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喪失者  作者: 佐江内
第一章
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悲嘆の果てに 2

 べっとりと濡れた手を払いながら少女は再び歩き出した。

 手には粘つく感触。普通の人間ならば嫌悪感を露わにするところだが、しかし少女はやはり感じ入るものは何も無いとばかりに顔色ひとつ、眉ひとつ動かすことはない。

 これはいつもの繰り返し。今まで幾度となくやってきた繰り返しの日常だ。それは今では習慣となり、動物が水を飲むのと変わらないくらい当たり前のこととなっていた。

 積もった雪は歩を進める度にぎしぎしと音を立てて、足跡を残していく。見えるものはただただ真っ白な世界。他には何もない。

 まるで自分みたいだと少女は少し皮肉げに口角を少し上げてみた。その表情はまるで作り物の人形が人間の真似をしようとしているような出来損ないの何ともいえないものだった。


「……ふふっ」


 それを自分でも自覚しているのか、少女は自嘲気味に小さく笑い声を上げた。

 そして何とはなしに雪の上に寝転がった。冷たい雪が柔らかに沈み、体を埋めていく。

 

 ……そういえば色々なことがあった。

 

ふと、少女は昔のことを思い出した。

 もうずいぶんと前のことだ。少女はすべてを失い、それでも必死に生きようと努力した。けれどそれは叶ったように見えて実は叶わなかった夢。

 はじめは過去を忘れて、多少の変化もあったけれど新たな場所で生きようと必死だった。努力の結果も実って何とか一人で生きていけるようにもなった。でも、長くは続かなかった。

 新たな場所で数年ばかり生活していくと少女はそこを出て行かなければいけなくなった。

 理由は簡単。ただの畏怖からだ。

 この世界にあるものは生き物であろうとそうでない物であろうと必ず変化は訪れる。それは万物に課せられた絶対遵守の規則(ルール)。逃れることは出来ず、外れることも許されない理。

 だけど、少女の外見はいくら年月を経とうと変わらなかった。

 いくら成長が人より遅いといっても何かしらの成長、もしくは老化は訪れる。けれど少女は少しも変わらなかったのだ。

 それはきっと誰しもが恋い焦がれるであろう不変性。しかし周りが変化していく中、変わらないということは自分だけ取り残されるということ。

 それ現実に見てしまった人々の行動は実にわかりやすいものだった。これまで優しくしてくれた人、親しくしてくれた人。そのすべてがある日突然自分を避け始め、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせ、そしてみんな離れていった。それどころか少女を殺そうと襲いかかって来る者もいた。

 最初は訳が分からなかった。でもそれに気づくのに時間はいらなかった。少女とて分かっていたのだ。自分が異常なのだと。

 人を大きく凌駕した力に不変である自分。それはとっくに分かっていた。なにせ最初に気づいたのは自分なのだから。けれどそれが分かっていた上でも「これは悪い夢だ」と言い聞かせ、自分を偽ってきた。

 人並みに生きて人並みの幸福を手にする。それ以上ない平凡がこの上なく愛おしかったから。

 だから少女はいくら人々から恐れられようと、次こそはと次の場所を捜した。けれど誰も少女を受け入れてはくれなかった。

  あとはそれの繰り返し。いくら場所を変えようと最後は一緒。ただ化け物と罵られ、襲い来る者達を手に掛けるだけ。

 少女とて殺したくはなかった。けれどそうしなくては自分が殺されてしまう。だから襲い来る者達は例外なく殺した。そうしなければ自分が死んでしまうから。

 幾年もの放浪の末に華奢な手は汚れ、心は摩耗し、感情というものは稀薄になった。それはもう少女と呼ぶにはあまりにも無機的なモノだった。

 

 ――――いや、もうずいぶん前に少女は少女ではなくなっていたのだ。

 彼女(・・)は少女というにはあまりにも長い年月を積み重ね過ぎた。

 外見(そと)は変わらずとも内面(なか)は少女というにはあまりにも風化し、今では少女であった時の記憶すら曖昧だ。

 確かに覚えているのはかついていた妹の分まで生きようと決意したことだけ。

 だからきっと彼女は死んでしまった妹の分の幸せを求めているのだろう。

 どういうものかは具体的には分からない。だけど幸せを求め続ける。

 その生き方はもはや生前の思いに突き動かされて彷徨う亡者そのものだった。

 

