表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/31

第24話 喜怒

 「何だって!?」

 大統領官邸の書斎に、オリザニア協和国大統領ローザファシスカの声が響いた。

 ちょうど昼時であり、側近と昼食を摂っている最中にかかってきた、大統領直通魔道通話の受話器に向かって、ローザファシスカは信じられないという表情になっていた。


「本当です。

 報告を読み上げます」

 受話器の向こう側から砂海軍長官の震えたような声が届く。

 砂海軍長官自身、未だにハトーから上げられてきた報告を信じられなかった。いや、信じたくなかったのだった。


『ハトー泊地空襲さる。これは演習ではない』

 このひと言が意味することはただひとつ。

 ソルがオリザニアに向かって戦端を開いたのだ。

 砂海軍長官は、作戦本部長から届けられた報告に、弾薬庫が誘爆した戦艦『バフスク』の首脳陣同様の衝撃を受けていた。もっとも、誘爆の衝撃で戦闘指揮所の天井まで跳ね上げられ、分厚い鉄板に頭蓋骨を打ち砕かれて即死した『バフスク』の艦長よりは、生きているというだけでも遥かにマシな衝撃ではあったが。


「何かの間違いではないのか?

 もしかして、ネグリットの間違いじゃないのか?」

 砂海軍長官は、まだ信じられないという表情で作戦本部長に問い返した。


「私も間違いだと思いたいのですが、間違いなく攻撃されたのはハトー泊地です」

 作戦本部長の声を最後まで聞かず、砂海軍長官は大統領直通の魔通受話器を取り上げていた。



 砂海軍長官からの報告を受けたローザファシスカと側近は、しばらくの間顔を見合わせていた。

「何かの間違いでしょう。

 ソルがハトーを攻撃などできるはずがありません。

 そんな莫迦なことが……」

 側近が顔を蒼ざめさせて言った。

 だが、ローザファシスカはこの報告を事実と認めざるを得なかった。

 砂海軍長官ともあろう者が、大統領に一杯食わせようとふざけた魔通をよこすなど、どう考えても正気の沙汰ではない。砂海軍長官の震える声が、真実であることを物語っていた。


「この報告は、多分本当だろう。

 正式な宣戦布告もなくメディエータと開戦したソルがやりそうな、思いもよらないことだ。

 彼らは、大東砂海の平和について論じ合っているまさにそのとき、平和を叩き壊すこんな大作戦を練っていたことになる」

 そう言いながら、ローザファシスカは沸々と怒りが湧きあがってきていた。




 ハトーから西に二〇〇海里の砂海上の第八任務部隊旗艦を務める空母『リュカーン』の長官公室で、司令長官ハージィ中将はハトー空襲の報告に怒り狂っていた。

 コーセキオアシスへの航空機輸送任務からの帰り道、ハトー空襲の報告を受ける八時間ほど前に、ハージィは前方哨戒を兼ねて十八機の急降下爆撃機をハトーへ先行させていた。

 その機体を見送った後、ハージィはシャワーを浴び、丁寧に髭を剃り、雑多な報告を受けたあと、副官と一緒に朝食を摂った。そして、食後の二杯目となるコーヒーに口をつけようとしたまさにそのとき、司令長官公室の魔通が鳴り、副官は受話器を取った。


「長官、ハトーが空襲を受けたとの無線魔通を、当直将校が受信しました」

 受話器を置くなり、副官は震えで途切れそうな声を何とか絞り出した。


「畜生、ハトーの薄らボケども!

 味方撃ちをやりやがったな!」

 コーヒーカップを叩き付けるように置き、ハージィは副官が飛び上がるほどの大声で怒鳴った。

 送り出した十八機を敵機と間違え、ハトーの防空砲台が発砲したのだと彼は咄嗟に思っていた。ハトーが他国から空襲を受けるなど、彼はこのとき想像すらしていなかったのだった。


「メルイィの大莫迦野郎!

 それは味方の艦爆だ!

 俺の大事な部下たちだと、メルイィの莫迦野郎に言ってやれ!」

 ハージィがさらに怒鳴ったとき、通信参謀が長官公室のドアを蹴破らんかの勢いで入室し、ハージィに魔通の綴りを渡した。


『ハトー空襲さる。これは演習ではない』

 さっと目を通したハージィは、文字通り怒髪天を衝いた。


「全艦第一戦闘配置!

 畜生!

 この辺りに敵の空母がいるはずだ!

 探し出して護衛を含めて一隻残らず砂葬にしてやれ!

 畜生!

 汚い奴らめ!

 和平の交渉をしていながら、薄ら汚い謀略を!

 正々堂々たる宣戦布告もせずに、戦争を吹っ掛ける卑怯者め!

 畜生!

 敵は、ソルだ!」

 ハージィは参謀たちに怒鳴りつけるや否や、艦橋へと走り出す。

 ついさっきまでソルの艦船を見たら、宣戦布告など関係なく沈めてしまえと命令していたことは棚に上げ、ハージィは怒り狂っていた。

 

 このとき、怒りを燃え上がらせたハージィとローザファシスカは、オリザニアでも特異な存在だった。

 多くの人々は、大統領府が『ハトー空襲』発表したが、まともに取り上げるマスメディアはほとんどなかった。

 大統領ばかりでなく、政府首脳や軍の首脳であっても、ソルがハトー歩空襲することはおろか、空母でハトーまでやってくることすら不可能だと信じ込んでいた。政府や軍の首脳ですらそのような認識であったのだ。マスコミを含む一般の国民にしてみれば、ソルと戦争するなど想像の埒外だった。

 大統領府が発表した時間から、新聞が間に合わないのはともかく、魔道放送の全国放送でこの大ニュースを伝えた放送局は、たったの一局しかなかった。大手の放送局は、相も変わらず安息日のプログラムに従って、人気DJの音楽番組を流し続けていた。



「魔通受信!

