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第31話 慢心

 二六四二年一月一二日に第二航空戦隊旗艦『デットン』は第一機動部隊の所属のままソルを出撃し、南方信託統治領のひとつであるダオブオアシスへと向かっている。

 砂を巻き上げる強風を避け、エルミは搭乗員待機所でゆっくりとした時間を過ごしていた。


「はぁ……」

 搭乗員待機所に置かれたテーブルに肘を付き、エルミは何度目かの溜息を漏らす。

 新年際の二日目に、チェルの宿で飲んだときのことをエルミは思い出していた。



「いいのか、エルミ。

 また、いつ帰ってこられるか、解らないんだぞ」

 慌しく休暇を終え、一日早く村を出ると言ったエルミにレグルが訊ねた。

 ガルに対する想いをしまい込んだまま戻って良いのか。レグルの目がそう聞いていた。


 その夜は珍しくガルが早々に酔い潰れ、チェルの家の好意で死体置き場と化した部屋に放り込まれていた。既にアレイとリーンは意識不明の状態で、ガルより先にその部屋で眠り込んでいる。

 新年際の準備に忙殺されていたチェルも、酔い潰れはしなかったが既にまどろみの世界へと誘われていた。

 レグルに寄り添うようにして舟を漕ぐチェルを見ながら、エルミは黙り込んだ。


「レグルも知ってると思うけど、次の作戦までそんなに時間がないでしょ。

 本当は一日帰るのを遅らせたいけど、疲れが残っちゃうと回りに迷惑だもん。

 そうそう補充なんてないだろうし、さ」

 しばらく考えた後、まだ言いたいことはあるという顔で、エルミは答えた。


「緒戦で、残念だったよな、ルックゥのことは。

 『デットン』航空隊も、かなりの被害だよな。

 『ブリッツ・ブロッツ』は、もっと酷かったらしいけど」

 もちろん、だから我慢しろなどと、レグルは言う気はない。

 それでも戦場から遠く離れた位置で、母艦の護衛しかしていなかった者に言われて気持ちの良い言葉ではなかった。

 一瞬流れた険悪な雰囲気を察知したのか、チェルが時々目を開けるが、限界をとっくに超えているのかすぐに目を閉じてしまっていた。


 ハトー攻撃の際、機動部隊の中で最も練度が高いと考えられていた一航戦の『コッヴ』と『ブリッツ・ブロッツ』飛行隊には、最も危険度が高いと思われる攻撃目標が割り振られていた。

 その中でも『ブリッツ・ブロッツ』雷撃隊は、ハトー攻撃に参加した飛行中隊では最大の被害を受けていた。気持ちは分かるが、二、三機撃墜されたからといって落ち込んでいる場合ではないということも、当たり前といえば当たり前のことだった。


「解ってる。

 そんなつもりで言ったんじゃないことくらい。

 実際にルックゥが撃墜されたのを見たわけじゃないけど、ハトーでは目の前で墜とされたんだよ。

 レグル、解る?

 次はないかもしれない。

 帰って来れないかもしれないって思いながら、機銃弾や砲弾の中に突っ込んでいく気持ち」

 もちろん、後方は気楽だなどとは、エルミも言う気はない。


「正直に言っちまえば、俺はまだ戦争をしているって実感がない。

 ハトーからコーセキに寄り道までして、一航戦や五航戦より一戦多く経験はしたけどさ。

 弾が飛んできたわけじゃないからな。

 エルミみたいに、弾を掻い潜ってきたわけじゃないから。

 周りを鋼鉄で囲まれた艦底にいただけだ。

 そういった意味では、お前がそう言いたくなる気持ちは解る」

 銚子に残った酒をラッパ飲みし、レグルは一気に言葉を吐き出す。


「だからなの。

 ガルに結婚を申し込むつもりで帰ってきたんだけど、受けてくれても断られても、戦場にいけなくなっちゃいそうで。

 正直言っちゃうと、今でさえ怖いのよ、飛ぶのが。

 次は撃ち落されるって思っちゃうと、ね。

 あのルックゥでさえ撃墜されたの。

 私が生き残るなんて、きっと……」

 うっすらと涙を浮かべ、エルミは猪口をあおった。


 その光景と自分の言葉を思い返し、エルミはまた大きく溜息をついた。

 もし、ガルが結婚を承諾してくれたら、死ぬことが今以上に怖くなって飛べなくなる。

 もし、ガルに拒まれたら、自暴自棄になってしまい、偵察員であるエンザ中尉を巻き添えにしかねない。

 無謀な突入で撃墜されるだけならまだしも、『デットン』への着艦を失敗して周囲の機体を巻き添えにでもしてしまえば、『デットン』から航空機の発着能力を奪うだけでなく、下手をすれば航空燃料に引火、火薬庫弾薬庫燃料庫の誘爆を引き起こしかねない。

 そんな危険な存在になってしまえば、空母に乗っているわけにはいかなくなる。



「どうしたんだい、エルミ。

 ボクでよければ相談に乗るよ」

 機体の手入れを済ませたファルが、油で汚れた顔を見せた。


「ん?

