カナイ村へ 一
シーザーにカナイ村の話をすると、一緒に行きたがった。シーザーは本当に好奇心が強い。
「ワンワン(一緒に行くって、無理無理。今回、シーザーはお留守番)」
「ヤダ、シーザー モ イク!」
泣く子とシーザーには負ける。
その夜、俺はジャレスにシーザーを連れて行けるか相談しようと屋敷に向った。
まずは佐百合だ。しばらく会っていなかったが、どうしているだろう。
俺はジャレスに会う前に佐百合に会いたかった。
佐百合の部屋に向う廊下の途中で、俺は思わず立ち止まった。
「どうしました?」
一緒にいたサララが、不思議そうに俺を見た。俺は黙って歩を早めた。
空気に漂う男と女の発情した匂い。
佐百合の部屋に近づくに連れ濃厚になっていく。
誰だ? 相手は誰だ!
むろん、ジャレスだ。この匂い。男臭い汗の中に高価な香料の匂いが混じる。
俺は佐百合の部屋の前で立ち止まった。
サララも気配を察したのだろう、はっとして立ち止まる。
中から微かに声が聞こえてくる。
俺は動けなかった。
佐百合、君は一体いつのまにジャレスとそういう仲になったんだ。
サララが俺を抱き上げ、廊下を引き返した。以前、俺達が使っていた離れに向う。
「佐百合様とジャレス様、お似合いではありませんか」
サララの言葉が聞こえない。二人が抱き合う姿がぐるぐる回る。
「今夜は一人で休んだ方がいいでしょう。私はシーザーの元へ帰ります」
サララが俺をベッドに乗せて部屋を出て行く。
「……、サララ、ありがとうよ」
俺は出て行くサララの背中に向って言った。軽く会釈をして部屋を出て行くサララ。
俺はぼんやりとさっきの声を思い出した。
(「佐百合、私の佐百合、美しい……」
「ああ……、ジャレス、ジャレス!」)
濃厚な匂いと共に二人の声がよみがえる。実際に見てはいないが、犬の嗅覚に押し寄せる男女の匂いから二人がその最中だったとわかる。
佐百合、ジャレスはおまえの体が目当てなんだぞ、と心の中で言ってみても仕方ない。
結局、佐百合は発情しても、元の体に戻らなかったんだな。
もし、元の体になっていたら、ジャレスが佐百合を求める筈がない。ジャレスはそういう男だ。
こんな事なら、もっと早くに佐百合と寝ておけば良かった。
いや、出来なかったんだよな。佐百合といたそうと思っても、ちっとも発情しなかったんだよな。機会はたくさんあったのによ。
ああ、切ないなあ。こんな異世界で、テリアになってる最中に失恋しなくてもいいじゃないか!
俺はカーリセンの国を照らす三つの月に向って、長いながーい遠吠えをした。
翌朝、俺はジャレスにシーザーを連れて行ってもいいかと聞きに言った。
一晩たって、佐百合が幸せになればそれでいいと、ジャレスを許す気持ちになっていた。
所詮、俺は犬だし、佐百合を幸せに出来るとは思えない。
佐百合はこっちの世界でジャレスの奥方にでもなって、幸せに暮らせばいいのだ。
「お早う、ジャレス、ちょっといいか?」
俺はジャレスの私室に行った。
「良君、朝早くからどうしたんです? シーザーはどうしてますか? いつ、戻ったんですか?」
いきなり質問攻めか。
「夕べ戻って、シーザーは元気だ。世話はサララがしてる。実は相談があるんだけどよ、シーザーが一緒に行きたいって言ってるんだ。カナイ村に」
「え? それは無理でしょう」
「しかしだな、ユン河は広い。途中までなら一緒にいけないか?」
ジャレスが黙った。表情から忙しそうに頭を回転させているのがわかる。
「カナイ村には素晴らしい湖があるのです。シーザーをあの湖に連れて行けたら、さぞ喜ぶでしょう。ユン河の源流の一つとなっている湖なのですが、問題は途中に浅瀬があるのです。あれを越えられるかどうかですね」
「シーザーに言ってみるよ。越えられなければ、あきらめるだろう。それとだな、シーザーだが、後一年もすれば成獣になるんじゃないかと思うんだ。湖から帰ってきたら、海に返した方がいいと思う。大人になっても相手がいないんじゃあ、可哀想だからな」
「そうですね、その方がいいでしょう。シーザーランドは、取り壊せば済む事ですし」
「あ、それはもったいない」
俺はシーザーがいなくなった跡地をどう使ったらいいか、ジャレスに教えた。
ジャレスは、淡々と聞いている。
ジャレスは熱くなるという事がない。いつも冷静で落ち着いている。
佐百合に対してもだ。
ジャレスが怒りのあまり我を忘れる所を見てみたい気がする。
しかし、ジャレスが何に対して感情を爆発させるのか、俺は考えつかなかった。




