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第21話 開戦

 「参謀長、君はどう思うかね?

 私はエライことを引き受けてしまったような気がしているんだ。

 私がもう少し気を強くして、機動艦隊の指揮を断ればよかったと思うが……

 果たして、上手くいくのか……」

 開戦の暗号を受信して以来、ナンクゥ機動部隊旗艦空母『コッヴ』の艦橋で何度目になるか分からない溜め息を、司令長官ナンクゥ中将は漏らしていた。

 双眼鏡を目に当て、砂嵐の向こうからいつ姿を現すか判らない船舶を、気迫で押し留めようとしているかのようなカリュウ参謀長とは、対照的な佇まいだ。


 ナンクゥ自身、航空についてはずぶのど素人を自認している。

 砂雷戦隊を率いて砲弾をかい潜り、敵主力艦に必殺の砂雷を叩き込むことに、その砂海軍人生を捧げてきた男だ。臆病とは対局にある指揮官であり、砂雷戦隊を率いる姿は颯爽とした快活さに溢れていた。

 だが、タンカン湾出航以来、その快活さは失われている。その胸中には、砂雷の専門家に不似合いな役を押し付けられた、との思いが渦巻いていた。

 空母六隻の集中運用などという前代未聞の艦隊行動の指揮だけでなく、完全な奇襲攻撃の実施、分単位で組み上げられた作戦計画の遂行と難題が山積みになっている。ハトー到着までに一隻でも他国の船舶に行き合えば、それだけで奇襲計画は瓦解する。強力な艦隊と陸上要塞が待ち受ける中に、パイロットたちを突入させなければならなくなるという重圧が、ナンクゥから快活さを奪っていた。

 航空の専門家たちに囲まれ、ひとり畑違いであることもナンクゥのいたたまれなさに追い打ちをかけている。


「長官、もうここまできているのです。

 今更そんな意気地のないことでどうしますか。

 戦は私とジッツーに任せて、ひとつ大きく構えていていただきたい」

 これも何度目になるか判らない気休めを口にして、カリュウはナンクゥに振り返った。


 僅かに舌打ちが聞こえたような気がして、ナンクゥはカリュウから視線を逸らす。

 確かに指揮官としては、あるまじき振る舞いだ。自分も同じ立場に立てばそうするだろうと、ナンクゥは思った。だが、ナンクゥの卑屈ともいえる態度は、作戦の正否や是非だけでなく、カリュウたちの振る舞いにも起因すること大だった。


 航空主兵論者のカリュウやジッツーは、常日頃から砂海軍の主流を成す大艦巨砲主義者とのそりが合わなかった。

 航空機こそ次世代の主力と信じ、その運用の研究に力を注ぐことは構わない。だが、そう信じるあまり、他を否定し、見下すようになっては、砂海軍の中で爪弾きになりかねなかった。

 しかし、連合艦隊司令長官であるゴトムが、それを後押ししていた。


 しかし、それだけであれば、ナンクゥも卑屈にはならない。

 連合艦隊司令長官の後ろ盾を得たカリュウたちは、水上打撃部隊を小莫迦にしていた。

 戦艦などたかだか二万メートルしか攻撃範囲がない。砂雷戦隊が敵艦に肉薄する前に、空母艦載機がきれいさっぱり砂葬してやる。そう公言してはばからなかった。彼らの中で空母以外の艦艇は、敵航空機による攻撃からの盾くらいにしか認識していない。参謀長、航空甲参謀がそのような考えに凝り固まっていれば、他の参謀たちがそれに引きずられることは自然な流れだ。

 航空主兵論者の牙城にひとり乗り込んだ砂雷屋は、孤独な戦いを強いられていた。



「おい、見てくれ!

