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第29話 転戦

 ハトーからソル本土へ凱旋する途中の一二月一〇日、ナンクゥ機動部隊は新たな命令を受けた。

 連合艦隊司令部は、ハトーへの第三次攻撃下令を強行しなかった代わりとばかりに、帰路にあるミルドウィを空爆するように指令してきた。


「決死の大作戦を終わって、やっと帰途についたのに、こんな小さな島をついでにやって来いとは何たる言い草だ。

 機動部隊を小僧の使い走り使いのように考えてもらっては困る」

 この命令を受け取ったとき、機動部隊旗艦空母『コッヴ』では、ナンクゥ長官よりもカリュウ参謀長が憤慨していた。


「奇襲のけたぐりで、やっと横綱を倒したんだ。

 そしたら、帰りに大根やねぎを買ってこいと言うのかね」

 苦笑いの表情でナンクゥが言った。

 ナンクゥ自身、連合艦隊司令部のやり方に対し大いに不満を抱いているが、カリュウの剣幕を見て逆に冷静さを取り戻している。

 

「ここで欲をかいて空母を傷付けでもしたら、帰った後に何を言われるか解りません。

 万が一、この魔通を敵が傍受して、何らかの攻撃があるのではと迎撃態勢でも敷かれたら、飛んで火にいる夏の虫です。

 奇襲がそうそう何度も上手く行くわけがありません。

 この指令は無視したほうがよいかと、私は考えます」

 憤懣やるかたないといった勢いで、ジッツーが意見を言った。


「まあ、君の気持ちも解るが、あからさまに命令違反もできまい。

 とはいってもこちらは魔通封鎖状態だ。

 帰り道に追いつかれても困るからな」

 ナンクゥは航路をミルドウィに偏らせる事実を残すことで、攻撃の意志があったことの証拠にするよう命じる。

 その後、機動部隊は天候不良を理由として、ミルドウィ攻撃を見送った。




「つまり、ナルミ君は失敗した、ということだな?」

 ミルドウィ攻撃を見送ってから三日後、悲報ともいっていい魔通を受けたにもかかわらず、往路とは打って変わって落ち着いた表情で、機動部隊司令長官ナンクゥ中将が言った。


「はい。

 第四艦隊がコーセキオアシス攻略の任に当たっていましたが、未だ達成されておりません。

 友軍の失敗を喜ぶわけではありませんが、現時点では失敗と判断して良いかと考えます」

 ナンクゥとナルミの過去にあった経緯を知るカリュウ参謀長は、言葉を選びながら答えた。


 コーセキオアシスは、オリザニア本土とネグリットやガルムといった植民地を結ぶ重要な中継地点だ。

 僅か六.五平方キロメートルのちっぽけなオアシスだが、オリザニア軍の中部大東砂海における重要な拠点のひとつとなっている。そして、その位置はソル側から見れば、ソル本土とソルが持つ南方信託統治領を結ぶ作戦線上に睨みを利かせているやっかいな存在だった。

 ちっぽけなオアシスには似合わない戦略上の重要性を認識しているオリザニア軍は、コーセキに砂海兵隊一個大隊を投入しているだけではなく、砲台を設置し要塞化を進めて防備を強化していた。二六四一年夏には滑走路も整備し、哨戒機能の強化に努めている。


 ソル・オリザニア関係が決定的に破綻しつつあった一二月四日には、第八任務部隊司令官ハージィ中将率いる空母『リュカーン』が第二一一砂海兵戦闘飛行隊の四F戦闘機一二機を輸送していた。

 この輸送任務はハージィを腐らせることになってはいたが、結果的にハトー空襲から空母部隊を救うこととなっていた。

 ソルとオリザニアが開戦した頃には、守備隊の将兵五二二名の他にも、バックアップを担当する民間人一二三六名がコーセキに配備されている。主要な砲台はコーセキに南西端の岬とオアシス西部、北部岬合計四箇所、そばにある小さなふたつのオアシスにはそれぞれ二箇所配され、機銃座も数箇所据えつけられていた。



「いいではないですか。

 ナルミさんの主張が実証されたんですから」

 『コッヴ』艦長が楽しそうに言った。


「よくはないだろう、艦長。

 友軍に被害が出ているんだ。

 いくら気に入らないからといって、その言い草は感心できんぞ」

 しかめっ面になったカリュウが言う。

 もし、ここが酒場であれば、たちどころに殴り合いの喧嘩に発展しかねない発言だ。


「いやいや、私はナルミさんは好きですよ。

 含むところもないですし。

 ですが、ああも簡単に斬り捨てられちまったら、嫌味のひとつも言いたくなるってもんです」

 頭を掻きつつ『コッヴ』艦長は言った。


 艦長が言いたいことは、ナルミが提唱していた『空母不要論』だった。

 ナルミが航空本部長の職にあった二六四一年一月二二日、当時の砂海軍大臣キューセン大将に提出された『新軍備計画論』は、航空主兵論者たちにとっては概ね歓迎できる内容のものだった。

 戦艦同士による砂海上艦隊決戦など決して生起しないと切って捨て、砂海上のオアシス争奪戦が主流になると明確に言い切ったものだ。そのためには金のかかる『アンギラス』級戦艦の建造など即刻取りやめ、浮いた資材と『アンギラス』級を解体した資材でより多くの航空機と潜砂艦を建造すべきと建言していた。

 だが、ナルミはオアシス防衛のための主兵力は、一発の爆弾命中で運用できなくなるような脆弱性を持つ空母は頼むに能わずと、これもまた明確に切って捨てていた。その上で基地航空部隊を増強し、来るべきオリザニアとの戦争に備えるべしというのがナルミの主張だった。

