#11-3.ナイト
街中は赤や緑のリボンに金銀のオーナメントやイルミネーションで飾られクリスマスまで1ヶ月となった。
そんな日に『ガイア』の代表が藍花商事に訪れて住倉と合同の報告会議が執り行われる事になっていた。
街中の喧騒が嘘の様に藍花商事の社内は静まり返っている。
当然の如く社員全員には緘口令が敷かれ年末に向けての業務は何事も無いかのように執り行われている。
しかし、小会議室がある5階以上は封鎖され『ガイア』が自社の代表の為に呼び寄せたスーツを着た軍人にしか見えない様なシークレットサービスが厳重な警護をしていた。
8階にある大会議場に関係者が集められていた。
住倉の代表として大沢取締役社長に秘書課、出向スタッフとして谷野君にその上司に当たる中原さんと営業部の部長。
藍花側は熊谷代表を筆頭に秘書課の3名、営業1課と2課の課長。
ガイアサイドは藍花のエフィに住倉のルイス。
話し合いの混乱を避け迅速に収拾させる為とこれ以上の情報の漏洩を防ぐ為に必要最小限の人選になっていた。
会議場にはブラインドが下ろされ外からの光りは一切シャットアウトされている、何処から取材陣が見ているかもしれないという配慮の為だ。
議長席には不思議な事に2つの椅子が用意されていた。
上座になる窓際には住倉の面々が座り末席にルイスがダークスーツを着た金髪の石像の様に座っている。
同じ様に藍花の末席には相変わらずラフな格好でエフィがつまらなそうな顔で座っていた。
「しかし物々しい警備ね。一体『ガイア』の代表ってどんな人なのかしら」
「か、香蓮さんは余裕ですね」
「あのね、自分自身を信じなさい。後ろめたい事なんて何も無いんでしょ」
「当然じゃないですか」
「凛子は大丈夫なの?」
「はい」
何も悪い事はしていないのに今にも押し潰されそうな空気だった。
こんな時に限って頭に浮かんでくるのは優しい瑞貴君の笑顔だった。
何度も振り払おうとするのにそれが出来ない、時期が時期だからだろうか。
1年が経ち会えない時間が長くなればなるほど会いたさが募るばかりだった。
隣に居てくれればどんなに心強いだろと思ってしまう自分が情けなくなってしまう。
「大丈夫そうじゃないみたいね、そんなんじゃ駄目よ。強くなりなさいとは言わない、自分にだけは負けないようにしなさい」
「はい」
また香蓮さんに励まされてしまう。
すると会議場のドアが開きスタイルの良い女性が現れた。
アルマーニの黒いパンツスーツが良く似合うスラッとした長身で長い栗毛の髪の毛が緩くウェーブしている。
顔つきは男らしいと言えば失礼になるだろうが精悍な顔つきと言えばいいのだろうか、少しだけ緊張している所為でそう見えてしまうのかもしれない。
彼女は用意された席の横に立ち流暢な日本語で話し始める。
そう言えば不思議な事にエフィもルイスも英語ではなく日本語を話していた。
「はじめまして。私が『ガイアシステムサポート』代表の代行を務めますオルガと申します」
「いきなり申し訳ないがガイアの代表が来ると言う話しで私共はこの席に伺ったのだが、どう言う事なのか熊谷代表に説明を貰いたいのだが」
住倉の大沢社長がオルガさんの挨拶もそこそこに声を上げた。
少しでも自分達に優位に話を進めたいのだろう。
ここ数年、住倉は藍花に情報戦で遅れを取り、それまで肩を並べていたのに今や藍花の方が全てに置いて先行している。
今回の合同プロジェクトもイタリアのブランドとのコラボが大成功を収めた為に、大きなプロジェクトの話が急浮上した。
藍花だけではと言う事で住倉に打診して今に至っている。合同とは言え藍花が主体となって動いているのが実際の所でその為に住倉からスタッフが出向してきている。
「大沢さん、私も今始めて聞いた事なのですよ。オルガさん、どう言う事になっているのですか?」
「ソーリー。代表は今こちらに向っています。代表が来るまでに終わらせるようにとの指示で私が代行を務めさせて頂きますが宜しいでしょうか?」
「仕方が無い、始めてくれ」
大沢社長が渋々と了承するとオルガさんはあまり聞きなれないIT用語を使いながら細かく説明を始めた。
IT用語は殆どが英語で綺麗な発音をしているが少しだけアクセントに特徴がある。
恐らくイタリアかその近辺の人なのだろう。
大沢社長と熊谷代表がオルガさんの説明に色々と質問したりしながら話は進んでいく。
それ以外の私達には出る幕がなさそうだが藍花の秘書課から情報が漏れたらしいという話になると大沢社長が鬼の首を取ったかの様に捲し立てた。
「やはり、熊谷代表の所から漏れたのではないのか。今回は大した情報じゃなかったが良いが、最悪の場合はプロジェクト自体の存亡に係わったのだぞ。どう責任を取るんだ」
「まぁまぁ。確かに情報が漏れたのはうちの秘書課からかもしれませんが、彼女達が漏らしたという確証は何も無いんですよ。それに彼女達は決して会社や私を裏切るような事はしません」
はっきりと代表は言い切ってくれた。