 ト連装です!

 全軍突撃命令です!」

 西工廠沖に停泊するソル連合艦隊旗艦を努める戦艦『アーストロン』の作戦室に、ハトー攻撃の第一報が飛び込んできたのは午前四時に近かった。

 普段であれば礼儀正しく入室し、発現の許可を求めてから電文を読み上げるはずの司令部付通信士の若い中尉が、興奮に上ずった声で叫びながらドアを蹴り破るように勢いで飛び込んできた。

 司令部の参謀が受信紙を奪い取るようにひったくり、目を通すなりゴトムに向き直る。


「お聞きの通りです、長官。

 発信時刻、○三二五(まるさんふたご:午前三時二五分)!」

 連合艦隊司令長官ゴトム大将は、長官専用のイスに腰を下ろし、作戦発動の時刻から固く目を閉じ、一言も発してなかった。参謀の言葉に初めて目を開き、無言のまま大きく頷いた。


「今の報告は、飛行機の魔通を直接受信したものか?」

 ガツキ参謀長が、まだ作戦室入り口で立ち尽くす通信士に声をかけた。

 報告にあった○三二五はソル時間であり、ハトー時間で言えば午前七時五五分。

 当初予定されていた空襲開始五分前だ。

 それまで他の魔通が受信されていないことから、作戦は順調に進行していると判断できた。


「はい、直接受信です!」

 直立不動の姿勢を崩すことなく、通信士は答えた。


「直接受信とは、鮮やかなものだ」

 ガツキは喜色を満面に浮かべて言った。

 

 タンカン湾出航以来、魔通封鎖をしていたとはいえ、何の報せもなかった機動部隊だ。

 便りがないのは無事の証とは言うものの、報告を待つ身としては常に一抹の不安に苛まれていた。

 だが、この第一報は、司令部全員の不安を見事に吹き飛ばしていた。

 前触れもなく伝えられた全軍突撃命令は、そこまで何一つ妨害行動がなかったことを物語っている。つまり、最も困難と思われていた奇襲攻撃の成功を告げていた。

 そして、数分後に受信されたトラ連送『我奇襲ニ成功セリ』の魔通は、それを確信させていた。


 間を置かずにオリザニア軍の悲鳴とも取れる救助を求める魔通や、慌てふためいたような命令文、混乱の極にある被害報告が飛び込んでくる。


「戦艦一、撃沈確実」

「戦艦に砂雷命中の砂柱二本確認」

「重巡に爆弾命中確認」

 次々に入る戦果報告やオリザニア軍の被害報告に、先ほどまで重苦しい雰囲気に包まれていた作戦室は、一転して喜色満面の参謀たちが頷き合っている。

 ともすれば大歓声が上がってもおかしくない作戦室の空気を引き締めていたのは、大戦果を聞きつつも表情を一切変えることなく再び目を閉ざしたゴトムの佇まいだった。


「長官、やりました!

 機動部隊はハトー奇襲に成功し、オリザニア大東砂海艦隊を壊滅に陥れたんです!」

 ガツキが尊敬の眼差しとともにゴトムに祝辞を述べる。


「ハトーに空母はいなかった。

 空母を撃ち漏らしたのでは、ハトー攻撃の意味がない」

 怒りの色を顔に浮かべ、押し出すように言ったゴトムの鬼気迫る言葉に、ガツキは色を失った。


「確かに十一月最後の報告では、二隻の空母がハトーに在泊していました。

 ですが、十二月に入って最初の報告には、空母二隻出港とあるだけで、その行方までは報じられておりません。

 しかしながら、ハトーの戦艦部隊が壊滅し、ハトーそのものが基地機能を失った今、空母二隻程度がうろついていようと何ら脅威とはならないと判断してよろしいかと」

 航空参謀が楽観的な推測を口にする。


「君たちは、今何が起こっているのか理解しているのか!?

 ハトーの戦艦群は、何によって沈められたのか、君たちは理解しておらんのか!?」

 業を煮やしたゴトムの大喝が作戦室を震わせた。




 ソル軍の機体が飛び去ったハトー泊地では、オリザニア軍将兵の戦いがまだ続けられていた。

 瓦礫と化した建物や艦艇から、必死の形相で負傷者を救出する者たち。

 誘爆の危険と背中合わせに燃え続ける炎と、眦を決し戦い続ける者たち。 無残な遺体と化した同僚たちを、悲痛な表情で運び出す者たち。 命令と復唱が飛び交う中を行き来する者たちの表情は様々だが、すべての瞳は理不尽なソルの暴力に対する怒りが浮かんでいる。

 いずれもソルの軍隊と相対しているわけではないが、紛れもなくその作業に従事するものたちにとっては戦いだった。

 

 戦いを続ける者たちの耳に、基地の外れから弔砲の発射音が聞こえてきた。

 銃を上空に向かって放つ兵士の後ろには、悲痛な表情で将兵の一団が立ち並ぶ。その前には巨大な穴が掘られ、その中にはオリザニア国旗を掛けられた多数の棺が並んでいた。

 ソルによる卑怯な騙し討ちの犠牲となった将兵のうち、これまでに遺体が収容された者から順に葬儀が営まれている。

 丁寧に死化粧を施し、棺に納められた犠牲者たちは、オリザニア軍の英雄として扱われていた。

 卑怯な騙し討ちの犠牲者二三〇〇名に、オリザニアという国家は最大限の敬意を払う。卑怯な騙し討ちに立ち向かい、武運拙く命を失った者は、決して単純に敗北を喫したわけではない。からである。勇気を持って敵に立ち向ったのだ。後ろから撃たれていようと、それは逃亡しようとしたからではない。正々堂々たる戦いであれば、後ろから撃たれることも、正義を掲げて立ち向うオリザニア将兵が負けるはずがない。

