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第3話 少女たち

 「ねぇ、チェル、レグルは帝都に行くらしいわね」

 忙しく立ち回る少女を、同世代の少女が呼び止めた。


 呼び止めた少女の方が大人っぽい雰囲気を漂わせてはいるが、まだ少女の域は出ていない。

 ポニーテールに束ねた少しだけ碧掛かった黒髪は、下ろせば肩までありそうだ。吊り気味の二重瞼の下には、黒檀のような黒い瞳が収まっている。少しだけ上を向いたように感じさせる鼻梁は、きわどいところでアンバランスな魅力になっていた。それは、控えめな口元が、すべてをきれいにまとめ上げていることでなりたっている。

 一六〇センチ弱の身長に、すらりとした手足と少々控えめな胸元は、少女が活動的な性格であることを物語っているかのようだった。絶世の美女ではないが、誰もが気になってしまうような可憐さも、その少女は持っていた。


 宿屋の小さな食堂の片隅で、チェルと呼ばれた少女は憤然として立ち止まった。

 片手には台布巾を持ち、宿の制服であるメイド服の上に白いエプロンを掛けている。最近帝都で流行りのサピエント王国風の格好だった。


「エルミ、今忙しいんだから。

 あたしのことはどうでもいいの。

 あなたこそ、どうするのよ?」

 チェルは半ば本気で腹を立てていた。

 一言言い捨てると、客が置いていった食器を片づけ始める。


 ボブカットに切り揃えた髪は漆黒の輝きを放ち、食器を取るためや汚れたテーブルを拭く動きに合わせてリズミカルに揺れている。

 吊り上がった一重瞼の目は、決してエルミに対する怒りからばかりではなく、多少は元からの造りだった。ソル人にしては薄目の黒い瞳は、遠い祖先に違う人種の血が入ったことを物語っている。すっきりとした鼻梁は少々高めで、意志の強そうな口元から受ける刺々しさを見事に和らげていた。

 一五〇センチほどの身長に釣り合わない胸元は、屈む度に男の視線を集めずにはいられなかった。



 エルミと呼ばれた少女は、肩を竦めて何かを考えているのか、そのまま黙り込んでいる。


「だって、レグルはガルを連れて行きたいんでしょ?

 私はそれを止める権利もないし。

 そりゃあ、二人ともいなくなっちゃうなんて寂しいよ。

 でも、しょうがないよね?」

 暫く考えた後、エルミはチェルに答えを預けた。


「エルミ、あなたからちゃんと言わないと、いつまで経っても今のままよ。

 いい機会だと思うんだけどな。

 あなたが自分の気持ちに素直になればいいと思うの」

 食器を満載したトレイをテーブルに置き、チェルはエルミの目を見て言う。


 チェルは、エルミがガルに対して好意を持っていることを知っていた。

 自分にレグルというひとつ年上の恋人がいる余裕も手伝ってか、ふたつ年上の幼馴染みの恋を応援したいという気持ちがある。しかし、ガルが自分に対して恋心を抱いているなど、異性の感情には少々鈍いチェルにとって想像の埒外だった。仲の良い大切な幼馴染みではあるが、それ以上でもそれ以下でもないと、チェルはガルを認識していた。



「うん。

 実は、私もね、帝都へ出ようかと思ってるの。

 しがらみばかりの村にいるより、帝都でガルと暮らしていけたら良いな、とは思ってるから。

 もう、帝都にいる伯父さんに話は付いてるんだよね。

 まだ悩んでるんだけどさ」

 年が明けたらレグルは確実に帝都に出る。

 多分、ガルもついて行くはずだと考えたエルミは、先手を打って帝都での伝を探し当てていたのだった。行動力に溢れてはいるが、思いこみもその分激しいエルミらしい行いだ。


「なんか、さっきと言ってることが違ってきてるけど?

 ま、いいわ。

 やっと素直になったみたいだしね。

 あたしの分まで頑張ってきてよ。

 三人とも、出て行っちゃうのか

 それより、エルミ、あなたいつガルに告白するのよ?

 まさか、帝都で待ち伏せでもするつもり?」

 言葉の裏にある羨ましさを感じさせないように、チェルはあらん限りの努力を払っていた。

 それを気付かれないように、冗談に紛れて誤魔化そうとする。


「チェル、あなた『読心』の呪文なんて持ってたっけ?」

 驚いたという表情でエルミは聞き返した。


「持ってないでしょ、そんなもん。

 確かに欲しいと思うときはあるけど、いらないわよ、あんな怖いもの。

 って、あなた本気だったの?」

 額に指を当て、俯きながらチェルは呆れたように言った。

 呆れつつもチェルは、エルミの行動力が羨ましかった。そして、ふたつ年上とは思えないエルミの子供っぽさを、チェルは嫌いではなかった。


「本気も本気。

 でも、ガルには言わないでおいてね。

 一足先に行くけど、そうねぇ、女学校にでも行くってことにしておいて」

 エルミはそう言って瞳を輝かせる。

 農家を営むエルミの家は、長兄が継ぐことに決まっていた。次兄は、士官学校は最初から諦めていたが、軍人として国に尽くしたいという気持ちが強く、既に帝都で騎兵軍に下士官として従軍している。つまり、エルミに関しては、村に繋ぎとめておくしがらみはないに等しい。

 伯父の厄介になれる上、騎兵軍下士官という身分の保証人がいるのであれば、エルミが帝都で女学校に通うということは無理のある話ではなかった。


「あんまり驚かせて、却って嫌われなきゃいいけどね。

 ガルはちょっと気弱なところがあるから、ほどほどにしておきなさいよ、驚かすのは」

 それが一番大事とばかりに、チェルは語気を僅かに強める。



「あなたは?