 ファルかぁ。

 ファルじゃぁ、ねぇ……」

 気のない返事を返し、またエルミは溜息をついた。


「なんだよ、その失礼極まりない言い方。

 金と男以外のことだったら、どんとこいってもんだよ」

 やや小ぶりな、親近感を抱かせる胸を叩き、ファルは言い返す。

 ファルは、エルミがルックゥを思い出してしまったのだと考えていた。

 ルックゥの戦死はそれぞれに消化しているはずだが、それでもそう簡単に忘れられることではない。再度戦場へ臨むにあたって、思い出して不安に駆られても仕方のないことだとファルは思っていた。

 自身が抱く不安を共有することで、恐怖へと育つことを防ぎたいという思惑もあたかもしれない。


「それよ、それ。

 だからよ、ファル」

 もう一度大きく溜息を吐き出してファルに言い、エルミは搭乗員待機所を出て行った。

 それじゃあ、しょうがないよ、とファルは肩を竦めて見せ、搭乗員待機所のイスに腰を下ろし、手近な湯呑に茶を注いだ。


 乾坤一擲の大勝負だったハトー攻撃の出撃時とは違い、第一機動部隊所属の各艦は母港を単艦で出航し、ソル南方に指定された合流地点でそれぞれの隊列を組んでいた。どこかしらのんびりとした空気が艦内に漂い、これから人を殺しに行くという殺伐とした雰囲気はあまり感じられない。艦橋に詰める二航戦司令部や『デットン』首脳部も、弛緩した空気を引き締めようとはしていたが、必要以上に殺気立つようなことはなかった。

 これからしばらくの間の配置となるダオブが南方資源地帯に近く、ソル本土に比べて燃料となる魔鉱石の心配が要らないということも、機動部隊の緩んだ空気の原因だったかもしれなかった。



「艦長、少し気が緩みすぎのようだとは思わんかね?」

 それでもオーキキは艦隊全体を包んだ弛緩した雰囲気が気になっている。


「確かに、これはちょいとばかり拙いですなぁ。

 派手な訓練はできませんが、雷撃や爆撃を受けた際の被害限定訓練であればできます。

 乗組員たちの気持ちを引き締めるためにも、ここはひとつ手荒く雷撃を受けたということにでもしますか?」

 ホンリュウ自身も、このままではよくないと判断し、訓練の許可を求める。

 ハトーのときほど緊張する必要はない。ある程度であれば、リラックスしていたほうがいいこともある。しかし、今以上に緩んだ空気が蔓延しては、奇襲を受けかねない。

 魔鉱石の補給を受けるまで、飛行隊の訓練は控えなければならない。勝手に一艦だけ隊列を乱すわけにもいかない、という事情もある。護衛艦艇が当然付き従わなければならず、外洋を航行する際の第一警戒序列が崩れてしまう。

 警戒序列において余剰となる艦など、ただの一隻もあるはずはない。

 やがて、副長が中心となって練り上げられた被害限定訓練が突然始まり、『デットン』を包み込んでいた弛緩した空気は一変していった。




 『デットン』の艦内が突発の訓練で大騒動になっていた頃、第八戦隊旗艦を務める重巡『ドラコ』のガンルームでは、レグルが盛大な溜め息をついていた。

 レグルは新年祭二日目の夜ことを思い出していた。


「軽々しく、そんなことを言うな、エルミ。

 飛ぶのが怖いのはいい。

 でも、どんなことをしてでも生き残ってやるって、そう思ってなきゃ、本当に次は墜とされるぞ」

 エルミの生き抜くことを諦めたかのような物言いを、レグルは途中で食いちぎっていた。

 時間も時間なので声を荒げることはないが、厳しい口調でレグルは嗜める。


「もし、機銃弾が身体を撃ちぬかなくても、上空五〇〇〇メートルで機体がばらばらになっても死なずに済むって本気で思ってる?

 機体が壊れなくても、その高度から墜落して無事に済むとでも思ってるの、レグルは?

 もし、ガルが結婚してくれるなんて言ってくれたら、私は死ぬのが怖くなる。

 今だって充分怖いけどさ。

 それがもっと怖くなっちゃったら、飛べると思う?

 私は軍人よ。

 皇国を守るための軍人よ。

 でもね、そんなことはどうでもいいの。

 愛する人を守りたい。

 家族や、友達、そしてガル。

 私が戦う理由は、それだけよ。

 ガルを守るって気持ちが、私を守ってくれる。

 ガルが待っていてくれるなんてなったら、私はすぐにでも帰りたくなっちゃう。

 そんなことになったら、私はガルを守れない。

 それに、ガルに拒絶されたら、私は戦えなくなっちゃう。

 だから、今は言わないよ」

 悲しげな顔でエルミは言い切る。

 それ以上に、ガルに拒絶されることは、撃墜されるより怖いことだった。


「お前の意志を尊重するつもりだけどさ、俺は。

 でも、あんまり押さえつけてるのも考え物だと思うぜ」

 確かに機銃弾の雨に突っ込んでいく恐怖は、レグルに想像できることではなかった。

 それでも幼馴染みの恋は応援したい。


「それより、レグルはいつ祝言を挙げるつもりなの?」

 苦しさから逃れるように、エルミは強引に話題を変える。


「あ、ああ……

 それは俺も悩んでる。

 でも今は無理だろ、常識的に考えて。

 おそらく、一年は転戦に継ぐ転戦だ。

 間違いなく、長期持久戦になんかなったら、ソルは破滅する。

 だからオリザニアが反撃態勢を整える前に屈服させるしかないだろう。

 そうなれば、機動部隊は磨り潰されるまで酷使されるんじゃないか?

