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第28話 決着

 二六四一年一二月一〇日一二時四〇分。

 サピエント艦隊上空には、ソル砂海軍第二二航空戦隊第一航空部隊第一中隊爆装六型陸攻十四機、第二航空部隊第一中隊雷装六型陸攻九機、第二中隊雷装六型陸攻八機が突入のタイミングを計っている。

 最新式の一型陸攻が配備された第三航空部隊は、まだこの空域には到達していない。

 一型陸攻は、半年ほど前に正式採用され、各部隊への配備が始まっている。

 五年前から運用されている六型陸攻に比べ、時速六〇キロ優速で、防御火器が増強され、主翼内を魔鉱石庫と飲料水庫にしたことで、一.五倍以上の航続距離を達成した機体だ。六型陸攻では機体下部に爆弾や砂雷を吊り下げることで空気抵抗の増大を招いていたが、爆弾砂雷庫を機体内に設けられたことで、大幅な空気抵抗の減少に成功し、六型陸攻からさらに洗練された機体形状から、その大きさからは想像もできない軽快な機動を可能にしていた。

 一型陸攻の生産が進めば順次六型陸攻は後方に下げられ、輸送等の裏方に回っていくことになるだろう。

 第一、第二航空部隊とも、慣れ親しんだ六型陸攻の花道を飾るため、第三航空部隊の一型陸攻到着以前に蹴りを付ける気でいた。



 サピエント大東砂海艦隊の巡洋戦艦『ビュエルヴァ』の艦上は、戦闘直前とは思えない雰囲気に包まれていた。

 これまでソル砂海軍との交戦経験のないサピエント兵たちは、口々にソルを小莫迦にしている。技術先進国という自信と、技術大国の勇であるアレマニアに一歩も退かず戦っているという自信がそうさせていた。極東の未開国であり、かつてはサピエント砂海軍に教えを乞うた後進国という嘲りがそうさせていた。


「あれは中攻だろ?

 ソルには偵察機ってものはないのか」

「あれが飛んでいること自体信じられん。

 どうせ水平爆撃が関の山だろう。

 動きの鈍い陸攻が、戦闘行動中の戦艦に急降下爆撃も雷撃もできるはずはないさ」

「そうだな、やつらにできることは、不意打ちくらいだ。

 実際、ハトーをやった艦攻は複葉機って噂だぜ」

「そりゃそうだ。

 精密な機動を要求される艦攻は我が軍だって複葉機なんだぜ。

 ソルに単翼の艦攻が開発できるはずなんかないって」

 「二、三発脅かしてやれば、すぐに逃げてくんじゃないか」

 いつ射撃開始の命令が下されても対応できるように、十全の準備の元だが緊張感にかける会話が続いている。



 やがて、サピエント艦隊全艦の艦上に射撃開始の命令が下ると同時に、上空に集まってきたソルの機体が身を翻す。

 九型艦爆のような急降下こそできないものの、優美な奇跡を描いて緩降下を開始した六型陸攻の腹に吊られていた二五〇キロ爆弾が、『ビュエルヴァ』めがけて投げ出される。

 別の砂海面ではベテランパイロットに操られた六型陸攻が、高度五メートルまで降下して『ラバナスタ』に突っ込んでいく。


「なんだ、あいつらは!?

 こんなところで曲芸飛行なんて!」

 『ビュエルヴァ』艦上で、六型陸攻の機動に度肝を抜かれ、素早さに対応できない将兵が罵声を放つ。


 射撃開始の直後に、六型陸攻が投下した二五〇キロ爆弾が『ビュエルヴァ』の艦上に炸裂した。

 大音響とともに盛大な火炎が奔走し、引きちぎられた鋼材の破片が吹き飛ばされる。即艦の運用に支障が生じるほどの被害はないが、鋼材に混じって元は人間だった肉片も吹き飛ばされていた。辺り一面に硝煙と血の匂いが充満するが、艦の進行に伴う強風があっというまに流し去っていく。

 直前までソルを侮り、小莫迦にしていた将兵たちの顔つきが一瞬で凍り付き、次いで憤怒の色に染め上げられた。



 『ラバナスタ』の対空管制室ではリッチ艦長が、将官艦橋からはマスフィ司令長官が、二手に分かれ両舷から超低空をしたい寄るソルの中攻を信じられないものを見るような表情で睨みつけている。

 高度五メートルを飛翔する中攻に対して、『ラバナスタ』は舷側を真っ赤に染め上げて対空射撃を続けている。どの砲も俯角を目一杯にかけ、恐ろしいほどの速度で急接近する中攻に砲弾を叩き付けようとしていた。だが、中攻の高度が低すぎるからか、すべての弾はその頭を飛び越して後方の砂面に虚しく砂柱を上げるだけだ。



「中攻で雷撃だと!?」

 対空管制室からリッチの、将官艦橋では航空参謀の叫びが上がる。


「良く訓練されている。

 我が軍にあれほどの低空を、あの速度で飛ぶ勇気を持つ者がどれほどいるか」

 航空参謀の狼狽とは裏腹に、感嘆の面持ちでマスフィは、隣に立つ首席参謀に落ち着いた声をかけた。


「残念ながら。

 我々は爆撃機を用いた戦艦への雷撃は想定しておりません。

 あの高度、速度とも訓練はしてはおりませんでした。

 ですが、訓練さえ積めば、困難ではないでしょう」

 ソルにできて自分たちにできぬはずはない。

 些か誇りを傷つけられたという内心を隠しながら、首席参謀は強気の表情を崩さず言った。


「その通りだ。

 しかし、いくら訓練を積んであのような素晴らしい技術を身に付けようと、航空機に戦艦は沈めることは不可能だ。

 それよりももっと必要な訓練に時間を割くべきであり、我が軍には不必要なものだな」

 爆撃機には爆撃機のやるべきことがある。

 鈍重な機体に戦艦への雷撃をさせるなど、対空砲火の贄に供するだけであり、時間と経費と人命の無駄遣いでしかない。マスフィの認識ではそうだった。


「敵機、両舷に分かれます!

 速い!

 対空砲火が追いついていません!」

 対空管制室に、見張りの叫び声が響いた。


「畜生!

 なんだ、あの速さは!

 誰だ、ソルの飛行機なんぞ飛ぶのがやっとなんて戯言を抜かしたのは!」

「情報部の奴らふざけやがって!