 そして今回のコーセキ攻略戦において、皮肉にもナルミが送り込んだ攻略部隊はオリザニア基地航空隊に翻弄されている。


「まぁ、私もだがな。

 魔通参謀、より詳細な状況を知りたい。

 我々にどうしろと言っているのか、その辺りも含めてな」

 しかめっ面から苦笑いに表情を変え、カリュウが魔通参謀に向き直る。


「はい。

 現在までに判っている情報を説明いたします」

 魔通参謀がこれまでに入手した情報を、時系列順に説明を始める。


「ご存知のとおり、連合艦隊司令部としてはコーセキの重要性を認識してはおりました。

 ですが、実際に攻略の計画を立案したのは、開戦が確実と軍部が判断した今年に入ってからです。

 兵員の輸送が困難な騎兵軍は参加せず、砂海軍単独での作戦とされ、主に第四艦隊の艦艇や兵力が割り当てられました。

 上陸作戦を実施するのも、砂海軍の陸戦隊です」

 上級士官であれば周知の事実だが、情報の整理のために敢えてそこから話を始めた。


「そうだな。

 第一艦隊はソル本土からそうそう離れるわけにもいかんし、第二艦隊は南方作戦で手一杯だ。

 それなりに使える戦隊も、我々が連れてきてしまっているしな。

 その点ではナルミさんには過大な戦域を押し付けてしまって、申し訳ないとは思っている」

 腕を組んでカリュウが答える。


「はい。

 第四艦隊には強力な艦艇は配備されておりません。

 その割には広大な戦域を担当することになっていますので、ナルミ長官は当面コーセキとガルム植民地の攻略に全力を挙げる方針を取っています」

 カリュウに対し頷き、魔通参謀は続けた。

 ガルム植民地はオリザニアが持つ数少ない植民地のひとつで、ネグリットからハトーを繋ぐ重要拠点だ。

 ソルが持つ南方信託統治領と本土を扼することができる絶好の位置であり、逆にネグリットとオリザニアの連絡を分断するためには、コーセキと合わせて絶対に落としておきたいオアシスだった。


「コーセキは我々とほぼ同時に攻撃を行っていたんだろう?

 ある程度奇襲は成功していたと思われるが」

 航空甲参謀のジッツーが口を挟んだ。


「はい。

 一二月八日の開戦と同時に攻撃を開始しています。

 この間に傍受した魔通から整理した情報では、まず○二一○(ソル時間午前二時一〇分)、現地時間五時一〇分、第二四航空戦隊の六型陸攻三四機がコーセキを空襲しています。

 この攻撃は飛行場と砲台に損害を与え、戦闘機七機破壊を確認し、一機を事故で喪失させること成功しました。

 昼過ぎには攻略部隊がクワジオアシスを出航しています。

 第二四航空戦隊は、翌一二月九日に六型陸攻二七機で二度目の攻撃を実施しています。

 さらに翌一〇日にも六型陸攻二六機で三度目の攻撃を実施していますが、激しい対空砲火と敵戦闘機の迎撃に遭い、一機が撃墜されています」

 結論はまだ先です、という意志を視線に込めてジッツーを見返した後、魔通参謀は話を続けた。


「ナルミさんの戦下手は、ここでもそのままか」

 かねてよりナルミの戦術面での指導力に疑問を持っていたカリュウが呟く。


「攻略部隊は一〇日夜、コーセキ沖に到着しています。

 上陸隊形を整えたのですが、その日は砂嵐が激しく、攻略部隊の各艦は各々適当の地点から上陸用舟艇を発進させざるを得ませんでした。

 そのなかでも、輸送船二隻が大発(大発動艇)を下ろすのに難航し、下ろしたものの砂のうねりや突風による大発の破損や転覆が相次いでしまい、上陸は一旦見送られています。

 この間〇〇二五(ソル時間午前零時二五分)、現地時間の午前三時二五分より、第六砂雷戦隊が艦砲射撃を実施しています」

 カリュウの呟きに大きく頷いた魔通参謀は、表情を引き締めなおして説明を再開した。

 大発動艇は、全長一四.八メートル、全幅三.三メートル、重量九.五トンの船体に、完全武装兵員であれば七〇名、物資であれば一一一トンの積載能力と、満載時八ノットで走る機動力を持つソル軍の標準的な上陸用舟艇だ。 それが外砂海の荒々しい環境の中で、思わぬ脆さを露呈していた。


「〇一〇〇(ソル時間午前一時)、現地時間の午前四時、不用意に陸上砲台に近付いた駆逐艦に対して反撃を受けました。

 そして、四機の爆撃機による空襲も受けています。

 この空襲か砲撃で第六砂雷戦隊は、駆逐艦沈没一隻の損害を受けました」

 魔通参謀の表情が僅かに歪む。

 冷静に状況を報告しなければとの思いが、同期生の死を今この場では単なる事実として捉えさせている。


 コーセキに到着までの攻略部隊は、幸先良い戦果報告のみを重視して油断しきっていた。

 だが、オリザニア側は残存の戦闘機を爆弾が懸吊できるよう改装し、即席の戦闘爆撃機に仕立てるまでして攻略部隊を待ち受けていた。

 もちろん、この事実をソルがこの時点で掴んでいるはずはない。


 小オアシス沖で砲撃を行っていた駆逐艦の轟沈は、陸上砲台によるものと考えられていた。

 いくら駆逐艦の防備が脆弱であろうと、戦闘機の『銃撃』くらいで沈むとは考え難いからだった。艦尾から艦全体に黒煙が広がり、二〇〇メートルに達する砂柱が吹き上がり、それが収まったときには駆逐艦の姿は砂海上から消えていた。その周辺には一旦降ろした大発が大量にうねりに翻弄され、艦が密集し身動きが取り辛いところに砲台からの砲弾が次々と着弾し、戦闘爆撃機は銃撃を繰り返した。

 無視できない被害が積み重なり、攻略部隊はついに避退を決定した。


「撤退を開始しましたが、〇二四二(ソル時間午前二時四二分)、現地時間午前五時四二分、空襲により駆逐艦一隻が爆沈しています。

 信じられないことですが、航空攻撃は戦闘機の銃撃だけでなく、爆撃機も存在していたようです」

「なんだと、そんな情報は聞いてない!

 あのオアシスには、戦闘機と哨戒機、それに輸送機しかいないはずじゃなかったのか!」

 努めて冷静を装う魔通参謀の声を、ジッツーの声が遮った。

 改装戦闘爆撃機による戦果だが、最初からその存在を夢にも思わない第六砂雷戦隊からは、爆撃を受けての轟沈としてしか報告が上がっていない。


 改装戦闘爆撃機から投下された一発の一〇〇ポンド(約四五〇キロ)爆弾は、駆逐艦に命中した。

 艦橋と一番煙突の半分、マストをひとまとめに吹き飛ばした一〇〇ポンド爆弾は、一瞬にして艦長以下艦橋に詰めていた首脳部を抹殺してしまう。だが、この駆逐艦を襲った災厄は、それで終わりではなかった。第二煙突後方の二番砂雷発射管を爆風が包み込んだ瞬間、正視に耐えない閃光が奔り、続いておどろおどろしい爆発音が辺りに響き渡った。

 敵艦に叩き付けられるはずだった、三連装砂雷発射管に装填されていた六一センチ砂雷が、三本同時に誘爆を起こした瞬間だった。酸素砂雷に破壊力が多少劣るとはいえ、戦艦すら一発で行動不能に陥れることが可能な爆発力を、同時に三発、それも同個所に受けて、旧式駆逐艦が耐えられるはずもない。