 いつ死ぬかわからない状態で、祝言なんか上げられるかよ。

 まぁ、これは俺の考えであって、他の誰かが祝言を上げることに反対する気はないぜ」

 さりげなくエルミの意図を挫き、話題は元に戻された。


「なんで私に向かってそういう残酷なこと言えるわけ?

 実はレグルって嫌なやつだったの?

 チェルに言っちゃうよ」

 頬を膨らませ、エルミは言い返す。


「当って砕けろって言葉もあるだろ?

 あのときの顔見ただろ?

 もう、あいつは吹っ切れてるんじゃないか?

 だからエルミ、思い切って言ってみてもいいんじゃないか?」

 レグルは敢えて楽観的に言った。


「当って砕けちゃったらどうすんのよ。

 そんなことになったら、私敵艦に突っ込んじゃうから。

 でも、そうだよね、あのときのガルの顔、すごく晴れやかだったよね。

 でも、あいつ、私のこと、女として見てくれてるのかなぁ」

 踏ん切りがつかないエルミは、そう言って酒をあおった。

 エルミは、もし結婚を申し込んでもガルが受け入れてくれる可能性は、限りなく低いと悲観している。

 ガル自身がチェルに対する気持ちに整理をつけたのかどうか、あのときの表情だけでは判然としなかった。もし、ガルにチェルへの恋心が残っているのなら、エルミと結婚するなどありえない。

 もし、チェルへの思いを胸に秘めたまま、無理矢理押さえ込むためにエルミの申し出を受け入れたとしても、それは互いに幸せになれるとは思えなかった。

 頭の中で様々な考えがぐるぐる回り始めていた。


「エルミ、あまり考え込むなよ。

 煽っておいて、こんなこと言えた義理じゃないけどさ。

 明日帰るんなら、そろそろ寝とかないと拙いんじゃないか?」

 既に日付が変わり、浮遊車の始発まで数時間しかない。

 睡眠不足な上、酒の匂いを振り撒いたまま浮遊車に乗り込むなど、皇国軍人としてあるまじき振る舞いだ。


「大丈夫よ、レグル。

 ここまできちゃったら、帰るのは一日伸ばす。

 さすがに二日酔いで浮遊車に乗るわけにはいかないもんね。

 チェルを寝かしてあげて。

 ついでに覚悟を決めてきてね」

 翌朝の出立を諦めたことで一気に酔いが回り始めたのか、エルミの目が据わっている。

 レグルはチェルを抱えて死体置き場と化した部屋に寝かせてくると、猪口をテーブルの端に寄せ、代わりに湯呑を手にとってエルミに差し出した。



 ここまで思い出し、レグルは盛大に溜息をついた。

 その後のことは思い出したくもない。

 ガルのへの想いの丈を迸らせたエルミの愚痴に付き合ううち、いつの間にか記憶が途切れていた。

 朝になって、テーブルを挟んで大の字になって眠っていた二人は、鬼の表情になったチェルに蹴り起こされ、しばらくの間正座させられていた。

 チェルが誤解しているなどありえないが、許婚でもない男女がひと部屋で夜を過ごすなど、どう言い繕ってもふしだらとの誹りは免れないものだった。ましてやその片割れは、許婚のいる男だ。チェルが怒り狂ってもおかしくはない。

 もっとも、やましいことなど欠片もないレグルにとって、チェルのやきもちはそれなりに嬉しいことでもあった。


 ふと顔を上げると、目の前ではにやにやしたリンがルカをテーブルに座らせ、その両前肢を後ろから掴んで左右に揺らしていた。


「なにをしてるのかな、リンは?

 中尉はおまえのおもちゃじゃないぞ。

 なんか、中尉がすげぇ困った顔になってるんだが」

 違った意味で深刻な表情を崩せずに、レグルは溜め息とともに聞いた。


「だって、レグルが深刻そうな顔になったり、にやけてみたり。

 見てて面白かったよ。

 でも、こっちには全然気付いてもくれないのね。

 だからいつ気付くかと思って、中尉に手伝ってもらってたんだけど。

 こんなときに限って、中尉ったら一声も鳴かないんだもの」

 相変わらずルカを踊らせながら、リンがからかうような物言いでレグルに言った。


「いい加減にしないと引っ掻かれるぞ。

 猫の引っかき傷はあとで大変なことになるって言うだろ。

 膿が溜まって飛べません、なんてことになった重営倉ものだろ、常識的に考えて」

 リンの物言いと自身の迂闊さに呆れ、レグルはそう言ってガンルームを後にした。


「逃げるのかー、レグルー!

 深刻そうなことはともかく、にやけてたことに付いて白状しろー」

 引きとめようとしたリンの手を振り解き、ルカはテーブルを飛び降りるとレグルの足元にまとわりついた。

 レグルはルカを抱え上げると、そのまま士官次室に入っていった。


「中尉の裏切り者ー!

 せっかく面白そうな話になると思ったのにー!」

 ひとり取り残されたリンの叫びが、ガンルームに響いた。




 ソルを出撃してから六日後の一月一八日、『デットン』が旗艦を勤める二航戦はダオブオアシスに到着した。

 『デットン』航空隊は出撃準備の間、整備と休息のためダオブオアシスの南五〇キロに位置するペラルオアシスに移動しての待機を命じられている。


「索敵機より緊急信!

