DaTa FiLe [RooT 19]# HiDDeN FiLeS
「……お、ようやくあの軍人さんも気がついてくれたのか……」
言いつつ、博和は緩やかな足取りで【NeuTRaL FLooR】を歩いていた。
片耳を手で押さえ、ひとり納得したように何度かうなずき、
「にしても、かなり時間が掛かった……いや、厳密には彼にとって専門外だったってことを考えれば、このぐらいで気づけて妥当と思うべきなのかな?」
どこまでも広く、どこまでも殺風景で、そのくせところどころの壁や柱の影へ隠れるように座り込んだ生気の無い兵員たちの、うつむいた顔を遠目に眺めながら。
「それに、思い返してみれば僕だって最初はみんなから教えられるまで、こういったゲームにまつわる知識なんてからっきし有りやしなかったから、人のことを言えた義理は無いか。正直、こんなの普段からゲームに親しんでるような人間でなけりゃ知らなくて当然だよ。そう、思わないよな……まさか」
通路のように開けた、部屋の中央をなお進みつつ、言葉をなお続けつつ。
「基本、MMOってカテゴリのゲームに、根本的な意味でのゲームクリアなんていう定義そのものが存在しないなんて。けど、何も嘘をついていたわけじゃあないから余計に厄介か……ここから抜け出すための条件は、『すべての管理者を倒すこと』。有り得ないゲームクリア条件、存在しないはずのゲームクリア条件……まったく、意地が悪い……」
なお、つらつらと独りごち、博和は一旦、口を閉じるとやおら歩調を緩め、さらに念入り辺りを見つめる。
改めて眺めてみると誰も彼も、本当に着の身着のまま。ろくに構えた服装をした者がいない。
上はTシャツ一丁などというのも珍しくなく、フリースにジーンズ姿の者などはむしろ上等と思える。
羽織っていたダウンジャケットを床へ敷き、少しはマシな寝床を即席して、横になっている者もいくらかいたりはするが、これは別に当人の功績ではなく、このゲーム……【eNDLeSS・BaBeL】へ流れ込んだ時期がちょうど秋冬のころだっただけのことだろう。ただ単純な運でしかない。
とはいえ、そんな運というやたら不確定な要素のせいで、春夏ごろ流れ込んできた連中は悲惨なものだ。
室内には冷房や暖房はおろか、吸気や排気などの空調も存在しないが、常に一定で薄ら寒いぐらいの室温が保たれている。
暑くもなければ寒くもない……とまではいかず、若干、肌寒い。多少の個人差を引き合いに出しても、間違い無く体感温度の低さだけはまず共通して感じるレベル。それに加えて冷たく、硬いコンクリート製の床は、触れれば容赦無く体力と体温を奪ってゆく。
同じコンクリート製であるのだから、壁とて大した違いは無い。
かように徴兵された兵たちが置かれる状況は過酷だ。それは誰に雇われるでもなく、【NeuTRaL FLooR】を彷徨っているのとそう違いなどありはしない。
だからこそ、徴兵した正規プレイヤーは、彼らの実情を調査・理解し、改善に努める必要がある。
そう、本来なら。そうする必要がある。
どういった形にせよ、管理責任という観点から考えれば、彼らはすでに雇用された身なのだから、それに見合った待遇を与えねばならない。少なくとも、野良でうろついていた時よりは上の待遇を。
だが。
実際は何も為されていない。
頭では分かっていながらも、無自覚に目先のことを片付けたり、考えを整理するのに手一杯で、現実の行動がどんどんと遅れてゆく。
特に厳密な組織へ在籍していた人間はそういう傾向が顕著になる。
自分自身が背負うべき、または背負える責任の限界を知っているからこそ、どうしても行動のひとつひとつが慎重に、悪く言えば及び腰となってしまう。
結果、時間だけが浪費される。
後先を熟慮し、懇切を心がけすぎ、時間だけを浪費する。
かといって、それを根拠に英也や彩香らを責めるのもまた筋違いというものだ。