 爆発の黒煙が収まったとき、駆逐艦の姿は砂上から消え失せていた。


「事実として認めるより他ありません。

 情報は確実を期していますが、絶対はあり得ません。

 その後、輸送船一隻が戦闘機による機銃掃射を受け、搭載していた魔鉱石燃料を炎上させられています。

 砂海上の状況も依然として悪く、時刻を改めての奇襲上陸の見込みも事実上不可能と判断した攻略部隊は、上陸作戦の中止を決定しました。

 攻略部隊各艦は退却し、一二月一三日、クワジオアシスに帰投しています」

 そこまで言って魔通参謀は、一旦言葉を切る。


「それで、連合艦隊司令部は、我々にどうしろと言ってきてるのかね」

 聞くまでもないという表情で、ナンクゥは魔通参謀に発言を促した。


「はい。

 連合艦隊司令部は、コーセキに対する航空攻撃を要請しています」

 魔通参謀は、ご想像の通りですという表情で答えた。その後、要請とはいえ事実上の命令ですがね、と小さく口の中で呟いた。


「長官、我々がそこまですることはありません。

 ナルミ長官の持論の通り、コーセキは第四艦隊の基地航空兵力で叩くべきです」

 強い意志を込めてカリュウが具申した。

 カリュウは決してナルミの『空母不要論』だけに反発していたのではない。

 それも多少はあるが、ナンクゥがナルミに対して抱えているであろう過去の経緯を思い計ってのことだった。

 機動部隊司令長官ともあろう者が、過去の経緯に拘って事実上の命令を無視するなど、決して許される振る舞いではない。

 カリュウは、悪者になる決心を固めていた。



 ナンクゥは、カリュウの言葉を聞きながら、その原因となった昔を思い出していた。

 ナルミは砂海軍省軍務局第一課長時代に、軍令部による『軍令部令及び省部互渉規定改正案』に激しく反対していた。統帥を一手に握りたいと企む艦隊派は、ナルミを最大の障害と認識した。当然のように『改正案』に決済印を押すように、陰に日向に露骨な圧力をかけていた。

 その交渉相手が、当時軍令部に配属されていたナンクゥだった。


「ナルミ、貴様いったいどういうつもりで判を押さないんだ!」

 血気盛んだったナンクゥは、士官学校で一期下のナルミに対し、高圧的な態度で望んでいた。


「ナンクゥさん、何度来てもダメなものはダメです。

 これを通したら、オリザニアと戦争になる。

 私はそんなものに判を押すわけにはいきません」

 言葉こそ丁寧だが、書類の束を投げ返したときの態度は先輩後輩の間柄で許される範疇を越えていた。


「いつまでもそのままだと、殺すぞ、貴様」

 ついに堪忍袋の尾を切らしたナンクゥが、地鳴りのような声を絞り出した。


「さあ、やるならやれ。

 そんな脅しで屈するようでこの職が務まるか!」

 ナルミの大喝が部屋に響き、引き出しから遺書を出してナンクゥに突きつけた。


「俺を殺しても、俺の精神は枉げられないぞ!」

 たじろぐナンクゥにナルミは追い打ちをかけ、その気迫に押されたナンクゥは黙って部屋を出るしかなかった。

 結局『軍令部令及び省部互渉規定改正案』は、皇族である当時の軍令部長の威光に屈し、ナルミを更迭する形で砂海軍省側が折れたが、ナンクゥはナルミに対して良いところなくこの一見は幕を引いてしまったのだった。


「長官……?

 長官!」

「あ、ああ、済まない。

 少し、昔を思い返していた」

 瞑目したままのナンクゥを訝しんだカリュウが声をかける。


「やはり、この命令も無視すべきかと……」

「いや、ナルミ君も困っているだろう。

 こちらはうまくいったが、向こうはコーセキひとつ取れなくては、ゴトムさんに合わせる顔もあるまい」

 呆気に取られるカリュウやジッツーを尻目に、ナンクゥは断を下した。

 ひとの好き嫌いに捕らわれて戦ができんようじゃ、『陸式』どもとなんら変わらないではないか。




 第一次コーセキオアシス攻略戦は、ソル側の惨敗だった。

 もちろん、これでコーセキ攻略事態が、中止になることなどあり得ない。攻略部隊の帰還を待って、早速研究会が開かれ第一次攻略戦の反省とその対策について議論が重ねられた。

 その中でも駆逐艦沈没の原因は、攻略部隊の帰還を待たずに検討が始められている。真っ先に搭載している砂雷、もしくは対潜用の爆雷に対する被弾または誘爆が疑われていた。それを受けた現地の攻略部隊は、突貫工事で残存駆逐艦や軽巡の砂雷と爆雷に断片除けを施した。

 また、攻略部隊がたった四機の戦闘機に翻弄されたことは、部隊の防空戦力の脆弱さが招いたと結論づけられた。だが、より強力な航空兵力が必要と判っても、空母を持たない第四艦隊が黎明期の作戦に護衛戦闘機をつけることは無理だ。

 結局、事前の爆撃を入念に行うか、各艦が緊密に連携を取り、対空弾幕を濃密にするしか対処はないと判断された。


 そして、攻略作戦が頓挫した主因として、上陸準備に手間取ったことが上げられた。

 これを改善するため、大発を素早く降ろすための措置を講じた他、魔通機器の向上も図られた。 それでも万全とは思えない攻略部隊指揮官は、大発が下ろせない状況は充分あり得ると考えていた。その場合には、砂海軍陸戦隊を乗せた哨戒艇を擱坐させ、揚陸させることを決心していた。

 ろくな武装を持たない輸送船では、砂海岸からある程度距離を保つ必要があった。だが、砂海岸に敷かれた防御陣をある程度破壊するための武装を持ち、大発を搭載していない哨戒艇であれば、砂海岸にまで突入も可能だと考えてのことだ。

 もちろん擱坐させた哨戒艇が、自力で還ることは不可能だ。敵兵力の制圧に失敗すれば、上陸させた陸戦隊もまた還ることはできない。

 文字通り、決死の作戦だった。


 これと平行して、第四艦隊参謀長ノシカ大佐は、空襲の危険性を排除するため、コーセキの残存機撃滅を連合艦隊司令部に依頼している。六型陸攻は急降下爆撃ができず、水平爆撃では精密な攻撃は不可能だ。滑走路を一時的に使用不能にはできても、戦闘機のすべてを地上撃破することは無理だった。急降下爆撃か、戦闘機の機銃掃射による攻撃がどうしても必要になってくる。

