自分殺しの大罪殺し 1
森を抜けると広い草原に出た。一面に緑が広がり、微かな風で草が揺れて、まるで水面のように波紋が広がっていく。実にのどかな風景だ。
よく見るとその緑を敷き詰めたカーペットの端、二キロくらい先の山の麓に小さな集落が見える。農村だろうか、柵で囲まれた場所に大型の動物が見える。名前は正直わからないが、何度か訪れた農村で似たような動物を見たことがあるのであれも家畜の一種だろう。
既に太陽は頭上。今日中に宿泊先を見つけようと思っても、この辺りは辺境だ。街という街もあまりないと、先日立ち寄った宿屋で聞いた。ならばあの農村で一夜を明かすしかないだろう。 さすがに昨日のように野宿というのも正直面倒くさい。
女一人ということもあり、時々襲われることがあるのだ。無論、対処自体は簡単で、殺しまではしないまでも、そこそこ痛めつけて追い払うというものだが、いちいち起こされるのは勘弁してほしい。
お金の方も度重なる襲撃を追い返しているうちに十分というほどに手に入ったし、なにより情報がほしい。ならあそこを今日の宿にするのがいいだろう。いや、それより少しの間あそこを拠点に動くとしよう。この辺りの伝承を当てにするならこの近辺に捜しているモノがあるはずだ。
そう決めて『――――』は草原の中に一直線に伸びる茶色の道へと向かっていく。
農村へと続く道に入ると轍の跡が見て取れた。見るにどうやら頻繁にここを通っているらしい。どうにも跡が深い。多分、行商人か何かだろう。だとすると頻繁に情報の出入りがあるに違いないく、有益な情報が手に入る可能性が大きい。
この地方に入っったばかりだが、どうやら幸先は先良さそうだ。
結果から言って自分の選択は正しかったのか、と『――――』は思う。
農村と思い向かった場所はやはり農村で、近くで見るとこれまたやはり極々ありふれた、どこでもありそうな規模。
しかし、そこに住むのは一風変わった者達だった。
「悪いな、うちの村には宿屋はないんだよ」
村に入ってすぐ家畜の世話をしていた年若い男性に声をかけると、そんな返事が返ってきた。口では申し訳ないと言っているが、尖った耳をほじりながら、それもそんな心底嫌がられるような顔をされてもまったく伝わらない。
――――そう。話しかけた男は耳が尖っていた。正確に言うならやや細長い尖った耳。
彼らはこのマギアクルスに住まう民族のひとつエルフだ。
特徴としてはやや細長い尖った耳を持ち、魔力を扱えず、代わりにこのマギアクルスで最多の人工を誇る魔術師よりも高い身体能力を持つ。
その多くは人工の集まる帝都などではなく、人里離れた辺境に住んでいるらしいと聞いていたが、まさかここがエルフの村だったとは。
別に初めてエルフを見るというわけではないが、エルフをあまり人の集まる所では見ないので、少々以外だった。
「そうですか。ありがとう」
まるで「早く行ってくれ」と言わんばかりの顔をしている男に一言礼を述べて、『――――』はどうしようと近くの木に背を預けて考える。
無論泊まる場所について考えているのだが、それとは別にここがエルフの村というのが問題だった。
このマギアクルスでは、何でも以前に民族の階級制度があったらしいのだ。今はもう撤廃されているらしいだが、まだその因習が残っているらしく、未だに帝都の方でも色濃く影を落としている。
その階級制度で頂点に立つのが、魔力を扱うことのできるただ唯一の人種『魔術師』。そしてその他、下に位置するのがエルフのような魔力を使うことの出来ない人種である。
ウィザードは魔力を扱えない者を劣等種と蔑み、長年虐げ、階級が下の者はそれに抗い、争ってきた。階級制度廃止とともに表立っての戦争などはなくなったが、その名残が残っているか、未だに差別意識が残っているのだ。
と、以前立ち寄った宿屋で聞いた話を思い出して彼女はなるほどと思った。
ならば仕方ない。自分の外見はウィザードのそれと何ら変わりないのだ。魔力という形無いものを扱うのがウィザードである以上、今の自分はまさにウィザード。先ほどの男の態度にも納得がいく。
しかし、だからといってこのまま野宿というわけにも今さらいかない。
「……仕方ない」
と、『――――』は 嘆息し、とりあえず村にある民家を巡り、泊めてもらうことにした。無論、村中を巡って泊めてくれる家があるという保証もはない。だが、だからといって村にいるのにわざわざ出て行って、外で寝るなど馬鹿馬鹿しいし、それでは情報も得られない。
仕方なく『――――』は一軒一軒藁葺き屋根で編まれた石造りの家々を訪ね始めた。
