eXeCuTaBLe FiLe [NiGHT JoKeR 02]
『そんなわけで、今こうしてふたりと話してる。互いに情報を持ち寄り、置かれている状況の把握と対策を早急に取らねばと思ってね』
数分前。
突然、英也の声が聞こえたと思うや、次にはモニターへその姿が映った時、正直なところ桂一は始めて【NiGHT JoKeR】が姿を見せた時よりも驚いてしまった。
別に通信自体へ驚いたのではない。
単純に、【NiGHT JoKeR】の出現によって自分でも気づかぬうち、異常なほど警戒心が高まっていたのである。
そこに来て、いきなりの通信。
平生の精神状態ならいざ知らず、ひどく神経が鋭敏なっていたところだったゆえの偶発的事故のようなものだった。
ただし。
この場合は誰も実質的な損害を被っていないため、事故は事故でも幸運な事故であったと言えるかもしれない。
とはいえ、それも一時のこと。
短い間ではあったが、直に顔を合わせ、関わった人間。
しかも同じ境遇ともなれば、未知の土地でひとりきり、迷子にでもなった心境だった桂一にとっては、落ち着いてしまえば転じて嬉しさと安らぎに変わる。
どちらも現状では極めて貴重な感情。
特に、しばらくしてモニターが縦に二分割され、彩香も通信に加わった際にはその心地もピークへと達していた。
『で。正直、小官を含め睦月君、それに坊や……失敬、麻宮君も恐らくは時間的余裕が相当無いはずだ。よって迅速に、かつ綿密な共通防衛戦略を立てる必要があると考えている。ふたりとも、異論は?』
『毛頭無い。実際、出来る限り早急に適切な手段を取らなければ、私も残りの生存猶予期間49という数字を考えると、文字通り座して死を待つことになってしまうからな』
「……俺も、特に異論は無いです」
『了解だ。ではまず手短に現在の我々の状況と、【eNDLeSS・BaBeL】に関する情報を伝えてゆこう。我々が知っている……一般に知られた【eNDLeSS・BaBeL】ではなく、今、我々がプレイさせられているこの不可解な【eNDLeSS・BaBeL】に関してね』
なるべく時間を短縮しようとしているのが分かる簡素な確認を桂一と彩香へし終え、英也は早速に作戦内容を話し始める。
かと、思われたが。
『ところで、その前に……麻宮君。少し、いいかい?』
「あ……はい?」
何故か、急いでいるはずの英也は即座に話へとは入らず、桂一にどこか慎重な口調で質問をし始めた。
『すまないんだが、君の残り生存猶予期間を教えてくれないか?』
この問いに寸刻、桂一はその意図が分からず、不思議そうな顔を晒したが、すぐに何かの確認なのだろうとだけ思い、声を発そうとした。
が、瞬間。
「残り69時間です」
急に横から口を挟んできた【NiGHT JoKeR】は、ねめつけるように画面上の英也を見つめながら言うと、
「いやー、やっぱり僕と同盟していたのが幸いしましたねー。他の皆さんに比べ、被害は明らかに少なめで済みましたからねー」
さも苦労したといった体を装い、はだけて見える柔らかな胸の前、組んだ両手に向かって打ち下ろすよう、何度もうなずきつつ言葉を継ぐ。
これには、桂一も不審を露わに後ろを振り返ると、【NiGHT JoKeR】へ疑問の視線を投げかけた。
ところが。
【NiGHT JoKeR】が返してきたのはただ、カメラへ映り込まぬよう不自然な姿勢で、組んだままの手を一方、伸ばして自分の唇に人差し指を押し当てる姿だけ。
その意味は分かる。そのぐらいの意味は。
つまり(何も言うな)ということ。
されども桂一はこれ以前の、【NiGHT JoKeR】のちょっとした奇妙な態度も含めて、どうにも腑に落ちないことが多すぎた。
ゆえに。
「……長内さん。なんでそんなこと、わざわざ聞くんですか?」
子供っぽい反抗心から、桂一はわざと口を開く。
さりとて、無計画にではない。
【NiGHT JoKeR】の真意が分からない以上、一応は彼女のついた嘘に関しては語らず、ただ英也の質問に対して質問で返すに留めて、である。
大体、疑問は何も【NiGHT JoKeR】に対してだけでは無かった。
『や、なんというか……ね』
「だって、おかしいでしょ? 別にこんな状況ですから些細なことでも疑われるのはもう覚悟してますけど、それならなんで俺にだけ聞くんです?」
本当なら(睦月さんには聞かないのに)と付け足したかったが、あえて言わなくとも消去法で察せる事実なうえ、これは最悪の蛇足だということくらいは桂一にも理解できていたため、言葉にはせず胸へとしまい込んだ。
何事も実際、言葉にしてしまうと無用な角が立ってしまう場面がある。
そしてまさしく、今がそうした場面なのであろうと、桂一も桂一で気を回したのである。
しかし。
そんな些細な気遣いなど、何の役にも立たない立場に自分があることに、この後すぐ桂一は気づかされることになった。
『うん、まあ……そうなんだが、ちょっと……』
奥歯に物が挟まったような調子で、はっきりとしない英也の背後から。
『それは貴方が【NiGHT JoKeR】の同盟者だからですわ』
ついと、話へ割って入ってきた【DaWN QueeN】によって。