 オリザニア軍潜水艦発見!」

 『デットン』航空隊が仮の司令部としていた小屋に、魔通兵の声が響く。

 南国の弛緩した空気が一気に引き絞られ、パイロットたちが予め決められていた搭乗割りに従って機体に駆けつけた。

 いつでも飛び立てるように魔鉱石と水をタンクに満載した零型艦戦一個小隊三機と、二五〇キロ爆弾を抱えた三個中隊九機の九型艦爆が、暖機運転のうなりを高める。

 誘導に従い滑走路に移動した零型艦戦が、空中での格闘性能を髣髴とさせるような軽快な機動で離陸する。

 次いで九型艦爆が滑走路へ移動し、滑らかな動作で離陸した。

 母艦からの発艦とは異なり、合成風力を利用できないので滑走距離が増えている。それでも揺れがなく、万が一の離艦失敗時の砂海墜落の危険がない分、機体の動作には余裕が見られた。

 もちろん、離陸に失敗すれば即失速から墜落、無駄死にという不名誉が待っているが、母艦からの発艦に比べはるかに安全だった。


 手空きの将兵が滑走路脇に整列し、次々と飛び立つ九型艦爆に帽子を振って見送っている。

 エルミもその列に混じっているが、ファルの機体が目の前を過ぎて滑走を始めたときには、ひと際大きく帽子を振っていた。

 全機の離陸が無事完了し、当面手持ち無沙汰になった将兵は、それぞれに割り当てられた仕事に戻る。

 整備兵は艦戦や艦爆の帰還に備えて整備場の整理を始め、砲術科や航海科の兵が滑走路の地均しを始めている。

 エルミは、現在割り当てられた仕事である休息のため、すべての機体が見えなくなった後、搭乗員待機所に足を向けた。




「たるんでるんじゃないの、ダオブの連中は!」

 揺れない大地に置かれた搭乗員待機所に、ファルの罵声が響く。


「そんなにいきり立つな、ファル。

 流木と潜望鏡の見間違いなんざいくらでもある。

 もっとも、今回の誤報は随分とお粗末だったがな」

 『デットン』艦攻隊第三小隊エンザ中尉が嗜める。


 結局、索敵機の誘導に従って、敵潜砂艦の発見位置に急行した九機の九型艦爆と三機の零型艦戦は、砂上を風で転がる流木を発見しただけだった。

 磁気探知機がまだ実用化されていないソル砂海軍機では、目視による敵潜発見ができなければ攻撃の手段が無い。しばらく索敵機の後を追うように現場砂海域の哨戒を続けたが、敵潜を発見することなく帰投することになったのだった。


「索敵機の見張り員の気が緩みっぱなしってことじゃないですか?

 まだここが戦場になったことはないですけど、ネグリットとガルムの中継地じゃないですか。

 いつ襲撃されてもおかしくないところですよ。

 もっとしっかりと索敵をしなきゃいけないんじゃないですか?

 もっとも、艦爆乗りは偵察の訓練を受けてませんから、僕が行ったらもっと酷い報告を送りそうですけど」

 少し考えてからファルは答える。

 失敗をこき下ろすだけなら簡単だが、訓練を受けていない任務に付いて軽々しく批判はできない。


 専用の索敵機を持たない母艦航空隊は、七型艦攻を偵察機や哨戒機として運用していた。

 以前、専用の索敵機の開発が進められたことはあったが、できあがってきた試作機の性能は七型艦攻に劣るものでしかなく、それならば七型艦攻をそのまま使用すればよいという結論に落ち着いていた。

 このためエンザはもちろん、エルミも索敵の訓練は積んでいる。

 上空からの索敵で潜望鏡を間違いなく発見することの困難さは、肌で知っていた。


「確かにこの砂海域が戦場になったことはまだない。

 しかし、ファルの言うとおり、ここは戦略上の重要地だ。

 ハトーからコーセキ、ガルム、ネグリットと続くオリザニア植民地経営の生命線といっても良いだろう。

 そのコーセキもガルムも我が軍が攻略している。

 ダオブオアシス群に配属された将兵の気がたるむのも無理はないだろう。

 だが、我々はこのあと敵基地覆滅に出撃する。

 貴様たちは、ここの空気に染まらないように、充分気をつけてくれ」

 そう言うとエンザは搭乗員待機所を出て行った。




 ダオブオアシスに入港した二航戦と別行動を取っていた一航戦は、五航戦を引き連れて一足早くソル本土を出撃し、一月一二日の時点でチュルックオアシスに進出していた。

 慌しく補給を済ませ、僅かばかりの休息の後、一月一九日にはチュルックを出撃してバラバ領の小島にあるラボールオアシス攻撃に向かった。

 ラボールはバラバとオリザニアを結ぶ航路上にあり、バラバ軍が建設した飛行場と良好な港湾施設がある。ここを抑えておけばオリザニアからバラバへの物資輸送はかなりの遠回りを強制され、バラバの経済を締め上げ、オリザニア軍の一大基地を機能不全に陥れ、南方資源地帯の安全を確保することができる。

 また、バラバの北方に連なるオアシス群を手中に収めることができれば、完全にオリザニアとバラバを遮断することが可能になり、バラバの連合国から脱落させることも期待できた。