 オリザニア将兵は、平和の握手を差し伸べるソルを信じた。

 だが、オリザニアが手を握り返そうとしていたとき、ソルは騙し討ちという卑怯な暴挙に出たのだった。


 日没が過ぎても将兵たちは照明を焚き、僅かでも可能性があれば生存者を求めて瓦礫を掻き分け、たとえ絶望的であろうと戦友の遺体を回収するため瓦礫の山と格闘を続けていた。

 そのような状況下で司令部は、誤報や情報の行き違いとも戦わなければならなかった。

 ソル兵がパラシュート降下を行い、ハトーの町に進撃しつつあるという報告は、司令部の全員に冷水をぶっかけていた。

 だが、座礁した特殊潜航艇や、不時着した機体から脱出したソル兵がいただけであり、それに尾ひれがついただけのことだった。


 もともとソル軍は、ハトーを占領する意思など持ってはいなかった。

 ソル本土からあまりにも遠すぎ、仮に占領できたとしても補給が追いつかない。騎兵軍の伝統である『糧は敵に求めよ』といっても、ハトーの備蓄を食い尽くせばそれまでだ。大規模な輸送船団が、ハトー以外にも多数あるオリザニアの哨戒網を掻い潜り、ハトーまで無事に辿り着けるとは誰も思わない。

 ソルが保有する艦船で、ハトーまで無補給で往復できるものはほとんどない。輸送船団に補給部隊をつけるという、まったく意味のないものになってしまうからだった。


 だが、卑怯な騙し討ちに打ちのめされ、混乱の極にあるオリザニア将兵たちに、冷静な思考力を維持している者はそれほど多くない。

 ソル軍パラシュート降下の噂は、燎原の炎のごとく、オリザニア軍だけでなく市街に住む人々の間に広がっていった。




 ハトーの兵士たちが憎しみを込めた視線でソルの機体を見送っていたとき、オリザニアの首都にある大統領官邸に数人の男たちが集まっていた。

 官邸の主であるローザファシスカを始めとした、オリザニア軍の騎兵砂海両長官、参謀長、作戦本部長といったトップたちだった。しかし、その場の雰囲気は、まるで親しい友人たちを招いた茶会か何かのような、和やかなものだ。

 既に参集から二〇分以上にわたり、ローザファシスカは隣のオアシスにある広大な塩湖に生息するエビの捕り方を得々と語っている。ハトーでは将兵が爆炎の中をのたうち回っているというのに、明らかに場違いな話題であり、表情だった。

 ハトー空襲の第一報を受けたときの怒りに満ちた表情は、すっかりと抜け落ちている。

 困惑の表情で軍のトップたちは大統領の話に相槌を打つが、誰ひとりとして話題を変えようとはしなかった。


「ソルは、私の望みを知っていたのかね?

 ハトー攻撃の立案者は誰だね?

 私は、共和国名誉勲章でも送りたい気分だよ」

 緒戦に大打撃を受けた軍の最高指揮官としては、あり得ない発言だ。

 ハトー攻撃は、オリザニア共和国の国力の象徴ともいえる戦艦を、ハトーに在泊していた八隻中四隻も撃沈破し、残る四隻にも少なからず被害を与えていた。小型艦艇や陸上施設、航空機の損害を加えたら、回復にどれほどの時間と経費が掛かるか、両軍の長官は今から頭が痛いほどだ。

 だが、居並ぶ諸官は、大統領の望みを知り抜いていた。


 ドラゴリーとベロクロン両大岩盤で行われている戦争への、世論の後押しを受けての参戦。

 ローザファシスカにとって、真の敵は大東砂海を挟んで対峙するソルではなかった。ドラゴリー大岩盤を席巻しつつある、アレマニアこそ、彼が真の敵と目する相手だった。

 自由と公平、そして正義を標榜するオリザニアにとって、アレマニアやウィトルスの掲げる国家社会主義や全体主義といった個人を抑圧し独裁者に国民を奉仕させるような国家は、不倶戴天の敵と言ってよい。ドラゴリーからの移民を祖先に持つ多くのオリザニア国民にとって、彼の地で行われている戦争は、父祖の地を踏み荒らす蛮行に写っていた。

 だが、先の大戦で犠牲に見合う利益を上げられなかったことが、大岩盤の両側を砂海に守られたオリザニアを孤立主義に走らせていた。他の大岩盤やオアシス群に資源を求めずとも、バキシム大岩盤が生み出す資源で充分に一国の経済はまかなえたことも、オリザニアをして不干渉主義を取らせることになっていた。


 しかし、一一年前にオリザニアを発端として全世界を巻き込んだ大恐慌の収束に全精力を傾注したローザファシスカは、一国孤立不干渉主義の限界を、誰よりもはっきりと認識していた。

 ドラゴリーとベロクロンに跨る覇権。これなくしてオリザニアの発展は望めず、発展がなければバックボーンがバラバラの移民国家は容易に分裂する。 しかし、両大岩盤に跨る覇権を築くため、オリザニア自らが侵略行為を行っては、自らが掲げる自由と平等、何よりも正義に反することになる。そのような政府を、国民は許さない。そして、大岩盤の戦争に介入しないことを公約に掲げ、オリザニア史上初の三選を果たした大統領が、自らの望みのために参戦することも、国民は許さない。