 ソル人共は一二月七日に何かやらかすぜ!」

 オリザニア首都にある砂海軍暗号解析班のオフィスに、ひとりの中尉が素っ頓狂な叫びを上げた。

 ソル皇国が発信する電文を片っ端から傍受し、手当たり次第に解析していた男が、その中で見つけたものだった。


 ごく短い文章に、単純な数字の羅列。

 おそらく短い文章は、翻訳しても意味を成さない。まったく異なる言葉を符丁にして、仮に『いただきます』なら開戦、『ごちそうさま』なら避戦と決めてあるに違いない。そしてこれに続く数字が日付を表していることに、疑いを挟む余地はない。一二○八がソルの標準時刻を元にした日付であれば、それはオリザニア標準時刻の一二月七日を指している。まちがいなく、ソルが軍事行動を起こす日付を全軍に伝達したものだと、暗号解析班のスタッフ全員が確信した。

 避戦であれば、日時を指定する必要はないからだ。


「どうして、こう、ソルの暗号は解りやすいんだ?」

「言葉そのものに日時まで含めた符丁を決められていたら、仮に開戦と判明しても、なぁ?」

「他人事ながら、アドバイスのひとつもしてやりたいところだぜ」

 オフィスに詰めていたスタッフたちは、口々にソル暗号に対する感想を言った。


「まあそう言うな、数年前までは手も足も出なかったんだ。

 かなり優秀な暗号だと思うぜ、ソル砂海軍の暗号は」

 この短文を解析した中尉がたしなめる。 今のレベルに到達するまでの、膨大な時間を中尉は思い出していた。


「ということは、もうひとつ傍受した短文も、そういうことか」

「おそらく、騎兵軍の暗号で開戦を指示するものと見て間違いない」

「だが、どちらもどこに対して攻撃を仕掛けるかまでは解らん」

「それ以前に、こちらの短文はまるで解析の手がかりが掴めんな」

「まったくだ。

 しかし、何でソルは砂海軍と騎兵軍で違う暗号を使うんだ?

 いくらどこの国でも騎兵と砂海が仲悪いとは言っても、これじゃ情報の共有化などできやしない。

 互いに知られたくないことばかりなのか?」

 スタッフたちは、自国の軍にも共通する問題点を言い合う。


「雑談はそこまでだ。

 ここは暗号を解析するためのオフィスであって、ソル軍の内情を分析する場ではない。

 そのための材料を探し出すためのオフィスだ。

 俺はこの材料を分析屋たちに持って行く。

 諸君は引き続き、暗号の解析をしてくれたまえ」

 中尉はそう言うと、文章の綴りを手にオフィスを出た。


 閉めたドアの向こうでは、自分が戻るまで雑談は続くだろうと、中尉は考えている。

 本来なら攻撃目標の特定を、死ぬ気で行わなければならない。引き続き粘り強く魔報を傍受し、暗号を解析する必要はある。

 だが、それをそのままの字句で、暗号化するとはいえ魔報に乗せるとは思えない。間違いなく攻撃目標に向かってソル軍は進撃中のはずだが、自ら位置を暴露するようなまねをする莫迦はいない。

 これだけの大仕事をしたんだ。今しばらくは息抜きもいいだろう。中尉はオフィスに戻る際に、人数分のアイスクリームをポケットマネーで買うことにした。




 オリザニアの首都にあるソル皇国大使館には、ノム大使の応援としてクリスが特派大使として着任した時点で、両大使を含めて二八人が勤務していた。

 両大使以外の幹部は、ヨウ公使、館務を統括するテイ参事官の他、政務を担当するカッツ、条約関係を掌握するコートウ,情報担当のエイセイ、クリスの補佐として赴任してきたローシら四人の一等書記官とセイメー魔道通信官がいた。その他に首都市内で独立していた騎兵軍と砂海軍の武官事務所の武官と武官補佐の六名が、ソル・オリザニア交渉決裂の事態を予測して九月に事務所を閉鎖して大使館に移っていた。

