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白猫と星探しの迷子

作品タイトル:白猫と星探しの迷子

作者名:斎垣(さいがき) (れい)


「おはよ、秋也(シューヤ)

「……はよ」

 寝不足の頭を押さえ、俺は下へ降りた。居間には小学生の少女が我が物顔で座っている。ツインテールをまとめる白いリボン。従妹(いとこ)()()だった。俺は朝食が準備されている席に座る。かあさんがバックを掴み、ドアの前で振り返った。

「じゃあ秋也くん、私は買い物に出かけてくるから、優香ちゃんよろしくね。優香ちゃん、ゆっくりしていってね」

「はーい」

「ういうい。……子守りしてたら勉強できねーだろうが……」

 俺は一応受験生である。勉強など、するつもりは毛頭ないが。この寝不足だって、今日講習が休みだということを良いことに、七ちゃんやら動画やらに入り浸ったせいなのだ。受験生でなければ、発表間近のディメンジョンダイバーだって、即やれるのに……! ぱたんと閉まる扉。しばらく無言のまま白米を頬張ってから、子供用携帯電話のストラップをいじる優香に声をかけた。

「またおばさんと喧嘩したのか」

 優香の動きがとまった。

 優香は片親だ。正確には両親ともいた。しかし父親が事故にあって他界してしまった。悲しいことは続くものらしく、優香の母さんは、夫が亡くなったことに立ち直れなくて、心を病んでしまったのだ。そんな妹を気にかけた父さんが二年前、母子をこの街へ呼んだのである。優香は母と喧嘩した次の日、それもうまく仲直りできなかった日は、朝早くから我が家を訪れる。かあさんもそれがわかっていて、買い物と言っていたが、おばさんの様子を見に出かけたのだろう。

「うう……、私、悪くないもん。悪いのはお母さんだもん」

「お前そう言って、仲直りする時いっつも大泣きしてるくせに」

「な、泣いてないもん! 秋也の嘘つき!」

「へいへい」

 優香は俺のからかいに顔を真っ赤にさせて机をバンバンと叩く。喧嘩の怒りは引きずっていないようだ。俺は味噌汁を飲み干し、空いた茶碗類を流しへ下げた。

「で、今回は何で喧嘩したわけ?」

「……昔のアルバム見てたの。お父さんが居た頃の。それで……」

 優香とおばさんの喧嘩の原因の、大半がこれだ。自分の死を引きずって、未だ母娘が喧嘩を繰り返しているなんて、おじさんも苦しいに違いない。しかし俺たちは、未だどうすることもできないでいる。

「それで、今日は何しに来たんだよ?」

 そんなわけで、優香がそうやって家に来たときは、おばさんが優香を迎えに来るまで、俺が優香の子守りと言う名のご機嫌取りを暗黙の内に命じられているのである。

「秋也今日学校ないんだよね? お勉強会もないんだよね?」

「おう」

「なら外に遊びに行きたい!」

 優香は休日になると家族で遊びに行っていたのだという。けれどおじさんが亡くなってから、そんなこともなくなってしまった。歳の割には大人びた発言をすることも多いが、こういう所はまだ子供っぽい。おばさんには頼みにくいからと、優香はよく俺にそう強請(ねだ)った。

「姫がお望みなら。出かける準備してくるから待ってろ」

「やったー!」

 そう喜ぶ優香を背後に、俺は自室へ戻る。といっても子供の足で行けるところまでだが。財布をズボンにしまう。布団の上に放置されていた携帯電話を持ち上げて、画面を確認するとアラーム画面だった。解除するのを忘れ、いつもの学校の時間に鳴ったようだ。でも鳴った記憶がない。画面を戻すと、サイレントモードだった。そりゃ鳴らないな。その時タイミングよくメールが届いた。かあさんからだった。俺の推測通り、おばさんの家に向かったらしい。優香を頼むとのことだ。了解と呟きズボンに入れる。それから机に向かい、引き出しから腕時計を取り出した。お年玉全部と貯めた小遣いを使って買った、お高い時計である。準備は完了だ。