それでも未だどうやって漏れたのかが判らないままだった。
「オルガさんとか言ったな。外部から侵入されたんじゃないのか?」
「その様な形跡は何処にもありませんしセキュリティーは完璧に機能していたと報告を受けています」
瑞貴君が居たら間違いなく嫌うであろう彼的に言えばチャラいエフィはちゃんとやるべき事はしていた様だった。
大沢社長は長い説明を延々と聞かされ閉口し始めていた。
核心をのらりくらりと外しながら聞きなれないIT用語を並べられればパソコンやネットに疎い団塊の世代の大沢社長には苦痛以外の何物でもない。
しかし、話を聞き逃す訳にもいかず。住倉の王子こと中原さんに説明を受けながら堪えている。
顔つきを見れば限界が近いのが直ぐに判った。
その点では藍花の代表は若くパソコンやネットに関しても人並み以上の知識を持ち合わせ時々私ですら驚かされる様な事を知っていたりした。
席を立ち上がり先程とは比べ物にならない様な剣幕でテーブルを叩きながらオルガさんに抗議の声をあげた。
「いい加減にしてくれ。御託はもううんざりだ。セキュリティーなんて言うのは、云わば穴だらけの様なものだろう、だからあんた達みたいな訳の判らない連中に高い金を払わんといかんのだ。ひょっとして自作自演なんじゃないだろうな」
「自作自演だとしたら」
「それみろ。自白するのか? それとも上手くすり抜けてまた甘い汁を吸うのか」
オルガさんが僅かに微笑を零した。
一瞬だけ黒い物を感じ鼓動が跳ね上がる。それはまるで瑞貴君が時々猫を脱いだ時の黒い物に良く似ていた。
オルガさんの手元にあった携帯の着信音で会議室は静まり返った。
臆する事も無くオルガさんは英語で何かを話し初めて直ぐに用件は終わったようだった。
携帯をテーブルの片隅に置き身を引き締めて口を開いた。
「今、代表から連絡が入りました。藍花カンパニーのセキュリティーは完璧だそうです」
「ふざけるのもいい加減にしろ。なんでそんな事が代理店の人間に判るんだ。そもそも『ガイアシステムサポート』はセキュリティーのチェックをしていただけだろう」
「核心に入りたいと思いますが宜しいですか?」
「核心だ? それじゃ何処の誰が情報を漏らしたのか判っているのか?」
「核心に入ると言う日本語はそう言う意味じゃないのですか? 私はボスにそうレクチャーされましたが」
「我々を愚弄するのか? そんな事はどうでも良い! 一体貴様らは何物なんだ?」
「判りました。説明しましょう」
「最初からそうすれば良いんだ。回りくどいことばかりしやがって」
大沢社長が顔を真っ赤にしてオルガさんに喰って掛かる、オルガさんの平然とした態度で説明すると言われ渋々納得したような顔して椅子に座り込んだ。
「ガイアは日本向けにインターネットやパーソナルコンピューターのセキュリティーソフトの販売やサポートをしている会社で日本人のみで運営管理されています」
「おい、ちょっと待て! 日本人のみで運営管理だ? それじゃお前達は一体何者なんだ?」
「私達はガイアの親会社である『N.O.E.L』の人間です」
「の、ノエルと言えば世界でも有数の大企業だぞ」
大沢社長の顔から血が引いていくのが離れて座っている私達にも判った。
そして会議場にはどよめきが起こる、当然だろう只のセキュリティーチェックの会社だと思っていたのがとんでもない大企業が現れたのだから。
花ちゃんの顔を見ると緊張からか強張った顔をしている、香蓮さんは流石と言うべきか場数が違うのか平然としているのが判るし、洞察力に秀でているのでもしかしたら何かに気付いているのかもしれない。
私は『N.O.E.L』と聞いて瑞貴君がクラッカー紛いの事をして後輩を叩きのめした時の事を思い出していた。
「それでは『N.O.E.L』について少しだけ説明しましょう。ビショップ宜しくね」
「ふぁ~。寝る所だったぜ、クィーンの話は長すぎるんだよ。ナイトも回りくどい事ばかりさせやがって」
ビショップと言われて赤毛のエフィが伸びをしながら話し始めた。
「それでも久しぶりに楽しめたのだろ」
「まぁな、日本語も覚える事が出来たしな。ルークはどうだったんだ?」
「俺か? 皆まで言わせるな」
「ビショップ!」
オルガさんの声が飛びエフィが目の前のパソコンで何かをし始めると会議室の電気が消えスクリーンが下りてきてプロジェクターが何かを映し出した。
それはパソコンの画面の様だった。
パソコンを操作しながらエフィさんが説明を始める。
代表は顔色一つ変えずに居るけど目の前で信じられない事が起きている。
藍花商事は代表に変ってからパソコンさえあれば社内で何が行なわれているか把握できるシステムにされている。
それは広い社内では有効に使われ誰が何処の会議に出席しているのかも直ぐ判り、会議においてはエフィがしたのと同じ様に会議室内のシステムを自由自在に操る事が出来る。