「……疲れた」


 それは体か。もしくは心か。

 彼女は起き上がることもせず、雪の上に寝転がり続ける。このままここで横になっていればたとえ自分とて眠るように死ねるのではないか。

そんな考えを一瞬思い浮かべ、それもいいかな、とそれを選ぶことにした。

 もう生きるのは辛くて、きつくて、悲しくて、苦しくて、怖い。

 だから死という究極の逃避をもってこの生き地獄を終わらせるのだ。彼女にはそれしか(すが)るものがなく、それを拒む理由がない。

 段々と。微かではあるが眠気が襲ってきた。常人にとっては凍死目前の眠りだが、彼女にとってはただ昼行性の動物が夜眠るのとそう大差ない。けれどたとえそうだとしてもこの極寒の中で眠り続ければもう起きることはないのではないか。

 微かな期待を込めて、彼女は一人安らかな眠りについた。



 ……けれど起きてみるとそうはいかなかった。――――いや、それ以前に起きてしまった。

 しかし死ねなかったという残念な気持ちより先に彼女は目を見張った。

「おや? 起きたのかい。目覚めはどうかな?」

 温かな光にゆっくりと目を開けるとそには見知らぬ誰かがいた。

 少女だった。彼女と容姿が変わらない所を見るとどうやらこの少女は十代後半かそこらだろう。温かな笑みを浮かべてこちらを見据えている。


「……ここは?」

「ああ。これはかまくらといってね……っとこちらの世界にはない文化だったね。まあとにかく雪を集めて作った小屋のような物だよ」


 見ると確かに壁は雪を固めたもので、それを半球状にして周囲を囲ってい

る。出口は小さい穴が一つだけ。すべてが雪で出来た物だった。


「……雪」


 不思議だ。なぜこうも温かいのだろうと、彼女は少し驚いた。

 中央には何か、壺のような物に薪がくべられている。温かいのは多分それの熱をこの『かまくら』という物が逃がさないようにしているからなんだろうと、彼女は確信づけてみた。


「何か食べるか? 空腹ならそこにさっき焼いた干物があるが」


 容姿とはあまり似つかわしくないやや男性的な口調で少女が魚の干物を差し出してきた。どうやら食えということらしい。


「……」


 黙ってそれを受け取り一口(かじ)ってみると妙に塩辛かった。


「少し塩辛かったかな? すまないね、今はそれしか手持ちがなくてね」


 干物を食べた瞬間、彼女の顔が曇ったのを見逃さなかったのか、少女がおかしそうに笑った。

 それを不愉快と感じたのか彼女は訝しげに眉をひそめた。いや、違う。不愉快ではあるが干物の味がどうこうとなどではなく、たたこの少女があまり怪しかったのだ。


「……あなた、誰?」


 感情を感じさせない冷たい声で問うと少女は持っていたカップから口を離し、彼女を見据える。


「おっと、そういえばまだ自己紹介をしていなかった。私はただの旅人だよ」


 それから軽く名前を言って少女は「それで君の名前は?」と返してきた。

「――――」

 短く自分の名前を言うと少女は少し驚くように目を開いた。

「――――ほう。まさか時間を司る神の名を持つとはね」

「?」

「ああ、気にしなくていいよ。違う世界の古い話だから」

 多少訝しく思ったが、まあどうでもいい。自分にはそんなことより聞かなくてはならないことがある。彼女はしっかりと少女を見た。


「……なんで私を助けたの?」

「別に助けたつもりはないよ。ただかまくらを作ろうとしたらそこに君がいただけだ。助けたつもりはない」


 ムッと『――――』が表情を曇らせた。久しく感情というが稀薄になっていた彼女にとってこの行為は非常に珍しいものだった。それほどにこの少女の馬鹿にしたような返答が気に入らなかったのだろう。