「優香ぁ、行くぞ」

 そう声をかけると、優香が返事をしながらこちらへ駆けてきた。戸締りをしながら玄関へ向かい、外へ出て鍵を閉める。どこへ行こうかと考えを巡らせていると、優香がいきなりあっ、と声を上げた。

「秋也、見て、あのネコ!」

「え? 猫?」

 優香が指差す方向を見るも、俺は猫を見つけられない。きょろきょろと辺りを見渡すが、優香にあそこ! と怒られる。どこに居るんだ? そういえば最近、猫とか見てない気が……「もうっ、秋也、あそこだってば!」

「いや、それが俺には見つけられねーんだけど……。子猫?」

「違うもん、そんなに小っちゃくない……白いネコ! ちょっとしっぽが長くて……、あ、行っちゃう! 待って!」

 そう言うなり、優香は走り出した。優香が走っていく先にも、白い猫は見つけられない。あれか、妖精さんか何か?

 どんどんと優香の姿は小さくなっていく。スピードは衰えない。俺がついてきているかなんて考えていないようだった。

「おいこらちょっと待て! 優香ぁぁぁ!」

 子守りを請け負った俺が優香に置いて行かれるわけにもいかず、俺遠くなった優香の背中を追った。


***


 優香曰く。

 その白い猫は昔飼っていた猫にそっくりで、だから追いかけてしまったのだという。その猫はいつの間にかいなくなってしまっていたらしい。

 時刻はもう昼過ぎている。猫を見失ったというので、どこかで昼食を取ろうと提案するも、優香はまだ探すと駄々をこねた。仕方なくコンビニの外に彼女を待たせ、二人分のおにぎりと飲み物を買う。会計をしながら俺は溜息を吐いた。猫を追うことは難しい。優香もここまでに、何度かその姿を見失っている。しかし彼女は、驚くべき執念深さで白猫を見つけ出し、追いかけ続けているのだ。猫を追い、安念建設の工事現場にまで入ろうとしたその表情は、思いのほか真剣なものだった。……ちなみに優香がそんなに必死に探す猫の姿を、俺は一度も拝んでいない。見つけるのはいつも優香だ。これはまさか本当に妖精さんの類なのだろうか……。俺が目を(こす)りながら優香の元に戻ると、彼女は何やらダンディなおじ様に声をかけていた。

「ねえ、この辺りで白いネコ見かけませんでした? 黄色い目の」

「はて、見掛けておりませんが……」

 おじ様はバーテン服に身を包み、ほうきを手にしていた。その背後には「シュバリエ」と書かれた喫茶店がある。店主だろうか、何ともイカスなおじ様である。すみません、と声をかけて近づくと、いいえ、とにこりと返してくれた。渋い。

「あー!いた、あそこ!」

 後ろで優香が声を上げ、また駆けていく。猫を見つけたのだ。俺はもう一度頭を下げると、いってらっしゃいとおじ様は笑顔で見送ってくれた。素敵なおじ様である。ちなみに優香はやはり俺を振り返ることなく駆けていく。右手にビニール袋をぶら下げたまま、俺はがくりと肩を落とした。


***


 あっちに行き、こっちに行き……辿り着いた先は、サザナミタワーだった。辺りを見回すと、まだ開業前であるのに多くの人で賑わっている。そういえば開業前にご当地アイドルが来るとか七ちゃんに書いてあった気がする。結構人が集まっているようだ。