 そして、オリザニア人の雇員がタイピスト三人と、日常の細々した雑事を担当する者や公用車の運転手など計八人いた。


 一〇月一六日には、外務省から大使館全員に『帰国準備を始めよ』の訓令が出されている。

 一〇月三〇日には公邸のソル人料理人夫婦が帰国のため解雇され、それからというもの大使の食事はソル人職員が調理することになっていた。それからひと月も経たない一一月二〇日には、『国交断絶の危機が迫れば、在外ソル人向け魔道放送の気象情報の最後に『東の風,雨』を二回繰り返す。それを聞いたら緊急態勢に入れ』との訓令も出されている。

 状況の緊迫化は、武官事務所転入に続くこれら幾つもの『非常措置』によって、大使館員にも感知されているはずだった。


 デル文書が出された一一月二六日以後、ソル・オリザニア間の緊張は極に達し、一二月一日にはエイセイ書記官ら六人に、急な出発と後任の補充発令がない異例の転勤命令が出された。

 翌二日には、大使館にある暗号機三台の内二台を破壊せよとの訓令が出され、暗号機は粉微塵に砕かれて深夜の大使館脇を流れる大河に投棄された。

 そして、一二月三日、遂に『東の風、雨』の魔道放送が流れた。




 一年の掉尾を飾る月になり、人々の暮らしは慌ただしさを増している。

 いくら統制下とはいえ、新年際を自粛するほどには追い詰められてはいなかった。

 いや、追い詰められているのだが、情報局による情報管制により、その事実が庶民に知らされることがないだけだ。しかし、オリザニアから材料を輸入し、それを加工してオリザニアに販売していた会社から、次々に倒産、破産するものが増えている。

 確実にソルの喉元は、締め上げられていた。


 ガルが第二学期の期末試験のため登校すると、校内掲示板に自分の呼び出しが張り出されていることを発見した。

 呼び出した者は、物理学の教授だ。厄介な相手に呼び出されたと、ガルは暗澹たる思いに捕らわれた。この教授は出席にうるさく、休んだ者を次の授業の際に徹底的に糾弾することで、ほとんどの学生から嫌われている。また、強烈な精神主義者でもあり、ソル・ロス戦争の帰趨を決めたソル砂海海戦における完全勝利の立役者ヘイハ元帥と、二〇三高地攻略のマレ大将の信奉者でもあった。

 残念なことに、ヘイハ元帥の精神論を見事なまでに曲解していたが。


 ヘイハ元帥は、軍縮条約締結に際し、軍艦の保有量に制限はあっても、訓練の量に制限はないと、砂海軍実戦部隊に安息日を返上するほどの猛訓練を課した。

 訓練によって砲撃の命中率を上げ、砲数の少なさを補おうとしていた。その甲斐あって、ソル砂海軍の命中率は、オリザニア砂海軍の約三割増まで上昇したとのデータがある。もちろん砲撃に際する測的技術の向上もあるが、発射遅延装置の開発によるところも大だった。

 かくして元帥は、百発百中の砲一門は、百発一中の砲百問に勝るという名言を残している。


 言うまでもなく、これは純粋な能力の話だ。

 もし、両者が戦えば、百発一中が一発目に来る可能性はゼロではない。百門中一門が当たればよい。百発一中が百門あれば、一門は当たる勘定だ。

 あるとき、講義中に話が脱線し、この名言を得意げに語った際に、百発百中一門は勝利できないのではないかと、質問した学生がいた。教授は平然と、断じて行えば、鬼神も退く。弾は勇者を避ける、と切り返した。

 学生は、物理学という精神とは無関係な事象の泰斗が、物理法則すら精神力で変えられるに類する発言をしたことに呆気に取られ、失望した。

 ガルは帰郷のために、この教授の最後の講義を休んでいたのだが、まさか期末考査期間に呼び出されるとは思ってもみなかった。



「どういう了見で講義を休んだか、納得のいく説明をしたまえ」

 見下ろすような視線をガルに向け、物理学の教授は言った。

 研究室の応接セットのソファに、ほぼ仰向けに寝ているかのように座りっているため、どうしてもそういう目つきになる。


「はい、講義を休んでしまったことは、まことに申し訳ありませんでした。

 急な発熱で立っていることもできず、床に伏せっているしかありませんでした」

 休んだ事実は変えられないので、その点についてはガルも叱責は受け入れる。


「そんなことを聞いているんじゃない。

 なぜ、出てこなかったか、と聞いているんだ。

 熱ごとき、精神力でどうとでもなるもんだ。

 砂海軍さんは安息日を返上して訓練してる。

 熱がでた程度で訓練を休む軟弱など、いやしないんだ。

 敢闘精神が足りない証拠だ!