『ご存知のように、私たち四人の管理者には同盟に伴ってプレイヤーに与える固有のメリットとデメリットが存在します。例えば私……【DaWN QueeN】と同盟なさった中尉の場合、常時発動効果である【SoCiaBLe(高度社交性)】の恩恵により、本来なら相応のコストを払わなければ見られない他プレイヤーの各種パラメーターを無制限に、かつ自由に見ることができるのです。無論、デメリットもあります。それはこの【SoCiaBLe】が他プレイヤーに対してだけでなく、自分自身に対しても適用されてしまうことです。つまり、中尉は常に自分に関するすべての情報を無条件で晒した状態でいる。いくら見知った相手といっても、こうした不利を背負っている以上、どうしても慎重になってしまうのは仕方が無いこととは思われませんか?』
この説明を聞かされ、一瞬、桂一は露ほども知らなかった知識を与えられた軽いショックによって、危うく主題を忘れて納得しそうになってしまった。
だが、それは露の間のこと。
咄嗟に論点である(何故、自分だけ)というのを思い出し、反論を開始する。
「だ……だけどそれなら、なおさらなんで俺だけ……」
『ですから、つい先ほど【DaWN QueeN】が申し上げたでしょう?』
まさか横から【NooN JaCK】が口を挟んでくるとは思わずに。
おかげで、桂一は言いかけた言葉を無理に飲み込み、代わりにモニターの半分へ映し出された、身振りで発言を制止しようとしている彩香の姿と、その背後から語ってくる【NooN JaCK】の言葉を黙して受け入れることになった。
『失礼は承知の上です。が、差し出がましいと知ったうえでお話しさせていただきます。恐らく、こうしたことはプレイヤー様同士では話しづらいことでしょうから……』
「……?」
『サー・ケイイチ。【DaWN QueeN】が問題視しているのは、貴方が【NiGHT JoKeR】の同盟者であるということ。まさしくその一点なのですよ』
声にもならぬ疑問符を浮かべ、桂一は必死で【NooN JaCK】の言っていることの意味を考える。
一体、何が言いたいのか。
一体、何だというのか。
何故、単に【NiGHT JoKeR】と同盟しているというだけで、こうも警戒……というより、もはや敵愾心でも抱いているような応対をされなければならないのか。
そうこうと、桂一が頭を巡らすうち。
『……桂一君』
それまで【NooN JaCK】の発言を抑えるだけに行動を留めていた彩香が、
『君の同盟した管理者、【NiGHT JoKeR】には固有メリットはあっても固有デメリットは無い。何故だか分かるかい?』
苦渋の表情で語り出す。
それが彩香自身、自分の中にある疑心暗鬼に対する自己嫌悪へ辟易したために現れたものだとは、桂一には知る由も無かったが、
『必要無いからだよ。【NiGHT JoKeR】の固有メリットのひとつ……常時発動効果は、あまりにも強力に過ぎて、他プレイヤーとの信頼関係を築くことがほぼ不可能に近い。だから改めてデメリットを設定する必要が無いんだ』
その説明を聞くうち、
『受け売りになるが、【NooN JaCK】が言うところによると、【NiGHT JoKeR】……その固有メリットのひとつ、常時発動効果は【HiDDeN(隠匿)】。いかなる手段を用いようとも、他プレイヤーは君のすべてのパラメーター……情報を見ることが出来ない。ゆえに、私たちには君が何をしたかも、何をしなかったかも、基本的に何ひとつ分からない。生存猶予期間などは言わずもがなだ。何故、長内二尉は君に残りの生存猶予期間を聞いたと思う? もし不審だというだけなら、君の左手を見せてもらうだけだって構わなかったはずだろう。だが、そうは言わなかった。理由は至極簡単さ』
今、現在の自身の立ち位置が、
『カメラにすら映らないんだよ、君の情報は。せいぜい私たちに出来ることといえば、君の申告をそのまま鵜呑みにすることだけ。君は恐らく、私たちが君のことを信じていないと思っているかもしれないが、実際はまるでその逆なんだ。つまり……』
知らぬ間、とてつもなく危うい場所にあるのを知ることになった。
『私も長内二尉も、君を……君の言うことを信じるしかない。信じるより他に……どうしようも無いんだよ……』
無理に吐き出すように言い終えた彩香の言葉を反芻しながら、桂一は混乱する思考の中、こめかみを流れる不快な冷汗を感じたが、それを拭う気にすらなれない。
ただ、吸い寄せられるようにして左手へと視線を落とす。
119。
そう示された数字を見つめるため。
途端。
背後で【NiGHT JoKeR】が小さく舌打ちをする。
10数分前、英也から突然に。
『【BiND oVeR】を実行しろ! 急げっ!!』
通信がつながった刹那、開口一番にそう言われた時と同じく。
その時も【NiGHT JoKeR】はマイクに拾われぬ程度の、さりながら桂一には微かに聞こえるような舌打ちを漏らしていた。
あたかも、(余計なことをさせて……)とでも言いたげな調子で。
転瞬。
何かを悟るや、桂一は背筋に不快な汗を滲ませ、顎へと達した冷汗がそのまま首を伝い、じわりと湿ったYシャツの襟へと浸み込んでゆくのを感じた。