 ソルのハトー攻撃は、ローザファシスカの望みを叶えるために神が与え賜た恵みのようなものだった。


 しかし、多くの将兵がソルの攻撃に倒れ、多数の艦艇や航空機、軍事施設に被害を受けたことは、甘受できることではない。

 性能面から既に時代遅れとなりつつあった戦艦群も、戦術上は使い道がなくとも艦砲外交という戦略面や国威掲揚といった面ではまだまだ使い道のあるものだ。なによりも、経験を積んだ将兵は、工場に増産を命じれば作ることのできる兵器や施設と違い、一朝一夕にできるものではなく、多大な時間と経費が必要だ。さらに遺族の怒りは敵国だけでなく、死を防げなかった指導者にも叩き付けられてくる。

 鋼鉄の神経の持ち主あっても重圧と国民の悲嘆や非難に押し潰されかねない。


 騎兵砂海軍の長官であっても、ハトー攻撃の衝撃は大きい。

 ローザファシスカの意図は解っているとはいえ、国民からの非難を受けることは間違いない。だが、自ら非難から逃げることができなくとも、罷免や更迭といった形で表舞台から去ることができるだけ、大統領などとは比べものにならないほど楽な立場だ。国民すべてから指弾され、非難され、怨嗟の声を叩き付けられ、過去の栄光のすべてを剥ぎ取られ、後世の歴史家から無能と書き連ねられるよりは、遙かにマシだ。

 このような状況下で、平然としているローザファシスカは、国の発展を第一に考えている指導者であり、まさに超人といえた。


 会議の最中にもハトーからの被害状況は、刻々届けられていた。

 会議室に魔通がかかる度、ローザファシスカは自ら受話器を取り、報告を受けている。ハトーの被害は報告の度に酷くなっていったが、首脳陣がそれなりに落ち着いていられたのは、国民が開戦を支持することが確実になったという楽観もあるが、大統領の態度が大きく作用していた。

 そして、その楽観は、ハトー空襲の続報を聞き、怒りに満ちた国民がソル大使館に押し寄せたという報告を受けたことで、確信に変化していった。




「ローザファシスカ大統領は、ソル軍がハトーオアシスのオリザニア軍基地を空から攻撃したと、ただいま発表しました」

 サピエント王国の首都から北に七〇キロほど離れた首相別荘で、サピエント王国首相はふたりのオリザニア人と夕食のテーブルを囲んでいた。

 魔道放送受信機の魔鉱石真空管が暖まる間、雑音混じりに伝えられたニュースの内容は判然としないものがあったが、間違いなくソルがハトーで何かやらかしたことだけは間違いなかった。

 軍事援助のためサピエントを訪れていたオリザニア財界人と、駐サピエント大使のふたりは顔を見合わせ、そして首相に視線を向ける。

 年齢の割に愛嬌のある丸顔の首相は、きょとんとした顔を一瞬見せたが、すぐに引き締まった政治家の顔に戻っていた。


「首相閣下、まずは事実確認をなされた方がよろしくありませんか?」

 大使がぽつりと首相に進言すると、首相はゆっくりと立ち上がり、食堂を出て執務室に向かった。

 執務室に待機していた秘書官に対し、首相はローザファシスカに魔道通信を繋ぐように命令する。後からついてきていた大使は、首相が自国の政府に確認することなくいきなりローザファシスカに魔通をかけたことで、首相が何の疑いもなくこの重大なニュースを受け入れていたことに驚いていた。

 大使は、嬉しそうな顔で魔通の回路が繋がるのを待つ首相を、不思議そうな顔で眺めるしかなかった。


「大統領閣下、ソルが本当にハトーを攻撃したのでしょうか?」

「本当です、首相閣下。

 ソルは、ハトーで我々を攻撃しました。

 ……これで、我々は皆、同じ船に乗りました」

「よかった。

 事態はこれですべてにおいて単純になります。

 あなたのために、神のご加護を祈ります」


 夕食会を打ち切った首相は、葉巻とブランデーのひと時を楽しむと、その太った身体をベッドに横たえる。

 首相はベッドの中で、三〇年ほど前に駆け出しの政治家だった自分に当時の外相が『オリザニアは巨大なボイラーのようなものだ。一旦火が焚かれてしまえば、無限の力が作り出される』と言っていたことを思い返し、満ち足りた表情で夢の世界へと旅立って行った。




「臨時ニュースを申し上げます。

 臨時ニュースを申し上げます。

 大本営騎兵砂海軍部一二月八日午前六時発表。

 皇国騎兵砂海軍は、本八日未明、西大東砂海においてオリザニア、サピエント軍と戦闘状態に入れり」

 ソル時間一二月八日午前七時。

 ハトー時間午前〇時。

 漆黒の闇が世界を包んでいるが、そこここで照明が焚かれ、将兵の戦いが続けられていた頃。

 ソルでは日の出と共に行われる宮城遥拝後の慌しいひと時に、その魔道放送は突如として流れた。


 人々は、緊急放送を告げるチャイムに続いて淡々と流れた、僅か二五秒に満たない短い言葉の意味を、一瞬の間理解することができなかった。

 再びチャイムが鳴り放送の終了が告げられると、歓喜の爆発が巻き起こった。


 長くソルを苦しめたオリザニアとサピエントに、ついに鉄槌が下されるときがきたのだ。

 万歳の声が巻き起こる。

 家々の扉が荒々しく開け放たれ、夥しい人々が道に溢れかえった。

 誰彼となく肩を抱き合い、口々に打倒オリザニア、サピエントを叫ぶ。

 長いくびきが外され、ソルが自由へと羽ばたく第一歩と、多くの人々は認識していた。


 だが、中には彼我の国力を冷静に見極め、皇国の破滅を予感し戦慄した者も僅かではあるが存在した。

 しかし、そのようなことを口にすれば、たちどころに非国民呼ばわりされ、社会的に抹殺されかねない。いや、それで済めばまだいいともいえる。激昂した民衆に袋叩きにされ、その場で惨殺されかねない。