 これを受けた連合艦隊司令部により、ハトー攻撃からの帰途にあるナンクゥ機動部隊に対し、コーセキ攻撃に向かうよう命令が下ったのだった。


「第四艦隊司令部と直に打ち合わせてからやろう。

 航海参謀、チュルックへの航路を算定してくれ。

 魔通参謀、ここまで来れば、傍受されて位置を特定されても大丈夫だろう。

 ナルミ君宛と連合艦隊司令部宛に、我々は一旦チュルックに向かうと知らせてくれ」

 コーセキ攻略への協力は即断したナンクゥだが、事前の打ち合わせは慎重に、且つ充分にするべきと考えていた。

 一旦第四艦隊が司令部を置くチュルックに入港し、各艦の整備を行い、死線を潜った搭乗員を始めとした機動部隊の将官に短くてもいいから休息を取らせたい。その上で関係将官と綿密な打ち合わせを行ってから、コーセキ攻撃に向かうつもりだった。

 戦略上重要な作戦であることは充分すぎるほど理解しているが、主任務以外で大切な搭乗員をただのひとりも失いたくない。ナンクゥはそう考えていた。

 魔通参謀にチュルック寄港の旨を通告させたのは、そのためだ。




「ナンクゥさんが来てから打ち合わせでは、コーセキ攻略はいつになるかわかりません。

 細かい打ち合わせは入りません。

 とにかく、コーセキの航空兵力を潰していただきたい」

 連合艦隊旗艦を勤める戦艦『アーストロン』の作戦室で、第四艦隊から派遣された作戦参謀が噛みつかんばかりの勢いで言った。

 ナンクゥ機動部隊からチュルックで打ち合わせを行った上でコーセキ攻略に向かうという連絡を受け、一二月一六日からの予定を急遽一日前倒ししてきたのだった。

 これ以上コーセキ攻略が遅れては、快進撃を続ける砂海軍の中にあって、第四艦隊の立場がますます悪くなるばかりだった。


「そういきり立つな、作戦参謀。

 君の立場も、君たちの気持ちも、我々は充分理解している。

 ガルム攻略戦を終えた第六戦隊や、駆逐艦二隻、特設艦船、特別陸戦隊一個中隊を追加することにした。

 ナンクゥさんたちも、ハトーから休み無しというわけにもいかんだろう?」

 連合艦隊参謀長ガッキ中将が宥めるように言った。

 普段の尊大な態度は影を潜め、とにかく事を荒立てまいと努めているようだった。


「ナンクゥさんの機動部隊全艦が来る必要はありません。

 空母二杯もあれば充分です。

 無理にチュルックまで来ていただかなくても、本土への帰り道の途中で分派していただければ結構です」

 ナルミとナンクゥの間にある過去の経緯を知る作戦参謀が、内心の焦りを隠しつつ言った。

 ナルミとナンクゥが顔を合わせれば、その後どんなとばっちりを受けるか判ったものではない。あからさまな八つ当たりがあるとは思わないが、第四艦隊司令部の空気が悪くなることだけは確かだ。開戦以来、ソル軍は破竹の進撃を続けている。その快進撃の中にあって、コーセキ攻略戦だけが躓きを見せていた。

 心情的に艦隊派のナンクゥに対して好感を持つ作戦参謀としては、司令長官の不機嫌に振り回されたくはなかった。

 三日にわたる作戦会議の結果、一二月一七日に第四艦隊より再度のコーセキ攻略命令が出される。

 これに合わせて、ナンクゥ機動部隊に『二〇日頃にコーセキを攻撃してもらいたい』との要望が出された。




「ゴトムさんは、かなり焦れているようですな」

 連合艦隊司令部からの『要望』を受け、カリュウが呟く。


「まあ、仕方ないと思いますよ。

 他が破竹の快進撃。

 コーセキ攻略だけが躓いているとあっては。

 もともとナルミさんの戦下手は有名ですからな。

 ここで汚名返上しておかなければ、将来がなくなってしまいますからね」

 憐れんだような目を南の空に向け、ジッツーが応じた。


「ガルムに比べ、コーセキはハトーに近い。

 その分、戦力の増強もしやすかろう。 ソルとハトーの中間に位置する要衝である以上、それなりの防備を固めているのだろう。

 いくら奇襲でいくとはいえ、少々戦備が甘かったのだろうな」

 ナンクゥはせめて空母の一隻でも付けるべきだったと、第一次コーセキ攻略の敗因を推察している。

 ソルが保有する制式空母六隻はすべてナンクゥの手元に集められていたが、第一艦隊には軽空母『リッガー』と高速魔鉱石補給艦からの改造空母『ザンボラー』が残っていた。戦前には練習空母となっていた『キーラ』は、ネグリット方面の攻略部隊に編入されている。

