満ちるカップを離して呆れた様子を取りつつ割り込む。


「ありゃ、またやっちゃったか……すまない、馬場君。それに鈴木君もご指摘、感謝するよ。しかしダメだなあ……いつも注意してるつもりだし、分かってるつもりなのに、どうしても自分の知識を基準に置いて話をしちまう。普段だってこれのせいで同僚たちからも煙たがられてるっていうのに、まったく、僕もつくづく学ばないな……」

「ま、そう落ち込みなさんなよ二条さん。それを言うなら俺だってこの正直すぎる性格が災いして、同僚どころか上司や部下からも総スカン喰ってんすからね。おかげでまともに付き合ってくれんのは二条さんと、この馬場の野郎くらいなもんです。結局、どんな性格や性質が正解だとか、そんな単純な話じゃあなく、最後は相性の問題。てなわけで、お互い憎まれっ子同士、仲良くやりましょうや」


当人からすればフォローのつもりなのか、そう答えて鈴木と呼ばれた男はわざとらしく笑い、艶の無い黒いオールバックの長髪を指で軽く梳き、少し冷め始めた手元のデミタスの中身を口へと含んだ。


ぱっと見には整然と、よく見れば作業感の伝わる雑然とした広いオフィス。


ビルのワンフロア内、すべての壁を除いて設けられた、ゲーム開発会社【NeT TRuDe】本社ビル重要セクションのひとつにして、ゲームとしての【eNDLeSS・BaBeL】を統括・保守管理・アップデートやメンテナンスなど、ほぼすべてをおこなう部署。


とうに提供に堪えうる製品レベルまで開発の終わっている、ゲームとしての【eNDLeSS・BaBeL】は現在、専らブラックボックス化されているメインシステム周りを除く部位と、累積したプレイヤー・データ及びそれらに付随するアカウントの点検整備が主たる仕事となっており、開発チームも解散した形となっている。


表向きは。


にもかかわらず、博和は真の雇い主たちにまで隠密に継続研究している事柄と平行し、何故か時たまこうして引き継がれたゲーム部署へ顔を出すことが多い。


それが決して彼の気紛れや暇潰しの類などではなく、あくまでも自らの研究を進めるに必要な情報収集……特に限定された範囲とはいえ、広く見れば一般的と分類できるタイプの人間たちを観察できるこの環境から、博和は貴重な、時に判然とした、時に漠然とした、感覚的情報サンプルを集めていることは確かであった。


そして同時に、まさかそんな心算で彼が動いていようとは結果的に誰ひとりとして気づくことがなかったのは、ひとえに博和の生来、持ち合わせた自然体な雰囲気と、毒気を感じさせない容姿・言動のゆえであろうか。


何にしろ、それらすべての状況的条件が、博和にとって想像以上に有利な働きをしたのは間違いない。


「にしても、やはり夜も深くなるとまだまだ寒いですねえ。経費節減の折とはいえ、深夜まで頑張って仕事している人間のいるオフィスの空調を自動で止めるとか、ここの会社も地味にブラックだなあ」

「それを言うなら、日勤の君らにこんな時間まで残業を強いている時点でもう充分この会社はブラックだよ馬場君」

「ああ、言われてみれば……」


少しく、はっとしたようにそう漏らし、馬場は自嘲気味な笑みを浮かべる。


対照的、快活な笑い声を発して話す、鈴木の影へでも隠れるように。


「でもよ、だとしても……こんな深夜の薄暗い、しかも薄ら寒いオフィスん中で、いい歳した男が三人揃ってちまちまとエスプレッソで暖とカフェインを充填しながら、体のあちこちを軋ませて残業しなけりゃならないような職場でも、職があるだけマシってもんさね。最低限、衣食住を賄える稼ぎが得られる仕事があるだけ有り難いと思わんとさ、この不景気なご時勢、失業して屋根の無い暮らしをしてる人間も多い。贅沢を言い出してもキリが無いってもんだぜ。特に俺らみたいな、まるきり潰しの利かない専門職の人間は、な」

「違いない」


雄弁に語る鈴木へ馬場の代わり、頷きつつ短く博和は返し、また合わせたような三者三様の小さい笑いが響いた。


と、急に。


「あ、そういえば二条さん。何か、こっちで変わった……面白いそうなことは無いかって話……でしたっけ?」


唐突、思い出したとばかりの調子で馬場は問うや、手にしていたほぼ空に近いデミタスを横のデスクへ無造作に置く。


早速、開いた両手の指をへその辺りで組み、猫背の背をさらに丸め、うっすら、エスプレッソで温められた息が、10度を下回る室内に白い靄となって吐き出されるのを我が目に捉えながら、それでいて視線の中心では、すぐさまそんな彼へとリラックスし、斜に首ごと双眸を向けた博和を見つめて。