 詳細を報道されなくとも、ソル経済を締め上げ、日々の暮らしに不自由をきたす原因はメディエータとの戦争ばかりではないことを、人々は肌で感じていた。その主犯たるオリザニアとサピエント両国に天誅を下し、植民地支配に苦しむ西部大東砂海域の諸国を開放し、ここに西部大東境共栄圏を築き上げ世界の盟主たらんとする皇国の未来に、誰もが夢を抱いた。

 長く続く閉塞感を、この臨時ニュースは吹き飛ばした。


「おい、ガル!

 ついにやったぞ!

 これで皇国は世界の盟主だ!

 アレマニアもウィトルスもドラゴリー大岩盤で破竹の勢いだぜ。

 このままいけば、来年早々に三国が世界を制覇しちまうんじゃないか!」

 フィズが興奮覚めやらぬという表情で、登校するなりガルの肩を揺さぶった。


「あ、ああ、そうだな。

 おい、そんなに揺するな、舌噛むって!

 やめんか、莫迦たれ!」

 突然の暴風に、怒ったわけではないがガルが、フィズの腕を荒々しく振り払う。

 いきなり後ろから掴みかかられて慌てたガルだが、フィズの目に悪意はなかった。


「済まん、済まん。

 まあ、許せ。

 しょうがないだろ、こんな壮挙に巡り合わせられるなんて、一生に一度あるかないかだぜ!

 俺も、学校辞めて軍に応集しちまおうかな。

 今なら士官待遇になるんだろ?」

 ガルが怒っていないことを感じ取り、今度は荒々しくガルの肩を叩きながらフィズが言う。


「おう、そうとも。

 どうだ、これから教授に、クラス全員の士官学校転入を掛け合ってみようぜ」

 冷静に考えて、絶対に賛成などされない提案をガルは口にした。


「もちろんだ、ガル。

 勉強なんざ、後でできる。

 今は、ひとりでも前線に出るべきだ。

 ソル男子の本懐、ここにありってんだ!」

 フィズが拳を突き上げる。




 教授は朝からどれくらいの学生を諭し、叱り飛ばし、怒鳴りつけたかもう判らなくなっていた。

 臨時ニュースに言いようのない高揚感を抱いたが、いざ専門技術学校に出勤してみると夥しい学生たちが興奮に包まれていた。ほとんどの者たちは、手に新聞の号外を握り締めている。学校に登校するまでに、近所の辻々で配られていたものだ。

『今暁西部大東砂海において皇軍、オリザニア・サピエント軍と戦闘開始

 『大本営騎兵砂海軍部発表』(一二月八日午前六時)

 皇国騎兵砂海軍は、今八日未明西大東砂海においてオリザニア・サピエント軍と戦闘状態に入れり』

 そっけなくそれだけ記された新聞の号外には、一切の解説や社説の記載されていない。

 ただ、戦争が始まったことだけを、大本営の発表に基づいた事実のみを報道していた。

 しかし、この片面印刷の僅かな文章量しか載っていない紙片は、皇国を興奮の坩堝へと叩き込んでいた。


「なんだ、君たちもかね?

 いったい、朝から何人同じことを言いに来るんだね?」

 うんざりしたような顔で教授はガルとフィズに言った。

 いつもであれば柔和な顔でイスを勧める紳士的な教授が、心底いやそうな顔をしている。


「他の者たちが何を申し上げたかは知りません。

 私たちを、是非士官学校へ!

 私たちは、今朝の報道に接し、一大決心――」

「この、大莫迦者!

 全員が戦争に行ってしまって、誰がお国を支えるというのか!?

 そもそも、死と隣り合わせの厳しい訓練を毎日積んだ軍であればこそ、あのような赫々たる戦果を挙げることができるんだ!

 お前たちのような素人に何ができる!?

 いきなり戦場に行って犬死など、どれほど皇国に迷惑だと考える!

 一人前の兵になる前に、この戦争は終わってるわ!

 お前たちは、ただただ学問に突き進めばよい!

 お前たちは国を富ませ、軍に新しく精強な兵器を提供する義務がある!

 寝言は寝て言え!」

 教授の剣幕に、ふたりは部屋を転がり出た。

 


「臆病者!

 死が怖くてお国のお役に立てるか!

 七生報国!

 七度死んでも七度生まれ変わり、お国のお役に立つ意気がなくて、何が皇国国民だ!

 見損なったぞ、ガル!」

 顔色を変えてフィズが怒鳴った。

 午後の魔道放送でそっけなく伝えられたニュースは、アナウンサーの語調とは裏腹にハトー攻撃の赫々たる戦果だった。

 皇国男子として、このニュースに心を躍らされない者などいるはずもない。


「ちょっと待てよ、フィズ。

 何で俺が見損なわれなきゃならないんだ?

