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第5話 それぞれの胎動

 太陽暦二六三七年の最後の日。

 翌朝の新年祭を控え、村は何ともいえない慌しさと、のんびりした雰囲気が同居している。

 この夜ばかりは多少の夜更かしも認められ、新年を告げる時の鐘を誰もが聞こうとしていた。鐘が鳴れば新年となり、村々にある神社には一年の安全を願う人々が押し寄せる。ソル皇国の年の変わり目に見られる、いつもの光景がもうすぐ展開されようとしていた。



「士官学校の受験は許さん」

 仕事場の柱時計が午前零時を告げる数分前、父はそれだけ言って、ガルの顔を正面から見つめた。


「なんだよ、今さら」

 親に対する態度ではないことは充分承知の上で、ガルはふてくされてみせる。

 仕事場で厳しい分、家庭ではそれほど煩くは言わないように、父は配慮していた。ガルの態度はその範疇を越えていたが、それでも父は怒る素振りを見せなかった。


「士官学校の、と言っているだろう。

 高等学校なら許す。

 その代わり、そのあとは大学校なり、技術専門学校なりに行け。

 鍛冶屋も経験だけではダメだ。

 新しい技術と知識を学んでこい」

 そう言って父はガルの反応を待った。



 ソル皇国では、六歳から一二歳までの子供が通う六年制の初等学校と四年制で一六歳までの中等学校が義務教育だった。

 その後は三年制の士官学校か二年生の高等学校を経て四年制の大学校や技術専門学校に分かれている。士官学校を卒業後、軍の命令で大学校や技術専門学校に通う者もいた。任官猶予の許可を取り、それらの学校に通うことも可能ではあった。もちろん、猶予を取った者が出世レースにおいて不利になることは当たり前のことだったため、誰もそのようなことはしないが制度としては存在する。

 父は、高等学校の受験を認め、然る後に帝都へ出ろ、と言っていた。


「もうひとつ、条件がある」

 困惑のまま固まるガルに、父は続けて言う。


「高等学校は、通える範囲で選べ。

 さすがにお前を大学にやれるほど、稼ぎが良いわけじゃないんだ。

 学校の後は、今までどおり鍛冶屋を手伝えるようにしてくれ。

 二年のうちに、稼げるだけ稼ぐんだ」

 そこまで言って、父は手元の銚子を傾け、煙管を一服して煙を吐き出す。

 その顔は、してやったりという思いに溢れていた。


 いずれにせよ、自分の腕を越えてもらわなければ、息子の代で鍛冶屋がやって行けなくなる。

 帝都を遠く離れた田舎にいても、技術が進歩していることくらい父は知っていた。今までは経験と勘がモノを言う時代だったが、これからは学問の裏付けがなければやっていけない。父はそう考え、ガルを高等学校から大学校、または技術専門学校へ進ませることは決めていたのだった。

 学生であれば強制兵役の免除がある、ということを鑑みての親心でもあった。



「父さん、本当にいいの?」

 信じられないという表情で、ガルは問い返す。

 今すぐ確認しなければ、夢が覚めてしまうとでも思っているような顔になっている。


「ああ。

 これからは、学がないといかん。

 帝都へは遊びに行かすんじゃないからな。

 そこはよく弁えろ。

 あと、明日からは仕事を手伝うな。

 死ぬ気で勉強しろ。

 試験まで、二〇日もないからな」

 父はまた煙を吐き出し、煙管を煙草盆に叩き付け、新たに刻み煙草を煙管に詰めながら言った。


 ガルが中等学校卒業後も勉強を続けていたことを、父は当然知っている。

 仕事の合間に本を読んでいたり、土間の砂の上に父には理解できない数字と記号を書き並べていた。夕食の後も、今の片隅で本を広げては何かを書き取り、考え込んでいる姿も見ている。この時代のソル皇国で一般的な家の造りでは、家族間のプライバシーなどあってないようなものだった。

