踊れ! H大学神秘楽サークル
作品タイトル:踊れ! H大学神秘楽サークル
作者名:戦国熱気バサラ
「今日から、ついに合宿だね! 幸いなことに、この街には、まだまだ不思議なことが溢れてる。さあ、何から遊んでいこっか?」
七月二十六日木曜日、十六時を回った辺り。神秘楽サークル代表倉星麗音さんは、朗らかな笑顔でそんな言葉を投げ掛けた。
彼は――と、その前に。このサークルの理念は、その名の通り「世に遍く神秘的な事象を面白おかしく楽しむ」こと。電磁気だとか重力だとか、そういった難しいことは考えない。「宇宙ヤバイ」や「俺達は今、まさに禁断の扉を開こうとしているのかもしれない……!」みたいな雰囲気が味わえればそれで満足な集まりって感じかな。
代表の麗音さんは、神学部の三回生。月並みな表現だけど、不思議な人、というのが一番適切だと思う。性別の割にとても小柄で、女子の中でも背が低い部類に入るあたしに、輪をかけて小さい。栗色の髪は襟足が背中まで伸びている。細い眉に優しげな目付き、おまけに中性的な高い声で、余程気を付けて見ないと大抵の人は男だと判らないんじゃないかな。容貌もそうだけど、中身も負けず劣らず変わってる。何と言ってもサークルを立ち上げたのは麗音さんだし、他にも妙な事情に通じていたり、偶にじっと宙を見ていたり。名実共に、まさしく神秘楽サークル代表といった所ね。
「はい質問。絶対に、この街の怪奇現象でなきゃいけないんです?」
手を挙げたのは、トム君こと医学部一回生の柏崎認。こっちは普通の男子で、普通の短い髪に、一部が異様に筋肉質だったりすることもない普通の体格。小市民気質で突き抜けた点もない。ここにいるのは、「精神科医を目指すに当たり、オカルトに傾倒する人間の心理を知っておきたい」からだとか。バカにした様なスタンスだけど、あたしも怖い物見たさで入っただけだから、きつくは言えない。
「トム君、今回は大学での合宿なんだよ? 普段より長く時間を使えはするけど、要はそれだけでしょ。遠くのことについてねちねち調べるよりだったら、近場の不思議をがーって浚って行った方が、絶対に得だと思うんだ。尤も、トム君がそんな前提を軽く覆すような魅力的な案を出してくれるなら、話は別なんだけどね?」
「え、いや、俺は……すみません、何となく質問しただけです」
おずおずと引き下がり、そして暫く沈黙。サークルや部活なんて、こんなものよね。あたしも、何か意見が出せるといいんだけど……みたいなことを考えている内に、麗音さんの隣から声が上がる。
「あれはどうだい、初代市長の銅像の頭が、精巧な山猫のそれに挿げ替えられていた事件。ほら、今月の初めにあったろう」
発言者は、麗音さんと同じ神学部三回生の平坂智慧さん。彼とは対照的に高身長で、胸がある。それもかなりのが。色素薄めの茶髪はウェーブがかかっていて、両肩に乗せる感じでリボンで結んでいる。中途半端な吊り目と口調の漢らしさから、取っ付き辛そうではあるものの、全然怖い人じゃない。麗音さんの幼馴染だそうで、彼に対して深い愛情を懐いているのは火を見るより明らかだけど、付き合ってるということでもないみたいね。何だろう、不思議な関係。
「ありましたね、そんなの。犯人は重度の猫好きか、はたまた前衛芸術家か。本当、何を思ってあんなことをしたんでしょう」
「本当に、人間の仕業かな? あの事件は、不可解な点が多いんだ。それなりに車通りのある役場前で起きたのに目撃者がいなかったり、まるでまるごと鋳造したかの様に溶接跡が見つからなかったりね。実は、時空の歪みを通じて異世界から召喚されてきたとか」
ここで、電気を得たエジソンの如く喋りだしたのが、理工学部四回生で英国からの留学生でもあるトマス・エリクソンさんだ。
「だったら、重力波や放射線量の異常等の痕跡は未だ残ってるかね。それだけじゃない、像の辺りが時空歪曲を生じる条件を満たしてんなら、スターゲイトを直接観測出来る可能性も浮上してくるな」
金髪に人魂の髪留め、大きな隈、タンクトップとホットパンツの上に羽織った白衣と、風貌は極めてエキセントリック。皆からエリーさんと呼ばれる彼女は、神霊力学とかいう怪しげな研究に力を注いでいる。このサークルの趣旨には沿わない様に思えるけど、面白そうなことと見るとすぐぶつかって行く私達と一緒にいた方が、予期せぬいいデータが取れる気がするとか何とか。公認はされてないにせよ、重力波を観測したり、何もない空間からエネルギーを取り出す装置を開発したりと、実は途轍もなくすごい人みたい。
「落ち着いて、エリーさん。まだ、異次元の門だって決まった訳じゃない。最近、ねこつぶら型UFOの目撃報告が増えてきてるみたいだから、それと関係している可能性もあるのでは?」
そしてあたし、人文二回の真壁萌を入れた総勢五名が、神秘楽サークルだ。あたしについての説明は、必要ないわよね? あ、口調は、その……ごめんなさい、キャラ作ってるの。黒縁眼鏡って、どうしてもお堅いイメージが付いちゃうみたいで、いちいちギャップに驚かれるのも面倒だから、ね。あと、下手に女の子っぽくして麗音さんに可愛さで負けたくないってのもあるけど、お願い忘れて。
「ねこつぶらって、何でしたっけ? どうにも寡聞にして」
「中山間地域の古民具だね。藁や木が材料の猫用の飼育籠なんだけど、穴が開いてて、そこから首を出せる様な作りになってるんだよ」
相変わらず、麗音さんは変なことに詳しい。
「アタイは、異星人にゃあ興味はないね。生物の根本原理なんてのは、宇宙の何処でも同じだろう。蓋然性の高い存在が現れた所で、な。それに、連中の円熟した科学を教わるってのもつまらん」
「相変わらずドラスティックだな、エリーさん。しかし、彼らの科学体系を利用して、あなたの研究を否定する人々を見返すこと位は期待してもいいのではないかい?」
「バカ、それも、アタイの力でやるんだよ」
と、マッドサイエンティストが鼻を鳴らした所で、部屋のドアが控えめに三度叩かれた。人が訪ねて来るなんて珍しい、一体全体誰だろう。一瞬、エリーさんのスパコンの電力使い過ぎを疑ったけど、よく考えたらエネルギー源は例のハチソン=ダイナモだったし……。