 逃げたのはお前も一緒だろうが」

 日が暮れた下宿の一室で、ようやく手に入れた酒を酌み交わしながらふたりは荒れていた。

 緒戦の大戦果に、普段の贅沢禁止令などこの日に限っては吹き飛んでいる。

 町には明るい表情の人々が溢れ、行き会う軍装姿に向かって万歳が繰り返されている。安息日明けというのに、町の明かりは煌々と照らされ消える気配は見られない。通常であれば節約といって消されている街灯まで灯され、帝都は明るくさんざめいていた。


「いや、すまん。

 言葉の入れ違いという奴だ。

 俺は教授を見損なったぞ、そうだろう、ガル。

 そう言いたかったんだ」

 激昂のあまり頭で考えていることに言葉が追いつかず、まるで喧嘩を売るような失言にフィズが赤くなった。

 頭をかきながらガルに向かって丁寧に手を突いた。

 土下座の姿勢だが、畳の上でありそれほど不自然な光景ではない。


「ああ、まったくだ。

 今俺たちが銃を取らずにどうするってんだ。

 ……でも、銃の撃ち方ひとつ知らないんだよな。

 レグルやエルミたちだって、あんな厳しい訓練積んでようやく、だもんな。

 あながち、教授の言うことも間違っちゃいないのかもしれんな」

 それほど腹立ちを感じているわけではないので、ガルはフィズの芝居がかった仕種に笑みを浮かべた。

 そして、幼馴染みたちから聞かされた訓練の過酷さや、精神を鋼のように鍛え上げる厳しさを、ガルはふと思い出して小さく呟いた。


「そんなもの、ソル魂があればなんとでもなる!

 ……ガル、まさかお前怖気づいたんじゃないだろうな?」

 それを聞き咎めたフィズの顔色がさっと変わり、声が地鳴りのように低くなる。


「ふざけんな、フィズ。

 誰が怖気づくものか。

 ただ、今日軍に志願して、明日戦場に立てるもんではないってことだ」

 湯飲みの酒を一気にあおり、ガルは取り繕うように言った。

 当たり前のことだが、緒戦の大戦果に惑わされ、誰もその現実が見えなくなっていた。

 銃の扱いひとつを取っても、今すぐ渡されて発砲できるものではない。ましてやこの時代の科学技術の最先端でもあり、とんでもなく複雑な精密機械でもある航空機や戦闘艦艇に乗ったその日からベテラン将兵のように扱えるはずもない。


「まあ、確かにそう言われちまえばそのとおりだが……

 だがな、ガル、俺たちだってお国のお役に立てるはずだ。

 学問なんぞにうつつを抜かす暇があるなら、軍事教練の時間を増やすなり何なり方法はあるはずだ。

 それを、あの腰抜け揃いが」

 あまり怒りを露にしないガルの表情が一変したことに不穏な空気を感じたフィズは、取り繕うように怒りの矛先を教授陣に振り向けた。


「そうなんだがな、フィズ。

 軍から派遣されている技術将校の教授たちが、何も言ってないはずはないと思うぞ。

 やはり、俺たちは役に立たないと判断されているのかな」

 ガルは思案顔で言った。

 もちろん、技術将校の教授たちは、学生を戦場に駆り立てようなどという考えは欠片も持っていない。決して優遇しようということではなく、兵器の扱いも知らぬ者に足を引っ張られたくないからだ。

 だが、ガルたちは軍人が学生を甘やかすはずなどないと考え、教授陣が学生たちの報国の思いを握りつぶしているものと信じていた。

 緒戦の大勝に惑わされた若者たちは、冷静な判断力を失っていた。

 いや、緒戦の大勝は、ソル皇国民のほとんどから、冷静な判断力を奪い去っていた。




 レグルとエルミの実家は、多くの人でごった返していた。

 入れ替わり立ち代り人々が訪れ、両親に祝辞を述べては去って行く者、居間に上がりこんでそれぞれの父に祝い酒を注ぐ者、甲斐甲斐しく立ち働く母やレグルの妹に激励の言葉をかける者と様々だ。

 去って行く者も、どちらかの家とより昵懇ということで、父と祝杯を挙げるためだった。

 特に兄妹で軍に奉職しているエルミの家は、中学校までの同級生たちが多数訪れ、いったいどれくらいの人数が家の中に入り込んでいるのか、誰も把握できない状況だった。

 もちろん、誰もエルミ兄妹がどこで戦っているかなど知る由もなく、ただ軍の壮挙と軍人たちの光輝溢れる未来に祝杯を挙げにきているのだった。


「おめでとうございます」

 普段であれば立場が上のはずの村長まで、エルミの父の前に端座し、丁寧に頭を下げてから側の銚子を取る。


「村長、恐縮です。

 それに、私が何をしたということではありません。

 家の次兄は近衛ですし、娘もハトーに行ったのかどうかすら判りません。

 皆様にここまでしていただくなど、分不相応というものです」

 エルミの父も普段であればもう少し横柄な物言いだが、誰もが必要以上に丁寧な態度になっているからか、畏まった口振りになっていた。

 昨夜はいつもと同じ平穏な夜を過ごしていたが、一夜明ければ村を挙げての祝宴がふたつの家で始まっている。

 幼馴染みまでがバカ丁寧に頭を下げてくる中、エルミの父は人々にどう対応して良いか解からず、引きつった笑みを顔に張り付かせていた。


「いやいや、あなたの薫陶の賜物でしょう。

 ふたりも軍に奉職させ、この大戦果。

 まるでマレ将軍の再来のようですな」

 村長は、この時代の親に対する最大の賛辞を口にする。


 マレ将軍はソル・ロス戦争の天王山といわれた、ロスの一角にある二〇三高地の攻略戦の指揮官だった。

 重厚な陣地を築いたロスの拠点の攻略の際、配下の軍に志願していた二人の息子が戦死ししたが、それでも闘志は僅かに衰えることなく、苦闘の末この陣地を攻略したことで、戦局は一気にソルに傾いた。

