DaTa FiLe [RooT 16]
【DuSK KiNG】の同盟プレイヤーである洋介を交えた四者会談からすでに数十分。
己の理性が限界を迎えるのを感じ、中途で退席した彩香は、いまだベッドの脇へと腰掛け、両手の指を組み合わせて顔を伏せたまま微動だにしない。
無論、声すらも。
微か、ごく微かに聞こえる呼吸音と、それに伴って上下動する胸元の動き以外、彼女が示す行動は何も無い。
そんな状態にありながら、【NooN JaCK】は彩香の傍らへ立ち、その数十分を棒のように直立して過ごしていた。
ただ、うなだれた彼女の姿を俯瞰して。
無感情な表情ひとつ変えず、身じろぎひとつせず、ひたすら彩香が自発的に何らかの言動、行動を起こすのを待つように。
そうして、息苦しいまでの沈黙が一時間の大台へ迫ろうかとしたとき、
「……【NooN JaCK】」
ようやく彩香は口を開き、気配で気づいていたのだろう【NooN JaCK】へと声を掛けた。
耳にしただけで瞬時、痛々しいほど衰弱した精神を察するに余りある、弱々しい声音で。
「君には情けない姿ばかり見せてすまない……分かっているつもりなんだが、どうにもあの男……【DuSK KiNG】同盟プレイヤーの話が、あまりに不快で……頭で理解していても、容易に飲み込めなくて……」
搾り出すような、ところどころ聞き取るのも困難なほどにか細いその言葉を、【NooN JaCK】は黙って聞く。
すでに当人の自覚があるのか怪しい、【DuSK KiNG】同盟プレイヤーたる洋介の言動がどうあれ、納得などできようはずもなかった現状へのある種、言い訳にも似た一言一句を。
しかして、静寂の中で響く自らの言葉に、その思考と感情の矛盾へ向き合ってはくれまいかという淡い期待を寄せて。
だが。
「……なあ」
願いとは裏腹、彩香の口から溢れてきたのは、
「私の……生存猶予期間を、兵のみんなに分け与えることは……できないのか?」
もはや硬直化して手に負えなくなった思考による問い。
理想と現実の差異を解すことができず、子供のように後先を考えず逃げ道を探す問い。
途端、問われた【NooN JaCK】は、胸に納めた憂いを一切見せることなく、強いて平然とした表情と口調を維持し、冷ややかとすら思える調子で一言。
「不可能です」
有り得ぬ希望を断つかの如く言い切るや、まるで物の道理を言い聞かせる大人のような、無味乾燥とした表情や声、口調とは別に、判然とした感覚へ訴えるものとはまた異質の、雰囲気とでも言うべき柔和さで言葉を続け、
「そもそも【DuSK KiNG】の同盟プレイヤーが話していた通り、正規プレイヤーであるマダムの生存猶予期間と、その他の者が持つ生存猶予期間は扱いこそ似た部分もありますが、根本的にはまったく異なるパラメーターなのです。ゆえに代替も交換も、残念ですが不可能だとしか申せません。それに、もし仮にそれが可能だったとしても、マダムの擁する兵員は249。その中でも生存猶予期間に余裕が無い者だけに絞って考えても、マダムが今お持ちの生存猶予期間だけではとても賄いきれないでしょう。まさしく焼け石に水。お気持ちはお察しいたしますが、どうか冷静に状況をお考えになってご決断ください。お苦しみは重々承知しておりますが、残された時間はわずかであるということもご理解いただかねば、最悪の結果を招きかねませんので……」
意図的に自らの表情を隠すように腰を折って低頭すると、その姿勢のまま、名残を惜しむような語尾を引き摺りながらすべてを言い終え、声を止めた。
いや、ひと目、見ただけでも分かる彩香の弱り果てた姿に、止めざるを得なかったというべきか。
肉体的にではなく、精神的に疲弊しきったその姿に。
ところが。
「……もう少し……」
返事などする余裕も枯れて見えたはずの彩香がやおら、変わらず力無い声ではあろうとも言葉を返してきたのへ【NooN JaCK】は思いがけず驚き、次いで、
「……もう少しでいい……時間をくれ。私の身勝手な持論で、出さなくてもいい犠牲をださないために……私に……私の常識を殺す時間をくれ……」
聞き終えたときにはそれをすら超え、顔色を失っていた。
と同時、自分自身に対して堪え難いほどの怒りを感じた。
あまりに、軽薄な不信を抱いていた自分に。
あまりに、芯の無い信しか持っていなかった自身に。
一瞬ではない。一度ともいえない。数度、自分は彼女……同盟者である彩香を(本当は心弱い人物)ではないかと疑ってしまったその事実に。
一旦、信じると決めておきながら、さしたる根拠も無くただ、目で捉え感じた弱さだけを引き合いに出し、軽々しく疑念を抱いた。それが実際はどうだろう。
態度も声も、いまだか弱く、少しでも力を加えれば押し潰されそうでありながら、彩香ははっきりと言明したのである。
(他者を守るためなら、自らの矜持すら捨てる)と。
そして、【NooN JaCK】にはそれがどれほど困難なことであるか分かっていた。
人にとって、矜持を捨てることは命を捨てることにも等しい。
ともすれば命を擲つより辛く、苦しい選択だと。
が、彩香はそれを実行すると言った。
文脈こそ違え、同じ意味を持つ言葉を。
苦鳴のように、喉から搾り出したのである。
刹那。
【NooN JaCK】はただ静かに、しかし見事なほど流麗かつ丁重に、彩香へ向かい深く頭を下げた。
謝罪の意味も有る。だがそれだけではない。
己に対する忸怩、彩香への感銘、それと何より、
金輪際、揺るがぬと定めた信憑を込めて。
もちろん、顔を伏せたままの彩香にその所作は見えていない。
【NooN JaCK】もまた、知られようと成しているのでもない。
その証拠に彼はその後、彩香の回復を待たず、声ひとつ出さず、その場を去った。
空気を擦る微細な足音さえ消し、ドアノブを回す際の金具が移動する音さえ消し、言われたとおり。
時間だけを置き残し。
果たして、数時間後。
【MoNiToR RooM】で待機していた【NooN JaCK】の前へ現れることになる彩香に、どういった変化があったのか。
それは当事者にしか知る由も無いが、少なくとも、
これをもってついに洋介の姦計がその意味と力を持ち始めてしまったのは、そうなるべくしてなった事柄とはいえ、皮肉というほかに表現の法を知らない。