 まともな情報も送れないなら、便所掃除でもしてやがれ!」

 対空機銃にかじり付く兵たちから罵声が上がり、本来であればそれを窘めるべき立場の指揮官からも同様の叫びが飛び交う。

 サピエント砂海軍では、雷撃機に対する対空射撃訓練を、自軍が保有する機体を基準に行っていた。

 だが、六型陸攻は、サピエント攻撃機の最高速度二二二キロを遙かに上回る最大速度三五〇キロの性能を有している。身体に染み着いた訓練の成果は、予想もしなかった事態に即応できるはずもなかった。


「敵機、投雷!」

 両舷の見張りから、同時に悲鳴のような絶叫が走る。


「面かぁじ!」

 対空管制室からリッチの大音声が響く。

 投下された砂雷に対して艦を正対させ、被雷の可能性を極限まで減らす。

 砂雷戦隊と対戦するときと同じ対処だ。

 右舷に五機と左舷に四機と分かれた中攻を見て取り、より危険性の高い右舷からの砂雷を優先して回避すると、リッチは即断した。左舷から迫る砂雷は、万が一命中すれば艦尾を抉り、『ラバナスタ』から行動の自由を奪う可能性があるが、それでも数が多いほうを回避するべきだった。


「面舵、一杯!」

 操舵室から復唱が返され、操舵手が力の限り舵輪を回す。

 基準排砂量三万六七二七トン、全長二二七.一メートル、全幅三四.三メートルの巨体は、すぐに舵が効かない。面舵の命令から四〇秒が経過するが、『ラバナスタ』が針路を変える気配はまだ感じられなかった。

 一分が経過し、やっと『ラバナスタ』は右へと艦首を振り始める。

 だが、遅すぎた。


「左舷の砂雷、接近します!」

「右舷の砂雷、艦尾に接近!」

 見張りの絶叫が響き、直後に艦腹と艦尾に大音響と共に巨大な砂柱が立ち登る。

 全艦を刺し貫くような衝撃に、対空管制室ではリッチたち艦首脳が、将官艦橋ではマスフィを始めとした司令部要員が、床に投げ出され、壁に叩き付けられた。

 丈高い艦橋を遥かに越えた砂柱をすり抜けるように飛び去ろうとした六型陸攻を、追いかけるように撃ち出された機銃弾が捉える。

 魔鉱石を詰め込んだ燃料タンクを撃ち抜かれた六型陸攻が、引火した魔鉱石の盛大な爆炎と共に空中で四散した。



「被害状況報せ!」

 頭を振りながら立ち上がったリッチが伝声管に怒鳴り込む。


「長官、大丈夫ですか!?」

 マスフィの身体を受け止めるように壁に叩き付けられた首席参謀が、呻き声を上げるマスフィに声をかける。


「大丈夫だ、首席参謀。

 どこをやられたんだ?」

 一瞬痛みに顔をしかめるが、威儀を正してマスフィが問い返す。


「ここからでは前部の被雷しか確認できません。

 間もなくリッチ艦長から報告があるはずです」

 首席参謀は判る範囲で回答した。

 戦闘が始まってしまえば司令部にできることはそれほど多くない。

 艦隊決戦であれば、どの敵艦にどの艦を割り当て、どれくらいの速力で砲戦を行い、有利に運ぶための針路を決定する。

 戦闘行動自体は、艦長の専管事項だ。

 この状況では、マスフィたち司令部は、戦闘の成り行きを見守る以外にできることはない。

 戦いに敗れたとき、いつ撤退するかの決定を除いて。


「二本くらい命中したところで、『ラバナスタ』は沈まんよ。

 それより、『ビュエルヴァ』嬢の方はどうかね?

 さすがに巡洋戦艦では、砂雷を喰らっては辛かろう」

 ソルの機体ごときに砂雷を命中させられた衝撃から、マスフィはすぐに立ち直っていた。

 

「『ビュエルヴァ』からは『全砂雷回避スレド爆弾一発命中。損害ハ軽微ナリ』との報告です。

 いかに水平防御が薄いとはいっても、中攻レベルで運用できる二五〇キロ爆弾や五〇〇キロ爆弾程度で、巡戦の装甲を撃ち抜けるとは思えません」

 通信参謀がマスフィに答える。


「そうだろうな」

 さもありなん、といった表情でマスフィは答えた。

 だが、このとき『ラバナスタ』は即沈没には結びつかないが、致命的な被害を被っていた。



 副長からの被害報告を聞いたリッチは、一瞬で顔を蒼ざめさせた。

 二本命中した砂雷のうち、艦尾の一本は『ラバナスタ』に重大な損傷を与えていた。

 砂雷命中による損傷だけでなく、衝撃で湾曲した推進軸は高速で回転したまま周囲を殴打し、破壊していた。


 推進軸が貫通する区画は長さが七〇メートル以上あり、その幅も大の大人が数人並んで歩けるほど巨大な空間だ。

 そこに大量の砂が一気に流れ込んだ。

 トンネル区画の根元にある左舷前部機械室、隣接する一三.三センチ砲弾薬庫、左舷発電機室、左舷戦闘動力室、左舷前部缶室に砂は雪崩れ込んでいく。右舷に注砂してバランスを取ったとしても、艦の駆動部が侵砂しては行動の自由すらままならない。

 既に出しうる速力は、二〇ノットを切っている。

 わずか一発の砂雷にしては、被害が大き過ぎた。


 たった一本の砂雷で、『ラバナスタ』は左舷に一一度傾いた。

 左舷二軸の運転が不可能になり、戦闘動力室と予備発電機室にあった八基ある発電機のうち五基が停止した。発電機が止まってしまったことで排砂ポンプを動かすことも、被害状況を知らせるための艦内電話も、通風も照明も止まってしまった。