 申し訳ないとは思わんのか!」

 顔を真っ赤にして教授は怒鳴り散らした。

 相手が何を言っても、『そんなことを聞いているのではない』、の一言だ。

 言葉を継げば、『言い訳をするな』、で突き放す。『弁解をするな』、『誠意を見せろ』とたたみかける。

 学生が言葉を失い、手を突いて謝るまで、それは繰り返される。


 実際のところ、砂海軍では少しでも体調に異変がある場合、他の者に移さぬよう直ちに隔離だ。

 たとえ、扁桃腺が腫れた程度の熱であってもだ。居住区から離され、医務室かその近くにハンモックを釣って、軍医の監視下に入らなければならない。もちろん、重篤な伝染病であれば、即砂海軍病院行きだ。

 健康管理は不断に心がけなければならないが、一旦かかった病気を精神力で治すことは不可能だ。具合の悪い者が、閉鎖空間である艦内や、軍政の中枢である省内を歩き回るなど、周囲に病気をまき散らしている利敵行為に等しい。

 喉元までせり上がっていた言葉の嵐を、ガルは何とか飲み込んだ。

 代わりに出てきた言葉は、素直な謝罪だった。やはりさぼったことへの後ろめたさが、教授への反論を控えさせていた。

 床に手を突き、深々と頭を下げるガルを見下ろし、満足げに教授は頷いた。



「大丈夫か、ガル?」

 下宿の部屋にフィズが訪ねてきた。


「あ、ああ。

 さぼったのは事実だしな。

 本当に病気だったら、レグルとエルミから聞いた話をしてやったところだけど。

 今回は、俺の方から折れないとダメだろ。

 下手に逆らって、単位認定に支障が出たらたまったもんじゃない」

 意外なほどすっきりとした顔で、ガルは屈辱的な仕打ちなどどこ吹く風といった態度だ。


「これで試験の結果が散々だったら、とんだお笑い草だな」

 安心したようにフィズがからかう。


「そうだよ。

 だから帰れ。

 明日は、その物理学の試験だぞ。

 満点とは行かなくても、甲判定の点は取らなきゃ、落とされかねん」

 そう言うなり、ガルは部屋の扉を開けた。


「その通りだな。

 お前の顔見て安心したよ。

 それほど引きずってないみたいだな」

 フィズは追い出されたにも拘わらず、大笑いしながら自分の下宿へと帰って行った。




「少尉、何もそんな油塗れになることはないと思いますが」

 ほぼ同世代の若い整備兵が、困惑したような顔でエルミに言った。


「お邪魔でしたら控えますけど……

 何もすることがないって、こんなにつらいとは思わなかったんですよ」

 七型艦攻の下から這い出したエルミが、済まそうな表情を作った。


「いいじゃないか。

 いざというとき、構造を理解しているかどうかで生還できる可能性は格段に増えるんだぞ。

 エルミ少尉、お好きなだけ、いえ、ご納得されるまでどうぞ」

 胡麻塩頭の整備班長が、若い整備兵を窘めつつ言った。


「はあ、決して邪魔だとか、そういうことではなくて、士官ともあろう方が我々兵と同じようにすることはないと思っただけです。

 こちらに嫌はありません。

 それどころか、機体をよく知っていただくことができると思っています。

 少尉、これでも私は少尉よりはこの機体についてよく知っているつもりです。

 座学では習わないようなことも。

 何か疑問に思われることがありましたら、何なりとご質問ください」