「まあそれ以前に人が倒れていたら助けるのが常識というものだろ?」


 『――――』の表情を見てか、少女がもっともなことを言ってくる。

 この極寒の地で倒れている人間を助けるということ自体あまり常識的ではないのでは? と『――――』は思ったが、とりあえずそこは置いておくことにした。


「それで君はあんなところで何をしていたのかな」


 唐突に少女が気になるとばかりに聞いてきた。別に何をしていたというわけではないが、まあ死のうとしていたわけではあるのでありのままを言ってみた。


「君も難儀だね。こんな辺境の地で自らの死を求めるとは」


 じゃあどうすればいい、と内心で毒突く『――――』だが、こんな少女に何を言っても意味はない。彼女とて常人に言っても無駄なのはとっくに分かりきっているのだ。


「何か辛いことでもあったのかい?」


 けれど少女のそんな問いに、『――――』はなぜか自分でも理由がわからないぐらい不思議にこれまでのことを話していた。

 かつて大事な妹がいたこと。

 国を捨てたこと。

 妹が死んだこと。

 一人になったこと。

 一人になっても必死に生きようとしたこと。

 人の道を外れてもなお人としての幸せを追い求めたこと。

 でも、結局何も見つかってはいないこと。

 目からはいつの間にか涙が溢れていた。

 おかしい。と『――――』は自らの目から溢れる涙を拭う。感情というモノが薄れてしまった自分がなぜ涙を流しているのか。しかしそれ以上に少女に自らの話をしたことが『――――』には分からなかった。

 嘘のような話でも少女はなぜか真剣に話を聞いてくれた。自殺志願者に対する哀れみか、はたまた真に『――――』の話を信じているのか。その意図は分からない。


「そうか」


 話終えると少女はそれだけ言ってカップに口を付けた。


「……」

「……」


 流れる沈黙。微かな吐息しか聞こえない狭い空間の中、唐突に少女が口を開いた。


「――――君は人間に戻りたいのか」


 ゆっくりと、まるで確認を取るように少女は言った。


「……もちろん戻りたい」


 問われるまでもないと『――――』は一瞬の躊躇もなく、淡々と言った。


「ふっ。そうか。なら私と一緒に来ないかい?」

「は?」


 素っ頓狂な声を上げて『――――』は盛大に面食らってしまった。こんなに驚いたのは何十年ぶりだろうなどと考える暇もなく、今一度頭の中で先ほどの言葉を反芻(はんすう)してみる。

 なぜ今の流れでそうなるのか? 一切の脈絡無く切り出された一言に困惑の表情を浮かべながら少女の意図を探ってみるが、やはり分からない。


「どういう意味」

「言葉通りの意味だよ。それ以上でもそれ以下でもない」


 勿体ぶった口調でそう言い、少女は口の端を少しつり上げ、『――――』を見る。

 その少し馬鹿にしたような態度に少し苛立ちを覚えながら『――――』はその意図を確かめる。


「なぜ私を?」


 ふっと微笑みまるで想定内だ、とでも言いたげな調子で少女は口を開いた。


「なに、私の最終的な目的が君の願いを叶えることに繋がるのでのではないのかと思っただけさ」


 少女の目的と自分の『人間に戻りたい』という願いがどういう風に繋がるのか。そして少女の目的とは? 

 しかし考える『――――』の思考は少女の一言で一瞬にして断ち切られた。


「あと、参考までに訊くが君は以前色のついた丸いクリスタルのような物に触れなかったかい?」


 こらぐらいの、と手で大きさを表現する少女。


「!」


 その問いに『――――』はついに終始起伏の乏しかった表情を砕かれ、驚愕の色に染め上げた。 もうずいぶんとおぼろげになってしまった記憶の中で彼女には思い当たる節があった。 かついてた妹が死の直前に見つけ、そして死の直前まで持っていた物。それが脳裏を()ぎった。

 そんなまさか、と自らの思考を中断し、『――――』はけれども内心の動揺を隠せなかった。


「ふむ。やはり知っているようだね」


 やはりといった具合に少女は頷き、中の物片付け始めた。


「あなたは一体……」


「君と同じ者だよ」

 

 さて、と立ち上がる少女の瞳がその瞬間、淡くそしてたしかに輝いた。

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