「秋也、中に人いるよ! 入って見よーよ!」

 返事をしつつ、中へと入る。音楽が聞こえる。この人だかり、どうやら結構盛り上がっているようだ。優香の姿を見失わない様にしつつ、人の間から舞台上を見る。あれがSO-networkだろうか。アナウンスがフロアを開放することを告げ、俺は驚く。ノリで入ってきたが、タワーの中を見られるなんて! 周りの様子を見ると、それが目的である人もいるようだった。勉強に追われニュースもあまり見ていなかったので、俺はイベント自体を知らなかった。しかし、偶然とは言え立ち会うことが出来て嬉しい。人々がエレベーターに近寄る。わくわくして共にカウントダウンをすると、いきなり全ての電源が、落ちた。

 え、と辺りはざわつく。司会が何か言っているが聞こえない。まだ室内は明るいから良いものの、完全に日が落ちていたらもっと騒然としていただろう。ステージの方を見つめ、あーあ、と俺が溜息をこぼしていると、優香の声が耳に入った。

「あ、ネコ……!」

 は、猫? と優香の方を見ると、優香は器量に人の間を通り抜け、走っていく。こんな室内に猫がいるものか! そう俺は思ったが、優香を放っておくわけにもいかず、その後を追った。停電で混乱している室内で、俺たちを気にするものはいない。優香は非常階段の扉を開き、躊躇(ちゅうちょ)なく階段を駆け上がっていく。俺はその扉の前で一度止まる。流石に、勝手に入るのはまずいだろう。しかし優香はもう上へ行ってしまった。考えている時間はない。スタッフが来れば、もう追いかけることは出来ない。……ええい、入ったことがばれる前に、優香を連れて戻ろうと心に誓って、俺は足を踏み入れた。


***


 階段を駆け上がる。何度も見失って、でも見つけてきた。あの子は、私を誘っている。どこかに。上に。ちゃんとした休憩も取らず歩き続けてきた足は、正直もう限界だったけれど、気力だけで上に進んでいる。その限界を悟ったように、あの子はそれ以上登らずにフロアへ駆けていく。それを追い、行きついたのは、ガラス張りで風景が一望できるようになっている場所だった。薄暗い室内は、光が差し込むようにできていて、室内の様子は見えるようになっていた。ぶつからない様に歩き、窓辺まで近づく。空はもう暗くなり始めていた。太陽の輝きに負けて姿を見せられなかった星たちも、うっすらと姿を現し始めていた。


 死んでしまった人はね、お星さまになって、空からみんなを見守っているんだよ。


 だから星も幽霊も、夜にしか現れない。太陽の光は眩しすぎるから。それらは死んでしまったお父さんが教えてくれたことだ。こんなに星の近くに来たのは初めてのことだった。あの中に、お父さんも居るのだろうか? 今も見守っていてくれているのだろうか? けれど、(たいよう)もないのに、地上の私たちを、本当に見守ることが出来るのだろうか。

 私は無意識のまま、一歩前へ踏み出した。すると、何かに体をぶつけた。透明な窓ガラスだった。それに手を這わせ、考える。これが無かったら。ここから落ちるのか、それとも星まで届くのか。答えを私は知っている。落ちても、上に行く。上に行って、星になるのだ。星になったお父さんを、私は未だ見つけられていない。私も星になったら、お父さんを見つけられるだろうか。そうすれば、お母さんもきっと喜んでくれるだろう。私たちは、元に戻れる。あの子が私をここまで導いたのは、そういうことなのだろうか?

 冷たいガラスは、私の掌でぬるく温まっていた。汗でじっとりと湿った手は気持ちが悪い。私は目を(つぶ)って下を向き、ふう、と深く息を吐き出した。そして目を開けて、息を飲んだ。

 街を見下ろしたのは、初めてだった。夕闇に飲み込まれる街はもの暗く、明かりひとつない。街は、沈んだら浮かび上がってくることの出来ない海の底へ、徐々に沈んでいくようだった。ここから外へ出て、落ちたとして。上へ、星へ辿り着くことなど、出来そうにもなかった。今まで暮らしてきた街が、恐ろしいもののように思えた。そこで私ははっとする。この海の中に、母がいる。喧嘩別れした母が。帰らなければ、と思った。お父さんが死んでしまって、寂しがりになってしまった母を一人にしておけない。(きびす)を返そうとした時、頭の中を昨日言われた言葉が反復する。胸を襲う激しい痛みに、思わず胸を両手でおさえた。私が居なくなったら、お母さんは、お父さんと同じように、そんな風に苦しんでくれる……?