 ラボールはそのための足掛かりとしては最適の位置にあり、なんとしてもこのオアシスを手中に収める必要があった。


 一月二〇日、一航戦はラボール攻撃を行い、零型艦戦一機不時着、艦攻一機の喪失でこのオアシスに展開する航空兵力を壊滅させた。

 翌二一日、対岸のカービェオアシスにあるオリザニア軍基地攻撃を行い、続けて二二日には第二回ラボール攻撃が実施された。一航戦は対空砲火による零型艦戦一機、九型艦爆一機が不時着砂没の損害だけで両基地を壊滅させ、砂海軍陸戦隊の露払いを完璧に勤めていた。



「今回の作戦は損害なしでいけたね!」

 ファルが搭乗員待機所で満面の笑みを浮かべた。


「うん、陸上基地の爆撃だけだったし、迎撃機は少なかったし。

 対空砲火もそれほどじゃなかったのが助かったわね」

 ほっとした表情のエルミが言う。


「そりゃ、艦戦隊とボクたちが対空砲火を完全に潰したからね。

 今回は滑走路も先に叩けたし。

 この前みたいなことはゴメンだよ」

 少しだけ遠い目をしたファルが答えた。

 一月二一日、二航戦はダオブオアシスを出撃していた。

 二三日、二四日の両日にわたり、バラバ大岩盤北西に広がるティスチ植民地のひとつであるコタオアシスを空襲するためだ。

 先行した零型艦戦が迎撃機を叩き落し、地上待機していた機体と対空陣地を銃撃して艦爆隊と艦攻隊の突入路を切り開く。

 艦戦隊が潰しきれなかった対空陣地を、艦爆隊が狙いすましたような急降下爆撃で叩きのめす。余裕があった艦爆隊は、滑走路にも爆撃を加えていた。高高度から爆弾をばら撒く水平爆撃と違い、ある程度ピンポイントで爆撃地点を狙える急降下爆撃は、滑走路の重要な部分や駐機場の滑走路寄りにある機体を狙った。さらに水平爆撃を終えた艦攻隊が滑走路上空から去った後、燃料と水に余裕のある九型艦爆数機が低空に舞い降り、兵舎や整備場、おそらく滑走路の整備に使用と思われる車両にも行きがけの駄賃とばかりに銃撃を加えていた。

 オリザニアの基地造成能力が高いといっても、重機が激減した状態で破壊された機体を取り除き、開けられた穴を埋め戻すのは一晩で完了させることはできず、翌日の水平爆撃でさらに大きな被害を受けていた。 これは、ラボールなどバラバ北東オアシス群へ進出する中型陸上攻撃機や輸送機の中継地点を確保する意味合いがあった。

 一月二八日、所定の任務を完遂した二航戦は、大きな損害を出すことなくダオブオアシスに帰投した。

 

 もちろん、オリザニアを中心とした連合国軍は、一方的にソルの蹂躙を許していたわけではない。ソルが戦前から持つ信託統治領のひとつであるマージュロオアシス群に、オリザニア砂海軍の機動部隊が空襲を仕掛けていた。マージュロはバラバ北東に散在するオアシス群への足掛かりとして重要な位置にあり、南方における連合艦隊の最重要根拠地であるチュルックオアシス群の前線基地としても決して手放して良い地ではない。

 この脅威に対処するため、一航戦と行動をともにしていた五航戦の『アパテー』と『アルギュロス』の二空母が東方哨戒のためこの作戦から引き抜かれていた。




 二月一二日午前九時、帝都泊地に停泊した巨大な戦艦に向かい、一隻の内火艇が砂海面を進んでいる。

 新たな連合艦隊旗艦に設定された最新鋭戦艦『アンギラス』は、昨年一二月一四日の就航以来、二ヶ月にわたる慣熟訓練を終え、連合艦隊司令長官ゴトム大将の登舷を待っていた。


「聞きしに勝るでかさですな、長官。

 並べてみると『アーストロン』ですら重巡に見えてしまいそうです」

 まっすぐ『アンギラス』を見据えるゴトムの後ろから、参謀長を務めるガッキ中将が声をかける。

 砲術を専攻し。ガチガチの大鑑巨砲主義者でもあるガッキは、どの国の戦艦も装備していない四六センチ主砲を持つ『アンギラス』を頼もしそうに見上げた。


 『アンギラス』は、基準排砂量六万四〇〇〇トン、満載状態では七万二八〇九トン、全長二六三メートル、全幅三八.九メートルの巨体に、四五口径四六センチ三連装主砲塔三基、六〇口径一五.五センチ三連装副砲塔四基の他、四〇口径一二.七センチ連装高角砲を六基、二五ミリ三連装機銃八基、一三ミリ連装機銃二基の武装を搭載している。

 世界中どこを探しても四六センチ主砲を装備した戦艦はなく、攻撃力は間違いなく世界最強だ。その射撃精度を支える測距儀も端から端まで一五メートルと、世界に類を見ない巨大なものだった。

 守りを軽視する傾向にあるソルの建艦思想にしては珍しく重防御が施され、舷側に四一〇ミリ、甲板では二〇〇から二三〇ミリ、主砲防盾には六五〇ミリ、艦橋も五〇〇ミリの装甲板に覆われている。もちろん全艦をこのような分厚い装甲版で覆ってしまったら、基準排砂量だけでも一〇万トンを軽く超えてしまい、まったく現実的ではない。このため機関や缶室、弾火薬庫といった艦の命ともいえるバイタルパートと呼ばれる部分を重点的に分厚い装甲板が取り囲み、艦首部や艦尾部は比較的薄い装甲となっていた。


