eXeCuTaBLe FiLe [NiGHT JoKeR 03]
気が付くと。
また知らぬ間、場所を移動していることをまず自覚した。
それも、何やら既視感のある場所へと。
一面をコンクリートだけで構築された、広大なフロア。
一度は直接、自分がいた。彩香と英也も一緒に。
一度は間接的、モニター上で見せられた。
ただ、断片的に聞いてきた話の内容と、【NiGHT JoKeR】の口振りから察するに、恐らくはここも同じように見えて同一の場所ではないのだろう。
そこだけは分かる。
その証拠に、というわけでもないが。
造りはそっくりでも、全体から漂ってくる雰囲気が明らかに異なった。
よく注意を払ってみれば、ところどころの柱の陰へ無気力にうずくまっている者や、少ないながらも存在する人目も気にせず、ただ床へ伏せて泣き崩れているような者なども散見できる。
どちらにせよ桂一が見てきたふたつの似通ったフロアとはまるで様子が違う。
それだけでも、この場所がそれら以前のものとはまた別物なのだということを感覚的に認識させてくれた。
と。
静かに己の内で考えをまとめる桂一へ、背後から無思慮な呼び掛けが上がる。
「どうです、壮観でしょー? 殺風景に殺風景を重ねたような、だたっ広―いだけの空間で無為に、無気力に、はたまた悲観に暮れてるだけのゴミが、辺りそこらじゅうへ点々としてる様ときたら、まー……何とも、すり潰し甲斐があるというかー……」
声に反応し、桂一は予想通り自分の後ろへ【NiGHT JoKeR】の姿を認めたが、当の【NiGHT JoKeR】は自分から話し掛けておきながら、ひとりで勝手にしゃべり続けた。
広い広い、灰色のフロアを見回しつつ。
「とは言うもののー? 今回はほとんど純粋に駒を集めるのが目的ですし、桂一さんの生存猶予期間を延ばすためのゴミ掃除に関しては、まあ片手間程度でやっていくとしましょっかねー。何せ、形だけとはいえ一応の信用をあのふたりのプレイヤーから取りつけるための無茶を、まずはこなさなくっちゃあいけませんから。今はひとまず、優先順位を決めて取り掛かるといたしましょー」
わざとらしく拳を掲げ、そう話す【NiGHT JoKeR】に、桂一も桂一で問いたいことが無いわけではなかった。
が、いかんせん質問したいと思っている問題が多すぎて、自分でもそれを取捨選択できずにいる。
少し前の【NiGHT JoKeR】の言葉ではないが、優先順位が難しいのだ。
こうも問いたいことが山積している場合、一度にすべてを聞くのは時間的に逼迫している現状では現実的ではないし、常識的でもない。
とりあえず、まずこれだけは聞いておかなければというものをまとめ、そのうえで聞くのが妥当だろうと。
そう考え、理想しても、それをいざ実行するとなると、ほとんどの人間はそう思う通りに上手くやれるほど、器用には出来ていないのである。
もちろん、まだ短い時間しか関わり合っていないので断定はできないものの、この姿も性格も行動も言動も、感じ取れる範囲のすべてが異常な少女が、普通に質問して素直に本当のことを話してくれるとは思えないという理由もあった。
特につい先ほど、彩香と英也……付け加えるとすれば、【NooN JaCK】と【DaWN QueeN】といった面々全員に、一方的な不審を抱かれたせいで、精神的にもかなり不安定になってしまっている桂一にとっては、これだけで二の足を踏ませるのには充分すぎると言ってよい。
年も若い。人生経験も浅い。そんな桂一が、こうした理解不能な状況に重ねて、他者から急に猜疑の姿勢を向けられたら、それは神経のひとつもおかしくなってくる。
今はまだ擦り切れた程度で済んでいるが、このような状態が長く続けば早晩、精神の均衡を保てなくなるか、もっとひどければ錯乱ぐらい起こしても不思議ではないとさえ思う。
正気を維持するだけでも苦労しているのに、そこへ持ってきて難解な思考をしろと言っても無理なものは無理な話。
だからあえて、桂一は自身の中の疑問を残らず飲み込んだまま、しばらく様子を見ることに決めた。
ともかく、最小限度の会話のみに止め、この【NiGHT JoKeR】とやらが何を考えているのかを探ろうと。
それからでなければ仮にするべき質問を絞り込めて、実際に問えたところで、なんやかやと煙に巻かれるのが目に見えている。
同じ神経を擦り減らすなら、出来るだけダメージは小さいほうが良いに決まっている。
そういった結論からの消極。最終的にはそういう答えを導き出した。
そして。
この桂一の判断は、思っていた以上に正鵠を射たものだったと、少しずつ自覚し始めることとなる。
「ところで桂一さーん?」