「どうぞ、入って下さい」
代表に促されて入ってくるのは、二人の女性。ポニーテールに眼鏡の子と、その背中を押す凛々(りり)しい感じの黒髪の子。物凄く何処かで見た気がするんだけど、こういう時に限って思い出せない。誰だったっけ……と考えていると、いきなりトム君が大声を上げた。
「え、ちょっと待って、下さい。え、あなた方はもしかして、SO‐networkの文芸部そね子さんと森弘咲さんですかっ!?」
「は、はい、そうです……。すみません、突然押しかけてしまって」
恐縮した様に言うそね子さん。そういえば同じ人文の二回生だっけ。講義とかで姿を見かけることもあったけど、接点がないのとテレビを見ないのとで、アイドルだってことを忘れてた。もう片方の咲さんも、確かこの大学の理工一回だったわね。
「それで、アイドルさん達は、どうしてこんな所に来たのかな?」
「あ、その、こんなこと、頼んでいいのか分からないんですが……」
そう言って、ひとしきりもじもじする。その内に、業を煮やしたらしい咲さんが、一歩進み出て代わりに口を開いた。
「ああもう、しっかりしてそねちゃん、アイドルでしょっ。もういいわ、あたしが言ったげるから。――実は、そねちゃんのペットの猫が行方不明で、貴方がたにはそれを探して頂きたいんですよ」
その後の目配せで、一枚の写真が机の上に。写っているのはピースサインのそね子さんと、片方の腕に抱かれた白くて丸っこい――
「……ええと、これ、何て生き物なのかしら?」
「ツブラネコだね。飛騨の山奥の村で突然変異により生まれた丸いイエネコを愛玩用に品種改良していく内に、遺伝的に別の種に変化したものだよ。成立過程としては、金魚と同じ様な感じかな」
「このツブラネコ、名前は確かタマちゃんですよね?」
「はい。元気が良くてアパートでは流石に飼えないので、放し飼いにしていたんですが、一週間ほど前から姿が見えなくて……」
胸を押さえて語るそね子さん。さっきからトム君のテンション高めにそわそわしてるけど、それ以前に不可解な点があるわね。
「アンタら、依頼に来る場所を間違えてんでないかい? ここは神秘楽サークルであって、探偵研究会じゃないだよ。猫の失踪とオカルトとの間に、一体どんな関係があるってんだい、え?」
そうそう、それそれ。でも、エリーさんの姐御節はそね子さんの苦手とする所のものらしく、萎縮してしまっている様子。そこを察してか、詰問に答えるのは咲さんだ。毒舌キャラを売りにしてたと思ったけど、本当は優しい人なのかもしれない。
「それなんですが、いなくなったのは、タマちゃんだけではないそうなんです。即ち、この街の猫という猫が、根こそぎ」
「へえ、それは面妖だね。詳しく聞かせてよ」
麗音さんが、前のめりになって興味を示す。無駄に可愛い。
「私、猫が好きで、オフの日はよくタマちゃんを連れて猫を探しに行っていたんです。それが、ここの所仕事やテストやレポートで立て込んでいて、満足に構ってあげられないなと思っている内に、タマちゃんが……。一昨日は終日探し回ったんですが、その際、野良の一匹も見付けることが出来ませんでした。初代市長のお蔭でこの街には猫がとても多いですから、明らかに不自然です、そんなこと」
「ふむ……そういえば、僕が時折餌をやっていた野良猫たちも、近頃姿を見せなくなった。単に居住地を変えただけだと踏んでいたが、どうやら彼らも事件に巻き込まれたと見ていい様だな」
伏し目がちに呟く智慧さん。そね子さんを疑う訳ではないけど、身近に体験者がいるとなると、俄かに真実味が増してくるわ。
「ざっと見ると、7ちゃんやツイスターでも、その手の噂は飛び交ってる風だいね。完全にいなくなったと断言は出来ないものの、猫の数が著しく減少したってえことは間違いなさそうだ。そこからどう宇宙の神秘に結び付くのかは、未だ判然としないが」
「仕事柄、この街に関しての変な情報が、結構入ってくるんです。ねこつぶら型UFOとか、漆黒の怪人パラドックスとか、〈神様の脳〉計画とか。そんな中じゃ何が起きてもおかしくないから、もしかしてタマちゃん達もそんな怪しい事件に巻き込まれてしまったのではないかと、心配で仕事にも身が入らなくて……」
「それで、あたしがここを紹介したんですよ。丁度、妙な集まりがあるなって、サークル紹介の時から気になってた所でしたし」
妙……そういう自覚は確かにあるものの、直接言われると、やっぱり堪えるものがある。鋭い雰囲気を纏う咲さんの口からであれば尚のこと。一般寄りと思ってたトム君は、悦んでるみたいだけど。
「古代エジプトにおいて、猫は神聖な生き物として祀られていたよね。西洋東洋問わず、魔除けの意味合いも持っていた。九つの魂を擁するとも言われ、長年生きたものは猫又という妖怪になると伝えられている。時に明らかに視えているかの様に振る舞う彼らは、成程、神秘に近しい所にいるのかもしれない」
「では、引き受けて下さるんですね……!」
そね子さんの顔が輝いた。察するに、余程不安だったらしい。実際、オカ研ならばまず動かない様な依頼内容だもの。
「猫達が自らこの街を離れたというのならば、それを促す様な何かがこの街に現れたと考えることが出来る。麗音の言った魔除けの点からすると、猫では敵わない魔、邪神とでも形容すべき存在か。猫の嫌がる電磁波が何処よりか発せられているのなら、ねこつぶら型UFOの影響や地震の予兆を疑うことも可能だ」
「猫には縄張り意識がありますから、単に異常に強い個体が出現してここいらを席巻しただけ、みたいなオチな気もしますがね。しかし、地震の前に動物が騒ぐという話は、よく聞きます。反応したのが猫だけという点で、引っ掛かりますが」
「他に最も身近な犬は、繋がれていて逃げられないんじゃないかい。鳥なんかも、普段は気に止めないことが殆どよ。どうやら、動物一般について調べる必要がありそうさね。――それよか、邪神ってのは、低位かつ巨大な霊体だ。近くにいると、水が高きから低きへ流れるが如くに、アタイらの霊魂からも勝手にエネルギーが持って行かれちまう。そうなったら由々しき事態だよ」