 遠距離砲戦が当たり前となった現代では、煙突の真上から大角度で落下してくる砲弾への防御も充分考慮されている。厚さ三八〇ミリの鋼板に直径一八〇ミリの穴が無数に穿たれた蜂の巣装鋼板を煙突内に張り、敵弾の缶室や機械室への突入を防いでいた。

 だが、分厚い装甲に覆われた主砲塔や司令塔、缶室、機械室といったバイタルパートに比べ、前後左右に四基設置された副砲塔は、『ガボラ』型軽巡洋艦を重巡に艦種変更した際に換装された主砲塔を流用していた。このため、一五センチ砲弾に対する防御力しか有さず、バイタルパートの中にあって唯一の弱点になるのではないかと危惧されている。

 いくら遠距離砲戦とはいえ敵弾が垂直に落下してくることはなく、万が一敵弾を副砲塔に食らっても、それが即弾薬庫の誘爆に繋がるとは考えられないが、急降下爆撃や水平爆撃の不運な一撃は充分脅威になると見られていた。


 一二基の主機が生み出す一五万三五五三馬力の動力が、四基四軸のスクリューを高速で回転させ、この巨体からは想像もつかない最大速力二七.四六ノットという高速で砂海上を疾走させる。

 この速度性能は主機の性能ばかりでなく、砂面直下に設けられた球状艦首によるところが大きかった。

 

 巨大な燃料庫と真水タンクは、一六ノットで七二〇〇海里(一万三三三四キロ)という破格の航続距離を可能にしていた。

 乗員は二五〇〇名に及び、搭載機も『ドラコ』型重巡を超える七機を積んでいる。 まさに走攻守三拍子そろった、史上最強の戦艦と考えて差し支えないものだった。


「確かに個艦性能においては最強と言えるだろうがね……

 これからは飛行機だよ」

 ゴトムはぶすりと言って、そのまま黙り込む。

 連合艦隊司令部は、その時点で最強の戦艦を旗艦とするという伝統に従い、『アーストロン』から『アンギラス』へと旗艦を変更した。

 だが、広大な大東砂海全域が戦場となった今、司令部が一局地戦に出るわけにはいかない。つまり、連合艦隊旗艦に司令部を設置することは、使える艦を後方で遊ばせておくことになってしまう。

 ゴトムは、司令部は陸に上がり、軍令部と緊密な連携を取りつつ作戦全般の指揮をすべきと主張していた。だが、軍もまた官僚組織であり、長年築きあげた伝統という呪縛から逃れることは難しかった。

 ヒステリックとも言えるほどの反対に遭い、ゴトムは渋々旗艦を『アンギラス』に定めたのだった。


 確かに一五階建てのビルに相当する高さ四〇メートルの艦橋は、通信設備や艦隊司令舞踊の施設が整えられ、生半可な建築物より使い勝手は格段に良い。

 なにせ、艦隊旗艦として使用することを前提に設計されたものだ。空襲を受けた際にも回避などできない陸上の建築物と違い、砂海上を自由に回避もできれば、自前の対空放火で撃ち払うことも可能だ。航空機が運用できる爆弾程度で司令塔やバイタルパートの鋼板を撃ち抜くことは不可能であり、コンクリートの建物よりはるかに安全と考えることもできた。

 自艦の主砲で決戦距離から直撃を受けてもこれに耐えうる装甲は、戦艦の防御として必須条件だ。そして、現時点でオリザニアが四六センチ主砲搭載戦艦を、建造することはあり得ない。


 北バキシム大岩盤と南バキシム大岩盤の継ぎ目に当るコクレ地峡を貫いた運河を通ることが可能な艦の最大幅は三三メートルであり、この艦幅では四六センチ砲の発射反動に耐えきれない。運河を通過できないとなれば、大東砂海と大西砂海の行き来は、南バキシム大岩盤南端を迂回する遠大な航路を取る必要がある。両砂海の対岸に敵国が存在するオリザニアとすれば、戦況によって柔軟に両砂海艦隊の編制を行わなければならない。主要な造船所が大西砂海側に多いオリザニアが運用効率の悪い艦を、わざわざ建造するとは思えなかった。

 つまり、現時点で『アンギラス』は、最も安全な司令部施設と言えた。

 万が一、連合艦隊司令部が陸上施設を設け、そこが空襲で破壊され、司令長官以下のスタッフが全滅でもすれば、対オリザニア戦争の遂行に重大な支障を来してしまう。

 その意味でも連合艦隊旗艦は、『アンギラス』艦上にあらねばならないのだった。


 もちろん、ソル砂海軍が四六センチ主砲搭載戦艦を保有したとなれば、オリザニアもそれに対抗するために非効率を覚悟で新たに同等か、それ以上の戦艦を建造するだろう。

 オリザニアの工業力を考えれば、ソルが五年の年月を必要とした建造期間を半分に短縮することは充分可能だ。それも四隻、五隻と、同時進行でやってのけるだろう。

 そうなってしまえば、ただでさえ対オリザニア七割の保有トン数しかないソルが、艦隊決戦に敗北を喫することは火を見るより明らかだ。

 『アンギラス』が戦場に見参し、圧倒的な砲撃力を見せつけるのは最後に雌雄を決する艦隊決戦であり、それまでは秘匿されなければならない。


 現在南工廠で建造中の『ギエロン』と名付けられる予定の妹は、『アンギラス』の使い勝手を見て最後の仕上げにかかろうとしている。そして、名前もまだ決まらぬ末の妹は、帝都工廠の乾ドックで船体の組み上げの真っ最中だ。