 整備班長が良いと言えば、下っ端の整備兵が異を唱えることなどできるはずもない。


「ありがとうございます、班長。

 すいません、もう少しやらせてくださいね」

 ふたりに頭を下げ、エルミはまた機体の下に潜り込んで行った。


 士官が下士官兵に頭を下げるなど、ふたりにとって天地がひっくり返るようなできごとだ。

 メディエータ戦線でベテランの下士官パイロットと小隊を組んだ新米士官が、下士官たちに空戦技術の教えを請うときでさえ、階級差と年齢差を越えて頭を下げた例など数えるほどしかった。だが、エルミにとってふたりは先達であり、技術を学ぶ上での先生だ。それなりの礼を以って接することは、当たり前だと認識している。もちろん、階級差は意識しているが、整備班長との年齢差はそれ以上に意識してしまう。父よりも年上の人間に対して横柄な口を利くことは、エルミの常識にないことだった。

 呆気に取られてふたりが固まる光景は、それを眺めていたファルの笑い声で終わりを告げた。



「ファル少尉、笑ってないで来て下さい。

 先日いただいたご命令のとおり、やってみたんですが」

 別の若い整備兵が笑い転げるファルに声を掛ける。


「あ、ごめん、ごめん。

 ちょっとした思い付きだったんだけどさ。

 一応飛行長からもご許可はいただいているからね。

 みんなが後で叱られるようなことはないと思うよ」

 ファルが答え、整備兵と共に爆弾庫へと歩き出した。


「ファル、どこへ行くの?」

 艦底奥深くにある爆弾庫へ行く途中、手持ち無沙汰のルックゥが声を掛けた。


「ちょっとした悪戯をやってもらったんだ。

 ルックゥも見に行くかい?

 ボクの思いつきなんだけどさ、飛行長もご許可くださったし」

 少年のような悪戯っぽい表情を浮かべ、ファルが言った。



「どうですか、時間の遣り繰りが大変だったんですから」

 若い整備兵が胸を張る。


「すごい、すごい!

 完璧だね!

 これなら士気が上がること間違いないよ!

 ボクの考えていたとおりだよ。

 ありがとう」

 ファルが大喜びで叫び、整備兵に抱きついた。

 整備兵が顔を真っ赤にして礼を言うが、日常で若い女性に抱きつかれるなどまずないためか、思い切り声が上ずっている。


「何をやってるの、ファル!

 ……ちょっと、なんで二五番だけなのよ。

 気が利かないわね、ファルは。

 八〇番にもやっていいか、飛行長に聞いてくる!」

 そう言うなり、ルックゥは飛行長の私室へと駆けて行く。

 やっと落ち着きを取り戻したファルと整備兵の前には、『対オリザニア第一撃』と白いペンキで書き込まれた二五〇キロ爆弾が並んでいた。




「お父さん、相談があるの。

 ちょっといいかな?」

 どこか困ったような、だが何か決意したような顔でチェルが言った。


「なんだ、チェル?

 ……家を出るのか?」

 すべてお見通しという顔で父が答える。


「……うん。

 『ドラコ』の厨房に」

「ダメだ」

 皆まで言わせず父は言った。


「なんで?

 レグルと同じ船に乗っていれば」

「莫迦者。

 夫婦者が同じ艦に勤務できるとでも思ったか?

 そんな希望を出してみろ。

 レグルがどんな目で見られると思う?

