第4話 親と子
金属の打ち合う音が溢れる仕事場で、ガルは父に話しかけた。
「父さん……」
意を決して話しかけたつもりだったが、父の眼差しに言葉が詰まる。
「余計な口をきくな。
話なら飯のときだと、いつも言ってるだろうが」
鎚を振るいながらぶっきらぼうに答える父に、ガルは気圧されてしまう。
鍛冶としての腕は一流とは言い難いが、それを知っているが故に仕事に対して誠実な父は、ガルに対してもそうあることを求めていた。
指示という名目の命令や技術論であれば作業の最中であっても口を開くが、それ以外の話題は一切相手にしない。普段のガルであればそんな当たり前の無駄な行為をすることはないが、今は勢いがあるうちに言わなければ、二度と言い出せなくなりそうな気がしていた。
「俺、帝都へ行く。
レグルと一緒に、砂海軍士官学校を受ける」
そう言ってガルは父の反応を待った。
仕事場を沈黙が支配した。
父は目を見開き、これまで言われるままでしかなかった息子の初めての自己主張を、嬉しそうな表情で聞いていた。
父は目を閉じ、深く息を吸い込み、そのまま時が流れる。
父の表情から許されると見て取ったガルも、嬉しそうに感謝の言葉を頭に浮かべ、喉元に用意した。
やがて、大きく息を吐いた父が口を開く。
「許さん」
一言だけ言うと、父は反論など聞く気もないとばかりに鎚を振るう。
「……!?
なんで?
なんでだよ、父さん!?
お国のためにっ!
俺はお国のお役に立とうってっ!」
ガルはまさかの一言に暫く呆然として、一気に言い募る。
「莫迦か、お前は。
全員で最前線に出てどうする。
飯が湧いてくるとでも思ってるのか?
砲弾が独りでにできあがってくるか?
お前が士官になったら、この村の農業は誰が支えるんだ?
誰かが前に出れば、誰かが後ろを支えなきゃならん。
お前は、後ろにいるべき人間だ」
父はそれ以上は言う必要もないと言いたげに口を閉ざすが、嬉しそうな表情のままだった。
「そんなの、誰かがやりゃぁいいじゃないかっ!
俺はっ!」
ガルはそれでも言い募る。
父の言うことはよく分かるが、その通りになりたくなかった。若さ故の万能感が、自身の未来図を否定された気になって剥きになり始めていた。
「いいか、ガル。
お前は俺の息子とは思えないほど、出来が良い。
できることなら、帝都へ出してやりたいと思う」
切りの良いところまで鎚を振るった父は、手にした鎚を横に置いた。
「じゃあ、いいじゃないか、父さん。
なんで?」
父の相反する言葉が理解できないガルは、縋るような視線で父に言った。
「お前が軍に入ったとしよう。 この村の鍛冶はどうなる?
たいして腕の良くない俺に、仕事が来ているこの村はどうなる?
お国のお役に立つということは、何も敵兵を討つだけじゃないんだ、ガル。
昔から言うだろ、腹が減っては戦はできぬ、と。
食い物を作るのは、レグルの親父さんみたいな農夫だけじゃない。
底辺で、それを支える俺たちみたいな者がいなくちゃならないんだ。
解ったか?
解ったら、仕事だ」
それだけ言うとガルの父は、再度鎚を手に取った。
ガルは言い返せない自分に唇を噛み、補助の鎚を手に取る。余りに強く噛んだからか、口の中にしょっぱい鉄の味が広がっていた。
「ガル、精神を集中しろ。
火力が落ちてる。
魔鉱石に意識を集中するんだ。
こんなんじゃぁ、酷いできになっちまうぞ」
ガルの心の乱れを感じ取り、父の叱咤が飛んだ。
ガルは、帝都のことを一時頭から追い出し、魔鉱石に魔力を集中する。いつもは簡単に上げられる火力が、このときばかりは思うに任せなかった。
「親父、年が明けて新年祭が終わったら、行ってくる」
夕食の後、茶を喫している父に向かってレグルが言った。
「随分と早いんじゃないか?