彼らは彼らで、自分たちの行動がどんな首尾となるかをよくよく考慮し、常に彼らの中での最善を目指している。そこには善意こそあれ、悪意は微塵も無い。
咄嗟の判断や勘頼みで動くには、彼らがあまりにも常識的だった。それだけのこと。
単純に誰かや、どの判断が悪かったというような話ではないのである。
そして。
「……しかし、こういうところで大勢に差が出るのは相変わらずだな。知識も経験も、明らかに豊富なはずの大人のほうが、むしろこれを(ゲーム)だと思うことで無意識、視野が狭窄してしまって周りが見えなくなるし、何より動きが鈍る。それに比べて、子供のほうはこれが(ゲーム)であるからこそ、むしろ広く物を見て柔軟に対応するし、行動も早い。分かっているようで分かってない……分かってないようで分かっている……不思議なもんだ。根っこの価値観の違いか、はたまた経験は経験でも、現実と仮想という経験由来の違いか。いずれにしろ、思考が大人であれば大人であるほど、アドバンテージが低下するっていうのはここまでの統計からしてほぼテンプレートって感じだな。といって、これすら必ずしもじゃあないからなあ……結局、大切なのは大人だとか子供だとかっていう乱暴な括りでなく、個人レベルの相性が肝ってとこか。つくづく、巡り会わせや相性ってのは不確定要素が過ぎて扱いに困るよ……」
傍目からして、それはなんとも奇妙……というのか、それとも薄気味悪いとでもいうのが正しいのか。不特定、誰かに対してではなく、自分以外のすべてへ向かって語るように博和は言葉を並べ立てる。
異常な環境に毒され気でも触れたと思われたのか、それともただ他者と接触するほどの余裕が、この場の誰にも無かったからなのか。そこは分からないが、現実として聞く者も無く、答える者も無い語りを続けて。
かと思うや、ふと何かに気づいたように彼は声のトーンを落とすと、
「さて……それじゃあそろそろ、空しい独り言は仕舞いにして、またしばらくは遠巻きの傍観者へ戻りますか。立場上、僕が特定のプレイヤーにこれ以上の肩入れをするのは完全な越権行為だし……何より」
如何にも気が重いといった口調で、
「この先の流れを読むに、間違い無く近いうち、ここが戦端になる……しかも確定して、徹底した負け戦の、最初の犠牲にね。さすがに僕も他人の不幸を間近で見て楽しめるほど悪趣味じゃあないから、せいぜい本来の役割通り、大まかな経過観察程度で済まさせてもらうとするよ。けど……」
すいと胸元まで引き出し、開いた己が左手に光る数字を見た。
0。しかも光の色は赤く変化している。
途端、頭の中にアナウンスが流れた。
『当該アカウントはまもなく(帰還不能限界点)に到達します。安全措置のため、本サービスの規約に沿ってこれより10秒後、自動ログオフをおこないます。本日は大変お疲れ様でした。またのご利用を、心よりお待ちいたしております』
その聞き慣れた無機質な、事務的な音声に思わず、(嗚呼)と、息のような声を漏らし、
「出来ることなら……持ち堪えてくれ。どれだけ自分勝手なこと言ってるのかは僕も充分に分かってるが、だとしても、やはり一度でも係わりを持った……持ってしまった相手の、不幸なんて……」
言いかけたところで、右の視界が大きく欠ける。
次いで、見つめていた自分の手が、いくつもの大小さまざまなブロックノイズへと分解されてゆく。
刹那。
ほとんど左手そのものが失われてもなお、宙空に浮かぶようにして残された赤く輝く0の数字が、徐々に光度を落とし、黒く変色を始めた瞬間。
(望んで……見たくはないんだ……)
すでに発声すら出来なくなるまで崩れた姿になりながら、博和がそう途切れかけの意識の中で願った須臾、
プツリと。
電源を切るようにしてその姿も、意識も。
すべてが、消えた。