 違う。お母さんに苦しんでほしいわけじゃない。でも失敗ばかり、私はいつだってお母さんを苦しめてしまう。だから一生懸命お父さんを探すのだ。お父さんさえ帰ってきたら、元に戻れる。お母さんも元に戻る。私たちは幸せに戻れる。そのためなら私はあの子をどこまでだって追いかけるだろう。お父さんと一緒に居なくなったあの子。だからあの子を探せばお父さんにだって会える筈なのだ……。

 私は思い出したように辺りを見回すけれど、白いネコはどこにもいなかった。陽は既に暮れて、暗闇に包まれていく。秋也も辺りにはいない。誰もいない、真っ暗だ。ネコもいない、何もない。もしかして、私はもう星になってしまったのだろうか? そして、誰も見つけてはくれない。見つけられない私は、誰も見つけてくれない。私はスカートの裾を強く握りしめた。


***


「はあ……、……はあ」

 階段の踊り場に辿り着く。俺は一度立ち止まり、肩で大きく息をした。座りはしない。座ったら立ち上がれそうにないからだ。寝不足と、結局一度も(ろく)な休憩を挟まなかったことが祟ったのだろう、もう俺は限界だった。優香も同じだが、俺よりも早く上へ駆けあがって行ってしまった。白猫にそこまで執着する理由が俺にはさっぱりわからなかった。以前飼っていた猫に似ているにしても、それは前居た街でのことだ。この街に居るはずがないことなどわかっているだろうに。俺は呼吸が落ち着けて、ホールへ向かった。ここの扉だけ開け放たれている。おそらくここへ入って行ったのだ。

 俺は店の一軒一軒を確かめた。そして奥の一番大きなレストランに入る。ここにいなかったらもう手掛かりがない。ガラス張りのレストランは月の光によって明るく、闇の恐ろしさより幻想的な美しさを演出していた。普段ならとても美しい景色が拝めるに違いない。しかし窓の外の風景には、月の光以外のものが存在しなかった。真っ暗だ。暗闇の街には月の光だけが降り注ぎ、街全体が眠っているようだった。それを見て、俺は停電がこのタワーだけの出来事でなかったことを知る。これはかあさんもおばさんも心配しているに違いない。これは早く優香を連れて帰らなければやばい。俺はそう考え、足を奥へ進めた。

 レストランの奥に優香は居た。スカートを握りしめ、(うつむ)いている。こちらの方を向いているが、顔は下を向いているので俺に気付いていないようだ。表情も見えない。けれどそれは、優香が迷子になったとき、決まってしているものだった。きっと泣きべそをかいているに違いない。一人で突っ走って行ったくせに、何をしているのだか。俺は苦笑いを浮かべながら優香に声をかけた。

「よお優香。ようやく見つけたぜ」

 俺の声に、優香は顔を上げた。そして秋也、と小さな声で呟いた。泣き出す寸前の声だった。俺は置いてくなよとデコピンをくらわせる。普段ならここで反撃があるところだが、優香は俯いてしまった。疲れもあるのだろうが、元気がなかった。猫の姿はない。逃げられてしまったのだろう。そんなに猫を捕まえられなかったことが、悲しいのだろうか?