「何か、ありましたか?」

「ええ。ただ、ものすごく面白いってほどでも、やたら変わってるってほどの話というわけでもなくて……退屈しのぎにはなるかな? 程度の話なんですが……」

「良いですね。聞かせてください、是非に」

「はあ……じゃあ、ご期待に添えるかどうか分かりませんけど……」


言って一拍、呼吸を整えるような間を空け、馬場はデミタスを置いたデスクへ配されたPCから伸びるキーボードのエンター・キーを、指で軽く弾くように叩いた。


刹那。

サスペンド状態だったPCが微かなファンの運転音を上げ、ディスプレイは明度を落とされた室内の照明より強い光を放ちつつ、画面を映し出す。


現れたのは、いくつかのウィンドウで分割表示された【eNDLeSS・BaBeL】のプレイヤー・データと、個別の詳細なアカウント情報。


そのうち、あるひとりのデータを指す一行へ馬場が分かりやすいようにとマウスで画面上のカーソルを移動させてなぞりつつ再度、口を開いた。


「この子……【糸田洋介】って高校生の子なんですけど、その彼のここ一週間分に亘るプレイヤー・データ内の総プレイ時間、それが明らかにおかしいんです。ご存知の通りで、【eNDLeSS・BaBeL】は安全上の配慮から一日のプレイ時間は最長15時間までという制限があるうえ、先月からは行政の指導もあって一日のプレイ時間が10時間を超えたアカウントは24時間のプレイ間隔が空くまで再プレイできないようにと、アカウントの一時的な自動凍結がなされます。つまり、一週間で物理的にフルでプレイできる時間を考えた場合、一週間は168時間なので、15時間のフルプレイを繰り返しつつ、間に24時間のプレイ間隔……これを4度、繰り返すと156時間。最後に余った12時間もプレイ時間につぎ込んだと仮定しても、合計は72時間が限界。のはずが……」

「……プレイヤー・データ内の記録では、総プレイ時間は108……と」

「そうです。表示されてる通り、システム的には絶対に不可能なプレイ時間……ただ、あくまでそれはシステム的に不可能というだけ。物理的に……というのなら、何も不可能というほどじゃありません。詰まるところ……」

「……禁止されてるはずの、サブ・アカウント?」

「ご名答」


瞬間、手早く博和の問いへ答えるや、今度はまた異なる箇所にカーソルを移動させる。


小さな別ウィンドウふたつに見やすく分けて表示させた、ふたつのアカウントへと。


「ひとつは先ほど話した【糸田洋介】……その名義のアカウント。こちらは何も不審点はありません。ですが、もうひとつは【麻宮桂一】……一応、書類上の問題は見当たらなかったものの、プレイヤー・データの生体情報が重複していることに気が付いて、少し詳しく調べてみようと身元を示すマイナンバーで問い合わせをしたところ、どうやら今から4年前、国家公安委員会規則第13号に基づく手続きがおこなわれた、完全な別人であることが分かりました」

「国公13号……? となると、行方不明届の提出された人間の身元をかたっての、手の込んだ偽装による複数アカウント取得ってことかい? そりゃまたすごいな。どこでどう、そんな組織的個人機密情報を手に入れたのかも含め、まだ高校にも入りたての子供がそこまで巧妙な手段を使ってくるとは、まさしく下手な大人顔負けだ。恐ろしい時代になったもんだね」


言葉とは裏腹、何やら楽しげな調子で博和はディスプレイの文字を追いながら気持ち、声を躍らせた。


傍目にも見るから、その両の瞳へ強い、好奇の光を輝かせて。


「いやいや二条さん、そんな暢気な感じで話してられるような事案じゃないぞ? これ。行方不明者の個人情報をどっかから入手して勝手に利用するなんざあ、言うまでも無く明らかな犯罪行為だし、そうじゃなくても【eNDLeSS・BaBeL】で不正にサブ・アカウントを使われんのは他の意味でヤバすぎる。ただでさえ、ここのとこログオフ時の事故が多発して世間様が騒いでんのに、こんな安全域を完全超過したプレイを続けられたりしたら、また死亡事故発生確定だ。これだけ俺たちゃ頑張ってきたってのに、結局は会社と一緒に職も無くしましたなんて、そんな結末、シャレにもなんねえよ」

「確かに、そこは鈴木さんの言うとおりですね。となると、どうしましょう……事件として表沙汰にしたら、それもまた面倒ですし……やはりここは一番穏便な方法をということで、規約違反行為の罰則として正規とサブ、双方のアカウントを停止するのが妥当な線かと思いますが……」


現場感覚と世間一般の【eNDLeSS・BaBeL】への、負のイメージも織り込み、鈴木と馬場のふたりは真剣に対策を語る。


が、そんな場の空気の変化も気に掛けず、博和の表情は変わらない。


胸の内の感情と同じく、微塵の変化も起こさず。


ただしばらく、ふたりのやり取りを見聞きし、ふと頭をよぎった考えに目線を床へ落とすと、はたとやおら、両の瞳を大きく見開くや途端。


「……いや、待った」


考え込んで急ぎ、絞り出したような声を漏らし、やにわに話へ割り込むや、少々の驚きと共に自分へ目を向けてきた鈴木、馬場のふたりと視線を合わせ、


「自分でも正直、これがひどい越権行為だと承知のうえで頼みたいんだけど、その【糸田洋介】とかいう子のプレイヤー・データとアカウント……もちろん、不正取得された【麻宮桂一】名義のアカウント。そのふたつ……」


心に渦巻く異常な感情も、頭に渦巻く狂気の思考も、一切を感じさせないポーカーフェイスを作ると、


「出来れば僕に、預けてもらえないかい?」


さも当然のように頼むや博和は、ちょうど一口分を残して冷めきったマキアートを、ひと息に飲み干した。


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