エリーさんによると、霊とは、素粒子以前のエネルギー体のこと。宇宙はそれらの成長を意図して形成されたもので、様々な方法で物質に干渉し、生み出した情報を糧に存在の大きさを増してゆく。その中でも、最も効率の良い成長が期待できるのが、生物、特にヒトだとのことだ。宇宙全体としては、エネルギーが右から左へ移ろうと総量は変わらないので問題ないものの、エリーさんは人間から神へのシフトアップを目指しているから、奪われては困るらしい。
「連れ去られた線も忘れてはいけない。UFOによる誘拐事件は今更言うまでもないし、猫みたいな高等動物なら、何かの実験に使われてもおかしくはない筈。野良の皮は三味線には向かないと聞くから、命の危険はないと考えられるが……ごめんなさい、失言ね」
さきさんに睨まれ、あたしは口を噤む。
「と、いう訳で、何かしら大きな問題に繋がっていそうだからね、喜んで調べさせて貰うよ。二人はこの後の予定、どうかな? アイドルってことで、聞き込みが上手くいくかなって思ったんだけど」
「ええ、明日はサザナミタワーのイベントへの出演があるので無理ですが、今日一日と土曜日の午前中なら都合が付きます」
「じゃあ、その様にお願い出来るかな。――そうそう、自己紹介がまだだったね。私は倉星麗音。短い間だけどよろしく」
代表に続き、一通り名前を明かしてゆく。この手の紹介できちんと名前を憶えられた例がないんだけど、その辺りは、アイドルという仕事柄何とかなるのだと思いたい。
「あの、さっき言ってたイベント、俺も見に行っていいですか?」
「何ほざいてんだい。あんたが一緒に行ってどうすんのさ。真のファンってヤツなら、本当にそいつの為になる様に動きなよ」
エリーさんの説教を受けて、トム君はあからさまに消沈した。これは、今夜にでも絞っておく必要がありそうかしら。
「日も高いし、準備が整い次第、フィールドワークに出よっか」
「アタイは都市部でデータを集めるかね。トムにメグ、付いて来な」
そんなこんなで、合宿一日目は幕を開けたのだった。
Side:そね子 二六日 一七時五七分
「そういうことでマスター、この件に関して何か知らないかな?」
事のあらましを伝え終えた倉星さんは、そんな問いを投げ掛けました。マスターというのは、行きつけの喫茶『シュバリエ』の店長、岸和田武士さん。バーテン服を着込み、グレーのパーマ髪と口髭を蓄えた優しそうなおじ様です。ケーキを焼くのが巧くて、人柄も良いことから、小さい店ながらも結構繁盛しているそうですね。
ある程度聞き込みを済ませた私達は、休憩に情報収集を兼ねて、ここシュバリエに来ています。
「ふむ。猫がいなくなったという話は、確かにここ最近よく聞きますな。最初に相談を受けたのが、今月の初め。それ以来、解決を待たずして同様の方が二十人は来られましたか。故に私の方でも、何やら起こっているのではと懸念していた所でして」
「私達の得た証言と、一致してるね。猫の集団失踪は、どうやら歴とした事実であるとみていいみたいだ」
「それで、原因に心当たりは?」
平坂さんが訊ねると、マスターはぼりぼりと後ろ頭を掻きました。
「残念ながら、懸念止まりですな。因みに、室内飼いの我が家のグラハムは、いつも通り中で寝転がっておりますぞ。暑さと齢の所為か、食欲が落ちてきた気色はありますも」
「不調の原因を電磁波や霊障とするなら、エリーさんの言ってたことで説明が付くね。といっても、全く前進してないから、結局向こうの調査結果を待つしかなさそうだけど」
「お役に立てず、申し訳がありませんな。以降は、当方でも情報を集めてみることにしましょう」
手始めに、と呟いたマスターは、奥の方に一人で座って本を読んでいる、高校生くらいの女の子に声を掛けます。左目に眼帯右腕に包帯、それから大小絆創膏の数々……と尋常でない雰囲気の子です。
「この街からすっかり猫の姿が消えてしまったそうですが、鈴子さんは何かご存知ですかな? 学校の噂程度で構いませんので」
「ごめんなさい、マスター。こっち来たばかりで、あまり知らなくて……。あ、でも、『チュパカブラ』がどうのこうの話してるのは、よく聞いたかも知れません」
「ちゅぱかぶら、ですか。ありがとうございます。――おっと、それはそうと、そろそろ家に帰らないといけないのでは?」
女の子はばつの悪そうな顔をすると、挨拶をして席を立ちました。マスターがこちらに向き直ると、すぐに倉星さんの口が開かれます。
「チュパカブラは、南米で目撃されてる吸血怪獣だね。全身が毛で覆われていて、目は赤く大きい。鋭い牙を持ち、背中にトゲ状のものがある。直立が可能で、ジャンプして移動する。尖った舌を牛なんかの家畜に突き刺して、血を一滴残さず飲んでしまうって話だよ」
「米軍の遺伝子操作の結果生み出されたモンスターとする気勢が強いが、異星人のペットとの見方もあることから、ねこつぶら型UFOの出現に際してその様な噂が急速に広がったのだろう」
「そういや、ラジオで、そんな投書あったわね。『H市郊外で出た!』って感じの。そねちゃんも憶えてるでしょ?」
咲ちゃんに言われて、私もようやく思い出します。SOでやっているラジオがあるのですが、『ふたねさんの悪霊退散!』というコーナーに、H市にまつわる様々な怪情報が寄せられるんです。前々回がチュパカブラで、凜子ちゃんと二人して怖がっていました。
「双音さんは、きちんと退治してくれたんでしょうか。そんな魑魅魍魎が跋扈する中にタマちゃんがいるかと思うと、心配で仕方がないです。早く見つけ出してあげないと……」
今日の調査はこれで終わり、明日は仕事があるから、後は神秘楽サークルさんにお任せするしかありません。そう頭では分かっていても、逸る気持ちだけが先行し、私は卓に突っ伏してしまいます。
「そねちゃん、落ち込み過ぎ。明日もそんなんじゃ、これから先仕事減らされちゃうわよ。ほら、顔上げた」