「優香、猫は?」

「…………逃げられちゃった」

 月の光が表情を照らしてくれる。しかし優香が俯いているせいで、口元しかわからなかった。それは笑みを形作っているが、雰囲気のせいかそうは見えない。猫の話題に突っ掛かってこない辺り、猫のせいでもないようだ。どうしたのかと訊いても、首を振るばかり。時計を見ると時刻はもう七時を過ぎていた。優香の普段の帰宅時間をとうに過ぎている。加えてこの停電。かあさんもおばさんも、心配しているに違いない。

「まあ、とりあえず帰ろうぜ、優香。猫、捕まえられなかったんだろ? もう暗いし、疲れたし、みんな心配してるだろうから」

 俺がそう手を差し出すと、優香はびくりと体を揺らし、ぎゅう、とスカートの端を握る力を強めた。そして首を左右に振り、小さく呟いた。

「帰らない。……ネコ、探すの。見つけなきゃ、帰ったって意味ないもん。お母さん、私の心配なんかしてないもん。帰らないよ。ネコを見つけて、お父さんを見つけなきゃ、帰っても、駄目なの。

元に戻らなきゃ。駄目なの……」

「……優香。昨日、おばさんに何か言われたのか?」

 俺の質問に優香はまた体を震わせた。それで俺は全てを悟る。言われたくないことを、言われたのだろう。おばさんは情緒不安定だ。喧嘩の際に我を無くし、本心ではないことを言ってしまったに違いない。彼女は優香を愛しているが、それを上回る悲しみがまだ癒えていないのだ。しかし言われた優香は、とても痛かっただろう。だから猫を探したのだろう。父と共にいなくなった、かつて飼っていたそれにそっくりな猫を。その先に父が居ると信じて。父が居なくなって壊れた家族が、元通りに戻ることを祈って。過ぎたのは時間だけで、誰の悲しみも癒えてはいないのだ。優香も母親も傷ついたまま、お互いに触れることもできずに。

 俺は息を吐きながらしゃがみこむと、優香の顔を覗き込んだ。優香自身によって暗かったが、表情は(うかが)い知ることはできた。想像通り泣きそうな顔をしていた。それを懸命に我慢していた。いっそ泣いた方がすっきりするだろうが、できないのだろう。優香は顔こそ背けなかったが、こちらを見ようともしない。それでも俺は優香の瞳をジッと見つめながら、口を開いた。

「優香。あの猫は、お前が飼ってたのとは、違う猫だ。探しても、父さんの所には行けない。父さんは帰ってこない」

「…………。……わかって、る」

「ああ、お前はちゃんとわかってるよな。……優香、昔には、戻れないんだ。なくしちゃったものは、元に戻らない。だから、先に進むしかないんだ」

「……」

 優香はようやく俺の方を見る。俺が言わんとすることを、理解しようとしているのだ。俺も目をそらさずに続ける。

「優香は俺とかあさんが血ぃ繋がってないことは知ってるな?」

「……うん、再婚したんでしょ?」

「俺は父さんが再婚した直後は、絶対懐くもんかと思ってた。本当の母さんの所に戻りたいって。前みたいに一緒に暮らしたいってずっと思ってた。俺がかあさんをかあさんと呼んだのなんて、お前がここに来たのと同じくらいなんだぜ?」

「え……。そうなの? 仲、良いのに……」

「それまで、時間がかかった。俺は元に戻りたくて、今を見るのを拒否してたから。……お前もそうじゃないのか? 元に戻りたいって、今の母さんを拒絶してないか?」

 優香は小さく息を飲んだ。正直、優香の思いは当然のものだと思う。子供なら尚更のこと。居なくなった父親よりも、自分を見てほしい。昔のお母さんは優しかった。昔のお母さんに戻ってほしい。けれど母親の傷は癒えないまま。癒すには、受け入れるしかないのだ。一人で駄目なら、誰かが手を貸さなくてはならない。おばさんにとって、それに一番相応しいのは優香だった。同じ傷を負う娘だった。そして優香にとってもそうだった。

