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喪失者  作者: 佐江内
第一章
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喪失 3

休憩に入るなり少女は妹をおじさんとおばさんに任せて、近くの水場へと向かうため、所々に緑を含んだ荒野を歩いていた。

 少女がなぜ休憩時間にわざわざ荒野を歩いているのかというと、ただ単に水を確保するためだ。

 配給される食糧の中にはスープなどはあるのだが、残念なことに飲料水がない。よって避難民は自力で飲み水を確保しなくてはならない。

 もちろん少女もそれを見越して母国を離れる時に水筒を持参し、少しずつ飲んでいたのだが、今日の朝それもなくなった。

 よって仕方なく飲み水を汲みに向かっているのだ。

 なんでもトラックを運転している兵士の話だとここに来る途中、近くに小さいが水辺があったそうだ。まあ近く、といっても歩いて三十分は掛かる場所ではあるが、こんな荒野の中で近くに水辺があるという時点で運が良いのだからこれはこれで仕方ない。


「早く帰らないと雨降るかな……」


 さも気にした風もなく、少女は曇り空の下、水辺を目指す。

 しばらく歩くと聞いたとおり水辺があった。お世辞にも綺麗とまでいかないものの、飲めれば良い。

 自分と妹、二人分の水筒を取り出して水を汲むと少女は元来た道を戻り始める。

 所々に緑は見えるものの一行として道は荒れている。つい二、三日に前までいた少女の母国の道も舗装されている所などあまりなかったが、ここまで自然体ではなかった。

 けれどこう荒れた道を行くのも今日が最後だ。これから向かう国は聞くところによると今まで少女がいた国よりも技術的に進んでいるらしく、公共福祉の方もきちんと整備されているらしいのだ。

 そう思うとなんだが、今さらながらに国を捨てたんだな、と実感する少女だった。けれどそんな感傷は不要だ。なぜならこれから少女はおじさん、おばさん、アリスの三人で新しい国で新しい生活を送るのだから。色々と苦労は多いだろうが、今まで生活よりはマシなものになるだろうことは分かっているのだから不安に思うことはない。

 歩を刻む足は自然と軽くなる。

 先にことをこうも楽しく考えられたのは初めてだ。

 鼻歌を交えながらさらに軽くなる足を動かしつつ、少女は妹たちの待つキャンプへと向かった。




「なん、で……」


 漏れた言葉はなんと驚きに満ちていたことか。

 眼前に広がるは一面の赤。

 つい小一時間ほど前とは似ても似つかぬその光景に少女は我が目を疑った。

 しかし、これは現実だ。それは視界で捉えられる情報だけでなく、漂う焼けた肉の臭いからも明らかだった。

 一歩。また一歩。

 ゆっくりと少女は歩き出す。

 ぬちゃっ、という粘つく感触。

 視線を下に下げると赤い水面(みなも)を歩いていることに気がついた。水面からは気持ち悪い鉄の臭い。

 普段の彼女なら得も言われぬ嫌悪を示すところだが、今はそれすらも気にならない。いや、こんなのは眼前に広がる地獄に比べれば可愛い方だ。それ以上の光景が彼女の目の前には広がっている。

 歩を進めるうちに最初に見つけたのは血まみれ老婆だった。

 胸を打たれたのだろう。真っ赤に染まった手は胸に添えられたまま、停止している。

 転がっている薬莢を蹴飛ばして少女はさらに歩を進める。

 次に見つけたのは仰向けに倒れた成人男性だった。

 老婆と同じく赤く染まるその体は全身に銃撃の痕があった。きっと躊躇われることなく撃たれたのだろう。

 さらに少女は歩を進める。

 ただ歩く、それだけの機能しか与えられなかったように人形のように淡々と歩いていると、抉れた地面に引っかかって足を止めた。

 見ると近くには部位(パーツ)が欠損した人達が転がっている。

 ある者は右足を。

 ある者は左腕を。

ある者は下半身を。

 失っている部位(パーツ)は人それぞれである。

 ――――まるで人形みたいだ。

 そんな感想を抱き歩く少女。けれどそんな惨状さえ気にならないのか、歩みは止まらない。

「あ……」

 小さな呟き漏らして少女がふと足を止めた。

 眼前には先ほどまで普通動き、自分と話していた男女の屍が転がっている。

 男性の方の左足は失われていて、それでも動こうとしたのか、地面に赤い線を描いている。

 女性の方は背中を集中的に打たれていて、背中から流れ出た夥しい血は今も地面を濡らしている。

「おじさん……おばさん……」

 突然のことにか、今まで感情という感情が欠損していた少女が横たわっている二人に駆け寄る。けれど無駄だった。

 二人はとうに息絶えていて、二度と動くことはない。


「なんで、なんで……」


 改めて周囲を見渡してみる。

 乗ってきたトラックは轟々と黒い煙を上げ、天幕は中にいたであろう人ごと燃えている。

 外に出ている人は皆一様に血を流しながら例外なく、屍になっている。

 地面には何か赤い色で、何だろうか。何か書いてあるようだ。

 今さらながらに震えてきた足に力を入れて、文字の書いてある所へと向かう。

 地面には大きくこう書いてあった。


『裏切り者には報復を』


 理解するのに数秒もいらなかった。

 これは言うまでもなく彼女の母国の抵抗軍の仕業だった。

 彼らは自ら母国を捨て、新たな国に亡命する者を許せなかったのだ。自分達が必死になって国をより良いものへと変えようとしている時にそれに参加せず、ましてや国を捨て逃げるなんてことをやってのけた彼女たちを。