「でも猫分が、猫分が足りないぃ……もふ、もふ……そうだマスター、グラハムちゃん連れて来て貰えませんか?」
「流石に、店内には入れられませんな。かと言って我が家とて、人を招ける様な場所ではありません。ケーキをサービスします故、どうかそれで手打ちにして頂きたいものです」
本日のミルフィーユは会心の出来ですぞ、そんな言葉と共に目前に置かれたものを、私は自分でも驚く程器用に平らげました。それでも尚焦燥は消えず、堪えきれず大きく溜息を吐いてしまいます。
「……マスター、お酒出して下さい。マタタビ酒」
「ちょっとそねちゃん、アルコール駄目なんじゃなかったの? ふたね先パイに飲みに誘われた時、必死に逃げようとしてたじゃない」
「無理でも、今は飲みたい気分なの。酒精でも持って来なきゃ、タマちゃんのいない不安は紛れてくれそうにないから……」
咲ちゃんは暫くの間、至極心配そうな面持ちで私の目を覗き込んでいました。しかし、やがて観念した様に頭を振り、背後に立って肩に手を回してきます。
「分かったわ。今日のそねちゃんは、あたしが面倒見たげる。だから、安心して酔っ払っちゃいなさい。この貸しは高くつくけどね」
彼女の優しさが身に沁みます。こんないい子に毒を吐かせるとか、カシスPやマネージャーは少し反省した方がいいですよ。
グラスに注がれた浅黄色の液体を呷ると、いやに胸の辺りが熱くなりました。遅れて慣れない味が舌を焼き、私は思わず顔を顰めてしまいます。そんな様を見て、微笑のマスター。
「独特の味でありましょう。マタタビ酒は薬としても用いられましてな、滋養強壮に非常に良いのですぞ」
猫が喜ぶことから、さぞかし美味しいのだと踏んでいましたが、やはり実際に触れてみないと分からないもの。二口目を含むと、びくっと全身に震えが走ります。でも頼んだ以上は、全部飲まないと。
そうしてグラスを傾けていると、あらぬ方から声がかかります。
「ねえ、そね子さんにとって、オカルトってどういうものかな?」
その出所は、言うまでもなく倉星さん。可愛らしい外見に似合わず大きなワイングラスを片手にした様は、何とも危険な臭いを感じます。先輩ですから、何の心配の必要もありませんけどね。
「何をおいても、怖い、というのが先にあります。明らかでないもの、認知されない脅威がタマちゃんや大事な人のすぐ傍にあるかも知れない、そう想像するだけで鳥肌が立ってしまいますよ……」
うーん、そっか。相槌を打った彼女は、手の上の赤黒い液体をくるくると揺らし、少しして再び口を動かします。
「こう考えることは出来ないかな。目に視えないモノたちの中には、確かに危険なのもいるけど、逆に護ってくれる存在も多いって。例えばだけど、そね子さんの後ろに十一人の神様がついてるって聞くと、ちょっとは安心してこない?」
その数値は、一体何処から出てきたものなんでしょうか。
「言ってはなんですけど、とても信じられません。神様が助けて下さるなら、人生、もっと上手く行っていそうなものですから」
と、アイドルなんかやらせて貰っている、私の口から出せる言葉ではない様な気がしますが……。
「失敗も必要なことだよ。人の命は学びの場、魂の大学なんだ。喜び、勇気、義憤、恋慕、苦しみや悲しみに抗う意志――そういった感動が魂に大きなエネルギーを生んで、質と量が高まっていく。神々はそれを見学しつつ、要所で手助けする立場にある訳だね」
「はあ、なるほど。しかし、本当の所は誰にも分かりませんよね?」
「それでも、これを受け容れれば、大抵の悩みが意味を喪うだろう。茶番だと分かったのなら、純粋にそれらを楽しむことが可能となる。どうせだったら未知の領域、鼻摘み者のオカルトを開拓していこう、というのが麗音と僕の思想さ。無論、強要する気はないが」
平坂さんの語った内容を、ぼんやりした頭で反芻します。理屈は、何となく理解出来ました。しかし、闇に潜む脅威への不安は依然としてあって、とても楽しめるとは思えません。
「今はまだ、分かんなくていいのよ。この先、二人で考えてこ?」
咲ちゃんが、脇から手を重ねてきます。気恥ずかしさはありますが、見た限りではお二人も同類みたいなので、この際いいですよね?
「じゃあ、そね子さんがオカルトを楽しめるようになる為にも、私達でタマちゃんを見付けないとね。頑張ろう、智慧」
「ああ。僕も、出来る限りの手は尽くすと約束する」
「お二人共、ありがとうございます……」
私が頭を下げると、倉星さんは「いいよ、私達も楽しませて貰っちゃってるから」と笑いました。藁にも縋る思いで依頼しましたが、どうやら間違いではなかった様です。
「そろそろ、あの三人も来る頃合かな。私達はこのままここで食べてく予定なんだけど、そね子さん達も一緒にどう?」
私は頷き、後の席では、主に同僚の話題で盛り上がったのでした。
Side:萌 二十七日 十五時〇二分
一日目と同じ顔ぶれのあたし達は、住宅街の方でフィールドワークをしている所。昨日麗音さん達はこの辺りで聞き込みをしていて、それと場所を入れ替えた形ね。炎天下を半日歩き通しで、トム君の疲労の色が濃くなってきた。
「エ、エリー先輩……そろそろ……休み、ません?」
汗だくの彼は、背中に計器を満載したデスクトップPCを背負っている。電力は小型ハチソン=ダイナモで賄っているという話で、ノートじゃないのは部品の小型化が面倒だとかスペックを限定されたくないだとか、色々理由あってのことらしい。
「何を言ってんだい。何時、何処から変動重力源や因果律の歪みが歩いて来てもおかしくないんだ、こんな所で足を止める奴があるか」
「そんな殺生なぁ……」と、トム君は哀願の眼差しを、あたしに。
「男なら足で稼いで貰わないと困るよ。まあ、無理にとは言わんが」
エリーさんに逆らえば、後が怖いもの。という訳で、南無三。
「さてメグ、ダウジングの調子はどうだいね?」
「時折反応はあるも、未だにコツが掴めておらず、探索途中でロストしてしまうのが現状。もっと努力しようとは思う」
「その辺りは気にせんでいい。指標としては上々の働きよ。――しかし、本当に猫どもときたら、何処に行ったのかね」
