TeMPoRaRiLY SToReD [1st SYSTeM SLeeP]
桂一、彩香、英也の三人による決死の攻勢が、実に見切りの早い洋介の判断によって【BiND oVeR】実行という一応の結末を迎えたのは結果的に作戦開始後、わずか10分弱のことであった。
これによってもたらされた桂一の利運はふたつ。
ひとつは、【DuSK KiNG】側からの【BiND oVeR】実行アナウンスが流れて数分と待たず、彩香が通信をつなぎ、そこへ英也も顔を出してきたこと。
モニター上で桂一の安否を確認するや、ほっとした顔をしたのも束の間、すぐさま彩香は自分の生存猶予期間から28時間を、英也は10時間を桂一へ返還し、それぞれに、
『では、お互いにまた状況が変化したら連絡を取ることにしよう。それまではまず、どうにか生存猶予期間を確保するのが先決だ。気は乗らないが……』
今後を考えて苦々しく彩香は言って通信を切り、
『すまないが、今は10時間がこちらの出せる精いっぱいでね。残りは出世払いということで頼むよ』
本心の不安は隠しつつ、苦笑交じりに英也も通信を切った。
途端、ようやく当面の窮地からは脱したのだという実感が湧き、思わず桂一は椅子の背もたれへ完全に身を任せ、脱力して天を仰ぐと自然に両目を閉じる。
すると。
「桂一さーん、お疲れなのは分かりますけど、こんなとこで寝たら起きた時に体中がギシギシいっちゃいますよー。寝るならちゃんとベッドで寝ないとー」
危うく不意の睡魔に意識をもっていかれそうになった刹那、いつものどこかふざけた調子をした【NiGHT JoKeR】の声がすんでのところで桂一の瞼を開かせた。
そこへ飛び込んできたのは自分の顔を上から覗き込む【NiGHT JoKeR】の顔。
奇妙なほど無邪気に微笑むその顔からは、先刻までの忌まわしい雰囲気はまるで感じ取れない。
ただ。
抜けるように白く、柔らかそうな頬辺りから首筋にかけ、ところどころに乾いて固着した血液が見て取れるのがより彼女の不気味さを助長していたが。
思っていると、桂一が次に(ベッドでと言われても、そんなものがどこに?)という疑問へ思考が移るより早く、すいと【NiGHT JoKeR】は身を視界から引き込めると、そのまま足音だけを数歩、桂一の真後ろへと向かわせるや、
瞬間、桂一は目に強い痛みを感じた。
これへ何事かと身を起こし、椅子を回転させて後方を見ると、原因はひどく容易に知れる。
新たな光源の出現。
モニターの発する淡い光源などではなく、もっと強く、明瞭な光源。
それが自分の背後に存在することも知らなかったドアから漏れ出しているのを目にし、加えて、新たな光に照らされて映える、全身血塗れた【NiGHT JoKeR】が、
「さ、こっちですよー」
言って招く姿を捉えてからは、ほとんど流れ作業のように事態は進んでいった。
誘われるまま、酩酊したが如く定まらな足元をなんとか整えてドアまで歩み寄ってみると、実際にはそれほど大した光量が内側から発せられているわけではないことに気が付く。
開かれたドアの中が異常に明るいのではない。
単に自分が今までいたモニタールームが、異常に暗かった。
そういった誤差による錯覚である。
さて。
そんなドアを抜けた先はまた一風、変わった空間。
部屋と呼ぶにはあまりに狭く、さりとて重要な空間。
もっとも的確な表現をするなら、そこは分岐点とでも呼ぶべき場所であった。
広さは電話ボックスをふた回り程度、広くした程度。畳なら半畳といった広さ。
そこに今、抜けてきたドアを含めて四方すべてにドア。
左のドアには【ReST RooM】の表記。
右のドアには【BaTH RooM(浴室)】の表記。
そして正面ドアには【BeD RooM(寝室)】の表記。
遅まきながら、ここまで見て始めて桂一はモニター室を含めたすべてのドアがスライド式であることを知る。
分岐のための空間が半畳しかないという息苦しい構造を思えば、このような造りはむしろ自然ですらあろう。
などと考えているうち。
促されて入ったのは当然と言うべきか、正面ドア。寝室。
と、ここでもまた桂一は入室した部屋の異様に気圧されることとなる。
一見、そこは総合病院などの比較的大きな入院棟の病室……そんな一室のように見えた。
天井へ規則的に並んだ丸いLED灯、正方形をした飾り気のない無味乾燥といったデザイン。