試験は、確か、一月の末だっただろう?」
教科書から目を離さないレグルに、父が言葉を投げ掛ける。
農閑期に当たるこの時期は、たいして農作業は忙しくない。
雪こそ降ることは稀なこの世界でも、一二月から一月にかけては適した農作物がなかった。さらに高緯度地域に行けばそれなりの品種はあったが、その作付けをしてしまうと田畑の回転が却って悪くなってしまう。
それもあって士官学校をはじめとした高等学校、大学校、専門技術学校などの各高等教育の学校は、受験をこの時期に設定していた。
「いや、少しでも早く帝都に慣れときたいんだ。
いきなり行って人混みに気圧されちまったら、試験でどんなヘマするか判らないから。
なんたって、俺は初帝都だし」
集中力が分散したのか、一旦教科書を置いたレグルが父に向き直った。
そういった戦術であることはもちろんだが、早く帝都へ出たいという欲求が抑えられない。
「良い心掛けだかな、レグル。
そんなに早く行かれても困るぞ。
店はいいんだが、宿代が馬鹿にならん。
さすがに帝都で長逗留するほどの余裕は、家にはないぞ、レグル」
親心としては行かせてやりたい。
だが、そのせいで自分たち夫婦はともかく、まだ幼い妹であるリーンに今以上にひもじい思いはさせたくなかった。
「大丈夫だよ。
エルミの兄さんが、騎兵軍にいる。
逗留させてもらえないか、エルミに聞いてもらうよ。
それがダメなら仕方ないさ。
ただ、一度は試験前に帝都に行かせてくれよな。
日帰りで構わないからさ」
レグルは用意しておいた答えを返した。
エルミの次兄は、歳は離れているが幼馴染みと言っても良い。
互いに陽が暮れるまで砂だらけになって遊び、ときには殴り殴られた間柄だ。真摯に頼み込めば、無碍に断られることはないだろうとレグルは踏んでいた。
「それは、不躾と言うもんじゃないか?
いくらなんでも、あの方はご家庭持ちだし、今日の明日というわけにも行くまいて」
父は少々困った顔になった。
皇国騎兵軍下士官ともなれば、レグルたちが住む村では名士といって良い存在だ。
間もなく帰省してくるが、その際には村長をはじめとした村の主だった者と一席設けられるのが通例だった。強制兵役の兵卒と、その後経験を積み厳しい選抜試験を潜り抜けた下士官とでは、扱いは雲泥の差だった。
近所の洟垂れ小僧ではあったが、父の言葉遣いが変わっていることがそれを物語っている。
「もうすぐ帰ってくるんだよな?
その席に俺も連れて行ってくれよ。
礼儀は弁えているつもりです、お父さん」
突然言葉遣いを改めたレグルの真剣な表情に、父は目を見張った。
家の中や、外でも友達と話すときはともかく、レグルに対する躾には自信はある。
いつか士官学校に入ったとき、苦労しないようにとの親心だ。その他にも初等学校で修身という授業があり、家庭教育以上に皇国における礼儀や身の処し方は叩き込まれている。それがいくら幼馴染みとはいえ、所帯を持つ者にひと月近く居候させてくれと頼むなど、礼を失していると言われかねない。ましてや相手は軍の背骨とも言われる下士官だ。
機嫌を損ねるようなことがあれば、後々どのような不利益があるか判ったものではない。
「大丈夫です、あの方なら」
やんちゃ盛りだった当時の面影は残しているが、すっかり大人の風格を蓄えたその人物を思い浮かべ、レグルは言った。
「いや、それだけじゃなくなあ。
奥方様がなんと仰るかも、なあ」
父は、レグルの同席に中々首を縦に振らなかった。
「お母さん、私帝都へ行く。
騎兵軍か砂海軍の飛行士官の試験、受けてみる」
エルミが母に決意を打ち明けたのは、チェルと話した日の夜も更けてからだった。
農閑期は全く仕事がないわけではないが、夜になれば多少時間の余裕がある。そうはいっても家事が減るわけではなく、母は針仕事に精を出していた。
「エルミ、自分が何言ってるか解って言ってるの!?」
突然の言葉に、母は針仕事を投げ捨てるように置き、叫ぶように言った。
帝都へ出たいということは前々から聞かされていたので、そのことについては今さら驚きはしない。反対している父を、どう説得してやるか頭を悩ませていたくらいだ。しかし、軍に入るとなれば、話は大きく違ってくる。
「どうしたの、お母さん、そんな血相を変えて?