科学者は空を見上げる。目の前にありながら認識出来ない、そんなものを観測するのは彼女には容易いこと。だけど、何億光年の彼方で生まれつつある星の様に、所在の分からないものに関しては歯が立たない。それ程までではないにせよ、行方不明の猫は、エリーさんにとって厄介な敵だ。ここは、あたし達が推論を頑張らないと。
と、そんな時。唐突に警告音が鳴り響いた。
「うへっ、何なんですかいきなり?!」
「急な計測値の変化があった様さね。特定帯域の電磁波量が異常な高まりを見せている……どうやら、妨害電波らしい」
「つまり、秘匿されねばならない何かが、この近くで行われているということね。それで、発信源は?」
「反応が強くなる方に向かえば、自ずとぶつかるだろうさ」
エリーさんは一つの観測アンテナを外して手に持つと、辺り一帯に翳して反応を探る。そんな感じで導かれるままに歩いて行くと、最終的に住宅街の中心、あるアパートの一室前に到達したの。
「ここか、怪電波の出所は。見るからに怪しいな」
『だがし屋 ねこつぶら』と書かれたチープな看板、それが掲げられたドアの真中にはあろうことか大きな穴が口を開けていて、その先には無限大の奥行きを持った闇が広がっている。
「また、この単語ですね。何かの嫌がらせでしょうか」
本当に。ねこつぶらといいツブラネコといい、何か作為的な物を感ぜずにはいられないわね。これが俗に言う共時性、あるいは、サムシンググレートの采配というものなのかしら。
「ねこつぶらなんて、普通に生活していりゃまず耳には入らない。最初に件のUFOをねこつぶら型って言い出した奴は、ここの存在を通じてねこつぶらそれ自体を知っていたのかね。――とまあ、んなことはどうでもいいんだ。アタイはこの手のことには疎いのさ、メグ、この駄菓子屋について何か知っちゃいないかい?」
あたしは首を傾げる。この街には大学入学と同時に移って来たから地理も曖昧だし、顔が狭くて大した情報も入らないもの。看板を見詰めて途方に暮れていると、不意にトム君が口を開いた。
「ああ、思い出しました、『駄菓子屋ねこつぶら』。先々月の『SOなのか! H市』第五八回の「そね×さき珍道中」で、そね子さんと咲さんが訪れた所ですね」
「ほほう。それで、どんな曰くがあるんだい」
「論より証拠、見てて下さい。――すみませーん、マオリ屋のべちご焼き、一つ頂けますかー?」
トム君の言葉に応じる様に、扉のダークホールから、えぐい色をしたナニカが転げ落ちてきた。彼はそれを、躊躇なく拾い上げる。
「こういう風に、扉越しに欲しいお菓子を注文すると、このねこつぶらの穴から出て来るんですよ」
「おいおい、代金はどうするってんのさ」
「後日、どういう仕組みか自宅に領収書が届くって話ですね」
プライバシーとは投げ捨てるもの、何故かそんなフレーズが頭に。
「ところで、何なの、その気味の悪い極彩色の物体……」
「知りませんか、べちご焼き。昔人気を博したお菓子で、俺も好きだったんですが、十二年前に工場が謎の爆発を起こして製造中止になってしまったんですよね」
包装を破り、何の疑問も持たず齧り付いてしまう彼。
「ちょ、賞味期限とかっ!」
「別に、普通に美味しいですよ。期限だって、ほらこの通り」
差し出された包装の裏面には、『46・08・08』の表記。もう、訳が分からないわ。いつよ、四六年八月八日って。
「中で、タイムマシンでも動かしてんのかね。だったら、アタイは手を引こうと思う。電磁波の波形は記録したし、猫に影響するかどうかは、グラハムにでも照射すれば済む話さ」
回れ右して歩き去ろうとするエリーさん。どうにも釈然としないものを感じながらも、あたしはそれに追従した。
「今頃、そね子さん達は、タワーの楽屋でキャッキャウフフしてるんですかねえ……。ですが俺ときたら、笑えますねえ。こんな所で、こんな小さな画面を覗くことしか出来ないんですから」
シュバリエの一角で自嘲気味に嘯くトム君は、スマートフォンのワンセグ機能を立ち上げて、中継番組の開始を待っている。
「鬱陶しいね。男なんだから、時には潔く諦めな。大体、さっきここで打ち合わせしてる連中には会えたじゃないかい」
エリーさんは、大画面の例のデスクトップで、収集したデータを整理中。そっちでも放送の受信は可能で、ずっと背負っていたことを理由にトム君が使用権を主張したけど、敢え無く却下されてたわ。
「いやいや、プライヴェートもいいですけど、ライヴに勝るものは無いですよ。というかエリーさん、普段は霊魂レヴェルで男女の違いはないって豪語してるのに、今の言い方はないんじゃないです?」
「それとこれとは、別の問題だよ。肉体がある以上、魂もそれに引き摺られない訳にはいかないからね。私も色々と大事な物を諦めて来たし、ここは折れておいた方がいいと思うな」
剛毅さと可憐さを併せ持つ麗音さんに言われては、返す言葉もないわね。トム君が押し黙った所で、岸和田さんが料理を運んできた。注文通り各々(おのおの)に配膳し終えると、調査の進捗を尋ねられる。
「麗音さん、その後何か進展はありましたかな?」
「うーん、ぼちぼちってとこ。市街の方には元々猫も少なかったからね。あ、でも、白猫を追いかけてるって二人組には会ったっけ」
「その子達なら、当店にも来ましたぞ。碌に話も出来ないまま、走って行ってしまいましたが。一匹とはいえ猫がいたのが事実だとすれば、何か解決の糸口になるやも知れませんな」
マスターの発言に、代表は何とも言えない表情を浮かべる。
「どうかな。多分彼らが見たのは、実在する猫じゃないよ。猫にしては、人並みに霊格が高かったからさ」
「ふうむ、どうにも私には想像適わぬ世界です」
「後で分かるよ、全ての意味は。ね、エリーさん」
「無論さ、アタイに任せときな」
カレーのスプーンを念力で曲げるかの様に掲げて応える姿は、頼もしいというか、何というか。まあ、いつも通りで安心はしたわ。
岸和田さんがカウンターに戻った後、あたし達は適当に議論しながら食事をし、やがて時刻は午後六時を回る。最初に異変に気付いたのはエリーさんで、悲鳴じみた怒鳴り声が辺りに響き渡った。
