eXeCuTaBLe FiLe [NooN JaCK 02]
「……【NooN JaCK】……さっきのは、いかんせん勇み足が過ぎたぞ。今後は厳に慎んでもらわないと困る。まあ、次があればの話になるが……」
「申し訳ございませんでした、マダム」
相変わらず、無表情で抑揚の無い返事をし、深々と頭を下げる【NooN JaCK】を見つつ、彩香はどのくらい自分の感じている危機感が彼に伝わっているのか読み取れず、思わず溜め息を漏らす。
先ほどのやり取りで、間違い無く桂一は少なからぬショックを受けただろうし、自分たちが口には出さずとも彼に対して不審を抱いていると思われたのは確実だろう。
そうなると、ただでさえ目先の生き残りに注力しなければいけない状況が、悪くなりこそすれ、良くなったとは言い難い。
同じ境遇の者同士、協力して動かなければいけない時に、これは最悪の事態とまでは言わないまでも、かなり悪い事態になってしまったのは確かだった。
だが。
「ですがマダム」
彩香に向かい、下げた頭を引き起こしながら、【NooN JaCK】は話し出す。
「いずれ事実は知れること。それを下手に先延ばしにすれば、無用な不審の種を生む危険はむしろ増していたはずです。真に信頼関係を築こうとお考えになるなら、まずこちらが率先して誠実な態度を取るべきでしょう。長い目で見たなら、偽らざる姿勢こそが何よりも強い信用を得る手段なのですから」
「君の言うことは確かに正しいよ。それは私も認める。しかし物事にはタイミングというものがある。それは時間的余裕のある状況での正しさでしかない。今のような、まさしく一分一秒を争うような状況では、悪手とまでは言わないが、好手とはとても言えないぞ」
苛立ちを隠せず、少しきつい口調で彩香は返したが、【NooN JaCK】のほうはなお自説を説き続けた。
「だからこそです。こういった状況だからこそ、妙な隠し立ては致命的になるのです。今一時の危険を避けても、その数倍に値する後の不安要素を抱えてしまっては元も子もないでしょう。信頼とは、一貫した態度でいてこそ得られるもの。風見鶏のようにあちこちと向いていては、良くしても優柔不断な人物ととられてしまいます。そんな人間が一体、誰の信用を得られるというのです? 聡明なマダムなら、ご自分の立場に置き換えて考えてみれば、おのずと答えはこれしかないとお分かりになられるはずです」
「……」
こうまで言われ、ついに彩香も反論を止める。
言いたいことは多いものの、悔しいがそのどれもが感情に根差したものであって、論理的には確実に【NooN JaCK】の論が正しいと分かるだけに、黙する以外の態度を取れなかったのである。
頭では分かっていても、腹で納得できない。
そういう場面において、人というのは何とも精神的に柔弱となってしまう。
特に理性を拠り所にしている大人としての自己を保とうとする人間にとって、こうした自己矛盾は耐え難い苦痛であった。
とはいえ。
「それにマダム」
何事も悪いことばかりではない。
沈黙した彩香を気遣ってか、それとも単に話の続きという意味だけなのかはともかくとして、言葉を継いだ【NooN JaCK】は、決して彩香に不利や不快だけを与えるつもりではないことを、同じく言葉によって証明する。
「サー・ケイイチ……正確には【NiGHT JoKeR】からの提案ではありますが、巧く今回の共同作戦における最大リスクを背負ってもらえたのは大きな意味があります。露骨な点数稼ぎなのは考えるまでも無く察しが付くものですが、だとしても一応の共闘体制はとれたわけですし、まずはこの作戦が成功して以降に改めてサー・ケイイチと話し合われれば良いかと思いますよ。信用するにしろ、信用しないにしろ。共闘体制を維持するにしろ、維持しないにしろ。です」
これを聞き、彩香もようやくお情け程度の理性を取り戻す。
現在、明らかな敵対行動をとっている相手はひとり。
【DuSK KiNG】。その同盟者であるプレイヤー。
英也も彩香も、そしてデータ上は確認できないが、桂一にも攻撃を仕掛けてきた唯一の敵対者。
スタート直後だといえ、三人を相手にいきなり三正面作戦などを仕掛けてきたところから見て、恐らくは相当に実力差があるのだろうと思ってはいたが、その具体的な戦力を英也によって聞かされた時、彩香も桂一も思わず絶望しそうになったものである。
このゲーム……【eNDLeSS・BaBeL】は設定上こそ無限の階層が存在すると謳ってはいるが、当然ながら実際は有限の世界でしかない。
といっても、充分に広大ではあるが。
基本として、【eNDLeSS・BaBeL】は65536の階層で構成されている。
このうち、半分はバックアップ用の領域として存在するため、ゲームをプレイするうえでは特に関わる部分ではない。
よって、残るのは32768階層。
ゲームをスタートすると、初期時点でこの階層内からランダムに256の階層が初期占有階層となり、1階層ごとに一般プレイヤーひとりを自勢力下へ置くことができる。