 息子を目の前で失っても、些かの闘志も衰えさせなかったことでソル軍人の鏡と讃えられ、死を恐れず国に尽くした息子をふたりも育てたことから、親の鏡とも讃えられた人物だった。そして、二代前のアッキハール皇王崩御に殉じたことでさらに神格化され、小学校の道徳の教科書にも載せられていた。

 そのような人物に例えられるなど、この時代で人の親としては最大級の賛辞だったが、エルミの両親にとっては息子や娘の将来を暗示するようで不吉としか言いようのない言葉でもあった。だが、それを拒絶するなど時代が許さず、曖昧な笑みと共に受け流すのが、ふたりにとってできる精一杯の抵抗だった。

 同様の光景がレグルの家でも繰り広げられ、そちらの両親も不安を胸に秘めたまま訪れる人々の対応に気を紛らわせるしかなかった。




「参謀長、やっと夜が明けたぞ。

 第八任務部隊の反撃を待とうじゃないか。

 それから、各艦の被害状況は、できる限り克明に報告してくれ。

 私にとって、今何よりも必要な情報は、敵の殲滅でもなければ死傷者の数でもない。

 各艦がどんな状況で、どのような兵器によって、どういった被害を受けたのか、だ。

 もちろん、それを活かすのは私ではなく、彼になるだろうが」

 混乱の一夜が開け、ほとんど睡眠を取ることなく先頭に立って指揮に当った大東砂海艦隊司令長官メルイィ大将の相貌には、深い疲労が刻まれていた。

 だが、深い疲労を浮かべた顔色とは裏腹に、奇襲を受けた直後とは打って変わった、大東砂海艦隊を率いる司令長官に相応しい堂々たる佇まいだ。


 奇襲直後のメルイィは、あまりの事態の急転につい我を忘れ、怒鳴り散らすことで自分を保っていた。

 怒りと狼狽、焦燥と悔恨がメルイィを苛み、士官学校で礼儀作法の見本に最適といわれる洗練された振る舞いなど、どこかへ吹き飛んでいた。

 怒りの矛先は自身に仕える幕僚たちに叩き付けられたが、幕僚たちは怒鳴り返したい感情をなんとか押さえ込んでいた。幕僚たち自身もメルイィ同様の精神状態であり、怒鳴られたことで逆上し、掴み合いの喧嘩が起こってもおかしくない状況ではあったが、上官には絶対服従と繰り返し叩き込まれた軍人精神が、かろうじて自制心を繋ぎとめている。もちろん、メルイィ自身も幕僚たちへの怒りが理不尽であることは理解しており、幕僚たちは幕僚たちでこの状況下で司令官のみに冷静さを要求できないことも理解している。

 それに、幕僚たち自身も部下に同様の態度で接することを自制できなかったため、メルイィに対する反感は自身への嫌悪感となっていた。


 結果として、幕僚たちの献身的な態度に自らを省みたメルイィが落ち着きを取り戻し、それにつられるように幕僚たちも冷静になっていき、大東砂海艦隊司令部は奇襲前の姿に立ち返っていった。

 幕僚たちがしきりに休息を勧めるが、メルイィはこれが最後の勤めだと言って、頑として首を縦には振らない。おそらく、数日中に本国への召還の通達が来るだろう。待っているものは、査問委員会という名の吊るし上げの後予備役編入だ。たとえ、誰一人としてソルによるハトー襲撃を予測できていなかったとしても、誰かがその責任を取らなければならない。最終的な責任は国軍の最高司令官である大統領にあるとしても、メルイィがその役を負わされることは間違いない。

 最後の一言は、自分に先立って大東砂海艦隊司令長官への就任を打診され、それを峻拒した男と、今頃第八任務部隊旗艦空母『リュカーン』の艦橋で火の玉のようにいきり立つ男の、二人の親友を念頭に置いたものだった。



 戦艦群の被害報告が司令部に上げられるにつれ、ひとつの疑念がメルイィの胸中に膨れ上がっていた。

 一一月二七日に、突如としてハトーに在泊していた空母を中核戦力とする第八任務部隊に、コーセキオアシスへの航空機輸送任務が命じられていた。

 確かにハトーとソル本土の中間に位置するコーセキは、ソル砂海軍の動向を探るための重要な哨戒基地であり、戦略的価値は極めて高い。ソルとの緊張が高まっている現状で、コーセキの航空兵力増強は、決して間違った命令ではなかった。名うての大鑑巨砲主義者であるメルイィにしても、航空機の重要性は充分理解している。


 メルイィの親友であり、良き部下でもある第八任務部隊司令長官ハージィ中将は根っからの航空主兵論者であり、オリザニア砂海軍きっての闘将といわれている。

 突然の命令に対し、『俺の部隊を輸送なんぞに使うとは、砂海軍省はどういう了見だ』と吼えまくっていた。もちろん、命令には忠実に従わなければならないことなど百も承知だが、ソルとの開戦が噂されるこの時期に悠長に輸送任務などに就いていたくはなかった。ソル艦隊を捜し求め、先手を打ってすべて沈めてやれば良い。ハージィはそう考えていた。

 メルイィ自身、この時期にコーセキ島の重要性は理解していたが、ハトーから戦力を抽出するのではなく、本国から輸送空母を使用して航空機の輸送をすべきだと考え、海軍省に意見具申はしていた。