「まいがっ、なんてこったい! 計器がイカれやがった!」
「いきなりどうした。一体、何が起こったと言うんだい」
「霊圧計が異常な高エネルギー霊波を観測したと思ったら、メーター振り切ってぶっ壊れちまったのさ。こいつはアタイの特製で、金じゃ買えないもんだってのに……」
智慧さんの問いに、エリーさんは苦虫を噛み潰した風に答える。
「またUFOでも出たんですかね? 中継も止まりましたし」
「こういう時は、ツイスターに限るよ。……停電、みたいだね」
携帯電話の画面を眺めながら、麗音さんが厳かに呟く。夏ということでまだ外は明るく、照明を付けてないから気付けなかった。
「ヘイ、マスターブシドー。電子機器の起動を試みてくれないかい」
武士さん(マスター)が照明のスイッチを入れると、確かに何も起こらない。
「復旧の見込みは、ありそうですかな?」
「どうだろう。取り敢えず、私達は外に出てみるよ」
会計を済ませたあたし達は、シュバリエを後にした。
停電の規模はH市全域に及び、全国区のワイドショーでも取り上げられた程らしい。消費電力量が急に供給を上回ったことが原因で、変電所の設備が負荷によって壊れた為に復旧に手間取り、日付が変わった今でなお街には明かりが戻っていない。
エリーさんの発電機のお蔭で電気には困らないあたし達は、合宿所でわざと蝋燭を囲み、怪談よろしくオカルト談義に花を咲かせている。主な話題は猫消失に先の停電、そして予定通り行われた商店街の花火大会――の最中に現れたねこつぶら型のUFOについてね。
「ネットに上げた動画に対する反応は、今どんな感じだい」
「パッとしないね、今一つ。映像撮影と光学カメラと宣伝工作に関しちゃアタイは専門外だ、高精細でないUFO映像の価値は低いだろうよ。まあ、停電が収まれば、幾らか状況も動くかも知らんが」
「しかしまさか、本当に出るとは……」
トム君は、画面に映る青白いずんぐりした飛行物体を、畏怖の籠った目で見つめる。側面の彩度の異なる部分が穴の様に見えて、まさしくねこつぶら型という表現が相応しいものだと感じるわね。
「幾度も現れるのだから、正体が宇宙船にせよ弾性プラズマにせよ、UFOを誘引する何らかの要素がこの街にはあるということになる。それは、猫の集団失踪とも浅からぬ関係がある様に思えてならない」
「そうだね、萌ちゃん。何事も、繋げて考えた方が面白い。世界の全てが霊という裏付けの上で回っている様に、この街の神秘的現象にもまた、何か単一の背景があるのかも知れないよ」
愉しそうに語る麗音さんの言で、あたしは俄然昂揚してきた。知れば後戻り出来ない、重大な秘密に迫りつつあるのではないか、そう考えるだけで心臓の鼓動が早くなる。この感覚が堪らなくいいの。
「明日以降の活動内容は決まったね。そろそろ――んっ」
代表の口が、唐突に閉じられる。残念ながら智慧さんの接吻を受けたからという訳ではなく、細い右手人差し指を唇に当てた彼は、そろそろとその視線の先を窓の外へと向けた。
「何か、聞こえてきますね……」
トム君が零す通り、幽かながら、聞き慣れない音が鼓膜を震わす。今日合宿所を使っているのは神秘楽サークルだけ。つまり、人間の発している音とは考え難い。とするなら――
「もしかすると、UFOの駆動音かもしれないよ。今日の活動の締め括りに、ちょっと第三種接近遭遇に挑んでみちゃわない?」
悪戯っぽく首を傾げる麗音さん。反面、あたし達は、ごくりと唾を嚥下した。怪異を追ったことはあっても、未だ直にそれと対面したことは、少なくともあたしにはない。好奇心と同時に、対人恐怖症じみた不安が襲ってくる。……けれども、やっぱりオカルトフリークとしてのあたしの方が、一歩勝っていたみたい。
「VSプレデター&四〇(フォーティー)炎上等。行って正体を明らめよう」
「俺としては、ここは勇気を持って諦めたい所ですがね」
「問答無用。この腰抜けめ。さあ、今が翔け抜ける時。最早退路はない。己の罪を数えながら、あたしに出会った不幸を呪え」
心無い言葉が飛び出すおかしなテンションで、あたしはトム君を引っ掴み、月明かりだけの照らす大学構内へと踏み出した。「積極的だな、萌……僕も、いい加減覚悟を極めないといけないか」とか聞こえてきた気もするけれど、深く考えることでもないわよね。
『ぽいん……ぽいん……』近付く程にはっきりしてくる音は、聞けば聞くだけ耳に覚えのないものだと分かり、あたし達の間にはいつにない緊張感が漂う。無理に言うなら、そう、バランスボールをドリブルした様なその音。どうやら空飛ぶ円盤に由来するものではなく、時折茂みをがさがさやりながら地上を移動しているみたいだ。
「非業の死を遂げたバスケ部員の怨霊でも徘徊してんのかね? 豪く剽軽なサウンドを撒き散らしてからに」
「さあ。低級の地縛霊なら、今の私じゃ近寄らない限り分かんないよ。逃げちゃわない様、慎重にいこっ」
『ぽいん! ぽいん!』音源は、もう目と鼻の先。強かに耳朶を打つそれは、ポルターガイストやラップ音といったものを彷彿とさせる。――つまり、希求めてきた体験が、すぐそこにあるんだ。
その時のあたしは、正直どうかと思う位舞い上がってたのよ。それで何をしたかと言えば、音のする方に、まるで引き寄せられるかの様に歩いて行ってしまった。バカみたいに、何の構えも作らずに。
「きゃふっ!? わっ、わ……!」
茂みから飛び出してきた何者かが、あたしの胸に衝突する。変な声が出るのも束の間、それの持ついやに大きな運動エネルギーが相応の撃力を生み、重力と慣性の為すがまま仰向けに倒れてしまう。
後頭部のお団子のお蔭で、幸いなことに脳のダメージには至らなかった。だけど、その時眼鏡が外れて、視界がぼやけて何も見えなくなる。しかも、私を倒したナニカがお腹の上で暴れ、特に胸を重点的に叩いてきたから堪らない。
「ん……くっ、あ……やっ……やめ……!」
あたしの事情なんて知ったこっちゃない、そんな具合に弄ばれてゆく。一体何者なのかと混乱した頭で考えていると、不意に、麗音さんから聞いたチュパカブラのことが思い出された。