 第一艦隊が抱え込んでいる空母のどちらか一隻を、コーセキ攻略のために第四艦隊に編入しておくべきだったと、ナンクゥは今更ながら考えていたのだった。


「しかし、帰路の燃料補給を考えますと、全艦隊でコーセキに行くのは、ちょいとばかり難しいのではないですか?」

 カリュウが、大事なことを忘れては困りますとばかりに、注意を促す。


「確かに、行きは天候に恵まれましたが、今は砂嵐のまっただ中。

 魔鉱石の補給も、これではままなりません。

 それに、いくら戦力を増強した可能性があろうと、コーセキの基地規模はハトーとは比べ物にならないほど小さなものです。

 二航戦だけ分派すれば、充分こと足りるのではないでしょうか」

 ジッツーは彼我の戦力をざっと計算し、ナンクゥに意見を具申した。


「そうだな。

 私が行ったのでは、ナルミ君もいろいろやり辛かろう。

 全艦で行けとも言ってない。

 ご苦労だが、二航戦に行ってもらうとしよう。

 『デットン』でも連合艦隊司令部からの『要望』は傍受しているはずだ。

 細かいことは、オーキキ君に任せておけば間違いあるまい」

 ナンクゥはジッツーの意見を容れ、二航戦の分派を決定し、残りは一足先にソルへ帰投すると命令を下した。




 攻略部隊は二一日朝四時三〇分、再度出撃した。

 同じ頃、機動部隊から分派された第二航空戦隊は、コーセキ西方三〇〇海里の地点に到達していた。


「今回はボクが先だね」

 『デットン』の飛行甲板に敷き並べられた九型艦上爆撃機の暖機運転を眺めながら、ファルが言った。


「あんまり気負っちゃダメだよ、ファル」

 今にも飛び出しそうなファルにルックゥが声をかける。


「私の分も頑張ってきてね。

 今回は雷装の出撃はないから、私はお休みだからね」

 言葉とは裏腹にけしかけるような視線でエルミが言った。


「大丈夫だよ。

 明日はルックゥが行く予定だろうけどさ。

 今日のボクたちの攻撃で、きれいさっぱり片付いちゃうかもしれないよ」

 悪戯っぽくファルは笑い、搭乗員待機所を出て行った。


「大丈夫かなぁ。」

 ファルの背中を見送ったエルミが、不安げに呟いた。

 男なんかに負けるもんかと、常日頃から大戦果を挙げることを夢見ている戦友をエルミは心配していた。


「何心配してんのよ。

 水平爆撃隊の任務は滑走路の破壊でしょ。

 ファルたち急降下爆撃隊は、対空機銃座と残存鑑定の撃滅。

 攻撃目標は被ってないから」

 呆れ顔のルックゥがエルミに言う。

 もちろん、表情はわざと作ったものであり、視線には笑いが含まれていた。


「何言ってんの。

 私はファルが無茶しなきゃいいって」

 そこまで言って噴き出したエルミの声に、飛行長の高声放送が重なった。


「攻撃隊が発進する。

 配置において、適宜見送れ。

 手空き要員は、飛行甲板にて帽振れ」

 二度繰り返された放送に、エルミとルックゥは搭乗員待機所を出て行った。


 ふたりが飛行甲板に上がったとき、盛大な帽振れに送られて最後の零型艦上戦闘機が『デットン』から発艦した。

 続いて二五〇キロ爆弾を抱えた九型艦爆が、ゆるやかに滑走を始める。

 ふたりは腕が千切れんばかりに作業帽を頭上で振り、戦場に身を投じて行く戦友たちを、その機影が見えなくなるまで見送っていた。




「命令!

 速やかに爆撃を受けた滑走路を修復し、明日の敵襲来に必要な準備を整えよ!」

 コーセキの基地に快活な命令と復唱が飛び交い、作業服に身を包んだ男たちが走り出した。

 何台もの重機がうなりを上げ、二五〇キロ爆弾に抉られた滑走路の穴を塞ぎ、地均しが終わるそばから無数の穴を穿たれた鉄板を地面に敷いていく。

 掩退壕からは無傷で空襲をやり過ごした二機の戦闘機が引き出され、整備兵が入念なチェックと最後の調整を始めている。


「よくしのいでくれたな。

 明日は飛ばせてやるから、いい子にしてくれよ」

 二機の戦闘機に取り付いた整備兵が、機体を撫でながら声をかける。


「部品のストックも心許ないからなぁ。

 万全にしてやれなきゃ飛ばせてやるわけにゃぁいかんのだよ。

 まあ、いずれにせよ、今日の整備が間に合わなかったのは、勘弁してくれ」

 整備班長が機体とパイロットに謝った。


「大丈夫だ、整備班長。

 万全の状態ですら、あのソルの戦闘機に勝つのは難しいらしいじゃないか。 

 焦って飛んで、一機も落せず撃ち落されたんじゃ、それこそこいつに申し訳ない。

 明日、どうせやつらはまた来る。

 今日は対空砲火を叩き、明日滑走路を叩くつもりだろう。

 油断して来たやつらに一泡吹かせてやろうじゃないか」

 パイロットは不敵な笑みを浮かべて、整備班長の肩を叩いた。

 たった二機で迎撃に飛び立って、ソルの恐るべき戦闘機相手に帰ってこられるとは、どんなオプチミストであっても考えてはいない。

 だが、ふたりのパイロットは、怯む様子も脅えた様子も欠片も見せていなかった。


「単発機だけの空襲もあったな、今日は」

 コーセキの守備隊指揮官が、ソルの機体を見送りながら言った。

 二航戦による第一次空襲は、零型艦上戦闘機一八機、九型艦上爆撃機二九機、七型艦上攻撃機二機による猛攻だった。

 これに呼応して、クワジオアシス航空隊の六型陸上攻撃機二七機もコーセキを空襲している。


「はい。

 いくらソルの航空機の足が長いといっても、ここまで飛んで来られる単発機は存在しません。

 これは技術の限界を超えています。

 間違いなく、艦上機です」

 副官が同じように空を睨みながら答える。


「ハトーの仇敵がそこまで来ている。

 奴らはまた来る。

 そのときには、オリザニアに対して卑怯な振る舞いをした者がどのような末路を辿るか、たっぷりと教育してやろうじゃないか。

 ハトーからの増援もあと数日で到着するはずだ」

 不敵な笑みを浮かべた指揮官は、手持ちの戦力を擦り減らし、今にも陥落しそうなオアシスに取り残されたという顔ではなかった。


「はい。

 おそらく、いえ、間違いなく奴らは油断してくるでしょう。

 そのときには」

 副官も同様に闘志に溢れた凄惨ともいえる笑みを浮かべている。


「ここさえしのげば、ハトーから増援が到着する!

 状況は厳しいが、もう一踏ん張り頑張ってくれ!」

 各級指揮官が同じような言葉を部下に送り、袋叩きにされている守備隊の士気を鼓舞していた。

 事実、ハトーからは奇襲を逃れた空母が、艦載機を満載にしてコーセキを目指している。

 苦しい戦いを強いられている戦友を救うため。そして卑怯な騙し討ちをしたソル機動部隊に対する復仇の機会を得るために。




「じゃあ、行ってくるね、エルミ、ファル。

 滑走路を完全に潰して、攻略部隊の露払いをきっちり勤めてくるよ。

 そういえば、昨日は迎撃機が上がってこなかったんだって?」

 いつもと変わらぬ落ち着いた笑顔で、ルックゥは七型艦攻が暖機運転完了を待っている。

 しかし、笑顔の裏にはまだまだ緊張が残っていることを、エルミもファルも気付いている。

 ハトー攻撃で戦果を挙げたとはいえ、僅か一度の攻撃に参加しただけでベテラン同様の落ち着きを得られるはずはない。


「いってらっしゃい。

 昨日、ボクたちが滑走路までは叩いてないのに迎撃機は上がってこなかったから、もう残ってないのかもしれないね」

 言葉とは裏腹に、視線には油断するなという警告を込めて、ファルは答えた。


「もし残ってたとしても、護衛に六機も就くんだから大丈夫でしょ。

 第一次攻略のときも四機しかいなかったって話よ。

 あの後、戦力の補充があったって情報もないし。

 ルックゥの腕だったら、目を瞑っても当てられるでしょ。

 気楽に行ってきなよ」

 自身が出撃できない寂しさを抱えつつ、エルミはルックゥの緊張をほぐすように言った。



 一二月二二日午前八時頃、空母『デットン』と『テレスドン』から飛び立った六機の零型戦闘機と爆装七型艦上攻撃機三三機は、順調に飛行を続けコーセキ上空へと侵入しつつあった。