 この姉妹が舳先を並べた暁には、連合艦隊に撃ち勝てる戦艦部隊は世界中のどこを探しても見つからないと信じられていた。

 だが、この世界最強を約束された姉妹は、起工式や進水式で盛大な祝福を受けることもなく、連合艦隊編入の大々的なお披露目や新聞報道も一切されない。

 ひとえにこの二艦の存在を、秘匿するためだった。

 本来であれば報道陣や駐在武官を多数招いての式典を一切合切省いた二艦の誕生は、天からの祝福を拒否したようで、それがゴトムに不吉な予感を抱かせていた。




 二月一五日、二航戦は南パラオを出港した。

 一航戦と合流後、二月一九日の午前七時にはバラバ大岩盤の一都市であるパーマストンから、北に二三〇浬離れた砂海域に展開していた。

 四隻の空母の艦上には、ハトー攻撃時と同様の光景が広がり、これまでの空襲の規模など小手調べに過ぎなかったことを物語っている。

 この空襲のため用意された爆弾の総量は、ソル砂海軍乾坤一擲の大勝負だったハトー攻撃の時を上回っていた。


「今回は、みんな一緒に行くんだね」

 暖機運転が続けられている九型艦爆をみながら、エルミにファルが言った。

 ハトー攻撃の際は第一次、第二次と攻撃隊を分けて編制していた。しかし、今回は艦隊上空の直援に残す艦戦を除き、すべての航空打撃力をいちどきに叩き付ける。

 甲板に並べられる航空機の数には限界があるため、先発班と後発班に分けられていた。


「そうね、一気に発艦はできないし、私たち艦攻は滑走距離が長いから。

 足の長い艦戦はともかく、ファルたちには迷惑かけちゃうね。

 できるだけ早く出るから。

 すぐ、追いかけるからね」

 努めて明るい表情を作ったエルミが答える。

 機銃弾しか積まない艦戦は別格として、腹に抱える破壊兵器が二五〇キロ爆弾の艦爆と、八〇〇キロ爆弾もしくは航空砂雷を抱える艦攻とでは、滑走に必要な距離が違ってくる。

 通常、戦爆雷混合で編隊を編制する場合、艦首側から艦戦、艦爆と並び、最後尾に艦攻が置かれる。

 先に艦攻だけ発艦させようにも、先頭に置いた艦攻の滑走距離が足りなくなってしまう。どうしても艦攻は二回に分けて発艦させなければならなかった。


「いまさらだけど、今回は水平爆撃だけなんだよね?

 エルミは物足りないんじゃない?」

 あっけらかんとした顔でファルは答え、暖機運転が完了した機体に向かい、搭乗員待機所を出て行く。


 パーマストンはバラバ北西部の一大砂海軍港だ。

 だが、バラバ砂海軍は戦艦や空母を保有しておらず、大型艦艇がパーマストンに常駐することはない。せいぜい一万トンクラスの輸送船がいいところだ。

 オリザニアとサピエントの戦艦部隊がハトーとマーレイヤ沖に潰えた今、撃墜の危険を冒してまで雷撃をする必要はなかった。 今回の作戦は、バラバからネグリットへ続くオリザニアの補給線を断ち切り、ネグリットに残るオリザニア軍の退路を断つことが目的だ。パーマストンで敵艦を撃沈することは、手段であって目的ではない。そうであれば、エルミが乗る艦攻の装備は、砂雷ではなく八〇〇キロ爆弾になる。


「そんなことないって!

 すぐ上がるからね!」

 飛行長の訓辞を受けるため、飛行服に身を固めたエルミはファルの後を追った。


 やがて、四隻の空母が風上に向かって回頭し、合成風力を得るために護衛の駆逐艦を引き連れて驀進する。付き従うそれぞれ二隻ずつの駆逐艦は、直進しかできない空母を潜砂艦からの雷撃から守るため、周囲を警戒しながらぴったりと寄り添っている。万が一、敵潜を発見する前に雷撃を許すことがあれば、我が身を挺して空母を守らんとするかのようだった。

 高声放送から先発隊の発進が告げられ、エルミはファルの出撃を見送るため、飛行甲板の端へと身を寄せた。


 滑らかな動作で零型艦戦が滑り出し、最初の一機が離艦する。

 先発隊の二七機が機種別に梯団を組み、艦隊上空で旋回を始めるまでエルミは帽子を振り続けた。

 飛行長の号令が飛行甲板を駆け抜け、整備兵たちがそれぞれの持ち場へと駆けていく。昇降機がうなりをあげて後発隊に参加する機体を格納庫から飛行甲板へと押し上げ始めた。

 『デットン』からは零戦九、艦爆一八、艦攻一八の四五機が飛び立ち、『テレスドン』からは艦戦九、艦爆一七、艦攻一八の四四機が出撃している。

 一航戦の『コッヴ』からは艦戦九、艦爆一八、艦攻一八の四五機が発艦し、『ブリッツ・ブロッツ』からは最多の艦戦九、艦爆一八、艦攻二七の五四機が蒼穹へと舞い上がった。合計一八八機の攻撃隊はいくつかのグループに分かれ、一路パーマストン目指して砂海上を飛んでいく。




「大型の輸送船六!