「ん……は?」
「本当だったら、僕のお願いを無視してあのふたりに無駄な口をきいたから、罰として何も教えてあげなーい、とかとも思っていたんですけど……先ほどから黙りこくってる様子を見るに、きちんと反省はしてくれたようですしねー。一応、基本的な部分くらいだけは話しておいてあげることにいたしましょうかー?」
返事にもなっていない桂一の返事を聞き流しながら、言って【NiGHT JoKeR】は勝手にひとりで話し始めた。
実際、なってしまえば簡単なこと。
つまり、【NiGHT JoKeR】は気分屋……それも相当の天邪鬼なのだろう。
だから聞かれれば答えない。
けれど聞かれなければ答える。
多少の差異はあるとしても、思っていたよりは扱いが難しくは無さそうだと考え、桂一は心の中で軽く安堵の吐息を漏らすとともに、下手をするとただのおしゃべりにしか聞こえない【NiGHT JoKeR】の話へ、真剣に耳を傾けた。
「まあ、あのふたりの反応も、むべなるかなとは思いますよー。僕が同じ立場だったとしても、同じような反応すると思いますからー。でも、だからといって安易に相手へ感情移入すれば、それはそのまま心の隙になってしまいますしねー。命懸けの戦場で軽々しく誰かに隙を見せるのは、最上級のバカがやるべき愚行であって、間違っても僕の同盟者である桂一さんにやられちゃあ困るわけです。何といいますかねー……詰まる所、『気の毒には思っても、同情はするな』って感じでしょうか?」
言いつつ、【NiGHT JoKeR】は自分の指で自分のこめかみを突いて見せる。
どういったニュアンスであるかは受け取り方による。
同情は隙を生み、隙を見せれば自滅するという意味か。
もしくは気の毒に思うことと同情することとには、似ているが大きな違いがあるぞと桂一の考えを戒めているのか。
何にしろ、しばらくは聞き役に徹すると決めた桂一にはさほど考える必要のある事柄でもない。
そこで、聞き役は聞き役でも、桂一は少しばかり知恵を働かせ、【NiGHT JoKeR】へちょっとした探りを入れてみた。
「……リストに無いサーバ……」
小声で、独り言のように。
それでいて微かには【NiGHT JoKeR】へ聞こえるようにと、桂一はつぶやく。
無論、わざと。
結果は至って上々。
気になったのか、自分を見つめてきた【NiGHT JoKeR】に気づかぬふりをし、決して目など合わせずにひとり、考え込んでいる素振りを続けていると、
「ふうん……気になります? というか、当たり前かもしれませんねー。いきなりリストにも載っていないサーバを指定させて飛んできたんですから、仕方ないかー……あ、言っておきますけどこれ、サービスですよ?」
見事に話へ乗ってきた。
聞きたい話題を普通に振っても答えが得られないと分かっているなら、思ってはいても聞きはしないという体を取ればいい。
そうすれば聞きたい話へかなり簡単に誘導できる。
学び取り、満足するのもそこそこ、桂一は再び繰り出される【NiGHT JoKeR】の一方的な話を聞く。
「公称ではー、【eNDLeSS・BaBeL】のサーバ数は現在、65サーバだと言っていますねー。けど、これは別に嘘でもなんでもないんですよ。本当に65サーバだけなんです。(メイン・サーバ)は」
特徴的な……嘘はつかないが、常にどこかしらを隠しながら徐々に見せてゆく、下品な表現をするならストリップのような話し方を続け、なお【NiGHT JoKeR】は言葉を継いだ。
「ここまで説明一切無しというのは、さすがに僕も意地悪が過ぎると思いますしー、少しだけお話しするとしましょう。いいですかー? 桂一さん。僕が何も言わず、無理やりこのサブ・サーバのひとつである(サクラメント・サーバ)へ来させたのには当然理由があります。ひどく平易に言ってしまえば、(無茶をするための準備としての無茶)とでも言いますかねー。まあ、その辺りは大切なんで、詳しくお話ししてあげましょー」
言うや、【NiGHT JoKeR】は指を立てた手をぐるりと回し、暗に周囲を見るよう桂一に示すと、そのまま口を動かす。
「まともに考えた場合、今回の作戦で主力を務めることになる僕たちは、ひとりでも多くの戦力が必要だという解答に行きつくのが普通でしょう。何といっても、この作戦を成功させる大前提は、(【DuSK KiNG】の所有階層を攻めたとして、勝てないまでも負けない程度の戦力を有していること)ですからね。だけど、けど、でも、です」
話しながら若干、【NiGHT JoKeR】の声のトーンが上がる。
ふざけた調子こそ変わらないが、明らか気が昂ったのを感じ取れるほどに。