 それだけではない。

 一三.三センチ高角砲の動力が絶たれ、後部両舷四基が使用不能となった。その上、舵機の電力を絶たれ、事実上操舵不能の状態に陥ってしまった。

 さらに艦の傾斜により、前部の一三.三センチ砲も正確な照準など望むべくもない。

 近接対空射撃の要となるポムポム砲も、弾丸の薬莢分離による故障が頻発し、防空力が壊滅状態になってしまった。

 次々に伝令が上げられてくる被害状況に、リッチは『ラバナスタ』はすでに致命傷を負ったことを思い知らされていた。



「敵機去っていきます!」

 見張りが報告を上げてきた。

 もちろん、対空管制室に詰めているリッチも、敵機の動きは目で追っている。


「長官、本艦の被害は深刻です。

 旗艦の変更もご考慮ください」

 見張りを厳に命じ、リッチは将官艦橋に降りてマスフィに進言した。


「艦長、それほど悲観するものでもあるまい。

 確かに推進軸に被害を受けたが、もう一本の砂雷はたいしたことはないようだ。

 航空機による雷撃も、砂上打撃部隊による雷撃も、狙いは基本的に同じ艦腹だろう。

 バルジを撃ち抜いたとしても、炸薬量の少ない航空砂雷で分厚い装甲板を撃ち抜くことは不可能なようだ。

 何本か艦腹に被雷したとしても、敵の物量には限りがある。

 バルジの内側にどれほど砂を飲んでも、バイタルパートを撃ち抜かれなければこの艦が沈むことはあるまい。

 幸い、『ビュエルヴァ』は本艦より舵の効きがよく、敵の砂雷はすべてかわしているようだ。

 最悪本艦が航行不能に陥ったとしても、『ビュエルヴァ』に曳航させればマーレイヤまで帰ることは充分可能と私は見ている」

 旗艦変更の要なしの意を込めて、マスフィはリッチを真っ直ぐに見つめて言った。


「ですが、長官。

 本艦は舵機室が使用不能であり、事実上舵を切ることができません。

 航空機に沈められるようなことはないと考えますが、万が一艦橋に爆弾が命中しないとも限りません。

 その上、対空火器の照準も正確さを欠いています。

 敵攻撃機が我が国の攻撃機より優速であり、ただでさえ撃墜が困難な状況下にあっては、長官をお守りするとお約束することは難しいと」

 血を吐くような思いでリッチは答える。

 自身の無能をさらけ出すようで、身を切るような苦痛が伴っているはずだ。


「艦長、私はそれでも旗艦変更の要なしと考えているよ。

 私が降りることで乗組員たちの士気が下がり、救える艦も救えなくなってしまっては本末転倒だ。

 私は、サピエント大東砂海艦隊を預かる者として、本艦の沈没が確実となるまでは、この艦橋に残らなければならないのだよ」

 リッチを気遣うような素振りは見せず、あくまで職責を果たすためという態度でマスフィは言い切った。

 ここでリッチを気遣うように振る舞うことは、リッチのプライドをずたずたに傷付けるだけだ。


「解りました。

 長官がそうおっしゃるのであれば、私は艦をマーレイヤに帰すよう、最大限の努力を払い、義務を果たしましょう」

 見事な姿勢で敬礼し、リッチは将官艦橋を出ると、また対空管制室へとあがっていった。



「彼らは、来るでしょうか?」

 首席参謀が誰にというわけではなく口にする。


「彼らは来ます。

 我々サピエント砂海軍の精神を学び、ヘイハ提督の後継者を自認するのであれば、彼らは来ます。

 何よりも、航空機が戦艦に優越することを証明するために、彼らは来ます」

 一切の迷いを見せず、航空参謀が答える。


「航空参謀、随分と楽しそうじゃないか?

 そういえば、君も航空主兵論者だったな。

 君の持論が証明されることを望んでいるようだね」

 穏やかな笑みを浮かべ、マスフィが航空参謀をからかうように言った。


「はい。

 私の持論が証明されるかどうかの瀬戸際です。

 ですが、今だけは、私が間違っていることを望みますよ」

 不敵な笑いを浮かべ、航空参謀が答え、将官艦橋に笑いが弾けた。


「第二波空襲!

 敵編隊、針路一八〇度!」

 艦橋トップの見張り所から、見張り員の絶叫が響いてきた。




 一三時二〇分、第一波の空襲に参加できなかった第一航空部隊の雷装六型陸攻全機が、サピエント艦隊上空に殺到した。

 第一航空部隊第四中隊八機は、一直線に並んで『ビュエルヴァ』の左舷に突き進んでいく。

 苛烈な対空砲火が盛大に振る舞われ、第四中隊の各機は機体を左右に振って狙いを外そうとするが、『ビュエルヴァ』も大きく左に転舵し、六型陸攻の射点を外すべく砂海上に優美な航跡を刻んでいく。空襲第一波のときと同じく、左舷から襲い来るであろう砂雷に艦首を正対させ、被雷面積を少なくしようとする。防御力を犠牲にして機動性と速力を優先させた巡洋戦艦は、戦艦とは比べ物にならないほどの俊敏さで六型陸攻に艦首を向けていく。

 第四中隊の右端を飛んでいた第三小隊三番機が完全に射点を外され、『ビュエルヴァ』の右舷へと回りこんだ。


 双発の中型機とは思えない軽快な機動で針路を修正した第四中隊の八機は、不完全ではあるが左右両舷同時雷撃の態勢に入った。

 息を詰めるような緊迫感の中、各機のコクピットに機長の号令が響く。

 間髪を入れず胴体に吊るされていた砂雷が投下され、砂煙を巻き上げて『ビュエルヴァ』に突進する。

 第三小隊三番機は投雷後、『ビュエルヴァ』の艦尾を右舷から左舷へと掠めるように飛び去ろうとしたが、対空砲火に絡め取られ一瞬で爆砕される。

 ひと塊の炎が空中に湧き出し、魔鉱石の誘爆を引き起こした機体が、ばらばらになりながら砂面に向かって落ちていく。




「――!」

 サピエント艦隊の上空に辿り着いたアズファが、戦友の最期を目の当たりにして声にならない叫びを上げた。

 第四中隊の突撃に遅れて到着したため、ここからでは誰の機が撃墜されたかまではわからないが、間違いなく戦友が散った瞬間だった。


「仇……は……討って……」

「少尉、操縦もらいます!」

 地鳴りのような低い声がアズファの喉から漏れるが、それを掻き消すようにシューンが叫ぶ。

 操縦桿を握る手が震えているようでは、超低空での投雷など夢のまた夢だ。

 僅かな操縦の狂いで機体は砂面に叩き付けられる。そうなっては仇を討つどころか敵に利するだけでしかない。

 初陣で戦友の死を目の当たりにして、心の平衡を保てないアズファに操縦させておくわけにはいかない。

 シューンは咄嗟に操縦系統をアズファから奪い取っていた。


「シューンさん、何を!

 命令です!

 私に――」

「ダメだ、少尉!

 今のあんたでは砂海に突っ込むのがオチだ!

 見本を見せてやるから、今は黙って見てろ!」

 シューンがアズファの言葉を食いちぎり、見事に機動で機体を超低空へと導いていく。

 眼下に砂面が急速に迫り、アズファは思わず目を閉じる。


 悔しいが、戦友が撃墜されたことで冷静さを欠いていることを、アズファは気付かされた。

 操縦をシューンに奪われているにもかかわらず、咄嗟に操縦桿を力一杯引いてしまった。手はまだ震え続けている。視界が狭くなり、息が苦しい。激情と緊張が一気にアズファを襲い、冷静さを奪い去っていた。

 操縦桿から手を離すこともできず、アズファはコクピットの先を疾走する『ビュエルヴァ』を見つめていた。


「多分、四中隊のは全部外れだ!

 その分、俺たちの方に来てくれる。

 いくら巡戦が素早いったって、転舵しながら逆には逃げられめぇよ!」

 シューンが上げた雄叫びの先では、『ビュエルヴァ』が迫り来る砂雷をかわすべく、大きく左舷へと舵を切り続けている。

 第四中隊が放った左舷から七本、右舷から一本の砂雷は、昨夜の汚名返上に燃える第三中隊の前に『ビュエルヴァ』を追い込みつつあった。




「舵そのまま!