 駆逐艦八、他小型艦艇多数、てところかしら!

 ……ねえ、おかしくない!?

 バラバって、ソルに宣戦布告してたよね!

 まるで警戒なんてしてないじゃない!

 何かの罠!?」

 砂偵の操縦桿を握りながら、リンが怒鳴る。

 誰に対して怒っているというわけではなく、エンジン音に掻き消されないためだ。


「バラバの連中は、まだ戦争の実感がないんじゃないですか!

 まさか、こんな遠くまで俺たちが来るわけないって油断してるのか、俺たちのことを舐めてるかのどっちかですよ!」

 後部座席に座る魔信員は、怒鳴り返しつつも合間合間に伝えられるリンの報告を、まるで機械の一部になったかのような正確さで暗号に組み替えていく。


「撃たれなくていいけどさ!

 一航艦司令部へ魔通発信!

 パーマストンの敵艦艇、大型船六、駆逐艦、八、小型艦艇多数!

 我を遮る一切の迎撃及び対空射撃なし!

 〇九三〇!」

 やがて、攻撃隊に先行してパーマストンに偵察を敢行していた『ドラコ』と『ケロニア』の砂偵から、それぞれ同じような魔通が飛んだ。



「あれから三〇分は経ってるっていうのに、一機も迎撃機が上がってこないなんて……

 本当に何かの罠じゃないでしょうね!?」

 午前一〇時を回った頃、高度五〇〇〇メートルの高みから、自らが手放した八〇〇キロ爆弾が港湾施設に向かって落下していく様を、まだ信じられないという表情でエルミは見送った。


「間違いない!

 バラバに駐留している奴らは、まだ戦争って理解してないんだ!

 今のうちに叩くだけ叩いちまえ!」

 後部座席から唾を吐くような汚い口調でエンザが叫ぶ。


 パーマストン港にばら撒かれた八一発の八〇〇キロ爆弾は、ドックやガントリークレーン、倉庫といった港湾施設に激突し、そこで強烈な爆発を引き起こし、辺り一帯に破壊を振り撒いていく。

 爆炎と黒煙が迸り、破壊された建物やクレーンの破片が吹き飛ぶ。中には人の形をした影が散見されるが、ほとんどは人だったとは思えないほどの肉片と化して、炎と爆風の中に舞い上げられている。

 七型艦攻による水平爆撃が終わると同時に、零型艦戦に守られた九型艦爆が急降下の態勢に入る。


「すごい命中率だよ!

 いくら敵の妨害がないからっていっても、こんなにすごい水平爆撃は初めてだ!

 ボクたちも負けてらんないよ!」

 ファルは伝声管に怒鳴り込み、鷹のような目つきで獲物を探す。


「あいつをやるよ!」

 八〇〇キロ爆弾の直撃こそ免れたものの、至近弾の爆圧で艦底を歪められ、早くも傾斜を深める輸送船と、まだ無傷を保ち、もやいを解こうとする輸送船がファルの視界に入った。

 ファルは、無傷の輸送船を叩くと決め、伝声管に叫ぶと操縦桿を一気に押し倒す。

 人の心を締め上げるようなダイヴブレーキを響かせて、九型艦爆は爆炎の中に突入していった。



 一八八機による空襲は、『テレスドン』の零型艦戦一が不時着未帰還、『デットン』の九型艦爆一機が不時着救助、『ブリッツ・ブロッツ』九型艦爆一喪失、七型艦攻一機が不時着救助という僅か四機の損害だった。

 その損害に対し、旧式戦闘機九機を撃墜、大型輸送船六隻、オリザニア駆逐艦二隻を撃沈し、バラバの駆逐艦二隻、オリザニア水上機母艦に中破判定の被害を与えた。

 パーマストンに駐留していた連合国軍は、ソルの攻撃に対してまったくといって良いほど無警戒だった。

 今の今までこの片田舎の軍港が戦場になったことはなく、これからも安全な後方基地として南方のうだるような気候の中で過ごしていけるはずだと、誰もが信じ切っていた。

 まともな警戒態勢を敷くこともなく、余暇の合間に軍務をこなすといったような緩い空気が蔓延していた。この日も朝からフットボールの試合が開催され、ソルの空襲が始まったときでさえ、スタジアムは満員の歓声が響いていた。

 空襲の警報システムすらなく、これまでに実弾射撃訓練も行われていない。オリザニアの信管は、このような酷暑地帯での使用は想定されておらず、有効なまま貯蔵しておくことすら難しかったからだ。つまり、どれほど警戒態勢を敷いていたところで、有効な実弾は一切なく、逃げるための時間稼ぎにしかならないことは明白だった。


 一航艦が北方に去った後の一一時五五分。

 瓦礫の山と化した港湾や飛行場で打ちひしがれる人々の頭上に、忌まわしい爆音が響き始めた。

 五四機の七型陸攻がパーマストン上空に進入し、まったく妨害を受けることなくバラバ軍の航空基地に追い討ちをかける。

 二〇分ほどで終了した第二次空襲は、さらに二〇機の機体を叩き潰し、格納庫や航空管制施設を爆砕した。

 戦闘機の護衛をつけることなくパーマストンを蹂躙した陸攻隊は、嘲るように上空を旋回した後、一機の脱落機を出すことなく北の空へと消えていった。


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