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oFF-LiNe  作者: 花街ナズナ
44/75

WiLL NoW ReBooT/[PRoGReSS RaTe]: 21%

それは長い、長い沈黙だった。


問うた本人である英也自身が、前もって強く覚悟し、心積もりをしていたにも係わらず、もはや【DaWN QueeN】からの答えは永遠に返ってこないのではと諦め、耐えて鎮めていたものを体現するように、


まるで息継ぎを忘れ、慌てて水面から上げた泳者の如く大きく、素早い息を吐き出してすぐさま、ぐっと吸い込むや、隠し切れなくなった苛立ちを含む小さい鼻息を漏らし、英也は揺れるような定まらない動きで顔を横へ背け、苦々しく歪みそうになる顔を必死で抑える。


もちろん、【DaWN QueeN】への心理的な配慮による部分も多少はあったが、すでにこの時点ではもはやその比率は全体の数割にも満たなくなっていた。


ただ、単純に自分が冷静さを失うことによって生ずる不利益への危機感。


それだけで無理やり、自らの感情を抑え付けたと言い切っても差し支えないほど、英也の理性もまた確実に目減りし、平静を保つことはひどく困難になっていたのである。


あえて言うが、英也でさえも、だ。


桂一に関してはゲームとしての【eNDLeSS・BaBeL】にそれなり精通していたため、未だ心のどこかしらで現実感がずれており、結果的にそれが良いほうへ働いて精神に掛かる負荷が軽減されているおかげか、形ばかりといえ正気も理性も保ててはいるものの、悪く言えば上手く現実逃避できているに過ぎない。


何かのきっかけで現在の諸々をいきなり事実として受け止めたりしたなら、まず神経は持つまい。


間違い無く気がおかしくなっていただろう。


そういった意味では桂一の若さ、それに伴う実際的・実体的な人生経験の浅さが、奇しくも彼の精神を正常に留めているのは、どこまでも幸運だったとしか言えない。


彼は自身の浅薄さゆえ、未熟さゆえ、狂気に飲まれることなく今もいられる。


これを巡り合わせの皮肉と捉えることも当然可能であろうが、彼らの置かれた特異な状況を加味すれば、純粋に巡り合わせの利運と捉えるのが自然だ。


死や苦痛といったものに対する想像力の欠如からもたらされる鈍感さというものは、時として身を守る盾ともなり得る。そういうことである。


では、対して彩香は如何かと見れば、もうこれは真逆。まさしくも、巡り合わせの悲運。


己への客観能力や、他者への共感覚の高さが、そっくりそのまま自分の精神へと向かってくるダメージを強めてしまう。


それゆえ、際限無く肥大化した思慮は行動を制限し、どこまでも遅滞してゆく。


明確な答えの無い問題に、明確な答えを求め続けてしまった。


彼女に非が有るとするなら、それだけのことだ。悪意で至った解法でもなく、土台、元々からひとつきりの答えが用意された問題でない以上、彼女の行き過ぎた思慮もまた単純な間違いとは断ぜるものではない。


結局は理屈の外。不運といった要素で片付けるより無いのである。


だからこそ、もはや英也ですら例に漏れるといったことが通用しなくなっていた。


自分の持つ常識がまるで通用せず、多少なりと状況を把握しようにも、答えどころか微細なヒントの類さえ見当たらない。


さしもの胸中へ苛立ちが満ち、理性にほころびが生じ始めてきたのも自明としか言えない頃合であった。


そうして。

耐え難い【DaWN QueeN】の無言がどれだけ続いたか。


初手から期待などまずしていなかったとはいえ、ごくわずかでも聞きだせる情報があるのではと心の隅に抱いていた希望をも捨て去り、ようやく最後に残った冷静さを掻き集め、目も合わせず、声も掛けず、波打つ自らの感情と、もはや同室しているだけでも苦痛に感じる【DaWN QueeN】の双方から逃れんとしてその横を通り過ぎ、英也は少しく足早に部屋を出ようとした。


が、刹那。


「……中尉。虫のいい話かもしれませんが、これだけは信じてください……」


まさに体ひとつ分ほど横を抜け、斜に背後へ回った直後、英也の耳へかろうじて響いてきた【DaWN QueeN】の声に、彼の足は咄嗟、引き止められる。


声音の芯が揺れ、か細く、何かをこらえるように発せられた弱々しい声に。


「少なくとも……私は中尉に対して何も隠し立てはしていません。質問に対して答えないのは、何も貴方の素性が原因では……」

「……ご婦人、この期に及んで妙なお気遣いは無用ですよ。濁さず、はっきりと仰って下さい。小官が……自衛官でありながら、実は米国の第五列スパイであると、貴女……最初からご存知だったんでしょう?」


ただでさえ、消え入りそうだった【DaWN QueeN】の言葉を遮り、英也は答えた。


途端、またもやしばしの沈黙が訪れる。


背を向けたまま微動だにせず、英也は出入り口のドアへ、【DaWN QueeN】は透明な壁の一面に広がる雲海へ、それぞれ体ごと視線を固定し、口と限らず全身のあらゆる動きを完璧なまでに止めて。


しかし。

今度の沈黙はさほど長くは続かなかった。


まるで何かたがでも外れてしまったかの如く、そこからは英也がやにわに饒舌と化したからである。


「思えば始めにお会いしたとき、まず言われていましたからね。『個人情報に限れば、ほぼすべて知っている』と。つまりは最初からご婦人は私の素性など、とうに知って……いや、もう互いに言い方をぼかす必要もありませんし、いっそ堂島准教授か、はたまた堂島博士とでもお呼びしたほうがよろしいですかね?」