 迎撃気が一機も上がってこなかったという、昨日攻撃に参加した将兵からの伝達情報もあり、多少の油断があったことは否めない。六機の零型戦闘機は七型艦攻の周囲をつかず離れずの距離を保っているが、その機動に緊張感はあまり見られなかった。


「今日の任務は昼寝しながらでも片付きそうですぜ、少尉」

 最後部座席で魔信員兼機銃手を勤めるラーン一飛曹が、陽気な声を伝声管越しに響かせた。


「そういうこというと、絶対にそうならない気がするんですが。

 ソル・ロス戦争でも、そんな話がごろごろしてるそうですぜ、ラーン一飛曹」

 中央の偵察員席から、ラーンとは背中合わせに座っているダイト二飛曹が、伝声管に声を送り込む。


「そうですよ、ラーンさん。

 昼寝しながらできるような任務なんて、そんなことあるはずないじゃないですか」

 真面目一辺倒のルックゥが、頭を抱えつつ伝声管に言い返す。


 だが、対空砲火の有効射程外から一方的に打撃を与えられる優位は明らかで、今回の任務にそれほどの困難さは感じられない。

 ハトー攻撃は、相手が動かないとはいえ、全長二〇〇メートル、全幅三〇メートル内外の標的に命中させなければならなかった。それが今回は、滑走路と基地施設のどこにでも爆弾をばらまけば良い。

 それほどの精密さは必要なく、オアシスのどこであっても有効弾になるとなれば、確かに楽な任務と言っても良かった。


「まあ、迎撃機もいないそうですし、もしいても、こちらは六機も護衛がいるわけで。

 それにダイト、ソル・ロス戦争でって言うけど、全員が全員戦死した訳じゃないだろ」

 もちろん、ラーンが手を抜いているはずもなく、進行方向に背を向けながら抜かりなく周囲に視線を走らせ、不穏な影があればいつでも射撃ができるように、旋回機銃の引き金に指を置いている。

 畜生、太陽が眩しくてまっすぐ見てられねぇや。


「そりゃそうですけどね、一飛曹。

 昼寝とか、不謹慎ってもんですぜ。

 仮にも俺たちゃぁ爆弾を落とそうってんですからね」

 ルックゥの影響か、非番時ですらだらしない生活とはすっかり縁を切ったダイトが怒鳴るような声を上げた。


「そうですよ、ラーンさん。

 好むと好まざるに拘わらず、人が死ぬんですから。

 せめて最善は尽くしましょう。

 それが礼儀ってもんじゃありません?」

 優等生振るつもりはないが、普段から飄々としたラーンに混ぜっ返してみたくなったルックゥが伝声管に向かって大声を出す。

 もちろん、普段からいろいろと教えられることの多い年長の下士官に対し喧嘩腰になるわけはなく、エンジン音のせいで普通に喋っていては声が届かないからだ。


「へいへい。

 お二人は真面目でござんすからね」

 わざと呆れたような怒鳴り声を返しながらも、ラーンは周囲の警戒を怠ることはなかった。

 それにしても眩しくて上が見えねぇや。



 ルックゥは二列に並んだ水平爆撃隊の右列四番機の位置にいた。

 事前の打ち合わせ通り、先頭を飛ぶ誘導機の投弾を待つばかりだ。操縦桿を中央に固定し、誘導機に視線を合わせ、その動きを僅かでも見逃すまいと意識を集中させている。

 ふと、視界の上方をごく小さな黒い影が過ぎった。気がした。


 次の瞬間、誘導機のコクピットの内側から、真っ赤な飛沫がぶち撒かれた。

 パイロットを射殺された誘導機は、爆発することなく原形を保ったまま機首を下げ、そのまま砂海へと墜ちていく。

 現状を受け入れられないルックゥのすぐ前を、風を巻いて敵戦闘機が急降下で離脱していった。

 護衛の任務を全うできなかった零型艦戦全機が、怒りにまかせて追跡する。


 ようやくルックゥが現実を受け入れた瞬間、これまで経験したことのない衝撃が機体を襲い、敵戦闘機が風を巻いて降下していった。

 同時にルックゥは左腕とわき腹を、焼け火箸で貫かれたような激痛を感じた。後部座席から絶叫が沸き上がり、コクピットの内側が血と硝煙の臭いに満たされる。キャノピーは搭乗員の血飛沫で塗り潰され、外界の様子は見ることはできなくなっていた。

 ふと、激痛を感じた左腕を見る。

 その激痛の先にあるはずの左腕は、肘の上からきれいさっぱり消し飛んでいた。


 それだけではない。

 上腕から噴き出す血飛沫だけでなく、自身の左脇腹からは腸がこぼれ出し、飛行服を血塗れにしている。

 絶叫の形に口が開き、喉の奥から声が上がってきたはずだが、既にルックゥには声を発する力は残されていなかった。

 目の前の計器盤を染め上げていく血飛沫が自分のものなのか、後部座席に座るふたりのものなのか、ルックゥにはもう判らなかった。仮に判ったとしても、それは既にどうでもいいことだった。

 そして、永遠のように感じられていた出来事が、瞬きをする間のことだと理解したルックゥの視界が真っ赤に染まった。銃撃を受けたときの衝撃など、比べることすら莫迦莫迦しいほどの激震がルックゥの身体を襲う。

 撃ち抜かれた燃料タンクに半分以上残っていた魔鉱石燃料に引火した爆炎が、腹に抱えた五〇〇キロ爆弾を誘爆させ、ルックゥの意識は異界の彼方へと吹き飛ばされていった。



 二航戦旗艦を務める空母『デットン』は、ハトー奇襲成功の喜びをすっかり忘れてしまったかのような、重苦しい雰囲気に飲み込まれていた。女性飛行士官居住区域にある士官次室の扉が二枚、固く閉ざされている。

 片方の内側からは、辺りをはばかることのない泣き声が途切れることなく漏れ続けていた。そして、主が戻ることがなくなって、同室者の専有面積が多少広くなったもう片方からは、小さな話し声と微かな猫の鳴き声だけが聞こえている。


「もうルックゥは帰ってこないんですよ、中尉。

 最後まで、一緒に戦おうっていったのに。

 約束破られちゃったんです。

 だから、もう探し回るのは諦めてくださいね」

 エルミは雄猫のレックスを抱え、消え入りそうな小さな声で、ずっと話しかけていた。

 不安げに辺りを探り回るレックスを捕まえ、ルックゥが使っていたベッドに腰掛けて、エルミは頭を撫で続けている。

 ルックゥ機の未帰還が確実となった時点で、ファルは衝撃のあまり倒れ、運び込まれた自室で意識を取り戻して以来泣き続けている。同室の女性飛行士官も、最初はファルを慰め、次いで叱咤したが、ついには自身も泣き崩れていた。