 大丈夫だ!

 あんな遠くでぶっ放した砂雷が当るもんか!

 かわしたら、今度は面舵一杯だ!

 見張り、砂雷の速度と針路報せ!」

 『ビュエルヴァ』艦長ディナン大佐の大声が将官艦橋に響く。


「左舷の砂雷、艦尾に抜けます!

 雷速、四〇ノット!」

「右舷の砂雷、平行してきます!

 雷速、四〇ノット!」

 見張りが快活な声で報告する。


 このまま取り舵を切り続ければ、左舷からの砂雷はすべて艦尾を抜けていく。

 右舷の砂雷とは平行しているが、砂雷の方が圧倒的に速いため、間もなく『ビュエルヴァ』を抜き去るはずだ。

 いかに戦艦より舵の効きが良いとは言っても、基準排砂量二万七六五〇トンの巨体が即針路を変更できるはずはない。ましてや全力で転舵している状況で逆舵を当てれば、下手をすれば舵自体が破損する。

 惰性である程度滑ることを考慮して、転舵の命令を下さなければならなかった。


「右舷見張り、砂雷が並んだら報告しろ!

 艦尾に追いついたときと、艦橋に並んだときだ!」

 ディナンは伝声管に怒鳴り込む。


「砂雷、艦尾に追いつきました!

 併走します!」

「舵戻せ!

 中央!

 左推進器、全力前進!

 右推進器、全力後進!」

 見張りの絶叫を受け、ディナンは航海長に変針を命令する。

 全力で回転していた右舷推進軸への動力が一旦切られ、逆向きの回転が加えられる。

 ディナンは左舷の砂雷をすり抜けさせ、右舷の砂雷が『ビュエルヴァ』を追い抜いた直後を狙って、右舷から迫り来る六型陸攻八機に艦首を正対させるつもりだった。

 

 新鋭戦艦の艦長ポストは魅力的だが、ディナンは長く乗り慣れた『ビュエルヴァ』を愛していた。

 厳しい訓練の結果、ディナンは『ビュエルヴァ』の癖を完全に掴み、自身の手足のように動かせるようになっている。

 部下将兵を鍛えるだけでなく、自身にも厳しい操艦訓練を課していた。


「右舷の砂雷、艦橋に並びます!」

「面舵一杯!

 両舷、全速前進!

 右舷対空戦闘!

 すべて叩き落してやれ!」

 推進器を逆回転させ、軽く面舵を切りつつ、砂雷が艦橋と並ぶタイミングで面舵を一杯に切れば、舵が効き始める頃には砂雷は『ビュエルヴァ』を追い抜いている。

 そして、その頃には左舷の砂雷も、艦尾をすり抜けているはずだった。


「左舷後部の砂雷、接近します!」

 見張りの絶叫に絶望の響きが加わった。

 全てが読みどおりいくとは限らない。

 それは覚悟の上だ。

 砂雷の回避は、賭けでもある。

 賭けに敗れたならば、艦尾を砂雷に抉られ、すぐ近くの砂海面をのた打ち回る『ラバナスタ』と同じ状況になるだけだ。


「対衝撃防御!」

 それだけを命じると、ディナンは右舷の六型陸攻を睨み据えた。

 当ったときはそれまでだ。

 だが、今は当らないことを前提に、右舷から迫り来る編隊への対処をしなければならない。

 しかし、仮にすべての砂雷を回避しきったとしても、右舷の編隊はもうすぐそこまで来ていた。

 間に合わないか。

 ディナンが口の中で小さく呟いたとき。


「左舷の砂雷、すべて艦尾を抜けました!」

「右舷の砂雷、本艦を抜きました!」

 歓喜の報告が左右両舷から上がり、将官艦橋に歓声が上がる。


 ディナンがマイクを取り、高声放送で砂雷回避を全艦に伝えようとした瞬間、右舷から見張りの絶望的な絶叫が湧き上がった。

「右舷の敵編隊、砂雷投下!」


「発『ビュエルヴァ』、宛関連友軍全艦艇。我敵機の雷撃を受けつつあり、至急空軍の援助を乞う、位置一四三NYTW二二X〇九!

 急げ!」

 ディナンが伝声管に怒鳴り込む。

 ここまで艦隊の位置を知られまいと魔通を封鎖していたが、戦闘突入後もマスフィから解除の命令が下されることはなく、すべての艦が律儀にそれを守っていた。

 だが、これ以上敵機が増えては『ラバナスタ』や『ビュエルヴァ』が撃沈されることはないにせよ、甚大な被害を受けかねない。今のところ敵機は補助艦艇に目もくれず、主力二艦に突撃してきているが、もし矛先を変えられたら防御装甲の薄い駆逐艦など砂雷一発で轟沈してしまう。

 主力二艦が重大な被害を受け、補助艦艇を沈められてはマーレイヤの防衛など夢のまた夢だ。

 ディナンは独断で魔通封鎖を破ったのだった。




「逃げろ!

 少尉、後は任せますぜ!

 練習だ!」

 投雷後、『ビュエルヴァ』の艦橋直上をフライパスしながら、シューンは操縦をアズファに戻した。


「砂雷は!?」

 操縦桿を力一杯引きながら、アズファは首を捻り自分の機が放った砂雷の行方を見ようとする。

 強烈なGが身体を締め付け、腕は鉛のように重くなるが、アズファは砂雷が気になって仕方がない。


「余計なことを考えるな!

 今は逃げることだけ考えろ!

 砂雷なんざ、見張りに任せとけ!」

 シューンがアズファを怒鳴りつける。

 下士官が新米とはいえ少尉を怒鳴りつけるなど、決して許される振る舞いではない。

 だが、このときふたりは師弟の関係に戻っていた。


「砂雷命中!

 砂柱を二本確認!」

 見張りの声が響き、一瞬機内に歓喜の輪が広がった。


「喜んでるんじゃねぇ!