すなわち初期状態では256人まで自勢力の戦力として確保できることになるが、反面、所有階層を奪われれば、一カ所につき10時間もの生存猶予期間も同時に奪われる。
守るにも攻めるにも戦力となる一般プレイヤーの確保は重要だが、そこばかり気にして所有階層へ固執していると、あっという間に生存猶予期間が切れて殺処分。
なんとも痛し痒しだといえよう。
ちなみに、ひとりのプレイヤーが占有できる階層は上限8192。
無論というべきか、悪い予想は当たるというべきか、【DuSK KiNG】の占有階層は限界値の8192。
つまり8192人の一般プレイヤーを戦力として常時、どこへでも投入できるということになる。
対して、彩香たちはまだスタート直後なため、いくら所有階層があろうともそれは単なる枠でしかない。
一般プレイヤーを招き入れて始めてそれは戦力になるわけで、枠だけでは例えるなら空の財布を持っているだけなのと同じこと。
しかも中身は無いが、盗まれれば損はする。違った形で。
最悪もいいところである。
ゆえに始めてスタートするプレイヤーが取れる手段は【BiND oVeR】で時間を稼ぎ、その間にどう対処するかを考えることぐらいのもの。
さりとて、これも純粋な時間稼ぎでしか無く、ゲームとしてはとっくにバランスが崩壊した圧倒的にもほどがある戦力比の前では、多少の小細工程度で状況打破など不可能だと分かりきっている。
だからこそ【DuSK KiNG】も三正面作戦を平然と仕掛けてきたのだろう。
初期状態のプレイヤーなど、三人同時でも確実に倒せると踏んで。
そしてそれは事実。
紛う事無き事実。
だけに、並みの作戦では駄目。
単純な戦力もそうだが、【DuSK KiNG】のプレイヤーはそれだけ長くこのゲームをプレイしていることになる。
ということは、通常の思考範囲に納まるような凡百の策では見抜かれてさらに手ひどい反撃を喰らうのが必至。
どのみち生き延びる道は無い。
だとすれば。
「作戦が成功したら……ね。正直、賛同しておいて今更だけど、こんな無茶苦茶な作戦が成功するとは、とても思えないけど……」
常識の範疇を超えた作戦を実行するより他は無い。
「そこが最も重要なのですよマダム。まともに考えて、成功の可能性が高いと思うような作戦では、【DuSK KiNG】も思いつかないはずはありません。限り無く非合理的で、突飛な作戦なればこそ、低確率ながらも【DuSK KiNG】の裏をかけるかもしれないのです」
「それでも、(かもしれない)止まりか……」
「他の作戦なら、(かもしれない)すらあり得ませんよ。成功率0パーセントの作戦と、コンマ1パーセントでも成功する可能性のある作戦。選ぶまでもないでしょう」
「……我ながら、愚問だったようだね……」
力無く言い、彩香は自嘲気味な溜め息をつくと、何やら吹っ切れた様子で言葉を続けた。
「まあ、どちらに転ぼうが文字通り、命懸けの状況に変わりは無いわけだし、深く考えすぎても気を病むだけ損だな」
「そういうことです。人間、生まれたからにはいつか必ず死ぬことになります。極論すれば、単にそれが早いか遅いかの違いしか無い。生きている限り、死亡率は100パーセントなのですから」
「面白い言い回しだ……実際は、なかなかそこまで達観できる人間は少ないけどね……」
「慣れの問題ですよ。マダムほどの方なら、さほど時をかけずに至れる境地でしょう」
「また過ぎた買い被りだな……まあ素直に褒め言葉として受け取っておくとするが、それより【NooN JaCK】」
「何でしょう?」
「その(マダム)という呼び方はどうにかならないか? 私はこれでもまだ二十代だし、既婚者でもないぞ」
不機嫌そうに、といって本気で腹を立てているというのではなく、茶化した感じに笑って不満を漏らす彩香に、【NooN JaCK】はまたしても腰を折って首を垂れ、
「それは失礼を……しかし弁解させていただくなら、わたくしが貴女をマダムとお呼びしているのは、そういった意味合いからではありません」
これまた、すいと背筋を伸ばして改め、彩香を真っ直ぐに見つめるや、
「純粋に敬称として……マダム・サヤカ、貴女に心底よりお仕えするという、わたくしの気持ちを言葉に表しただけに過ぎません。それとも、(マム)とお呼びしたほうがよろしゅうございましたか?」
真面目な顔をして言った【NooN JaCK】に、しばし彩香は呆れた顔をすると、
「……それこそ、御免こうむるよ……」
小さく、苦笑を漏らしながら答えた。
が、しかし。
彩香はすぐにわずかな笑みを、顔からも心からも消し去る。
そして。
「にしても……」
椅子をやおら回転させて【NooN JaCK】へ背を向けると、独り言でもささやくようにして、
「桂一……いや、彼は……」
どうにも解を得られそうにない疑問を、
「……何が目的で、いまだに自分の名を……偽り続けているんだ……?」
漏らしつつ、しわを寄せた眉間ごと、額を強く手の中へ押し包んだ。




