TeMPoRaRiLY SToReD [4th SYSTeM SLeeP]
「……つまり、要約すれば『考えても仕方のないことは後回しにして、まず目先のことに専念しろ』……というところか?」
「そういうこと。悩むのなんて生き延びた後でいくらだってできる。とにかく当面は生き延びることだけ考えるのが最も実利的、かつ精神衛生上も好ましい選択だよ」
「そう……だな。ありがとう、少しだけ気が楽になった……」
か細い声を無理に張って答え、彩香は博和から外した視線を落とすと、うつむいたままベッドの端に腰掛けて沈黙する。
楽になったのは事実だが、それでもまだ整理しきれない自身の思考と感情へ折り合いをつけるために。
どちらにせよ今しばらく、彼女には自分の内面を見つめ直す時間が必要なのだろうことは、その場にいれば【NooN JaCK】や博和でなくとも察せられるレベルであった。
と。
「さ、て……ところで【NooN JaCK】。すまないけど、ちょっとトイレへ案内してもらえないかな? いかんせん場所は聞いて分かってるんだが、こう不慣れなとこだとひとりは正直、怖いんだ。女性を前にして大の男がこんなこと言うのは情けない限りなんだけどね」
照れくさそうにしつつ、博和は自然と【NooN JaCK】へ近づきながら願い出た。
気付く者なら気づくだろう、不自然なほどの自然さで。
そして。
ほどなく手を伸ばせば届くほどまで近いづいたころ、【NooN JaCK】に対しアイコンタクトを送る。
ベッドへ座る彩香には決して見えない角度から。
するとこれに何かを察してか、
「……いいでしょう。マダム、少々離席いたします。何かあればすぐにお呼びください」
そう断わりを入れて彩香を見た。
戻ってきたのは、なお顔を伏せた状態で視線も向けず、小さく上げた手のひらを振る動作だけ。
(行って来い)という、最低限の合図。
これを受け、【NooN JaCK】もまた声ではなく、深く一礼するのみで答えると、早々に連れ立ってスライドドアを抜け、部屋を後にした。
四つの部屋への分岐に出、話した言葉通り【ReST RooM】の表記がされたドアへと足を踏み入れる。
ここもまたモニター室……ドアの表記は【MoNiToR RooM】となっていたが……や、【BeD RooM】に同じく、必要以上の広さではあったものの、ひとまず一般的な【ReST RooM】の広さの範疇には収まっていた。
男性用の便器は存在せず、大き目の個室がふたつ並び、これもやはり大き目の洗面台がふたつ、壁に取り付けられた縦2メートル・横4メートルほどはありそうな一枚鏡の下から飛び出している。
個人宅のものとしては過ぎた大きさだが、大手の百貨店などにあるようなものとして考えれば、さほどに無茶なサイズではない。
とはいえ、
装飾らしき装飾などは何も無く、色調はやはり統一されたモノクロ。
白か黒か。それとも濃淡の違う灰色か。その程度しか存在しない。
妙に高い天井から照りつけるLED灯は、数も光量もトイレという場に合わせて抑えているらしく、巨大なモニターの光だけが頼りの【MoNiToR RooM】と比べれば結構な明るさではあるものの、やはりどこか薄暗い印象を受ける。
使用感の無い乾燥した水回りから漂う微かな塩素の匂いだけが、視覚的な意味以外でここがトイレなのだと淡い主張をしていた。
「それで」
閉め切った空間。
彩香のいる【BeD RooM】からは狭い間とドア二枚を隔て、限定した者のみでの会話が可能になった空間。
そのことをいち早く察知してか、始めの一声は【NooN JaCK】によってもたらされた。
「要件は何です? 回りくどい手を使ってまでわたくしとふたりきりになったということは、マダムには聞かせたくないような要件ですか? しかし、それなりの理由がある内容でなければ、わたくしはマダムへ秘密を作るつもりはありませんよ。特に、秘匿することでマダムに不都合を与える可能性があると判断した場合、即刻その内容をご報告するでしょう」
抑揚の無い中にも確かに感じ取れる威圧を含め、【NooN JaCK】は自分に背を向けたままの博和へ釘を刺す。
最優先すべきことは彩香の利益。それ以外のことはあらゆる手を使ってでも排除する。
実際に話されたことなど無いにもかかわらず伝わってくる【NooN JaCK】の意思と意志。
ほとんど本能に近いそれを言外に感じ取りながら、なおも振り返らずに博和は、
「いや、そういった心配はしなくていい。大体、彼女が不利な立場になって僕が得する要素なんてひとつも無いからね。むしろ……そうならないための……」
急に言い淀み、途中で言葉を切るや、博和は悩ましげに頭をガリガリと掻きむしると、溜め息と聞き間違えそうな深呼吸をしておもむろに【NooN JaCK】へと振り返り、複雑な表情を晒して言葉を継ぐや、