 喜ぶのは基地に帰ってからだ!」

 シューンの怒鳴り声に喜色は一気に打ち消され、眦を決してアズファは蒼穹を見据えなおす。

 高度四〇〇〇メートルまで一気に駆け上がり、アズファは『ビュエルヴァ』を見下ろした。

 眼下には、右舷の二ヶ所から黒煙を上げながら、砂上をのたうつ巨艦の姿が見える。


「二本じゃ撃沈までは無理か。

 残念だけど、あとは第三航空部隊に任せましょう。

 一型陸攻の晴れ舞台だ」

 シューンがいつもの調子に戻りアズファに声をかけるが、アズファに答える余裕はない。

 対空砲火から逃げ切り、あとは基地に戻るだけとなった今、改めて恐怖が湧き上がっている。


「少尉、しっかりしてください。

 まだ、これから何度もやらなきゃいけないんです。

 ほら、帰りますよ」

 歯を鳴らして震えながら涙を止められないアズファに、シューンが少しだけ易しい口調で言う。


 焦点の定まらない目で頷いたアズファが、機首を北へ向けた。

 今は戦場特有の高揚感に包まれているが、いずれ戦友の死を思い返し激情が襲ってくるはずだ。戦争である以上、どこで戦死するかわからない。すでに覚悟を決めていたはずだが、訓練と実戦は違うことを思い知らされた。僅かでもタイミングが狂っていれば、撃墜されたのはアズファ機だったかもしれないし、アズファが操縦していたら砂海に突っ込んで無駄死にになっていたかもしれない。

 撃墜された機体は、一機だけ『ビュエルヴァ』の艦尾を右舷から抜けようとしていた。

 あの位置は、第四中隊第三小隊の三番機だったように見えた。

 機体番号から見るに、おそらく若いパイロットだったのだろう。アズファや若い見張りたちと、同期かそれほど年が離れていないものである可能性はかなり高い。

 誰が撃墜されたかは基地に戻れば判明するが、それを聞いたときに正気を保っていられるか、シューンにはそれが心配だった。




「右舷中央の砂雷当ります!」

 見張りの悲鳴が響き、直後大音響と共に『ビュエルヴァ』の巨体が痙攣するように震え、メインマストを遥かに越える砂柱が右舷中央部と後部に相次いでそそり立つ。

 『ビュエルヴァ』は一瞬砂面から飛び上がったように見えるほどの衝撃を受け、面舵を切ったまま行き足が急激に鈍り始める。

 命中個所に近い機銃座の兵たちが、崩れ落ちてきた砂柱に巻き込まれ、一瞬で何人も艦上から姿を消した。砂雷の命中角度が浅く、バルジを突き破っただけで分厚いバイタルパートを撃ち抜くには至らなかったが、大量の砂は『ビュエルヴァ』の艦内を確実に侵していった。


「左舷に注砂!

 傾斜を食い止めろ。

 航海長、とにかく走れ!

 転舵しながらだ!

 副長、被害状況報せ!

 大至急だ!

 魔通班、どこかから返答はないか!?

 もし、長官が文句を言ってきても無視しろ!」

 砂雷命中の衝撃から立ち直ったディナン艦長が、伝声管に怒鳴り込み、艦内通話の受話器を取り叫んでいる。

 幸い弾薬庫の誘爆のような致命的な被害は生じていないが、『ビュエルヴァ』が深手を負ったことは間違いない。戦艦に比べ巡洋戦艦の装甲は薄く艦も細長いため、バルジにそれほど余裕があるわけではない。これ以上砂雷を叩き込まれたら侵砂量に耐えきれず、さすがに沈没しかねなかい。


 ダメージコントロールチームが補修材を抱え、必死の形相で被雷個所に駆けつける。

 だが、雪崩れ込んでくる砂の勢いは隔壁の扉を打ち破り、ダメコンチームを飲み込んでいく。至近弾の炸裂と、転舵を繰り返す艦の機動は砂圧の増大を招き、ダメコンチームの奮闘を嘲笑うかのように侵砂量は増える一方だった。

 侵砂に埋め尽くされた隔壁の扉を太い角材で補強していた班長が、扉を通して響きいてくる戦友の断末魔に混じって不気味な軋みを聞いた。

 重い衝撃音が艦底から伝わった瞬間、扉のビスが弾け飛び、砂が隙間から吹き出してきた。


「ダメだ!

 全員退避!

 早く逃げろ!」

 扉が砂圧にぶち抜かれる前に班員を逃がさなければ危険と判断し、班長は工具を放り出して背後の扉に飛び込んだ。

 後から班員が着いてくることを確認する余裕もなく、いくつかの隔壁を駆け抜ける。

 背後から扉がぶち破られる破壊音と大量の砂が雪崩れ込む轟音が響き、逃げ遅れた班員の悲鳴が食いちぎられる。

 扉の向こうにまだ数人が残っているにもかかわらず、班長は必死の形相で扉を閉めた。

 心の中で取り残された班員に十字を切り、溢れる涙を堪えようともせず渾身の力で扉をロックする。


「溶接しろ!

 補強材を持って来い!

 ここをぶち抜かれたら沈むぞ!」

 鬼の形相で班長は叫ぶが、仲間を見捨てきれない班員は動くことができずにいた。


「班長、何を!?

 まだ扉の向こうに――」

「速くしろ!

 俺だって……俺だって、こんなことはしたくないんだ!

 だけどこの艦を沈めるわけにはいかねぇ!

 速く!

 速く!

 速くしろっ!」

 班長は血の涙を流しながら、縋り付いて来た班員を殴り飛ばし、自らが締め切った扉に拳を渾身の力で叩き付ける。

 許してくれ。

 艦を救うにはこうするしかなかったんだ。

 でも、誤ろうにもお前たちは天国、俺は地獄だ。

 俺が地獄で責められる様を、お前たちは天国から嘲笑っていてくれ。

 班長が心の中で呟いたとき、砂圧に耐えかねた扉が弾け飛んだ。

 もう一度逃げろの形に口を開けたままの班長を飲み込んだ砂は、驚愕と恐怖に表情を染め上げた班員たちをなぎ倒し、隔壁内を埋め尽くしていった。 

 


「第三波、接近します!」

 絶望的な見張りの報告が届いた。


「諦めるな、まだ俺たちは負けたわけじゃない!

 両舷、対空戦闘!

 一機たりとも生かして返すな!

 射撃開始!」

 サピエント大東砂海艦隊のすべての艦上に同じ命令が響く。


 攻撃隊から見過ごされた形になった駆逐艦の艦上では、兵たちが憤怒の表情で機銃を撃ち続けている。

 これ以上、一発たりとも投弾投雷させるものか。

 俺たちの誇りをこれ以上傷付けさせてたまるものか。

 視線が熱を持つならば、ソルの機体は一機残さず炎に包まれるのではないか。そう思わせる気迫だった。


 もちろん、深手を負ったからといって、『ラバナスタ』も『ビュエルヴァ』も戦闘を放棄してなどいない。

 舷側を朱に染め上げ、射撃可能な砲すべてを振りかざし、突入してくるソルの機体に射弾の雨を降らせている。

 だが、艦の傾斜は刻々と増大し、正確な照準ばかりでなく、射撃能力そのものを奪い去っていく。





 一三時四六分、バラバ空軍が展開するマーレイヤ第五飛行場は大混乱に陥っていた。

 ソルの空襲を受けたわけでも、空襲が迫っているわけでもない。

 だが、滑走路に戦闘機が敷き並べられ、エンジンの暖機運転が続けられている。

 飛行場の隅に建てられた掘っ立て小屋のような司令部のでは、一二人のパイロットたちが緊張を隠せない顔で整列している。

 二日前に勇躍マーレイヤ軍港を出航していったサピエント大東砂海艦隊は、今頃はソルの輸送船団と護衛艦隊を蹴散らしていると思っていた。ここにいる全員が、例外なくそう信じていた。それにしては勝利を高らかに謳い上げる魔通が来ないと訝しむ者が出始めたとき、飛び込んできたのがディナン『ビュエルヴァ』艦長からの救援依頼だ。その後には被害状況を継げる魔通が、悲鳴のような勢いで何通も飛び込んでくる。