 エルミ自身もファルと一緒に泣きたいはずなのに、レックスを抱えたままここを動く気にはなれなかった。七型艦攻の航続距離から、もう帰ってこないことは解り切っている。僚機からの報告もあり、ルックゥが撃墜されたことは間違いない。

 だが、エルミはまだ現実を受け入れられず、ここで泣いてしまったらルックゥの戦死を認めてしまうことになると、心が精神の均衡を保とうとしていたのだった。



 敵戦闘機は、高度五〇〇〇メートルを飛ぶ水平爆撃隊から、さらに上空の高度九〇〇〇メートル、で待機していた。そして太陽を背に水平爆撃隊に突入し、多少の油断を衝いたとはいえ、一撃で二機の七型艦攻を撃墜したのだった。

 もちろん、怒りに駆られた零型艦戦に追われた敵戦闘機が、無事で済むはずがなかった。六機の零型艦戦に僅かの間に追いつめられ、二機に対して大人気ないほどの機銃弾が叩き込まれていた。

 この空中戦を以て、コーセキの航空へ威力は、完全に消滅した。


 水平爆撃隊は僅かに隊列を崩されたが、左列一番機が冷静に誘導機の任務を引き継ぎ、コーセキへの爆撃任務を完遂している。

 攻略部隊も多少の齟齬はあったものの、二航戦の第二次攻撃の翌日にはコーセキを占領していた。

 だが、第四艦隊司令部からの救援に対する感謝の魔通を受け取っても、二航戦司令部の重苦しい空気は払拭されなかった。


「艦長、ここにいたか。

 ちょっと、邪魔するよ」

 巡検も終わり、最低限の人員を除いて僅かな自由時間が許された頃、二航戦司令官オーキキは、『デットン』艦長ホンリュウの私室を訪ねた。


「お休みにならなくてよろしいのですか?」

 ソファを勧めながら、ホンリュウは戸棚からサピエント産の蒸留酒と小振りなグラスを二つ取り出した。


「ああ。

 まだ、しばらくは、な」

 沈痛な面持ちのまま、オーキキは勧められたソファに腰を下ろし、目の前に置かれたグラスを琥珀色の液体が満たしていく様を見つめている。


「あとは、お好きなだけ。

 私もそうさせていただきます」

 琥珀色に染まったグラスを取り上げ、一息に飲み干したホンリュウは、再度グラスを満たしていく。

「こんなことになるのなら、あの娘を飛ばせなければよかったよ」

 オーキキはグラスを干すことなく、大きな掌で砕かんばかりに握り締めている。


「慚愧の念に耐えません。

 決して、誰ならば死んでよいなどということはありませんが、あの娘は死なせたくはありませんでした。

 彼女はこれからのソル母艦航空隊を背負って立つ逸材だと、私は考えておりました。

 責任は、挙げて本職にあります」

 ホンリュウはソルに帰還後、戦死した搭乗員ひとりひとりの遺族に会いに行くと決めている。

 戦死の公報はもう少し後になるだろうが、遺品を直接家族に手渡し、死なせてしまったことを詫びなければならない。


 憎んでくれてもいい。

 いや、怨み、憎んで欲しい。

 いくら皇国のために捧げた身とはいえ、遺族にとってはかけがえのない息子であり、兄弟であり、父であり、夫であり、そして娘だ。現実に殺した相手は交戦国のオリザニア共和国であり、戦闘機のパイロットだが、国家はいずれ講和しなければならない対象であり、当のパイロットは既に撃墜され、同じ彼岸へと旅立っている。

 愛する者を失った遺族には、直接憎しみをぶつけることのできる、生きた人間が必要だった。

 ホンリュウは、それこそが艦長のつとめだと考えていた。


「君だけの責任ではないよ、艦長。

 最終的には攻撃隊の編制、搭乗割に許可を出した私の責任だ。

 君が考えている役割は、私がやるべきだよ」

 琥珀色の液体をひと口飲み込み、オーキキは力強く言った。


 司令官の立場ともなれば、戦死者は統計であり、数字の羅列でしかなく、個々の死を悼んでいる余裕などない。

 もし、一海戦ごとに戦死者の遺族の元を訪れていたら、司令官としての仕事をする時間がなくなってしまう。薄情に見えるかもしれないが、司令官とはそういう立場なのだった。そうでもしなければ、場合によっては一〇〇〇を超える戦死者の怨念に、心を食い尽くされかねない。

 だが、オーキキは、それをやろうとしていた。

 一度の休暇で回りきることは不可能でも、生ある限り足を運び続ける。

 そう決心していた。



「『デットン』の艦攻が三機やられたみたい」

 二航戦と共にコーセキ攻略の増援として分派された、第八戦隊の旗艦を務める重巡『ドラコ』のガンルームで、リンが悲痛な面持ちで言った。

 砂偵乗りと艦攻乗りという違いはあるが、同じ飛行士官が還らなかったことは、リンにとってはショックだった。

 ハトー奇襲の大戦果も、やはり未帰還機が二九機もあり、手放しで喜ぶ気分にはなれなかった。


「誰が還ってこなかったんだ?」

 コーセキ攻略の成功に湧くガンルームの中で、同期であり幼馴染みが『デットン』の艦攻に乗っているレグルにしても、リンのひと言は他人事ではない

 詳しいことは判らないが、確かエルミは雷撃隊に所属し、今回の攻撃には出番はないはずだ。

 だが、それほど難易度の高い作戦ではないため、経験を積ませるために編制の変更がないともいえない。

 ハトー奇襲でも未帰還機はあった。

 それ以来、レグルは眠れぬ夜を過ごしている。


「そこまでは判らないよ、レグル。

 たまたま戦闘配置のまま、『デットン』が攻撃隊を収容するのを全部見ていただけだから。

 機体番号までは見えないもん。

 さすがに現場からこちらの被害を、敵にまで判るようなマネはしないでしょうから、敵信傍受班に聞いても判んないだろうし」

 焦燥を隠せないレグルに、リンが答える。

 どの空母の誰の機が撃墜されたのかは、その艦の者にしか判らない。各司令部や艦の首脳部であれば、残存機数は当然把握しているが、誰が未帰還かまでの情報を悠長に伝達し合うほど戦場は暇なところではない。