生き血を啜るモノ――得体の知れない怪異が触れているのは、胸。おっぱいだとか言う以前に、もっと大事なものがそこにはある。全身に血を送り出す器官、心臓だ。もしチュパカブラだとしたら、あたしの心臓に舌を突き刺して、肺静脈から出たばかりの新鮮な血液を根こそぎ吸い取ろうと画策しているんじゃないか。――いや、この時のあたしには、もうチュパカブラにしか思えなかった。
「や……嫌……っ!! 離れてっ……離してぇっ! あたし、まだ死にたくないっ、死にたくないよぉ……」
エリーさんの曰く、霊魂は永遠不滅のものだ。それを否定するつもりはないけど、やっぱり痛いのは怖い。恐い。必死の思いで振り払おうとするものの、あたしの腕は動かなかった。「この腰抜けめ」自分の口から出た言葉が、ここにきて返ってくる。相手の思うままにされながら、為す術の無いあたしは、無力と絶望に喘ぐしかない。
「うっ、えぐ……やだぁ……」
頬を、塩辛いものが伝う。泣いたって、何か状況が好転する訳ではない。それでも、漏れ出す嗚咽は止められなかった。
「助けて! 誰かっ! うぅ……トムくぅん……」
ピンチの時に後輩の男の子の名前を呼ぶなんて、恥ずかし過ぎるわよね。でも、そこで気が付いたの。あたしの周りには、神秘楽サークルの皆がいるってことに。こういう状況への耐性は高いだろう彼らが何も手を出さないというのは、すごく不自然だ。
「真壁先輩」宥め賺す様なトム君の声。それと共に、視界のぶれが解消される。覗き込む彼と暫し目を合わせ、指差された先、あたしの胸の辺りに怖々(こわごわ)視線を移す。驚きの白さと、球形に近いフォルム。短い手足をばたばたさせるソレに、あたしは激しい既視感を覚えた。
「えっと、これ……タマちゃん?」
Side:そね子 二十八日 十時二十五分
タマちゃん発見の報を受けて、私と咲ちゃんは、再び神秘楽サークルを訪れました。部室の扉を開けると、平坂さんに抱かれていたタマちゃんが、ぽいんぽいんと跳ねて飛び付いてきます。久しぶりの感触に、感極まった私は、優しくぎゅっと抱き締めました。
「無事で、本当に良かった……! ――あの、この子、何か迷惑をお掛けしませんでしたか? 見ての通り、よく跳ねるから……」
「ご心配には及びませんよ。そうでない人も、若干名いますが」
皆さんの目が、真壁さんに集まります。彼女は途端に顔を紅潮させ、頭を左右に振って、大層恥ずかしがっている様子です。
「もういいでしょっ、そのことは! お願いだからやめてっ! あの時のあたしは、きっとおかしくなってたのよ……」
そう言って、しゅんとしてしまいました。これはマズいかもです。
「嫌な思いをさせてしまったみたいですね。申し訳ありません……」
「ああ、そね子さんは気にしなくていいの。あたしが悪いんだから」
慌ててフォローを下さる真壁さん。自分の傷を抉ってまでそうして貰えるのは有り難いのですが、余計に申し訳なく思えてしまいます。咲ちゃんもそれは同じ様で、横から助け舟を出してくれました。
「それはいいとして。ここに来る途中、街で多くの猫を見かけました。結局何が起きていたのか、説明を願えますか?」
すると倉星さんは、目を閉じて困った様な表情を作ります。
「やっぱり、他のも戻ってたかぁ。実は、私達の方では、特に何もしてないんだよね。言うなれば、勝手に解決しちゃった感じ」
それを聞いて、咲ちゃんの顔が曇りました。
「それ、大丈夫なんですか? もしかして、タマちゃんに何か仕掛けられたりとか、してませんよね」
「その点なら、恐らく心配は要らんさ。考えられる手は全て尽くして、精密な検査を施しておいた。現代科学を著しく逸脱していない限り、ICチップや爆弾や盗聴器の類はないと断言出来る」
「でしたら安心、ですね」
不穏な単語に、少しだけ不安を煽られましたが。
「猫の失踪、先の停電、ねこつぶら型UFO……これらの間には何らかの繋がりがあるものと、僕達は踏んでいる」
「ねこつぶら型UFOですか?」
「ええ、昨日も花火大会の影で出現したんです。多分、今夜のラジオにも、その手の投稿はあると思いますよ。俺もメール出しました」
画面に映る飛行物体を見ると、背筋が震えてきます。これの中に、タマちゃんや野良猫達は連れ込まれたというのでしょうか。
「推測だけど、この中には、地球人が乗っていたんじゃないかな。それでこの機体も、サザナミコーポレーションが作ったものの可能性がある。あすこは元々海に関係する製品を扱っていたけど、近年大幅に事業の裾野を広げてきているんだ。その中には、尖った技術を要するものも目立つからね」
「ディメンジョンダイバーというゲームのことは聞いているかい。意識を電子化してコンピュータ上に複製、絶えず同期を行うことで、仮想空間での任意運動を可能にしたものだ。一企業が開発したものにしては、あまりにも先進的が過ぎるのではないだろうか」
平坂さんの言葉に、昨日会った佐々波龍之介さんのことが思い出されます。確かに、あの若さでそんな物を作れるのは、ちょっとだけ不自然。ただ、悪事を働く様な方には見えなかったのですが。
「エリクソンさんも、大概並外れてませんか?」
「いいんだよ、アタイは。それよか、常識的に考えて、数人の天才が集まった程度で完成出来る代物じゃあないんだ。科学を突き詰めると、どうしてもオカルトの分野に踏み込まざるを得ない。そんな勇気がある奴なんざ、一握りも一握りさ」
「と、いうことは……どういうことなんでしょう?」
今一つ話が見えて来ず、私は愚鈍な質問を投げ掛けます。
「何か大きな力が、サザナミの後ろについていると考えられるわ。例えば国、もっと言うと――軍部とか。ディメンジョンダイバーなら、精巧なシミュレータとしての運用も可能。民間に技術や資金を提供する代わりに、公式では困難な研究を任せているのでは」
軍部、ですか。言われてみれば、どう見てもあれは軍ですけど……こんなにはっきり言う真壁さんみたいな人に会ったのは、咲ちゃん以来です。当たり前のことを当たり前に言えないのは、情けない話ですね。さっきの言葉では、それでも結構頼りになりそうですが。