 レグルを独りで行かせちゃうの?」

 エルミは自分の暴走を咎められたと思ったか、最初の質問に戻った。


「ついて行ってどうしろって言うの、エルミ?

 お父さん独りじゃ、宿の切り盛りは無理よ。

 少なくとも、アレイが一六になるまでは、あたしはここにいなきゃいけないの。

 こんな宿でも、なくなっちゃったらみんな困るでしょ」

 チェルたちが住む村の他には、このオアシス周辺に宿のある村はなかった。

 ここからさらに北へ向かう旅人や商人にとって、チェルの家が営む宿屋がなくなることは、北への足掛かりを失うに等しい。


 砂漠が大陸のほとんどを占めているこの世界で、オアシスは重要な旅の中継点だ。

 帯のようにこの星を取り巻く大陸は、そのほとんどが砂漠で占められている。

 両極には広大な海洋が広がっているが、季節ごとの気候変動が激しく、とてもその周囲に人が居住したり、利用できるものではなかった。冬には凍結し、夏には嵐が吹き荒れる海洋は、人の居住こそ拒んでいたが、嵐が大気の循環に乗って世界に水を運ぶ役割を果たし、砂漠に住む人々に飲み水を供給している。

 もちろん、降雨はすぐ砂漠に吸い込まれ、地下水という形で伏流となり、オアシスとして特定の場所に湧き出していた。



 造山活動により隆起した岩盤上に降った雨は河となり、周囲に緑をもたらしている。

 砂漠へと流れた河はそのまま蒸発してしまうか伏流水となるが、岩盤の低い部分に流れた河は巨大な湖を形成し、その周囲に文明が勃興した。メディエータ共和国はそのような大岩盤上に発生した最古の国家のひとつで、その大岩盤はベロクロン大岩盤と呼ばれている。世界を取り巻く大陸上には、同様に巨大な湖を持つ大岩盤がいくつか存在し、それぞれに固有の文明を発達させてきた。

 ソル皇国は、ベロクロン大岩盤の東に湧き出た弓状に連なるオアシス群に成立した国家だった。


 オアシス群国家は岩盤上にある国家に比べ、国土における砂漠が占める割合が多い。

 深い砂上にレールは敷けないため、鉄道などの交通機関が発達しにくいという弱点がある。一部に造山活動の結果できた山岳地帯があるものの、ほとんどは砂漠とオアシスだけの国土だ。大規模なオアシスの周辺にはそれなりの都市が発展していたが、全国に十ヶ所程度でしかない。

 列強に比べ魔鉱石や鉄鉱石などの資源に乏しいソル皇国では、公共交通機関がそれほど発達していない。

 帝都と軍事的に重要なオアシス間には、魔鉱石を利用した浮遊列車の路線が敷かれているが、それから外れてしまえば民営の小規模な路線しかない。軍需産業に魔鉱石がほとんど独占され、民間への割り当てが少ない状況では、せいぜい二、三のオアシスを繋ぐ程度の路線が精一杯だった。

 チェルやエルミが生まれ育った村は、ちょうどオアシス同士を結ぶ民間路線の中継点になっていた。



「それに、レグルは士官学校に行くのよ。

 全寮制で、外出なんか半年に一度、 夏の慰霊祭と新年祭の時期に七日ずつ。

 たった、それだけよ。

 その後軍に入っても、最初の二年、中尉になるまでも基地内官舎暮らし。

 ここにいたって同じよ。

 あたしは、ごみごみした帝都で独り暮らしなんて、絶対御免だわ」

 そう言ってチェルはトレイを抱え、厨房へと戻ろうとした。


「あ、そうだ、あなたも士官学校を受けてみたら?