「なんというか……君には彼女を守ってほしいんだよ」
言ったものだが即座、
「守っていますよ。そして今後も守り続けます。君に言われるまでも無く」
【NooN JaCK】は答えた。
が。
「……違うんだ。君の思ってる意味合いと、僕の言いたいことはつまり……」
半ば、そう切り替えされてくるのを予期していたといった調子ですぐにまた言葉をつなぎつつ、博和はどうしたら自分が伝えようとしていることを【NooN JaCK】が理解してくれるのかと苛立った身振りを交えてからしばらくし、意を決したように、
「このままだと遠からず、彼女は壊れるぞ」
真剣な眼差しを向け、決然として言い切る。
刹那。
それまで完璧なまでに落ち着きを払い、感情の揺らぎなど一切見せることの無かった【NooN JaCK】の表情がにわかに変わった。
細めた目は大きく見開かれ、真一文字に閉じられた唇は色を失い、緊張でこわばった首元へ筋が浮き出る。
しかし、博和はそんな【NooN JaCK】の変化をむしろ歓迎してさらに話し続けた。
これから何もしなければどうなるのか。
これから何もしなければどうなってしまうのか。
そうした危機感を抱いてもらった状態でなければ、自分がいくらこんな話をしたところで、恐らく馬耳東風と聞き流されるだろうことが目に見えていたからである。
なればこそ、博和は高い可能性で話が通る算段への喜びと、その話の中でしなければならない今後の予測に関する極めて絶望的な事柄への恐怖と不安を綯い交ぜにした複雑な心境で言葉を紡いでゆく。
「この話は多分に憶測が入る。そこは認めるよ。それに僕もこういったことは専門家ってわけじゃない。ただ、そういうことを差し引いても、僕の経験的に今の状況は睦月さんみたいな人間にとって相当に危ないと思う。何せ現状、敵対してる【DuSK KiNG】がもし僕の考えている通りの手合いなら、間違い無く最も残忍で狡猾な作戦を仕掛けてくる。そしてその作用が誰より早く、しかも最悪の形で出てくるのは彼女だ。性格面から見て、この作戦は彼女みたいなタイプにとって恐ろしく効果的……」
転瞬。
途中であるのも構わず突如、【NooN JaCK】は博和の胸倉を両手で締め上げるように掴み上げ、話を中断させた。
間近へ引き寄せた博和の眼を血走った己が双眸で睨みつけ、服を引きちぎらんばかり力を込めた両腕で博和を足が浮いた状態にまですると、
「……何故……貴様にそんなことが分かる……」
地獄の底から響き渡るような忿怒の声を漏らし、問う。
問わざるを得ずに、問う。
とてもではないが承服できない博和の話に、自身でも驚くほど冷静さを欠いて。
ところが。
博和は苦しげな様子すら伺わせず、
「簡単さ。【DuSK KiNG】は何もしないで、ただ時間を稼いでるだけで僕らを壊せる」
中途で断ち切られた話を再開した。
「このゲーム……【eNDLeSS・BaBeL】の怖いところは何も生存猶予期間が切れて殺処分されることや、戦いの中で相手に殺されることだけじゃない。考えてもみろよ。世の中にいるほとんどの人間は、自分が生き延びるために他人を殺すことに罪悪感や自責の念を抱く。大なり小なりの差こそあれ、だ。そして同じくらい、ほとんどの人間は自分と他人の命を天秤にかけた場合、他人を殺せちまう。当然だよ。いくら人間が高度な理性や知性を持っているといっても、所詮は生物なんだ。生存本能が道徳心を上回るほうが自然さ。だけど、だからといって生き延びられたらそれで万事解決とはいかないのも人間なんだよ。自分が生きるために殺した相手への罪の意識はそうそう消えない。大抵はそれを引きずって生き続けなきゃならない。下手をすれば……いや、下手をしなくても死ぬよりつらいだろう。特に正義感の強い人間ならなおのこと……睦月さんみたいな、良心に沿って動く人間ならなおのこと……ね」
「黙れ……マダムは……あの方は強い方だ……その程度のことで心折れたりなど……」
「強さと弱さってのは紙一重なんだよ【NooN JaCK】。だからこそ怖いのさ。強い人ほど折れる時は一瞬だ。徐々に壊れていくならまだ良いが、一瞬でとなると考えたくも無いことを考えなきゃいけない。気をつけろ【NooN JaCK】。もしも彼女みたいな人間が壊れたら、その時はそれこそ自分で自分を……」
言い止し、博和は右手の親指と人差し指を立てて自らのこめかみへ持ってくると、その指先を突きつけ、引き金を引いた銃が跳ね上がるのに模して指を弾くや、
「……やりかねないぞ」
睨み据えてくる【NooN JaCK】の眼を厳しく見つめ返し、言う。
瞬間。
【NooN JaCK】の顔は驚愕の一色に染まり、急に萎えた腕は博和を床へ下ろし、
その瞳は、
しばし限界を超えて見開かれ、ただ茫然と、視線を虚空に彷徨わせた。