 知られたくないことは家ではやらない、口にしない、ということでしか家族間で秘密を維持することは不可能だった。


「ありがとうっ! 父さんっ!」

 嬉しそうな表情を浮かべ、ガルは叫ぶように言った。

 もっと礼を言いたかったのだが、言葉が浮かんでこない。無理に言葉にしようとすれば、音声の代わりに涙が出てきそうだった。

 そのとき、柱時計が午前零時を告げ、ほぼ同時に鐘楼の鐘が鳴らされる。


「お参りに行こうじゃないか。

 今年一年の安全と、お前の合格祈願に。

 母さん、外套を出してくれ。

 みんなも支度しろ」

 ざるに残っている蕎麦を啜り、銚子に残った酒を猪口に注ぎ、一気に飲み干した父が立ち上がる。

 続いて立ち上がったガルは、まだ涙を必死に堪えていた。



 ガルたちが神社に向かっている頃、エルミの家から多くの人々が吐き出されていた。

 次兄が一昨日戻り、村の主だった者を集めた宴席が設けられていたのだった。次兄は帝都を守る第一師団から、宮城を守る第二近衛師団への栄転を内示されており、それを祝う宴席でもあった。新年祭も慰霊祭も関係ない職業ではあったが、所属する中隊長の好意により新年祭に合わせての帰省が認められていたのだった。

 新年を告げる鐘とともに宴席も散会し、出席していた人々はそのまま神社へと向かっていた。



「レグル、ごめんね、そんなこと考えてたとも知らずに」

 神社へ向かう人々とは距離を取りながら歩いているエルミが、レグルに向かって手を合わせる。


「いいよ、気にするな、エルミ。

 そういうことならしょうがない。

 身内が優先されるのは当たり前だ。

 俺の方こそ、不躾なお願いを快く引き受けてくれたことを感謝しているんだ。

 それに、奥方だって見知らぬ俺より、エルミのほうが気楽だろうしな」

 ほろ酔い気分も手伝って、レグルは機嫌よく言った。


 宴席で下宿の直談判に及んだレグルに、エルミの次兄は済まなそうな表情を浮かべていた。

 この時点でエルミの帝都行きは棚上げという形になっていたが、次兄が帰省してすぐ、エルミは散歩と称して次兄を連れ出し、そこで相談に乗ってもらっていた。次兄はエルミが帝都へ出たいとい知っている。そして、父同様、物見遊山的な帝都暮らしには反対だった。

 しかし、エルミが飛行士官に挑戦すると聞いて、次兄はやはり父同様に諸手を挙げて賛成し、それなら自宅に来いと言っていたのだった。エルミに甘い伯父より、実際に軍務に服している自分が監督した方が、エルミのためになると考えてのことだ。


 そこへレグルの直談判だった。

 さすがにふたりを受け入れる余地はない。暫く考えた挙句、次兄はエルミのことは伏せてレグルの下宿を断り、伯父を下宿先として紹介することを約束した。顔見知りでは甘えが出るかも知れず、それであれば却って伯父の家のほうが気も引き締まると考えたからだ。

 神社への道すがら、エルミがレグルに突然謝ってきたのは、そういうわけだった。



「ちょっと、大きな声で言わないで。

 まだ、お母さんには秘密なんだから。

 新年早々、家の中の空気を悪くさせないでよ」

 エルミは慌てて辺りを見回し、レグルの口元を押えようとした。


「すまん、ちょっと浮かれてた。

 だけどさ、今からで間に合うのか?

 士官学校といえば、国内で最難関なんだぜ。

 お前、勉強嫌いじゃなかったっけか?」

 声の調子を落としたレグルが聞く。


「うん、その辺はね。

 士官学校は到底無理だけどさ。

 飛行士官は魔力優先でしょ?」

 そう言ってエルミは指先に小さな炎を燈した。

 その指には、三つの指輪が鈍い光沢を放っていた。



 魔鉱石以外にエネルギー資源のないこの世界では、その力の利用法が遥か昔から研究され、ある程度確立されてきていた。

 人間が誰でも持っている魔力に感応し、石が持つ特性に合わせた超常的な力を発現させることは、有史以前から知られている。これを加工することで日常的な煮炊きから製鉄、冷蔵保存や動力源まで、さまざまな用途に応用できる。指輪に加工することで炎や風、雷や氷を発現させる攻撃魔法や、簡単な怪我の治癒や運動能力の上昇など体力強化の魔法として利用できるようになっていた。


「おい、やめろっ!