それでもそれは会社に認証されたパソコンに限られ『N.O.E.L』のセキュリティーによって保護する事を義務付けられていて、今回の様な情報漏えいは人為的でなければ起こらない仕組みになっている。
そんな事を普通に自分のパソコンで行なっている。
確かに『N.O.E.L』のスタッフだからかもしれないがエフィも瑞貴君の様な高度なハッカーと呼ばれる存在なのだろう事が容易に推測できたし、エフィがそうならばルークと呼ばれているルイスも同じ人種なのだろう。
彼等を束ねているクィーンのオルガさんは一体何者なのだろう。
そんな事を考えながらオルガさんに視線を向けるとウインクしながら微笑み返してきた。
あまりに突然の事に驚いて顔が赤くなり俯いてしまった。
そして私はエフィの説明より彼等の呼び方に興味を持った。
オルガさんがクィーン、エフィがビショップでルイスさんがルーク。
それはチェスの駒の呼び名だった。
会話に出てきたナイトはこの場に居ないとすれば『N.O.E.L』の代表がナイトと言う事になる。
もう一つ気付いた事があった、藍花にも良く来ていた住倉の若い秘書の子に落ち着きがなくなっている。
恐らく長い話と緊張の為にトイレに行きたくなっているのではないかと思えた。
『N.O.E.L』の説明が終わり会議場に明かりが付くと落ち着きが無かった秘書課の子が席を立ってしまった。
「何をしているの?」
「すいません、緊張と長丁場でどうしてもトイレに」
「すこしブレイクしましょう。そろそろ代表も到着しますので」
申し訳なさそうに俯いていた秘書課の子はオルガさんの言葉に助けられて慌てて会議室を飛び出していった。
流石に疲れたのか殆どの人が軽く体を動かして身体の凝りを取っている。
オルガさんは再びどこかに電話をし始め、エフィとルイスさんはパソコンで何かをし始めているのが見えた。
「はぁ~疲れた。でも『N.O.E.L』の人達ってどう見ても同年代か少し上だよね」
「そうね、若いわね。でも若くないと出来ない事なのかも知れないわね」
花ちゃんと香蓮さんがそんな事を話している。すると花ちゃんがいきなり私に話を振ってきた。
「そうそう、ナイトで思い出したんだけど。凛子さん覚えている?」
「えっ、何を?」
「ほら、イタリアのデザイナーのジョルジョ ヴェルディさんの時だよ。『vino』のマスターが言ってたじゃん『ナイトに宜しくね』って。それに今だから気付いたんだけどチェスのナイトって馬の形をしているでしょ」
「そう言えばジョルジョ ヴェルディの情報の送り主って」
「そうそうUMAだったよね。私はてっきり『Unidentified Mysterious Animal』つまり未確認生物のことかと思ったけどローマ字読みするとウマだもんね」
「それがどうしたの?」
「本当に凛子は何も感じないの? 不思議に思わない今の状況を」
「どうしてですか?」
「あのね、世界有数の大IT企業がなんで日本の一企業の情報漏えいに絡んできているの?」
花ちゃんと香蓮さんに言われて初めて気付かされた。
秘書課から情報が漏れたと言う事ばかりに気を取られ周りが殆ど見えていなかった。
香蓮さんは当然として花ちゃんのそう言う所は見習うべき物があると思う。
花ちゃんの言うとおり世界有数の大IT企業が絡んでくる理由なんて判るはずもなく、ただ言える事は藍花が『N.O.E.L』のセキュリティーシステムを使っている事だけで。
そんな会社は日本だけでも数知れない。
それじゃナイトは一体誰なの?
情報をくれた人がナイトなの?
もしそうならその人は日本語にかなり詳しい人だよね。
それにオルガさん達の日本語は一朝一夕では習得できないし日本人でなければ使わないような言い回しも知っている。
そこで私と瑞貴君が付き合い始めるきっかけになった友長君の言葉が蘇ってきた。
『……憧れているんです『N.O.E.L』の創設者に噂では日本人じゃないかって言われているんです』
ナイトは日本人?
そう思った瞬間に心が訳も判らずざわついて鼓動が早打ちをはじめる。
すると遠くからヘリコプター独特の飛行音が聞こえてきて段々その音は大きくなりやがて頭の上で音が鳴っている様な感覚に陥ってやがて飛行音は小さくと言うよりゆっくり消えていった。
それを確認したかのようにオルガさんが再会の合図をした。
「それでは長くなってしまったので核心に迫りたいと思いますが異存は無いですね」
「クィーン?」
「ノープロブレム」
住倉の席に座っているルークことルイスさんがクィーンのオルガさんに目配せをするけどオルガさんは軽く首を横に振るだけだった。
不思議に思っているとトイレに行ったはずの住倉の秘書課の子が戻って来ていない事に気付いた。
すると住倉の席に動揺がはしり大沢社長が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「最近の若い奴は常識と言う物が無いのか」
「社長、従業員の前でそんな事を言わないで下さい」
中原さんが困った様な顔をしながら社長に苦言を申し立てている。