女の方が魔力が高いから、搭乗員に向いてるって話しよ。
これからは女も男と同じように、お国のお役に立たなきゃ。
うまく行けば兄さんよ――」
「冗談をお言いでないよっ!
何を言い出すかと思えば。
あたしらは、あんたを人殺しにするために育てたんじゃないっ!」
母にしてみれば、次兄が軍に残ったことすら耐えられないことだった。
お国のための一言で、数多の命が紙屑のように消し飛んでいる。
次兄がいつ白木の箱で家の戸をくぐるか、母はそればかりを心配していた。毎朝、誰よりも早く郵便受けを覗くのも、次兄の戦死通知がないことを確認するためだ。我が子の死も心配だが、我が子が戦う相手にも親兄弟がいる。戦争だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、戦後ひとを殺めたという事実と、我が子を向き合わせたくなかった。
もっと単純に言えば、死んで欲しくないし、人殺しなどになって欲しくなかった。
偽らざる母の心情だった。
「そんなっ!
これはお国のためよっ!
人殺しなんかと一緒にするなんてっ!
ひとに聞かれたら大変なことになっちゃうわっ!
兄さんがやってること、否定するの、お母さんは!?
命がけでお国の楯になってる兵隊さんに、なんてこと言うのっ!」
エルミが叫ぶように言い返す。
自身の夢を否定されたことにも納得できないが、次兄の行いを否定されたことがエルミの怒りに火をつけた。
仲の良い親子と近所では評判だったが、エルミが帝都行きを言い出してから、家庭内の雲行きが怪しくなっていた。
それが飛行士官を受けると言われ、一気に嵐を巻き起こしたかのようだった。おおっぴらに戦争否定を口にすれば非国民扱いされかねない世相の中、エルミの母は真っ正面から戦争を否定してしまった。
「お父さん、ちょっと来て下さいっ!
エルミがとんでもないこと言い出して」
土間で藁を打っている父を母が呼び、それとほぼ同時に父が居間に入ってきた。
「母さん、滅多なことを言うもんじゃない。
ご近所に聞かれでもしたらどうする。
息子の忠国の情を、そんなふうに言うもんじゃないだろう。
いいじゃないか、エルミが初めてお国のお役に立とうとしてるんだ。
行かせてやろうじゃないか」
土間まで響き渡る二人の言い合いを聞いていた父は、母を宥めながらそれまでとは正反対の物言いをした。
「どういうことです?
お父さんはあれほどエルミの帝都行きに、反対してたじゃありませんか?
それが何で今になって!?」
父の豹変に、母は戸惑うばかりだった。
「なんの目標もない物見遊山であれば、帝都などたまに遊びに行く程度でいい。
花嫁修業なんぞ、どこでもできる。
だが、明確な目的があり、それがお国のお役に立つというなら、これを止める謂われはないぞ、母さん」
父は表情を和らげ、母を説得に掛かった。
「だからって、何も軍に入るなんてことはないじゃないですかっ!」
母は折れるつもりなどさらさらない。
本来であれば、頑なに帝都行きに反対する父を説得し、エルミを送り出すつもりだった母が反対に回り、父が母を説得し始めている
当事者であるエルミそっちのけで、夫婦の論争は終わる気配を見せなかった。
「お父さん、このお皿、捨てちゃっていいかしら?」
厨房の洗い場からチェルの声が響く。
縁が欠けた皿に気付き、家庭用に回すか処分するかを父に尋ねた。
「ああ、捨てちまっていいぞ、チェル。
なんなら、裏に回って叩き割ってこい」
翌朝の仕込みを続けながら、手元から目を離さず父が答えた。
いずれにせよ、新しい皿を買わなければならない。経費が掛かることにも拘わらず、父の声は笑いを含んでいた。
「いいの、そんなこと言って?