「俺とお前じゃ、状況は違うけどさ。……もう前に進まなきゃいけないだろ。元には戻れないから、新しく作って行かなきゃ」

 俺とかあさんのように。俺と家族のように。優香とおばさんにまだできていないこと。優香もおばさんも願いは同じなのだ。あの頃に戻りたい。でも戻れない。だからお互い傷つきあってしまうのだ。

「新しく、作っていかなきゃ、いけない……」

 優香は小さく呟く。何かを考えているようだった。何を思っているのか、俺にはわからなかったけど、優香の瞳に悲しみの色は見つけられなかった。俺はしっかりと頷く。

「ああ。もう、おじさんのことで、喧嘩するのはやめよう。そして、おじさんのこと、おばさんと二人で、笑って話が出来るようにしなくちゃいけないと、俺は思う」

「……」

 優香は少し経ってから、一度瞳を閉じて、そして開けて、しっかりと頷いた。けれど直後、ふにゃりと眉を垂らした。でもお母さんは、私なんて。その後に続いた言葉は無視した。おばさんの本意ではないからだ。大丈夫だって、そう口を開いた時、背後からパァン、と大きな音が響いた。音は続く。何事かと後ろを振り返ると、夜空にいくつも花が咲いていた。咲いては散る。そういえば、これも七ちゃんに書き込まれていた。商店街の、花火大会。

「きれい……」

 背後で優香の感嘆の声が聞こえる。こんな位置で花火が見られるなんて、恐らく他にない。特等席だった。この停電と花火が申し合わせたかのように、見事な景色だった。


 優香は花火を見ながら、家族三人が最後に出かけた日の事を思い出していた。祭りで、その最後は花火だった。空を見上げると花火と共に映る、お父さんとお母さんの笑顔。あの景色は二度と戻らない。優香は改めてそれを悟り、鼻の奥がつんと痛むのを感じた。目の前には美しい花火がある。けれど上を見上げても、お父さんもお母さんもいない。けれど、お母さんは下に居る。お父さんは下にはいないけど、いつだって見守っている。優香には見つけられないけれど、確かに。あの日、花火の煙に(さえぎ)られて見えなくなった星の下で、お父さんはそう教えてくれていた。お星さまは居なくならない。朝も昼も、ずっとそこで見守っている。見つけられなくても、ずっと。だから、恥ずかしくないように、生きなさい。優香は、思い出す。そう言って笑った父の笑顔を、思い出す。


 ぼうと見とれていた俺は、はっとして携帯電話を取り出した。こんな特等席で見ているというのに、写真を撮らないなんてもったいない。画面を開くと、メールと不在通知が入っていた。サイレントモードにしていた上、時間は時計で確認していたから気付かなかったのだ。停電などもあり、恐らく心配して連絡をしようとしていたのだろう、悪いことをしたなとメールを開き、次の瞬間声を上げた。

「!? ど、どうしたの、秋也!?」

 俺の声に飛び上がって近寄ってきた優香は何故か涙目だったが、泣きたいのは俺の方だった。ホラーかこれは。着信数がとんでもないことになっている。昼過ぎから順次着信されており、(おびただ)しい。迷惑メールかと思うが、差出人は全て我が義母だ。メールを開いていくと、この(おびただ)しい受信数に納得がいった。俺は苦笑いを浮かべながら、優香を振り向いた。不思議そうに首を傾げる。

「優香、さっき母さんは心配してないって言ってたよな?」

「え、あ、うん……」

「ところで優香、携帯は?」

「……電源、切ってるけど……」

「付けてみろよ。面白いことになるぜ」

 優香は首を傾げながらも電話の電源を入れた。そして始まった受信に目を白黒とさせる。たくさんメールや電話をしただろう。メールと不在通知を知らせるメールで、大変なことになるに違いない。