 南工廠近くに行くというなら、お父さんは止めない。

 もうお前も大人だからな」

 いきり立つチェルに、父は諭すように言った。


 確かに、女性士官が勤務し始めているとはいえ、艦内での恋愛などもってのほかだ。

 規律が崩れた艦が、まともな戦働きできるはずもない。士官や下士官兵同士の恋愛を禁止はしていないが、もしそうなった場合には転属が不文律になっている。これまでも何組かの恋人同士が、転属という形で引き裂かれていた。砂海軍が野暮なのではなく、戦争をする組織の中での規律を守るためだった。万が一、チェルが軍属として砂海軍に採用されても、間違いなく『ドラコ』の配属されることはない。士官学校に入校する際と少尉任官の際に、レグルの身辺調査は済んでいる。当然、チェルの存在は砂海軍に認識されており、黙っていてもふたりを同じ艦に勤務させることは絶対似ない。

 それが判っていて軍属に志願することに、父は意義があると思えなかった。


「そう、かも、ね。

 いい考えだと思ったんだけどなぁ。

 修行はできない、レグルには会えない。

 なんか、行き詰まりなんだよね」

 自嘲するようにチェルはひとりごちた。


「まあ、腐るな、チェル。

 南工廠近くの料理屋で修行するのが無理でも、そこに努めるくらいはできるだろう。

 料理人の修行も大事だけど、接客をやっておかないと将来苦労するぞ」

 父はタバコを出して火をつける。


 話を打ち切る、という父の意思表示だ。

 頭を冷やせ。父はそう言っていた。チェルが家を出ることに異存はない。いつかは他人の嫁になって家を出るということは、女の子を授かった時点で覚悟していたことだ。それもどこの馬の骨とも知れない男ではなく、よく知ったレグルということもあり娘の将来に不安はない。

 結局、話はそのまま立ち消えになった。チェルも頭から冷水をぶっかけられたような気がして、それ以上話をする気にならなかった。




 一二月四日午前四時頃、機動部隊は西経一六五度、北緯四三度付近で一四五度に転針、南に向かってハトーに針路を取った。

 第八戦隊旗艦『ドラコ』は、機動部隊旗艦『コッヴ』のマストに上がった旗流信号に従い、やや遅れて面舵を切る。数分後、発光信号がリレーされ、旗艦『コッヴ』に全艦が進路を一四五度、ハトーに向けて南進する航路を取ったことが連絡された。


 第八戦隊旗艦重巡『ドラコ』の主砲発令所で当直任務に当たっていたレグルは、遠心力で身体が左舷側に振られる僅かな感覚を覚えていた。

 タンカン湾出航以来、これほど大きな転舵は、魔鉱石補給のために艦の位置を微調整したときと、空母『ブリッツ・ブロッツ』から兵が転落し、一時的に隊列が乱れたときだけだ。予定されていた大きな取り舵は、ハトーへ進路を取ったことをレグルに理解させていた。

 やがて総員起こしのラッパの音と共にレグルの当直任務は終わりを告げ、交代で主砲発令所に入ってきたランツに事後を託して一度露天甲板へと上がった。

 相変わらず風が強く、甲板にも砂が舞い上がってくる。防砂ゴーグルで覆われた狭い視界の片隅に後甲板で動く人影が映り、レグルはそちらに視線を投げかけた。その視線の先では、レグルと同じように防砂ゴーグルをつけたリンが掌を組んで両手を頭上に上げて背伸びをしている。


「奇遇だな、リン。

 お前も当直明けか?」

 出航時のこともあり、その後の様子が気になってはいたが、部署が異なれば艦内であってもなかなか会う機会がない。

 平時であれば食事や巡回後に多少共通の自由時間があるが、戦闘態勢をとっている今は当直で生活パターンがずれることが多かった。


「あら、レグルもだったの?

 暇だったわ、夜戦をするわけじゃないんだから、砂偵搭乗員の当直なんてなくしちゃえばいいのに」

 あくびを噛み殺しながらリンが答える。

 あっけらかんとしたその態度に、まだ落ち込んでいるのではと心配していたレグルは気が抜けた。


「大丈夫そうだな、リン。

 その様子なら、ぐっすりと眠れそうだな。

 夜明け前に取り舵切っただろ?