 一〇分後、バラバ空軍マーレイヤ派遣戦闘機隊第四五三中隊の一二機は、後ろから蹴り飛ばされるような勢いで蒼穹へと駆け上がっていった。


「畜生、間に合ってくれ。

 今出せる戦闘機はこれしかないんだ。

 あっちが戦闘機を出してないならこれでも充分なはずだ。

 間に合ってくれ」

 司令部の窓から戦闘機隊を見送りながら司令官が、戦闘機隊の先頭を飛行しながら第四五三中隊の中隊長が、ほぼ同時に同じことを呟いていた。




 一三時五〇分、第三航空部隊第一中隊雷装一型陸攻四機、第二中隊三機が『ラバナスタ』に突入してきた。

 既に行動の自由と射撃能力の大半を奪われた『ラバナスタ』に、単艦で敵機を排除するだけの力は残されていない。護衛の駆逐艦が身を挺して一型陸攻と『ラバナスタ』の間に割り込むが、一型陸攻は軽快な機動で駆逐艦の側をすり抜けていく。

 駆逐艦もただで通すつもりはなく、追い縋るように射撃を続行するが、一型陸攻の動きを追尾できない。その上、いつまでも射撃を続けていては、『ラバナスタ』に射弾が命中しかねなかった。

 歯軋りをして悔しがる駆逐艦長を尻目に、七機の一型陸攻は『ラバナスタ』に雷撃を敢行した。


 投雷を終えた一型陸攻が『ラバナスタ』を飛び越えざまに機銃掃射を加えていく。

 『ラバナスタ』の艦上に火花が飛び散り、鋼材が引きちぎられ、遮蔽物のない機銃座の将兵がなぎ倒される。七機が一気に加える機銃掃射は、『ラバナスタ』の艦上構造物をひとしなみに飲み込んだ。


「長官!」

 将官艦橋の前を飛び抜けた一型陸攻の旋回機銃が、自身に向かって火を噴く瞬間をマスフィは見た気がした。

 咄嗟に航空参謀がマスフィに覆い被さり、その身で機銃弾を受け止める。短い呻きを残し、航空参謀の身体に機銃弾が食い込み、周辺機器を破壊した。


「航空参謀!」

 マスフィが崩れ落ちる航空参謀の身体を支え、将官艦橋の床に横たえた。


「長官、ご無事でしたか?」

 苦しそうな意識の中、航空参謀が問いかける。


「なんて真似をするんだ。

 こんな無能者の身代わりになるなど……

 君たちには、この戦訓を持ち帰り、今後に活かすという重要な使命があるというのに。

 時代の趨勢を読み違え、古い考えに固執する無能者こそ、新しい兵器に打ち倒されるべきだったのだ」

 マスフィがそこまで言ったとき、ほぼ同時に右舷の艦腹に砂雷が四本命中した。


 『ラバナスタ』の全身を衝撃が貫き、砂雷の炸裂音と金属的な破壊音が同時に轟いた。

 惰性で直進を続けていた『ラバナスタ』の行き足が、砂雷命中の直後からみるみる衰える。

 やがて、黒煙を吹き上げながら『ラバナスタ』は完全に停止し、左舷への傾斜を深めていった。



 『ラバナスタ』から西に五キロ離れた砂海面では、『ビュエルヴァ』が完全に沈黙していた。

 対空機銃や高角砲、ポムポム銃は天を睨みすえているが、それが火を噴く気配はまったくない。

 数分前に、三航空部隊第一中隊五機、第二中隊六機、第三中隊九機が、動きが鈍くなった『ビュエルヴァ』に襲い掛かり、左右舷に計五本砂雷を命中させていた。

 既に二本の砂雷を受け、大量の侵砂を艦内に飲み込んでいた『ビュエルヴァ』は、一型陸攻が放った砂雷を解することはできなかった。機械室や発電機室の大半を使用不能に陥れられ、ダメコンチームの大半が戦死した状況では、侵砂を食い止めることも艦の傾斜を回復させることも不可能だ。

 轟音と共に艦内を侵す砂に、取り残された機関兵や身動きのかなわない負傷者が飲み込まれ、艦内区画をひとつ、またひとつと砂が埋めていく。

 既に退艦命令が下されたのか、砂雷によってこじ開けられた破口から離れた位置にカッターの残骸や甲板の破片といった木材が放り投げられている。救命胴衣を膨らませた将兵が舷側から身を躍らせ、少しでも浮力のある物に取り縋ろうと必死の形相で砂を掻く。


 上空にはまだ一型陸攻や、戦況を確認するためにこの空域に残ったケッティの六型陸攻が飛行を続けている。

 そればかりではなく、爆装した一型陸攻も突入の機会を窺っている状況だ。

 だが、沈み行く『ビュエルヴァ』にそれ以上の攻撃を加える機体は一機もなく、救助を求める将兵に機銃掃射をかける機体もなかった。これ以上攻撃することは爆弾や機銃弾の無駄と考えているのか、それとも敢闘した勇者を必要以上に殺すことは忍びないと考えているのか、砂面をのたうつサピエント将兵に解るはずもない。今はとにかく『ビュエルヴァ』から少しでも離れ、沈没の際に発生する渦の巻き込まれないようにすることが先決だ。

 駆逐艦が救助に向かっているが、『ビュエルヴァ』の転覆に伴う主砲弾の誘爆に巻き込まれることを恐れてか、一定の距離以上には近付いてこない。

 砂面上の将兵は、自力で駆逐艦まで辿り着かなければならなかった。

 その状態で、敵機が攻撃を仕掛けてこないならそれに越したことはない。

 敵の心情など、嘆息する余裕は『ビュエルヴァ』の乗組員には欠片もなかった。


 だが、次の瞬間、一機の一型陸攻が駆逐艦に五〇〇キロ爆弾を投下する。

 駆逐艦は事前に投弾を予期していたのか、舵を切り、一型陸攻の下に潜るように針路を変えた。甲高い落下音を響かせ、五〇〇キロ爆弾が駆逐艦に向かって落下していく。砂面上の将兵が固唾を呑んで見守る中、五〇〇キロ爆弾は砂面を抉り、盛大な砂柱を上げた。

 砂を通して重い衝撃が将兵に伝わるが、それで死傷者が出ることもなく、駆逐艦が被害を受けることもなかった。

 将兵たちは、声の限り上空の一型陸攻に罵声を浴びせ続けている。

 そこへ、悲痛な叫びが上がった。


「沈む!