「非公式なのをいいことに、少々問題のある研究も行われているかも知れませんね。主に、倫理的な意味で」
柏崎君の渋い表情に、私も何となく事情が飲み込めてきました。
「猫は哺乳類、高等動物に属してるよね。私達人間と同じだ。つまり、使おうと思えば、人間の代わりにすることも出来る」
「人を使うには危険な実験。それを猫で代用するべく、ねこつぶら型UFOを使って捕獲していた……そう言いたいんですね」
咲ちゃんの言葉を受けて、倉星さんは重く頷きます。
「端的に言えば、そういうこと。停電は、その実験に使う電力が膨大だったことに原因があるんじゃないかな。それか、十分な電気を確保する目的で、停電ということにしたとか。変電所の設備が壊れても、発電所から電気は来てるんだよ。それを横から、ね」
「実は昨日のイベント中、タワーの全機器が一斉に作動してしまうトラブルがあったんです。停電はその後すぐに起きましたから、それが原因だと思うのですが……」
「いやいや、たかが娯楽施設一つが、そんなに大量のエネルギーを喰うもんかい。幾ら原発が止まって電力が足りないからって、その程度で壊れる変電所じゃないよ。そんな時の為に、それなりの遊びを用意しとくのが、技術者の定石ってもんさ」
エリクソンさんの発言には、妙な説得力がありますね。私が文系で、科学から遠いせいなのでしょうけど……。それ以上に、深淵を手にしているかの様な、そんな雰囲気の為せる業かも知れません。
「今考えたんだけど、UFOは単なる目眩ましで、停電や花火といったものと合わせて人々の気を逸らしている内に、トラック等で猫を解き放っていたというのはどうかしら」
「それだと、誘拐の際の辻褄が合わなくなる。いかにベッドタウンと言えど、目撃者がいない筈はないだろう。対象は、市内の野良や放し飼いの猫全てに及ぶんだ」
「何かを使って呼び寄せた、とは考えられませんかね。電波とか。駄菓子屋ねこつぶらのは、結局ただのジャミングでしたが」
そのお店にも、覚えがあります。先々月ラジオで紹介した後も、咲ちゃんと一緒に何度か行きましたから。
「そっちのねこつぶらにも、何かあるんですか?」
「そこから、強めの妨害電波が放たれてたのさ。何かと思って調べたら、そこの経営者が、サザナミの下請けの安念建設の社員って話じゃないか。きっとそこで、極秘の書類でも扱ってるんだろうね。ねこつぶらで繋がってる辺り、わざとらしさを感じるよ。それで電波の件は、まあ、ないと見ていい。自宅の観測機の記録も遡って調べてみたが、それらしきものはなかったわ」
普段深く触れない分野の話を聞いている所為か、何だか、頭が混乱してきました。長くいて気を遣わせてしまってもいけないかなと思った私は、一番大事な部分を訊ねてみることにします。
「あの、話の腰を折るようで申し訳ないんですが……。実験が行われたとする場合、具体的には、どういったものが考えられますか?」
「そうだね、猫だったら、脳か霊魂関連の二択――」
脳……何だか不安になる単語です。翳った私の顔を見てか、倉星さんは励ます様に微笑みました。
「大丈夫、心身共に、タマちゃんには何の異常もないよ。多分、ディメンジョンダイバーのシステムを応用して、高性能の猫リンガルでも作ろうとしてたんじゃないかな」
「そんなことなら、普通にモニターを募集すればいいだけでは?」
「広報にも、結構なお金が要りますからね。風呂敷を広げ続けるサザナミ各所としては、予算不足故の苦肉の策だと思いますよ。空飛ぶねこつぶらなら、色々応用も利きますし」
咲ちゃんも同調して、私を元気付けてくれます。そうですね、無事に戻ってきたんですから、後のことは専門の方々に任せましょう。
「それを聞いて、安心しました。あの、皆さん、私なんかの依頼で動いて下さって、本当にありがとうございました」
「だからいいって。私達も、すごく楽しめたからさ」
それぞれに頷く彼らに、私の感謝の念は止まりませんでした。
「そうだ。そね子さんに咲さん、神秘楽サークルに入らない? 参加するのは、オフで気が向いた時でいいから」
真壁さんに言われて、私と咲ちゃんは顔を見合わせます。親友の瞳は、「好きにしていいよ」というメッセージを湛えていました。――思えばこれも、良い機会かも分かりません。オカルトを克服して、ラジオでやりたい放題の双音さんに、一泡吹かせたりだとか。
「ええ、私みたいなので良かったら、是非お願いします」
はにかみながら口にすると、眼鏡の奥の目が見開かれました。
「驚いた、社交辞令のつもりで言ったんだが……。まあなんだ、そういうことなら、引き続き宜しくお願いするわ、そね子さん。この際萌って呼んで、あと敬語もいいね。同じここの二回生なんだ」
そう言いながら、右手が差し出されます。その手を取ろうとタマちゃんを抱く力を緩めたのですが、その瞬間、私の胸を離れ――
「きゃふっ!? はわっ、またっ……!」
勢いよく飛び付かれた萌さんは、耐えきれずに床に倒れてしまいます。お団子に衝撃が吸収されて、大事には至っていないみたいですが……それでも私は、声を張り上げました。
「萌さん、大丈夫!?」
「え、ええ。実は昨日の夜も、こういう風になっちゃって……。辺りは真っ暗で、あたし、その時凄く怖かった。――でも、オカルトを止めようとは、思わないんだ。怪異だと勘違いしてたタマちゃんも、日の下で見るとこんなに可愛いんだもの。そね子さんもこういった心境に至れることを、願ってるわ」
タマちゃんを抱いて立ち上がった萌さんと、改めて握手をします。
「そねちゃんが入るなら、当然あたしも一緒ですからねっ!」
咲ちゃんが割り込むと、柏崎さんが歓声を上げます。
「おお神よ、お恵みに感謝致します……」
「おいトム、あんた、無神論者じゃなかったかいね?」
皆さんから、どっと笑いが起きました。私も、思わずくすっときてしまいます。これからの日々は楽しいものになる。漠然とですが、そんな予感が、既に私の中には生まれていたのでした。 (完)