 これで、ハトーまで一直線ってことか。

 幸先が悪い船旅だったけど、あれで厄落としになったのかな」

 タンカン湾出航時に『コッヴ』のスクリューに砂中に埋まっていたワイヤーが絡み、出航が一時間遅れたことをレグルは言っている。

 ここまでの航海は順調だったが、昨日『フリッツ・ブロッツ』から兵が一名転落し、一時的に隊列が乱れるハプニングがあった。ただでさえ人が歩くことは不可能な砂海上に、高い舷側から転落した兵が砂上に浮き上がるはずはなく、後ろ髪を引かれる思いで艦隊は捜索を短時間で打ち切っている。

 さすがにこの兵の死を厄落としという気にはなれず、レグルもリンも話題に上げることはなかった。


「ごめんね、レグル。

 随分と心配掛けちゃったみたいで。

 もう大丈夫よ、私。

 昨夜、当直交代のときに飛行長に言われたの。

 ハトー奇襲前の敵情偵察に行けって」

 柔らかく笑っていた顔が、一瞬で引き締まった。

 攻撃こそしないが、ハトー一番乗りだ。事前の打ち合わせで『ドラコ』と『ケロニア』から砂偵一機ずつを出すことは決まっていたが、誰が飛ぶかはまだ決められていなかった。


「いいなぁ、リンは。

 一番乗りなんて、すごい名誉じゃないか。

 俺なんか、敵襲がなければずっと艦底で燻ってるだけだってのに」

 若さから来る蛮勇が、リンに対しての嫉妬をレグルに覚えさせていた。

 もちろん、出航直後に泣き崩れたリンが、この短期間に死の恐怖を克服したとは思えない。それでもこれ以上心配して見せるのは、リンに対する侮辱になると考えてレグルは敢えて茶化すように言った。


「そうよ、攻撃隊より先にハトーを見られるんだよ。

 レグルの幼馴染みなんかよりね」

 ちょっとしたライバル心から、リンはエルミのことを口にした。

 飛行士官学校での成績で、学業についてはリンの方がはるかに上だったが、飛行術や魔法の成績ではエルミが圧倒しており、総合成績ではエルミに大きく水を開けられていた。

 卒業席次と本人の希望で配属が決められたが、飛行術丙の成績だったリンは艦戦を希望していたにも拘らず艦偵のパイロットになっていたのだった。


「そんなに気負うなよ、リン。

 あれはのほほんとしたところがあるから、そんなこと気にしないぞ」

 苦笑いと共に、同僚と幼馴染みの板ばさみになったレグルは、リンの緊張をほぐすように言う。


「いいの。

 私もいつかは空母に乗りたいんだから。

 功績を上げることが大事なの。

 レグルだって、砲術を専攻するんだったら戦艦に乗りたいでしょ?」

 レグルの困り顔を見たくて、リンは追い討ちをかける。


「まあ、な。

 でもそれを大きな声で言うなよ。

 どの艦だって、乗ってりゃ愛着が湧くんだ。

 俺は当分ルカ中尉と離れたくないなぁ」

 おそらくレグルの士官次室に入り込んでいるであろう雌のキジトラを思い浮かべ、レグルは話をはぐらかす。


「解ってるわよ。

 私も『ドラコ』が嫌いなわけじゃないもん。

 レグルがいるから……」

 最後のひと言は口に出さずに、リンは呟いた。


「じゃあ、そろそろ寝ておかないと。

 中尉がお待ちだろうからな」

 リンのひと言に気付くはずもなく、レグルはそう言って踵を返した。


「あんまり部屋に女の子を引っ張り込んでばかりだと、お嫁さんに言っちゃうぞ、レグル」

 泣き出しそうな顔になったリンが、レグルの背中に怒鳴った。

 ちょうど砂海軍体操のために後甲板に集まりつつあった乗組員たちの間に、爆笑が湧いた。



 『東の風、雨』の魔道放送が流れてから三日が経過した、オリザニア時間で一二月六日の安息日前日。

 午前中早い時間に短い予告訓令九〇一号報が、ソル皇国のザイオリザニア大使館に届けられた。九〇一号報は、これから一一月二六日にオリザニアから提示されたデル文書の回答を、長文になるため一四部に分け別伝九〇二号報で送るという予告だった。そして、全部届くのは明日になるであろうが、いつでも回答書をオリザニア側に提出できるようにと綴られていた。さらに別報九〇四号報で、九〇二号報の清書にはオリザニア人タイピストを使うなとの指示が届く。