 かあさんからのメールをまとめるとこうだ。昨日心にもないことを言ってしまって、おばさんは謝るため家を訪れた。二人は居ないし帰ってこない。優香の携帯電話は電源が切れていて繋がらない。おばさんが半狂乱になってしまっている。早く連絡をよこせ。どうやら探し回ってもいるらしい。停電になってさらにおばさんがパニックになっているとも最新のメールには記されていた。

「あ……。全部、お母さんから……」

「心配されてるなぁ、お姫様」

 優香の呟きににやにやして返すと、優香は俯いてしまった。赤色の花火が咲き、辺りを赤く染めた。優香の耳が赤かったのは恐らく花火だけではないだろう。そして優香の携帯電話から着信音が鳴った。ディスプレイには『お母さん』と表示される。優香は俺を見上げたので、にんまりと笑いながら頷く。優香は少しジッと画面を見つめてからボタンを押した。静かな空間に女性の泣く声が漏れて聞こえてくる。優香はそれを聞きながら、まっすぐに花火を見ていた。

「お母さん、花火、見える? きれいだね……――――」


***


 優香のご了承を得たので、俺たちは下に戻ってきた。怖いわ疲れているわで帰りはさらに辛かった。流石の優香もお疲れのご様子だ。まだ人が残っているかと思ったが、違ったことがせめてもの救いで、誰にも見つからずにこっそりと俺たちはタワーを抜け出すことに成功した。少し離れたところで、ようやく一息吐く。

「つ、疲れた……」

「うー、私も、もう眠い……」

 ぐったりとしている俺たちは、正直迎えがほしいところだが、この停電で交通がうまく機能していないらしい。歩いて帰る方が早く帰れそうなので、歩いて帰ることになっている。

 俺はまだ続いている花火を見ながら、はっと思い出した。優香は猫を追いかけて上まで行ったはずだ。猫が上手く脱出出来るとは思えないし、色々大変なことになるんじゃないだろうか?

「そいや優香……、猫はもういいのか?」

「……んー、まあ……。……。あ」

 突然優香が声を上げた。どうした、と俺が声をかけると、優香はネコと指差した。その指の先には、……なにも、いない。

「え……」

 白いタイルに月の光が反射して、優香が指差した場所だけが妙に明るかった。その先には何もいない。人影もない。草の影もない。花火の音だけが木霊していた。え、マジで妖精さん? と俺は凍りついた。停電中。明かりはない。俺は背中を悪寒が駆け抜ける。

 その時、びゅうと風が吹いた。雲が月を隠し、光が遮られる。優香が声を漏らす。それは一瞬のことで、すぐに辺りは元に戻った。優香がゆっくりと指を降ろす。俺は恐る恐る優香に声をかけた。

「あ、あの……。優香さん?」

「ネコ……行っちゃった」

「は?」

 優香は指差した方角の、さらに向こう側へと視線を向けていた。そちらの方へと猫は行ってしまったというように。海の方へ。海には何にも遮られることなく、星が降り注いでいた。

「……で、優香、猫はもういいのか?」

「違った」

「は?」

「あのネコ、違ったの。前飼ってた子じゃない。前の子は、目が黄色だったの。あの子、緑色だった」

「はあ……!?」

 俺は思わず肩を落とした。丸一日追いかけてきて、人違いならぬ猫違い。いや知っていたけど。違う猫なのはわかっていたけど! 駄目だ、疲れすぎていて怒る気力も湧かない。ひたすら眠かった。今日はもう帰ったらベッドにダイブしようと心に誓う。

 そう逃避している俺の手を、優香が掴んできた。帰ろうと笑う。疲れているはずなのに、今日で一番の笑顔のように思えた。いや、今日はあまり笑っていなかった。ずっと母親のことが引っ掛っていたのだろう。それがもうとれたから、こうやって笑うのだ。なら、かなり疲れたけれど、いいか。俺はその手を握り直し、歩き始める。

 花火はまだ止まない。その景色を楽しみながら、俺たちは歩いていく。


                               〈終わり〉


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