「その大前提がまず普通に考えたら不可能なんですよ。【DuSK KiNG】の兵力は限界値の8192。所有階層が多いので兵力を常駐させたりはしてませんけど、どちらにせよ、こちらが攻撃を仕掛ければ自動的に警報が鳴りますから、即座に防衛のための兵力を回してくる。となると残り生存猶予期間から逆算して、所有階層を9失ったと考えられる【DaWN QueeN】が用意できる兵力は最大247。同じく、7階層を失ったであろう【NooN JaCK】は249。で、無傷の僕たちでも誤差範囲の256。仮に上手く全員が最大兵力を集められたとしても、合計わずか752。単純な数字だけでも兵力差、実に約11倍。戦場が一カ所限定と仮定してすらこの絶望的数字。加えて【DuSK KiNG】は自戦力を優々と多方面に展開できる、兵力数に余裕があるのは言うまでもなく、こちらがもし戦力を連合したら、奇跡的にそこで勝利できても、もうその先が無くなっちゃうわけですよね。一度の戦術的勝利なんて、戦略上で勝利する方法が無ければ骨折り損も骨折り損。無意味もいいところなんです。お分かりですかー? 桂一さん、この意味」
不意。
【NiGHT JoKeR】はいきなり同じ歩調で歩いていた桂一の顔を覗き込み、質問を仕掛けてきた。
一方的、語っているものと思い、ただ聞くに徹していた桂一には、このにわかな問いへ多少なりと驚きはしたものの、動揺までには至らなかった。
そぞろに話を聞いていたわけではない。
意図した無言であったし、考えを整理する意味も含め、話は集中して聞いていた。
だから。
突然の問いかけにも桂一は、さほども間も置かず冷静に、明瞭な答えを返した。
「……全体勝利……とまではいかなくとも、せめて敵の侵攻そのものを止められるほど大掛かりな……つまり戦術レベルでの勝利は当然ながら、戦略レベル上でも勝つか、最悪、負けはしないといった条件もクリアできなくちゃ、俺たちに生き延びる道は無い……そんな感じか?」
刹那。
やにわに【NiGHT JoKeR】は足を止める。
何の前触れも無く、卒爾。
しかもよく見れば、動きを止めたのは足だけではなかった。
全身。くまなく全身。
まるでその場へ【NiGHT JoKeR】だけが切り抜かれたように、微動だにせず、声も出さず、部分的に時間でも止まったのかと思えるほど、不自然なまでに静止して直立している。
そう思ったのも束の間、
「Superb(素晴らしい)!!」
途端、大音声。
一瞬の硬直を経て【NiGHT JoKeR】は、大袈裟に両手を広げるや、異質な灰色の空間、その隅々まで響き渡るような感嘆の声を上げる。
翻した体とともに桂一へと向けたその顔に、邪気無きがゆえ、なお邪悪な印象を与えるという、複雑かつ気疎い笑顔を浮かべて。
すると。
急に【NiGHT JoKeR】は飛び掛かるように勢いよく、ずいと桂一の顔へ己の顔を触れるか触れまいかまで接近させ、
「……Okay-dokey.桂一さん、認めましょう。精神面の脆弱さに関してはこの際、思い切って目をつぶるとして、貴方のゲームセンスと頭脳をね。だから特別サービスです。僕を失望させなかったご褒美に、僕も誠意を以てご説明いたしましょうか。何故にメイン・サーバではなく、このサブ・サーバ……その中でもこのサクラメント・サーバへ訪れたのかを……」
近すぎて焦点が合わず、ぼやけて見える薄紅色の口元を動かし、甘く、生温かい息へ乗せ、言葉を続ける。
「メイン・サーバがゲーム・サーバとして機能しているのに対して、サブ・サーバはこと
【eNDLeSS・BaBeL】に関して、監視と情報の集積・分析をするためのサンプルを集めている研究用サーバなんです。なので、メイン・サーバには無い(ユニーク)なプレイヤーデータが存在しているわけですよ。そう……とても、とても(ユニーク)なプレイヤーデータ……いくつものプレイヤーデータを基に作られた、ね。それを手駒にするために、わざわざこんなとこへ飛んできたんです。すべてのサブ・サーバが海外……アメリカに設置されていると知ったとしたなら、【NooN JaCK】と【DaWN QueeN】が同盟しているあのふたり、少しは察しがつくかもですけど、まあそんなこと僕たちにはどうだっていい話ですから忘れましょう。だって」
瞬刻。
ピントのずれた【NiGHT JoKeR】の口元は歪み、
「ゲームを楽しむこと。それだけ。そして今はそのために必要な駒を揃えることだけ考えていればいい。そう思いません? ねえ、桂一さん」
桃色に霞むその中から、ぎらりと剥き出された歯と思しき、不気味な白い輝きが桂一の瞳を突いた。