 万が一にも人に見られたらどうすんだよ!?

 もし、魔探知に引っ掛かりでもしたら」

 レグルは慌ててエルミを止めた。


 攻撃魔法はそのまま犯罪にも使えるため、治安維持に従事する者か、予め届出のあった事業所、そして戦場以外での使用は固く禁じられている。

 違反すれば、その使用規模によってそれなりの厳罰が待っていた。ソル人は、世界の中でも攻撃魔法に優れていると、一般的には評価されている。それだけに一度魔力が解放されると、とんでもない被害を巻き起こすこともあった。少年刑法という若年層に対しての刑法には攻撃魔法の使用時の罰則がなく、大人と同等の刑事罰を適応されることになっているのもそのためだ。それでも攻撃魔法の犯罪への流用は後を絶たず、捜査のために魔法の発現時に生じる魔力を探知する機械も開発されていた。

 レグルはその魔探知にエルミが引っ掛かってはと考えたのだった。


「大丈夫よ。

 この村に魔探知なんかまだ配備されてないもん。

 帝都以外であるとすれば、基地周辺だけでしょうよ。

 それに、この程度だったら、よほど近くじゃなきゃ探知できないって。

 でもさぁ、レグルがあんな礼儀正しいなんて、思いもしなかったわよ」

 レグルの心配を他所にエルミは気楽に言い返すが、大人しく炎は消していた。

 そして、咎められた気まずさを隠すために、レグルをからかう。


「茶化すなよ。

 こっちだって必死なんだ。

 それに、あの程度の礼儀は、当たり前じゃないか」

 エルミが炎を消したことにレグルは胸を撫で下ろしつつ、からかわれたことに対しては口を尖らせて反論した。


「だって、いつもとは全然違うもの。

 兄さんも、目を白黒させてたわね」

 エルミが思い出したように笑う。


「もういいだろ、それくらいにしてくれよ。

 俺だって、思い出すたびにこそばゆくなっちまう。

 チェルの家は、まだまだ大変そうだな」

 今度はレグルが話題を変えた。

 畑の向こうにチェルの家が営む宿屋が見えていた。


 さすがにこの日ばかりは客室の明かりは全て消えていたが、厨房からはまだ灯が漏れている。

 新年祭の料理作りに勤しんでいるであろう恋人を思いながらも、レグルは帝都での暮らしに思いを馳せていた。





「お父さん、伊達巻きの味見てっ!

 あと、煮豆と膾もっ!

 アレイ、お煮しめの盛り付けよろしくっ!」

 それほど広くない厨房は、戦場のようだった。


 チェルと父は、まだ幼いアレイまで動員して、翌朝に控えた新年祭の祝い膳の用意に忙殺されていた。

 ソル皇国伝統の新年祭に用意される膳には、料理全てに国家や家庭、個人の繁栄や無病息災、五穀豊穣等の祈りが込められている。神前に奉納する膳は当然神職が作るが、個人宅ではチェルの宿に注文する家も少なくない。その他、年頭の寄り合いに出される分もある。

 近隣の村からも注文が毎年舞い込み、夏の慰霊祭のときなど比べものにならない一年で一番の稼ぎ時だった。


 配達までが料金のうちに含まれており、オアシスを取り巻く村々を回る浮遊車の循環路線が、この日ばかりは宿の前に待機している。チェル一家ではすべての配達を賄いきれないことから、翌朝に一便増発した上に、積み込みのために夜のうちから待機してくれていた。

 個人宅の分は、一二月三一日の朝に配達し終わっていたが、狭い厨房ではすべてを一度に作りきることは不可能だった。そのため、年頭の寄り合いに出される分は、配達の後作り始めていた。



「姉ちゃん、これでいい?

 お父さん、あとどれくらいあるの?」

 余った金団をつまみ食いしながら、今年初めて駆り出されたアレイが、盛り付けの出来をチェルに聞く。


「何やってんのよっ、アレイっ!