『ビュエルヴァ』が!

 俺たちの『ビュエルヴァ』が沈んじまう!」

 ほとんどすべての将兵が『ビュエルヴァ』の方に向き直り、それぞれができる最大限の努力を払って沈み行く艦に敬礼した。

 沈没に際して発生する渦が将兵を飲み込み、砂海底への道連れにするが、ほぼ水平を保ったまま『ビュエルヴァ』は艦尾から沈んでいく。転覆し、弾薬庫の主砲弾を誘爆させて将兵の巻き添えが増えることを防ぐような、無機物の塊であるはずの艦に意志があるかのような最後だった。

 一四時三分、世界で最も優美な艦影を持つと賞賛されたサピエント砂海軍巡洋戦艦『ビュエルヴァ』は、本国から遠く離れた西部大東砂海で長い艦歴の終焉を迎えた。




「『ビュエルヴァ』沈没!」

 生存者の救助に向かった駆逐艦から、『ラバナスタ』に報告が届く。

 『ラバナスタ』は、『ビュエルヴァ』が沈んだ後も、頑強に沈没することを拒んでいた。


「おのれ、我が半身をよくも……」

 呪詛にも似た低い地鳴りのような声がマスフィの口から漏れる。

 戦いに敗れたことは自覚しているが、それでも感情は納得などしていない。


 上空を乱舞する一型陸攻と六型陸攻をマスフィが睨みすえたとき、第一航空部隊の爆装六型陸攻八機が『ラバナスタ』に五〇〇キロ爆弾を投下した。

 既に行き足を止められた『ラバナスタ』に、これを回避する力はない。艦の周囲に砂柱がそそり立ち、六本まで数えたときに艦尾の方から大きな衝撃が立て続けに二度伝わってきた。

 将官艦橋からは見えないが、艦の後部に爆弾が直撃したようだ。今更何を壊されたからといって、艦の修理を気にするような状況ではないが、マスフィには命中個所周辺に配置された将兵の安否が気になっていた。


 高度三〇〇〇から投下された五〇〇キロ爆弾は、艦尾に一弾命中し、そこを無秩序な鋼材の堆積場に作り変えた。

 もう一発の五〇〇キロ爆弾は、船体中央部の飛行機甲板のすぐ脇に落下した。最上甲板を貫通し内部で炸裂したため、飛行甲板は全体が盛り上がるほどの損傷を受けてしまった。爆風が艦内を駆け抜け、即席の救護室に設えられていた通称『シネマデッキ』に収容されていた負傷兵を飲み込み、瀕死の重傷を負っていた将兵にとどめを刺していく。

 通常であれば慰安会の際には映画を上映や、慰問の芸人や歌手のステージに使われていた『シネマデッキ』は、本来の使い道とはまったく別の凄惨な空間に変貌してしまった。


「艦長、ここへ降りてきてくれんかね?」

 マスフィが伝声管を通してリッチを呼ぶ。


「いかがなさいました?」

 待つほどもなく、リッチが対空管制室から降りてきた。


「この戦いは、我々の負けだ。

 こうなったらひとりでも多くの将兵を救うべく努力を払おうじゃないか。

 駆逐艦を呼んでくれ。

 乗組員を移乗させるんだ」

 落ち着いた声でマスフィは命じた。


 通信参謀が伝令に駆逐艦を呼ぶように命じ、リッチが総員上甲板を命じる。

 どの顔も、敗残者の表情ではない。これからまだ生き延びるという、困難な戦いが待っている。敵との交戦に敗れたからといって、指揮官が落ち込んでいてイは助かる将兵も助けられなくなってしまう。


「諸君は、ここまでこの頭の固い年寄りを善く補佐してくれた。

 人生の終焉に当って、悔いのない戦いができたことを、わたしは砂海軍軍人として誇りに思う。

 諸君のような優秀な幕僚を得ることができたことも、私の誇りだ。

 これが最後の命令だ。

 何があっても諸君は生き延び、この戦訓を首相閣下にお伝えしろ」

 決然とした表情でマスフィは言った。


「長官、長官はどうされるのですか!?

 我々と一緒にご退艦ください!

 長官は、まだサピエント砂海軍に必要な人材です!」

「『ラバナスタ』は、小官が責任を持ってお預かりいたします!

 ですから、長官は司令部の方々と共に、ご退艦ください!」

 参謀たちやリッチがマスフィの真意を悟り、必死に翻意を促すが、マスフィは穏やかに首を横に振るだけだ。


 駆逐艦の一隻が『ラバナスタ』の右舷に接舷し、乗組員の移乗が始まった。

 『ラバナスタ』の傾斜は刻々と増大し、沈没までもう間がないことを知らせている。

 だが、将兵たちは我先にと争う素振りはまったく見せず、負傷者から順番に駆逐艦への移乗を続けていた。

 上空にはソルの機体がまだ残っているが、『ビュエルヴァ』沈没の際と同じように『ラバナスタ』に攻撃を加えることなく、状況を見守っているかのようだった。

 やがて、将兵の移乗が完了し、あとは司令部を残すのみとなった。


「長官、どうか、どうか我々とご同行ください。

 長官を残して、どうして我々だけ退艦できましょうか。

 一度くらい戦いに敗れたからといって、復仇の機会がなくなるわけではありません。

 ソルやメディエータには、『臥薪嘗胆』という言葉があると聞き及びます。

 いまこそ、その言葉通りなのではありませんか?」

「長官はこの戦訓を活かす義務があると私は考えます。

 女王陛下に顔向けができないなど、どれほどのことでしょう。

 今一度、長官には大東砂海艦隊を率いていただき、私の仇を討っていただきたいのです」

 血を吐くように参謀たちとリッチがマスフィを説得し続けている。


「諸君の心遣いは、何よりもありがたい。

 だが、あえて言わせてもらおう。

 ノー、サンキュー、と」

 一切の迷いを見せず、マスフィは言い切って口を閉ざす。


「では、我々もお供いたします。

 長官を見捨てて帰ったなど、それこそ誰にも顔向けができません!」

 首席参謀がそう言ったとき、マスフィの大喝が将官艦橋に響き渡った。


「許さん!

 貴官は何を思い違いをしているんだ!

 私は命令したはずだ!

 諸君は何があっても生き延びろと!

 早くしないと、『ラバナスタ』の沈没に駆逐艦が巻き込まれる。

 せっかく助けた命を無駄にしないでくれたまえ。

 諸官が今回の戦訓を活かし、ソルを叩きのめしてくれることを、私は何よりも望む。

 以上だ。

 行け」

 マスフィの剣幕に首席参謀が仰け反った。

 マスフィはすぐに口調をいつもの穏やかなものに直し、諭すように言うと席を立ち、見事な姿勢で敬礼した。


「長官……っ!」

 首席参謀が涙ながらに敬礼し、それにすべての参謀が続く。

 後ろ髪を引かれながらもすべての参謀たちが艦橋を降りたことを確認したマスフィとリッチは、将官艦橋から『ラバナスタ』の全部主砲塔を眺めながら佇んでいた。


「長官、本当によろしかったのですか?