 なんでも、飛行機の搭乗員を増やすのに、女性にも門戸を開くそうじゃないの」

 厨房に入る前にチェルは振り向き、エルミに言う。


 この世界における飛行機は魔鉱石を動力としていたが、搭乗員の魔力も運動性能に大きく関ってくる。

 基本的には訓練さえ受ければ誰でも飛ばすことはできるのだが、魔力の高い者ほど魔鉱石の性能を引き出すことができ、カタログデータから一割程度の性能の上昇が見込めるのだった。もちろん、機体の強度や物理法則を曲げてまでの性能上昇は無理だが、空戦技術と魔力は密接な関係にあると見られていた。

 チェルがエルミに士官学校受験を進めたのは、エルミの魔力が村では突出していたためと、悪化する一方の世界情勢の影響からより優秀な人材を必要とし始めた軍が、男性より魔力の高い女性に対し門戸を開くと決定したことを受けてのことだった。




 ソル皇国は砂漠自体が天険の要衝であり、ベロクロン大岩盤で繰り広げられた国家の興亡とは無縁に過ごしてきた。

 ソルが数多のオアシス群を統合して国家として成立して暫くは、当時の先進国である旧メディエータ帝国を宗主国としていたが、貴族に代わって騎士が政治の実権を握って以来、両国は対立し始めた。

 幾度かの侵略が偶然起こった砂嵐によって頓挫して以来、ソルは神の守る国であるとされ、砂嵐は神風と誇称された。権力の象徴とされた皇王は神の子孫と位置付けられ、政治の実権を握った騎士は、皇王を廃することなく利用し続けた。


 幾度となく騎士同士の政権争いの中でオアシス群は戦乱の世を迎えたが、四〇〇年ほど前に出現した一人の騎士が世を統一し、皇王の権威の下に世を治め始めた。

 他国の干渉を避けるため鎖国政策を採り、ソルは独自の文化を育みつつ、四〇〇年に亘る太平の世を謳歌してきた。

 だが、太平の世を手に入れた代わりに、世界の技術進歩から大きく取り残された代償は大きかった。七〇年ほど前にオリザニアをはじめとした列強が、ソル周辺に眠る地下資源採掘のために浮遊船で大東砂海を渡ってきた。

 彼らは地下資源採掘時に必要な水を補給するために、ソルに開国を求めてきた。


 当時の騎士政権は鎖国を守るため外国船を討ち払おうとしたが、圧倒的な技術力の差に抵抗はあえなく頓挫した。

 それでも当時の最先端をいく列強の技術力を以てしても、ソル皇国を征服できるほどの兵力を運ぶことは不可能だったことが、ソル皇国には幸いした。皇王から民までを混ぜこぜにしたようなすったもんだの末、ついにソル皇国は独立国家として開国したのだった。

 それからの七〇年は、開国当初の不平等条約を糺すべく、列強に追いつき追い越せと、富国強兵を国是としてきた。だが、二度の戦争を必死に勝ち抜き、どこをどう間違ったのかその後西方世界で起きた大戦の勝ち馬に乗ってしまったために、軍事色の強い、歪な国家として育ってしまっていた。



 ソル皇国とメディエータ共和国との紛争に口出ししてきたオリザニア共和国は、もともと人がほとんど住まない荒涼としたバキシム大岩盤に成立した新興国家だ。

 彼らの祖先は、二〇〇年ほど前にさらに東にあるドラゴリー大岩盤や、その西側にあるサピエント王国から大西砂海を渡ってきた。移民が集まってできた多民族国家であり、原住民との間で激しい戦闘の結果国土を勝ち取った軍事色の強い国家だ。様々な民族が寄り集まった国家であるせいか、国としてひとつに纏めるためには常に新たな目標と敵を求める必要に迫られているという宿命がある。その結果、バキシム大岩盤の東から西に向けて開拓を進め、大東砂海に辿り着いていた。

 その飽くなき西進の欲求の先には、広大な大東砂海を挟んで、ソル皇国、そしてベロクロン大岩盤が広がっている。


 ベロクロン大岩盤の南部、メディエータ共和国の南西には、ドラゴリー大岩盤に群雄割拠するサピエント王国をはじめとする列強国家の植民地がひしめき合っている。

 既に分割可能な地域は、残されていないように見られていた。しかし、旧メディエータ帝国の末裔であるテルシー帝国がソル皇国との戦争に破れ、そのまま発生した内乱で滅んだ後の混乱期に、ソル皇国がフェクタム帝国を傀儡国家として事実上植民地化した。これによりテルシー帝国と国境を接していたロス帝国と衝突もしたが、ソル皇国は辛くもこの戦争に勝ち抜き、フェクタム帝国は独立国家としての体裁は守っていた。これをドラゴリー大岩盤の列強国家群が非難したが、ソル皇国は列強の植民地政策と同じことをしたに過ぎないと跳ねつけている。

 オリザニア共和国は遅れてきた新興国家であり、ベロクロン大岩盤上に権益を持っていなかったが、ソル皇国のやり方に目を付けてきたのだった。

 権益を求めた新興国家同士が、ベロクロン大岩盤上で衝突することは、必然と見られていた。



 資源も予算もないソル皇国は、人材と個々の兵器性能に活路を見いだすことにした。

 魔力に秀でた者を発掘し、訓練に次ぐ訓練で超一流の戦技を身に付けさせ、他国を圧倒する性能の兵器を開発する。列強の中で、この先生きのこる道はそれしかない。

 女性の搭乗員を養成するという発想は、そういった中から生まれてきた。


 それまで大きな目標も夢もなく、漫然と暮らしてきただけの少女に、初めてひとつの夢が宿った。

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