「悪いが、うちはウィザードなんぞを泊めることはできん。とてもあんたたち高貴な身分に合う家じゃないんでね!」
勢いよく戸を閉められ、そう言われた。
これで村にある家は最後の一軒を除いてすべて回った。しかしどこも回答は同じだ。
もう少し『――――』が愛想の良い顔をして頼めば、もしかしたらどうにかなったかもしれないが、いかんせん無愛想な顔で頼むものだから余計にウィザードへの憎悪に拍車がかかって村人の態度は悪くなるだけだ。だが、こんな表情しかできないのだから仕方がない。今は残る最後の家を僅かな期待とともに訪れるだけだ。
トントンと戸を叩く。しばらく待っているとドタドタという騒がしい音とともに戸が明いた。
しかし、そこには誰もいなかった。
「?」
首を傾げながら訝しむ『――――』に下の方から声がかかった。
やや視線を下に移したところに女の子がいた。年の頃はエルフ換算だからよくわらないが、見た目は十歳くらいだろうか。幼い双眸でこちらを不思議に見つめている。
「あの~、何かご用ですか?」
おどおどとした様子で少女が恐る恐るといった風に口を開く。そこは隠しようのない怯えが見て取れた。当たり前だ。見た目ウィザードな上に少女はまだ幼い。当然の反応だ。
「今日泊めてくれる家を捜してるの。お父さんかお母さん呼んできてくれる?」
相変わらずの無愛想な口調でそう言うと少女は一瞬躊躇したあとおずおず『――――』を見た。
「……すみません。お父さんとお母さんはいないんです。この家は私ひとりしかいないから」
「そう。じゃあもう一度言うけど今日泊めてくれる家を捜してるの。今日泊めてもらえない?」
淡々と事務的に言う彼女に気圧されたのか、ビクッとに肩を揺らす少女。
無理もない。いきなり訪ねてきたのが村の人間でなく、それも見た目ウィザードだったら誰でも驚く。それは今まで訪ねてきたどの家々も同じだったが、幼い分女の表情は余計に険しい。
「あの、ウィザードの人ですよね」
「違う。私はウィザードじゃないわ」
「……じゃあハーフエルフの人ですか?」
躊躇いがちに少女が言う。
――――ハーフエルフ。ウィザードとエルフが交わった結果生まれる者。
外見はウィザードのそれだが、魔力を扱えず、エルフのように長い寿命を有しているわけでもない。
エルフと同じで外見は生涯を若いままで身体能力が高いという中途半端な特徴から撤廃された階級制度ではエルフよりも下に位置した存在だ。そのせいか、ウィザードからもエルフからもあまり良く思われていないのだ。
少女はきっと『――――』の外見からしてウィザードでないとすればきっとハーフエルフなのだろうと当たりをつけたのだろう。
そうか、と『――――』は思った。最初からハーフエルフと名乗っておけば良かった。どうせ魔術も使えないし、ハーフエルフと名乗っておけばこの村でこれほどの邪険にされることもなかった。
そう思い、肯定しようとした『――――』だったが、直前で口を噤んだ
ハーフエルフと名乗るのも些か問題があった。
その中途半端な存在のせいか、ウィザードからもエルフからもハーフエルフは良く思われておらず、各地で見かけたハーフエルフに対する扱いはあまり良いものとは言えなかった。つまりは差別対象として扱われているのだ。
ここで自分をハーフエルフと言ったところではたしてウィザードと名乗った場合より扱いが良くなるのか?
多分あまり変わらないだろうと思いつつも、魔術を使えと言われて使えるわけでもないので、『――――』はウィザードと比べるとほんの少しばかり都合がいいハーフエルフと名乗った。
「やっぱりハーフエルフの人ですか……」
少女の硬かった表情がやや和らぐの感じながら、どうしようかと考える。
このまま無理矢理にでもこの少女を言い含めれば、野宿は避けられるが、それはあまりに気が進まない。だが、だからといってここが最後の家である以上野宿は避けられないだろう。
二択に一択。さて、どちらを選ぼうかと考え、『――――』は一つの選択肢を切り捨てた。
……さすがに無理矢理泊めもらうのも忍びない。ましてや幼い少女となったら尚更だ。 仕方ない、と嘆息し、少女の回答を待っていると、
「――――あの、うちで良かったらどうぞ」
思いがけない答えが返ってきた。
「いいの?」
「はい。どうせ私一人だから。この村宿屋がないから、きっと困ってたんですよね?」
どうやら最初からこの少女はお見通しらしい。
さあ、とドアを開いて少女は『――――』に声をかける。
「何もない家ですけど、どうぞ」
それに短く「ありがとう」と言って『――――』は幼き家主に甘えることにした。