「……」

「堂島歩美……さんでしたか、フルネームは。確か去年の今頃、都内の自宅で薬物自殺……という形で処理されたと資料では読んでいただけに、実際今更ですが、ここでの初見は本気で面食らいましたよ。その華美とも奇抜とも取れるメイクや服装にでも、ましてや【DaWN QueeN】なんてふざけてるのか洒落てるのか分からない偽名に対してでもなく、ただただ、とうに死んだはずの人間だと思っていた相手に出会ったことにね。で、揃ってもう隠す必要も無くなったことですし、率直にお聞きします。これは、ここは一体、何ですか? 何が目的です? 貴女を殺した組織への復讐? それとも貴女のお仲間を殺した相手への? だとすれば保身のつもりで言うわけではありませんが、小官ひとりをどうこうしても何にもならないと思いますよ? 小官とて、組織全体からすれば単なる末端。使い捨ての駒でしかない。それとも、せめて自分の国と国民を、他国へ売ったような卑しいいぬの一匹ぐらいは直接に始末したいとでも? しかし、だとすれば貴女方だって国民を売った事については同罪のはずで……」

「……やはり……」

「は?」


再び、【DaWN QueeN】がだんまりを決め込むものと思い込み、連れ連れと、まとめ固めた憶測を放言しているところへ予想外、中途に言葉を差し込んできた彼女へ不意を突かれ、英也は思わず間の抜けた声を漏らした。


と同時、彼女の言葉に一瞬、首を傾げる。


果たして、(やはり)とはどういう意味なのか。

自分が口にした推理が見事、当たっていたということなのか。


それとも他に何かがあるというのか。それ以外、あるとするならどんな理由か。


などと。露の間、高速で頭の中を駆け巡った思考のせいでまったく自覚が無かったが。


英也は自分が知らぬうち、背後の【DaWN QueeN】へ向かい、振り返っているのに気がついた。


そしてこれも同じく、わずかに首をひねり、横顔と、そこから覗く、うっすらと開いた口元だけが確認できる彼女の姿にも。


「貴方のその思考……なるほど、一般の……正常の感性なら、そういった結論に至るのが普通……だと、そういう意味ですわ。つまり、中尉も所詮……失礼、これは言い方が悪い……やはり私たちとは別種の人間であると、改めて理解した。ということです」

「ちょっ……と、待ってくださいご婦人? 貴女、急に何を……」


突如、これまでのくぐもった声音が嘘かとばかり、落ち着き、流れるような口調で語りだした【DaWN QueeN】に、泡を食った英也はとにかく目先の疑問へすがるような、ほとんど感情だけの文言を投げかけたが、


「中尉、私が何故、貴方がここからゲームをクリアする以外の方法で脱出しようと試みられるのを、かほどに恐れたのか、お分かりになっていらっしゃる?」


聞き終える気など更々無いといった態度で逆、質問を無視して質問を返すや、勢い全身を半回転させて英也と真っ向に対峙し、怒気すら帯びた調子で一気に発話する。


「理由はたったひとつ。私たちの研究がさまたげられるからです。貴方がこのゲームへまともに参加してくださらなければ、私たちの研究はそれだけ遅延してしまう。それが何よりも恐ろしいんです。ところが、貴方ときたら復讐? 私が? とうに死んでいる自分のために? ありえません。そんな何の価値も、具体的に得られる実も無い行為へ駆られるなんてことは。よろしいかしら? 私たち科学者……研究者にとって、何事よりも優先すべきは自らの研究と、それにより得られる経過と成果だけ。そのほかはすべて、そこへ至るための土台や材料でしかないんです。お分かりになりませんか? 私たちからすれば、自分自身も、自分の命も、自分の存在さえも、単なる道具でしかない……そう思っていて、実際にそう扱ってきた……そんな私にとって、間接的にとはいえ、自らの研究を妨害されようとしていることがどれほど……」


終わりも近くなり、先に噴き出した怒りは峠を越えると、変わってまた【DaWN QueeN】の表情には色濃い恐怖が滲み、発起としていた言葉は再度、弱々しく、紅潮していた顔色は見る見るうちに蒼ざめ、


「……恐ろしいと感じているか……貴方に……分かり……ますか?」


搾り出すように問いながら、【DaWN QueeN】は震えの止まらない自身の体を押さえつけるように、両の手を交差させ、自らの肩へ五指を食い込ませる。


惨めなほど憔悴し、哀れなほど萎縮し、痛ましいほど傷ついた姿を晒す彼女の大きく見開かれた両の瞳は、今にも溢れそうなまでの涙が湛えられていた。


この時。

ただこの時だけを切り取ったなら、英也は【DaWN QueeN】へ、少なからぬ憐憫を感じていたかもしれない。


ここまでの、あらゆるやり取りが無かったと仮定し、この時だけを切り取ったなら。


だが。

現実はそうではない。ゆえに、


英也はそのまま口を閉ざし、無言で立ち尽くすと、怯えて震える【DaWN QueeN】を、とても言葉で言い表しきれぬ、形容し難いおぞましさを感じて見つめつつ、胸中へ溢れかえった恐慌に、全身の毛を逆立てる。


何故なら。


今、目の前にいる【DaWN QueeN】の瞳の中に、自分には生涯理解することができない、理解してはいけない、そう思わせるほどの、


あまりにも凄まじい狂気を、その目に見てしまったからであった。

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