 私としては、まだご退艦いただきたく思っておりますが」

 リッチは主砲塔から視線を外さず言った。


「この砲に活躍させてやりたかったな、艦長」

 マスフィも主砲塔から視線を外すことなく答えた。


「まだこんなことを考えているんだよ、私は。

 これじゃあ、生きて帰っても皆の足を引っ張るだけだ。

 艦長には、付き合せてしまって悪かったね」

 真意を測りかねていたリッチにそう言うと、マスフィはリッチに向き直り、右手を差し出した。


「こちらこそ。

 未熟な操艦で『ラバナスタ』を沈めることになってしまい、申し訳なさで一杯です。

 こんな下手くそが生き延びても、また艦を沈めるだけでしょう」

 リッチはマスフィの右手を握り締めた。


「では、私は少し休憩するよ。

 昨夜からまともに休息を取っていないのでね。

 艦長と午後のお茶でもと思ったが、それもままならないほど疲れてしまった。

 済まないが、しばらく私をひとりにしておいてくれたまえ」

 マスフィはその姿を満足気にリッチの手を握り返す。

 そして、将官艦橋を出て長官休憩室に入り、内側から鍵を閉めた。


「どうぞ、ごゆっくり。

 お茶はいずれ、またの機会にお願いいたします」

 見事な姿勢でマスフィの背中を見送ったリッチは、同様に艦長休憩室に入ると拳銃を取り出した。


 一四時五〇分、『ラバナスタ』左へ転覆し艦尾から沈没した。

 その直後から駆逐艦の生存者救助という戦いが繰り広げられ、『ラバナスタ』の乗員一六一二名中、一二八五名が救助された。



 『ラバナスタ』が沈んでから間もなく、バラバ第四五三飛行隊の戦闘機が戦場に到着した。

 一二機が出撃していたが、エンジンの不調から一機が引き返し、一一機の戦闘機が生き残った駆逐艦の上空直掩を開始した。


「今頃着やがって、何のつもりだ!」

「さっさとソルの攻撃機を落としてこい!」

「ここにいたって、もうソルのサルどもは逃げちまったんだ!

 この役立たず!」

 あらん限りの罵声がバラバの戦闘機隊に叩き付けられるが、もちろんそれがパイロットに届くはずもない。

 駆逐艦上で拳を振り上げて振り回し、何かを叫んでいる様は、まるで待ち望んでいた救援を歓迎しているかのようにも見えていた。


 やがて、『ビュエルヴァ』の乗組員を救助し終えた駆逐艦が、『ラバナスタ』の乗組員を乗せた駆逐艦と合流し、マーレイヤへと針路を変える。

 一一機の戦闘機は、ソルの機体を一機たりとも近づけさせまいと、尖った空気を辺りに振り撒きながら駆逐艦に追随し始めた。




 日没も近い一九時二〇分。

 第二航空部隊の滑走路は煌々とした照明が焚かれ、将兵たちの喧騒に包まれている。

 やがて、南の空に小さな影が見え、それがみるみるうちに大きくなり、六型陸攻の姿を現していく。

 司令以下幕僚たちや将兵の歓声が上がり、サピエント大東砂海艦隊発見の殊勲を挙げたケッティ機の帰還を歓迎した。

 ケッティは、サピエント艦隊発見から『ラバナスタ』『ビュエルヴァ』撃沈までその空域に留まり続け、二艦の沈没とサピエント艦隊の撤退を見届けて帰路に着いたのだった。


 少しだけよろめくような機動でケッティ機が着陸した瞬間、基地はまた完成の渦に包まれた。

 一度滑走路に停止し、駐機場に機体を移動させようと地上を走り始めた数秒後、ケッティの機体は燃料が切れ、その場に停止した。

 担架を抱えた救護兵だけでなく、手隙の将兵全員がケッティ機に向かって走り出す。燃料を限界まで使うほどの飛行は、パイロットの体力と魔力を極限まで追い詰め、脱水症状を熾していてもおかしくない状況だ。一刻も早く機体から引きずり出し、水分を補給させなければ命に関わる。

 救護兵が機体に取り付いたとき、扉が内側から開かれ、誇らしげな表情のケッティが顔を覗かせた。




 一二月一三日、一〇時三〇分。

 一機の六型陸攻が、『ラバナスタ』と『ビュエルヴァ』が沈没した砂海域を目指して飛行を続けている。

 三日前の砂海戦は、世界に衝撃を与えていた。

 長らく論争の種であった『戦闘行動中の戦艦を航空攻撃で沈めることは可能か否か』に答えが出たのだ。それも戦艦一隻と巡洋戦艦一隻が沈没したのに対し、攻撃側は陸上攻撃機の未帰還三、その他帰投時に不時着大破した陸攻一というごく僅かな被害でしかない完全勝利だ。

 一方的な戦いといってもよい結果だが、サピエント艦隊の戦意が乏しかったというわけではないことは、その場にいた両軍の将兵すべてが知っていた。

 ひとつ間違えれば、戦場に散ったのは自分だったということを、誰もが理解している。


「もうすぐですよ、少尉」

 順調に飛行を続ける六型陸攻の操縦席で、シューンがアズファに怒鳴った。

 エンジンの爆音が機内を満たしているため、すぐ横であっても怒鳴らなければ声は聞こえないからだ。


「はい。

 では、操縦をお願いします」

 そう言うとアズファは操縦系統をシューンに切り替え、席を立って機体の後部へと移動する。


「了解!

 落っこちたりしないでくださいよ。

 見張り員、命綱をしっかりしておけ!」

 シューンは機体を安定した機動で超低空に導き、後ろを振り向くことなく見張りに命じる。


 快活な復唱が返され、機体の扉が開けられる。

 風が渦を巻いて機内に吹き込むが、シューンは僅かにぶれさせることもなく機体を操っていた。


「この辺りよね。

 じゃあ、それをちょうだい」

 魔通員が両手一杯の花束を抱え、アズファの後ろに立った。

 

 それを受け取ったアズファは、『ラバナスタ』の沈没した砂海面に花束を投げた。

 風が花束を吹き散らし、砂海上に色とりどりの花が撒かれる。

 扉を閉めたアズファは操縦席に戻るとしばし瞑目し、艦と運命を共にした将兵の魂に敬意を表する。

 機体が上昇し、水平飛行に移りアズファが目を開けると、操縦桿を握ったまま、シューンはまだ黙祷を捧げていた。


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