 だが、海軍省からはハトーの戦力をコーセキに移し、然る後にハトーには新たな部隊を贈るという一点張りであり、これ以上の論争は時間と気力の無駄と判断したメルイィが折れた経緯がある。


 最前線に近い要衝の戦力を一時的にとはいえ減少させるなど、常識的に考えてありえないことだ。

 だが、命令に忠実なるべしと叩き込まれた軍人精神が、メルイィとハージィに第八任務部隊の派遣を納得させていた。

 出航に先立ち司令部を訪れたハージィは、不貞腐れたような表情のメルイィに、万が一ソルの船舶と行き会った際にはどうすべきか訊ねている。

 言うまでもなくハージィは沈めてしまうつもりだったが、オリザニアが先に引き金を引くことを司令部が甘受するかどうかを確かめたかったのだ。もし、やり過ごすように命令されたとしても、ハージィは攻撃機の発艦を見送るとは考えてはいなかったが。

 苛立ったようにメルイィは『俺が責任を取るから常識的に判断しろ』と言って、ハージィを送り出していた。

 ハトー襲撃からからくも逃れることになった第八任務部隊への命令は、まるでソルの動きを知っていたかのようなタイミングだった。

 メルイィの疑念は、確信へと変わっていった。





 ソル全土を興奮の坩堝に叩き込んだ一日が過ぎ、一二月九日の朝がいつもどおり訪れ、庶民は日常へと戻り始めた頃、オリザニア首都時間一二月八日の夕刻、オリザニア共和国大統領ローザファシスカは、議会で演説を行った。


「副大統領閣下、国民の代表である上院ならびに下院議員の皆様。

 昨日、二六四一年一二月七日、この日は不名誉な日として記録され続けるでしょう、オリザニア共和国は突如、ソル皇国の砂海、空軍による意図的な攻撃を受けました。

 オリザニアは、ソルと平和な関係にあり、なおかつソルの要望はまだ大東砂海における平和の維持に向けたソル政府ならびに皇王との対話を望むというものでした。

 さらに、ソルの航空部隊がオリザニア領のハトーオアシスに爆撃を開始した一時間後に、ソルの駐オリザニア大使とその同行者はオリザニアの長官に、直近のオリザニアからの書面に対する公式の回答を提出しました。

 その書面に記載されていた内容は、既存の外交交渉は無用のものであると指摘しているのみで、その文書には戦争や武力攻撃を暗示したり脅迫したりするような内容は含まれていませんでした」

 ローザファシスカは一旦言葉を切り、演台に置かれたグラスの水を口に含む。


「このことは記録されるでしょうが、ソルからハトーまでの距離から、明らかにこの攻撃は何日も前から、おそらく数週間まえから意図的に計画されていたものです。

 この期間中、ソル政府は真相を隠し、平和の継続への期待を表明して、オリザニア共和国を欺き続けていたのです。

 昨日のハトーオアシスに対する攻撃によって、オリザニア騎兵砂海軍は深刻な被害を被りました。

 遺憾ながら、私は多くのオリザニア人の命が失われたことを、皆様にお伝えしなければなりません。

 さらに、オリザニアの船が、大岩盤西岸オアシスとハトーの間の公海上で攻撃を受けたとも、報告されています」

 ローザファシスカは、悲嘆にくれるとはまさにこのことといわんばかりの表情を作る。


「昨日、ソル政府はサピエント植民地がある半島に対する攻撃も開始しました。

 昨夜、ソル軍はベロクロン大岩盤のサピエント租借地を攻撃しました。

 昨夜、ソル軍は南方のオアシスを攻撃しました。

 昨夜、ソル軍はネグリットオアシス群を攻撃しました。

 昨夜、ソルはコーセキオアシスを攻撃しました。

 そして今朝、ソルはミルドウィオアシスを攻撃しました」

 並み居る議員たちにことの重大性をさらにアピールするかのように、一際高いトーンでローザファシスカは一気に言った。


「ソルは、大東砂海全体にわたって奇襲攻撃をおこなったのです。

 昨日および今日に起きた事実は何を語っているかは、それ自体が示しています。

 オリザニア国民は既に意志を固め、生命と我が国の安全とは何かという暗示をよく理解しています。

 オリザニア騎兵砂海軍の最高指揮官でもある私は、我々の防衛のための手段を全て実行するよう指示しました。

 我が国全体が我々に対する攻撃とはどういう性質のものであるかを忘れずにいるということを常に示し続けるでしょう。

 この計画的な侵略行為を我々が克服するためにどれだけの時間を要するかは重要ではありません。

 正義の中にあるオリザニア国民は絶対的勝利を得続けるでしょう」

 ローザファシスカは正義を掲げ、対ソル開戦を議員たちに迫る。


「敵対行為は現実のものとなりました。

 我々の国民、我々の領土、そして我々の権利が危機に瀕しているということは、見ぬふりをするわけにはいかない事実なのです。

 我がオリザニア軍による安全の保証と、我が国の国民の無限の決意とによって、我々は必然的な勝利を得ることでしょう。

 神よ、我らを救いたまえ。

 私が問いたいことは、一九四一年一二月七日の安息日のソルによる、不当で卑怯な攻撃があって以来、オリザニア共和国とソル皇国との間で戦争状態に入っていることを、議会が宣言するかどうかということです」

 議員たちのも熱狂的な拍手の中、自身の希望をひと言も言うことなく、ローザファシスカは自身の最も望む回答を議会から引き出していた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