そうした要素だけを抜き出せば、そう感じる。
しかし、明らかに異なる。
これまでに見てきたいくつかの部屋と同じように、ここもまたやはり正常とはとても呼べない造りをしていた。
まず、その広さ。
目に付いたベッドはふたつ。並び置かれたそれの大きさはセミダブルサイズらしかったが、だとしてもこの部屋の広さは異常としか言い様が無かった。
如何に大きなベッドだったとしても、仮に置かれていたベッドがキングサイズだったとしても、それを置くだけのために目算で約300平米超の空間など必要とする意味は理解できない。
不必要に高い天井。不必要に広い部屋。不必要な、ふたつのベッド。
だが何より桂一を戸惑わせたのは、
入室した際のドアとちょうど対象に位置する壁。
いや、それを壁と呼ぶのは適切ではない。
かといって窓という表現もおかしげになるが、ともかくこれまでで始めて自分のいる建物内の外……外界を目に出来る構造物がそこにはあった。
材質までは分からないものの、透明度からしてガラスかアクリルだろうことまでは察しが付く。
それが壁の代わり、部屋の一面を構成している。
あまりにも馬鹿げた光景を透き通らせて。
最初こそ目の前の光景が何なのか分からず、迷いさえしたが、しばらくするや冷静な視点を取り戻した桂一はその風景の正体と異常性を同時に把握した。
広がっている光景、それは下に雲海。上にどこまでも際限なく広がる青天。
そしてその中心には、
信じ難いことに、人工の建造物が雲海を穿ち、さらになお空へと向かって伸びている。
この光景にしばし、閉塞した空間に慣れていたのへ加え、完全に喪失しかかった現実感で桂一がめまいにも似た感覚を味わっていると、
「あ、それとー」
いつの間にか少し離れた位置から聞こえてきた【NiGHT JoKeR】の声へ顔を向けるや、緩やかな放物線を描いて何かが桂一に向かって飛んできた。
咄嗟、反射的にそれらを胸と両手で抱えるように受け止める。
見れば何のことは無い。ペットボトル入りの水と、何の記載もされていない長方形をしたアルミパックだった。
「もうかれこれ何時間も飲まず食わずでしょー? 寝る前に飲み食いするのは良くないって話ですけど、さすがに少しはお腹に入れとかないと体力が回復してくれないですからねー」
言われて、桂一は渡された物の正体を察する。
ペットボトルの水はそのまま、単に水。
アルミパックの中身は重さと感触からして恐らくハードビスケットか何かだろう。
確かに、空腹や喉の渇きをすら感じる余裕がなかっただけに、一応の栄養摂取はしておかないとこの先、身が持たないだろうことは容易に想像がつく。
思い、とりあえず水を口にしようかと桂一がペットボトルの口をつまんでひねろうとした矢先、
「本当は出来れば先にお風呂を済ませてもらいたいってゆうのもありますけどねー。シーツを取り替えても、汗とかの匂いってマットレスに染みついちゃいますしー? ま、いずれにせよ先に僕はお風呂いただいてきますよー。さすがにこんだけ汚れると、お湯に浸からなきゃ気持ち悪いですんでー」
もうドアの前まで移動していた【NiGHT JoKeR】が言い残し、部屋を出たと同時、ふとボトルのキャップへかけていた自分の左手から微かに見える生存猶予期間の数字を目にして無意識、桂一は小さく嘆息した。
601時間。
とても戦闘以前の段階では予想もできなかった数字。
無論、これには【NiGHT JoKeR】の周到かつ反則的な行為が関係しているものの、今となっては桂一もそれについてどうこう言うつもりは無い。
ただし、純粋に好奇心という面で、何をどうやってこのような結果を招いたのかを聞きたいとは思っていたが、そうした思考に露の間、手の動きを止めたその時、
「なんなら桂一さん、一緒に入りますー? 僕は構いませんけどー」
やにわ、半開きにしたドアの間からすでに服は脱ぎ終えているだろうことが即座と分かる、白い肩口とわずかに覗く柔らかそうな乳房の隆起と一緒、横から顔を出し、いたずらっぽい笑みを浮かべて問う【NiGHT JoKeR】へ桂一は、
「……冗談でも言うな。そういうのは……」
不愉快そうに返して目を逸らす。
そんな桂一の様子へ、ことさら楽しそうな笑い声をケタケタと響かせ、部屋から消える【NiGHT JoKeR】の足音と、声を耳にしながら。