 同じ艦隊とはいえ、一旦出航してしまえば別の艦の者と顔を合わせることは、帰港するまでない。

 出航前に行われる恒例のクラス会が、永の別れとなってしまう者が出ても、決して不思議ではないのだった。

 レグルもリンも、勇壮な軍の裏側にある多数の悲劇を、緒戦にして思い知らされていた。




「皇国軍は無敵だな、おい。

 このままでいけば、世界に君臨できちまうんじゃないか」

 年の瀬の慌ただしさの中、帝都は連戦連勝の報道に浮かれていた。

 専門技術学校も冬休みとなり、明日はほとんどの者が帰省する日だ。しばしの別れを前に、フィズはガルの下宿に酒瓶を抱えてやってきていた。


「あ、ああ、そうだな」

 新聞紙上には赫々たる戦果が報道され、魔導放送から興奮気味にうわずりがちなアナウンサーの声が途切れることはない。

 しかし、ガルの返答はどこか上の空だった。

 報道の片隅に見つけた『我が方の損害は軽微』の一文が、喉に刺さった小骨のようにいつまでも気になっている。

 ハトー奇襲で、砂上艦艇に対する反撃があったとは聞いていない。

 特殊潜行艇の喪失は、それと引き替えにした戦果と合わせ大々的に報道されている。わざわざ別に損害は軽微というのであれば、撃墜された機体があるということだ。

 ガルは、エルミがハトーに行ったと確信していた。

 もちろんそう知らされたわけではないが、艦攻に乗っていると聞いたことを思い出し、そう確信していた。

 それ以来、ガルの表情にはどこかしら翳りがまといつき、いくら明るく振る舞っても消えることはなかった。


「嫌だなぁ、戦争は」

 ぼそりと呟いたガルの一言に、フィズの表情が変わった。


「怖じ気付いたか、ガル?

 嬉しくないのか?

 連戦連勝だぞ?」 酔いが回ったフィズが、ガルに絡み始めた。


「違うんだ、フィズ

 人が死んでるんだぞ。

 あいつが……

 あいつらが、無事に帰ってくるかどうか……

 俺は何もできないんだ」

 ガルは数日前の新聞を広げ、その部分を指さした。



 情報局は開戦と同時に新聞社や通信社に対し、戦況報道の禁止示達を出していた。

 大本営の許可したもの以外は、一切掲載禁止ということだった。つまり『大本営発表』として、後世の歴史家から嘘の代名詞とまで言われることになるものだ。

 そして、陸軍省令に基づく新聞掲載禁止事項基準示達も出している。これはソル軍に不利なる事項は一般に掲載を禁じるが、戦場の実相を認識させ、敵愾心を掻き立てる内容であれば、掲載を許可するというものだ。

 そして一二月一三日には、新聞統制を一層強化するため、国家総動員法第一六条を根拠に新聞事業令を公布した。その上、新聞各社で作っていた自治的統制機構、新聞連盟を解散させている。これは、近い将来に政府による統制機関を、設立するための布石だった。

 一九日には、言論出版集会等臨時取締法が公布されていた。時局に関し造言飛語、人心を惑乱すべき事項を流布したる者は懲役に処すという内容だ。これで政府にとって都合の悪い情報は、完全に封殺された。

 記者は発表されたものだけを記事にした。もし、真実を追求し独自の判断で書いた記事が、禁止通達や言論出版集会等臨時取締法に抵触すれば、逮捕拘禁されてしまう。こうなっては自由な記事など書けるはずもなく、軍の発表に従った提灯記事を書くしかない。

 新聞をはじめとした報道各社は、そこに身を置く人々の意に拘わらず、急速に軍の広報機関へと作り替えられていった。


 一二月一六日、一隻の巨艦が就役し、第一戦隊に編入された。

 平時であれば大々的に報道され、各国の大使や駐在武官を招いて華やかな御披露目が行われるはずだった。だが、この戦争を見越して建造が始められた巨艦は、起工式も、進水式も、就役も報道されることは一切なかった。

 世界で唯一、四六センチ主砲を搭載する戦艦『アンギラス』は、皇国民の祝福を受けることなく砂海へと乗り出していった。

 敵が持たない新兵器を報道することは、軍が許さなかった。



「皇国軍人として名誉の戦死を遂げたなら、それは友として誇らしいことじゃないか、ガル。

 おまえのその軟弱な考えは、友を貶めることになるぞ。

 そんな軟弱なことじゃ、戦争を戦い抜けないぞ。

 飲んで気持ちを切り替えろ」 近しい身内に軍人がいないフィズにとって、戦場での死とはそういった認識でしかない。

 それでも落ち込みそうなガルを励まそうと、フィズは湯呑みに酒を継ぎ足そうとした。


「解ってるんだ、フィズ。

 解ってるんだけど……」

 言われるままに湯呑みをあおり、酒と共に沈鬱な気持ちを飲み下そうとしたが、ガルの不安はますます募るばかりだった。




「今年は四人揃わないかもね……」

 ガルが酔い潰れている頃、新年祭を彩る料理の下拵えをひと段落させ、チェルは呟いた。

 例年であればとっくに帰ってきているはずのガルは、冬休みになっても軍事教練と勤労奉仕に駆り出されていた。それも今日で終わっているはずで、事前に連絡があった明日、一二月二九日の夕方にはガルが帰ってくる。

 だが、レグルもエルミも、未だ何の連絡もない。


 軍人である以上、戦争が始まれば新年祭も慰霊祭もないことは仕方がない。

 外地に出ている将兵すべてに、故郷で新年祭を迎えさせるなど狂気の沙汰だ。

 レグルとエルミがどこにいるのか、それは判らないが、今の時点で連絡もないのであれば、作戦行動中と考えるしかない。たとえ新年祭に合わせた休暇が与えられたとしても、外地からこの村に帰ってくることは不可能だ。

 寂しい新年祭になると、チェルは覚悟を決めた。


「便りがないのは元気な知らせと昔から言うじゃないか。

 ここで思い煩っても仕方がない。

 今は待つしかないぞ、チェル」

 包丁の手入れを済ませた父が、タバコをくわえながら裏庭に出ていく途中で声をかける。


「今夜の火の番は俺だからさ、姉貴はさっさと寝てくれよ。

 

 同じことばかり答えさせるのは勘弁してくれ、それも一〇分おきに」

 すっかり大人びた顔をしたアレイが横から口を出す。


 さすがに父にまではしていないが、年下相手の甘えからかチェルはアレイといるときにはレグルの心配ばかりを口にしていた。

 アレイが言う一〇分おきは、決して誇張ではない。


「あたしが何言ったっていうのよ?」

 最近とみに生意気になった弟に、チェルは食ってかかる。

 父はまた始まったという顔で、裏庭に出て行ってしまった。


「口を開けば、レグルはどこにいるんだろう、手紙来てない? いつ帰ってくるんだろう、こればっか」

 チェルの口調を真似てアレイが応じた。

 姉の心配は理解できるが、いい加減付き合いきれない。

 アレイはガルの帰郷を、チェルとは違った意味で待ち望んでいた。


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