 あとでいくらでも食べさせてあげるから、今は口じゃなく手を動かしてっ!

 お煮しめは、これでいいわ。

 あとは、お父さんに味見してもらって、それでよければ煮豆と膾っ!」

 まだ一〇歳のアレイの頭をはたきながら、チェルは盛り付けに合格点を与え、次の作業を指示する。

 普段であれば本気でやり返してくるアレイも、状況を理解しているのか言い返すこともなく金団の箱に蓋をした。


「ちょっと待て、チェル。

 これがひと段落着いたらすぐ見るから。

 アレイ、それくらいにしておけよ。

 伊達巻きと煮豆と膾の味見してる間、こっちを見ていてくれ」

 強めに塩をした魚の焼き加減を見ながら、父はアレイに田作りを煮詰めている鍋の面倒を言いつける。


 三日間続く新年祭の間は女たちが台所に立たなくても良いように、日持ちを重視して多少味を濃いめに付けていく。

 干した小魚を乾煎りし、そこに砂糖、みりん、酒、醤油の順に絡めていくが、あまり煮詰めてしまうとくっついてひとかたまりになってしまう。ちょうど塩梅の良いところで火から下ろして冷ますのだが、あと少しの工程まで来ていた。

 アレイは、田作りが焦げ付かないように、まだ幼さが残る身体で必死に杓文字を動かし始めた。

 昼過ぎから始まった祝い膳の準備は、レグルたちが神社から帰る頃、盛り付けと梱包の佳境を迎えていた。



「アレイ、ひと眠りしてこい。

 ご来光を拝んだら配達だ。

 チェルも、これが終わったらもういいぞ」

 折り詰めに魚の塩焼きを詰めた側から蓋をして風呂敷で包み、御品書きを差し込んで祝い膳の体裁を整えながら父が言った。


「ふぁい。

 姉ちゃん、お父さん、おやすみなさい」

 二度鳴った柱時計の音を聞きながら、ふらふらになったアレイが厨房を出た。


「ちゃんと起きてよ、今年こそ。

 配達から帰ってきたら、神社行くんだから。

 二度寝なんかしてたらダメなんだからね」

 階段を上がっていくアレイの背に、チェルが言った。


「まあ、無理だろうな。

 配達から帰ってくるまでは、寝かせておいてやれ」

 祝い膳を積み上げ、数を確認しながら父が笑う。


「笑いごとじゃないわよ、お父さん。

 宿の跡取りは一〇歳にもなってご来光に来ないなんて言われて、恥を掻くのはアレイだけじゃなく、お父さんとお母さんでしょうに」

 呆れ顔でチェルは言い返す。

 自分はできたのだから、それくらい当たり前だと言いたいかのようだった。


「お父さんなんか、初めて祖父さんに手伝わされたときは、神社すら行ってないぞ。

 さすがに、誰よりも早く初夢を見たって言ったら、祖父さんに張り倒されたけどな」

 チェルの気持ちを知ってか知らずか、父は大きく笑った。


「もう、知らないっ」

 頬を膨らませながら、チェルは祝い膳を風呂敷に包み続ける。


 やがて、柱時計の音が三回鳴った後、すべての作業が完了した。

 父は何度も祝い膳を数え直し、万が一にも不足がないかを確認した。寄り合い所から請けた数ごとに印を入れ、外に待機した浮遊車に運び始めた。


「チェル、お前も仮眠を取っておけ。

 お父さんも、積み込みが済んだらすぐ寝るからな」

 さすがに疲れた顔で、父は厨房と浮遊車を往復している。

 チェルも、足下が震えるような感覚に襲われていた。下手に手伝って祝い膳を落としでもしたら、大変なことになる。軽い罪悪感を抱きつつも、チェルは先に休むことにした。


「うん、ごめんなさい、お父さん。

 先に休むわ。

 おやすみなさい、お父さん」

 アレイと同様にふらつきながら、チェルは寝室がある二階へと階段を上がる。


 寝間着に着替えて布団に入ると、チェルはすぐ眠りに落ちた。

 ガルやレグル、エルミからは大きく遅れて、チェルの一年はようやく終わりを告げた。

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