 きっと十分と掛からなかっただろう。武器も持たない一般人を殺すのなんて。


「酷い……」


 押さえられない気持ちに呟きが漏れる。

 今一度横たわっている二人を見て、少女はハッ目を見開いた。

 二人が倒れている少し先に小柄な人影が倒れている。

 

 ――――なんで今まで忘れていたのだろうか。 

 

 それは我が身より少女が大事にしていた可愛い可愛い妹、アリスだった。


「アリス! アリス!」


 駆け出し、自らへ抱き寄せる少女。

 けれど冷たくなった妹はその可愛らしい小さな口から何も発さないし、か細い華奢な手はもう二度と握り返してはくれない。

 瞳孔は光を失い、そこには涙が溜まっていたのか、少女が体を起こすと同時に頬に流れ出てきた。

 抱き上げた手は赤く染まり、否応なしに彼女に妹の死を突きつけていく。

 きっと痛かったことだろう。何しろ涙を流す暇があったのだ。即死ではあるまい。

 痛みに泣き叫びながら、じわじわと死んでいく妹の姿を想像すると同時に自らの目から涙が溢れ出てくる。


「なんで、なんでなのよ……」


 先ほどまでの三人との会話を思い出しながら呟く少女。

 本当のところを言うとただそれだけで幸せだったのだ。

 妹と二人、おじさんとおばさんと話している。ただそれだけの些細なことで少女は満たされていた。明るくて優しい、おじさんとおばさん。いつも自分と一緒にいて、無邪気に笑う妹。


 ――――そう。少女はただ妹が笑っていてくれたらそれだけで十分だったの

だ。たとえ貧しくても、それでも唯一残った肉親である妹が幸せならそれで。


 母国を出ようと思ったのはなぜだっただろうか。

 それは妹の将来を思ったから。安全な国で学校へ行って勉強して、少しでも妹が良い暮らしができればと願ってのことだった。


「なのに、なのに……」


 けれどそれも今となっては意味のないもの。

 漏れる呟きは段々と悔恨へと変わっていく。

 なぜおじさんとおばさん、アリスと四人で水汲みに行かなかったか。なぜそうしなかった。いや、せめてアリスだけでも連れて行けば良かった。


 そうすれば―――――


 そこで少女は、はたと気付く。 

 もう誰もいないのだ。自分以外の生存者は誰も存在しない。この場にはただ泣き崩れる少女と数十体の亡骸だけしかいない。

 そんなことは分かっているのに少女はそれでも一途の願いを込めてか、当たりを見回す。

 (うつ)ろな瞳が見るのは赤々と燃える炎ともう動かない人形(ひと)だけ。

 他には何も見えない。

 視線を下げると赤い水が自らの手を濡らしている。だというのにその感触すら不思議と曖昧だ。

 濡れた手をぼんやりと見つめていると少女は近くにある物を見つけた。

 それは妹がつい昨日見つけたという紫色の丸いクリスタルだった。

 赤く濡れた手で取るとクリスタルはじんわりと赤く汚れた。けれど、それを踏まえても綺麗なモノだった。それだけではコレは汚しきれない。不思議にそんなこと思った。


 ――――ああ、アリスが気に入るのも無理ないわね。


 自然なんとはなしにそんなことを思うと、急に胸が苦しくなってきた。

 唐突すぎて麻痺していた感覚が段々と解け、自らの内にと悲しみが広がっていく。

 

 何が悲しいのか。

 何で切ないのか。

 

おじさん、おばさん。そして妹に会えないことか。

 それとも自分だけ仲間外れされたことか。

 

 いいや。違う。

 少女はこんな悲しいところ(せかい)に一人残されたのが寂しいのだ。

 

 苦しくて。

 苦しくて。

 少女は痛みを押さえつけるようにクリスタルを抱く。

 漏れていた苦悶は慟哭に。

 叫びは荒野に吹きすさぶ。

 と、抱いてクリスタルが突如光り出し、黄金の輝きが彼女を飲み込んでいく。

 けれど、そんなことは少女にとっては些末なこと。

 慟哭は消えず、輝きはさらに強さを増し、少女を包み込むと天へと昇っていく。


  ――――温かくて、懐かしい。


 まるで幼い妹を抱いているような感触を思い出し、少女はかつての自分へと逃避(ゆめ)する。

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