お母さんに、後で怒られたって知らないから」
そう答えるチェルの声にも、充分すぎるほど笑いが含まれていた。
「構うもんか。
たまには、なんだ、ストレスとかいうのか、それを発散するのもいいだろう」
父は最近見知ったサピエント語を口にした。
「そうねぇ、たまにはいいか。
じゃ、ちょっとだけ、いい?」
チェルは父の返答を待たず、縁の欠けた皿を持って裏に回った。
――あたしだって、帝都に行きたいっ!
渾身の力を込めて、皿を地面に叩き付ける。
粉々になるかと思った皿は、大きな破片と細かい屑に離断され、小さな破片がチェルの脚に当たった。
思ったように砕け散らなかった破片を拾い集め、掌に乗せているチェルの目から涙がこぼれ落ちる。
――なんで、あたしは……
――レグルも、エルミも、きっとガルも……
友達が三人しかいないというわけではない。
だが、特に仲の良い、いつでも一緒にいると思っていた三人が、揃いも揃って帝都へ出て行ってしまうとなると、チェルはいたたまれない思いに捕らわれてしまった。
レグルが迎えに来てくれることは、信じている。
将校の妻として村を出るのは、誰しもが祝福してくれるだろう。現状でエルミの家の次兄が下士官というだけで、帰ってくれば村を挙げての歓迎だ。それが士官、将校ともなれば、どれほどの尊敬を集めるかは、想像に難くない。ただ、チェルは人々の尊敬が欲しいというわけではない。
毎日は会えなくとも、レグルが近くにいることに安心していた。しかし、レグルが士官学校に入り、軍に進むとなれば、何年か後には一緒に暮らせるようになるとはいえ、当分は年に二回しか会えなくなる。
それが心の支えとなるか、心が折れてしまうか、チェルは言いようのない不安に襲われていた。
「すまんな、チェル。
余計なことを言って、やらんでもいい仕事を増やしちまって」
皿の破片を拾い集めているチェルに、父が背後から声を掛けた。
「何言ってんの、お父さん。
結構、すっきりしたわよ」
涙を気取られたかとチェルは父に背を向け、そっと頬を拭った。
帝都行きを言い出したところで、父が反対するのは目に見えている。諦めとともに、チェルは父に振り向いた。
人を雇おうにも、宿の経営に余裕はない。
家族経営であり、チェルの給金が小遣い程度であるからこそ、経営は成り立っていた。人一人が暮らせる給金を出してしまえば、それだけで赤字だ。住み込みにでもしてしまえばある程度は抑えられるが、こんな辺鄙な田舎町の宿屋に住み込みで働きに来る物好きがいるとは思えない。近隣の村人であっても、住みなれた村を出るくらいなら帝都行きを選ぶだろう。それが解り切っているからこそ、チェルは自身の夢を強引に押さえ込んでいるのだった。
今は、数年後にレグルが迎えに戻ってくることを、心の支えにするしかないと、チェルは割り切っていた。
父が帝都行きを反対するであろう理由を、チェルはもうひとつ思い当たることがあった。
エルミにも言ったことだが、仕官に奉職すれば最低二年は基地内営舎暮らしだ。その前には三年の士官学校寮生活がある。外出もままならぬ状態に置かれ、チェルと会えることもほとんどない。そんな環境では、チェルは一人暮らしを強いられることになる。
世間知らずな若い娘が、帝都で身寄りもなく一人暮らしをするなど、悪い男に騙してくれというようなものだ。
人一倍娘を溺愛している父が、帝都での一人暮らしを許す確率は限りなくゼロに近い。
宿の経営状態と父の心配、そしてレグルという保証がある中で、無理に帝都行きを言いだす理由をチェルは失っていた。
チェルは、ただ友達が羨ましいだけと気付き、理不尽に帝都行きを反対されるのではないと納得し、数年後の旅立ちを夢見て、厨房の後片付けに戻っていった。