カナイ村へ 二
俺はシーザーにカナイ村へ行くには、途中にある浅瀬を越えなければいけないと話した。
「ワンワン(どうだ? 試してみるか?)」
「シーザー、ヤッテミル」
シーザーが俺に頭を突き出して来る。俺はシーザーの鼻先を舐めてやった。シーザーが目を細める。嬉しそうだ。
翌日、俺達はカナイ村へ向けて出発した。
族長のプアンカやジャイーダが見送ってくれた。ジャイーダは相変わらず色っぽい。たまにお相手したくなっちゃうよな。
見送りの中に書記官のカスケルがいた。
「おおい! カスケル! 一緒に来ないのか?」
「仕事がありますので、ご一緒出来ないんです。楽しんできて下さい」
カスケルが狐目を下げながら手を振る。族長の補佐役だからな、忙しいのだろう。
先頭はジャレス、次に警護の兵士達が続く。しかし、兵士の数がやけに多いなあ。きっと、山賊対策なんだろう。北の山地に出るとかサララが言ってたからな。
俺と佐百合は馬車に乗った。出来たばかりの馬車は、なかなかの乗り心地だ。馬に乗ったアシアンが俺達の馬車を警護してくれる。
あの元チンピラのロバ達が荷物運びに駆り出されている。
「ワンワン(おい、元気か?)」と声をかけたが、ヒンヒンいう鳴き声が返ってきただけだった。
俺達は北の山へと続く街道を、ユン河の岸辺に沿って北へ北へと進んで行った。
行く先々でシーザーは歓迎された。
皆、見た事の無い首長竜に夢中になった。サララが背中に乗って進む様子は、まるで水の戦神のようで、俺は少なからず惚れ直した。
カーリセンの国でも日本の夏と同様に夕立があった。大抵は、夕立が降る前に次の宿場町に着いた。雨が振るとやっかいだ。街道がぬかるんで、馬車がはまる。兵士が雨に濡れて体温を奪われる。ジャレスは恐らく、そんないろいろな問題点を考えて、雨が振る前に宿場町に着くようにしているのだろう。ジャレスってのは、いけ好かない野郎だが、優秀な男には違いないんだよな。
首都アルキヤを発って五日。
シーザーは、ユン河の源流の一つ、ミンタ川に入った。ここで俺達はシーザー達と別れて山道となった街道をカナイ村に向った。俺はシーザーについていてやりたかったが、ジャレスが許さなかった。
「駄目です。この川には雑食性の魚がいるのですよ。あなたみたいな小さな犬が川に落ちたら、あっというまに引きずり込まれてしまいます」
俺は魚の餌になりたくなかったので、シーザーに同行するのは諦めた。
その日の内に峠を越えて、山中の宿場町に着いた。
山の天気は変わりやすい。それまでずっと晴れていたのだが、その夜、カーリセンに来て初めて味わう大暴風雨になった。崖の側に立つ宿屋がギシギシと音を立てる。
俺達は食堂で一抹の不安を覚えながらその音を聞いていた。
「あの、この建物大丈夫ですか?」
佐百合がとうとう不安を口にした。夕飯の給仕をしていた大柄な女将が笑いながら言う。
「ホホホ、大丈夫ですよ。毎年この時期、荒れますけどね。あたしゃはここに住んで四十年になりますが、この宿屋が壊れた事は一度もありませんよ。都ではあばら屋かもしれませんがね、これくらいの雨風なら十分しのげますよ。安心して休んで下さい」
嵐は夜通し吹き荒れていたが、女将の言った通り建物は壊れなかった。
翌朝、窓の外には晴れた青空が広がっていた。台風一過とはこの事だ。
俺達は、雨上がりの清々しい空気の中、カナイ村に向った。夕方には着くという。
俺は馬車に揺られながらうつらうつらしていた。
馬車が急に停まった。外が騒がしい。馬車の扉が突然開いた。サララだ。
「良! 大変です! シーザーが! シーザーが行方不明です!」
俺は耳を疑った。
「行方不明だと?! あんな大きな体が一体どうやって行方不明になるって言うんだ!」
「シーザーはミンタ川にある幾つかの瀬を越えて、最後の浅瀬に行く一歩手前まで来ていたのです。シーザーは、嵐を避けて近くの洞窟に避難しようとしていました。そこを鉄砲水が襲ったのです」
普段は冷静で表情の変わらないサララが目を伏せ、暗い顔をしている。
「今朝になって、下流を捜索したのですが影も形もないのです。洞窟の入り口にシーザーの首輪が落ちていました。洞窟に押し込まれたのではないかと、シーザーの名前を呼んだのですが返事がないのです」
「俺も行く。俺ならシーザーの匂いを辿れる筈だ」
サララの後ろにいたジャレスが声を荒げた。
「いいえ、いけません。大量の水で匂いは流されている筈です。良君、君まで遭難したらどうするんです」
「いやだ。俺は行く。行くんだ」
「駄目です」
俺はジャレスに牙を剥き出し毛を逆立てた。
「ぎゃううう、ワンワンワンワン!(俺はシーザーを探すんだ! シーザー!)」
シーザーを、シーザーを連れて来なければ良かった。こんな事になるなんて!
「わうわうーー、う、う、う」
サララが俺の側に跪いた。
「良、大勢でシーザーを探しています。必ず見つけますから。あの大きな体です。死んでいても、何か残っている筈です」
サララが悲しそうに言う。
佐百合が俺を抱き上げた。
「良ちゃん、あきらめて、う、う、う、う」
佐百合が泣いている。
俺は佐百合の頬を舐めた。塩からい。
「佐百合、あいつを連れて来なければ良かった。あいつは、シーザーは、海に返さなければいけなかったんだ」
「仕方なかったのよ。シーザーが来たがったんだから。シーザーは好奇心が強くて、私達を大好きで、だから仕方なかったのよ」
佐百合が泣きながら仕方なかったと繰り返す。
俺はシーザーの捜索をあきらめたわけではなかったが、結局ジャレスに任せた。確かに小さな体の俺が行ってもどうにもならない。
ジャレスはサララと一緒に来ていた数人の兵士達に捜索の指示を与え、サララにはこのまま俺達と同行するように言った。きっと俺のお守りが必要だと思ったのだろう。
馬車が動き始めた。俺は揺れる馬車の窓から空を見上げた。
シーザー、生きていてくれ。神様、お願いだ。シーザーを助けててやってくれ。
俺はひたすら祈った。こんな時、人は何が出来るだろうか。何もできはしないのだ。
ただ、祈るしか無いのだ。
馬車は悲嘆にくれる俺達を乗せてゆっくり進んで行く。
夕方、カナイ村に着いた。