 そして、九〇二号報が続々と入り始め、一三部までが午後三時までに大使館へと配達された。

 セイメー以下通信室担当者六名は、前日に破壊してしまったため一台になった暗号機を使って解読を進め、解読が済み次第手書きされた魔報文をその都度カッツ書記官と公邸の両大使に届けていた。



 オリザニア人タイピスト以外に、大使館にタイプが打てる者はカッツしかいなかった。

 だが、幼い頃からタイプに慣れたオリザニア人と違い、カッツは一本指で一文字ずつしかタイプができない。そのような状態であれば、九〇二号報の清書は自分がやるべき仕事だと、カッツが理解できないはずはない。そして、いつでもオリザニア側に回答書を提示できるように、という訓令があったこともカッツは承知していた。セイメーたちが解読した手書きの回答書を、届けられる側からタイプ清書すればそれほどの仕事量ではなかっただろう。

 だが、全文が届くのは明日までかかるだろうという予告から、カッツはタイプ清書をすぐに始めることはなかった。


 それよりもカッツは、転勤の出発が遅れていたローシ書記官の送別会を、夕食を兼ねて行うことで頭が一杯だった。

 同時にコートウもローシの送別会を企画していた。三人の一等書記官は互いに仲が悪く、そのなかでも特にカッツとコートウのふたりは強烈なライバル心から特にいがみ合っていた。もともとローシの送別会自体は正式に行われた後であり、このよるふたりが企図していたものは単に仲の良い者同士の夕食会といったところだった。だが、帰国後、省内での勢力争いのためローシを取り込んでおきたいそれぞれが、敢えて同じ日に夕食会をぶつけてきた。

 ただの夕食会ならローシが片方だけ出たところで、先に声を掛けた方を優先しただけで済むが、送別会となれば話は別になる。同僚の心づくしを無碍にはできないが、あちらを立てればこちらが立たず、後々にどちらかの派閥であることを明言するようなものだった。

 ふたりの勢力争いは、ローシにとって甚だ迷惑な踏み絵と同じ情況を呈していた。


 結局、ローシ書記官が気を使い、両方の夕食会に時間をずらせて出席した。

 自分の勢力を誇示するため、カッツとコートウはそれぞれの派閥の面々を連れて行ったため、大使館事務所には幹部も通信室員も不在となり、カッツの机上には九〇二号報が未清書のまま山積みのままだった。


 夕食会を終わったふたつグループは、通信室関係以外の者は殆ど帰宅した。

 通信室員は一〇時頃に大使館事務所に戻り、九〇二号報解読の続きを再開する。

 テイ参事官もやや遅れて事務所に戻ったが、電信室に適当に切り上げるように声をかけて帰宅した。カッツは、ローシがコートウの企画した送別会に場を移動した直後に、自身が企画した送別会であるにも拘らず、ローシがいなければ無意味とばかりに退席していた。そして、オリザニア人知人の家に、大好きなトランプのブリッジをやりに行ってしまった。

 通信室員たちは、日付も変わり七日午前三時までかかって、ようやく一三部目の解読を終え、一四部はまだ届いていなかったので、テイの言葉もありそこで帰宅した。

 大使館事務所に残ったのは、当直者と若い館務補助員のふたりだけだった。


 公使を始めとした大使館幹部に緊張感が欠けていたのは、かねてよりノム大使に非協力的態度を取ってきたからだった。

 ノムは予備役砂海軍大将であって、外務省の人間ではない。セクト主義が蔓延しているソルの官僚たちは、部外者に対して異常なまでに冷淡だった。クリスが来たことで多少の緊張感が生まれたことも確かだが、あくまでクリスは補佐であり、対オリザニア交渉はノム主導だった。これもテイたち幹部が、いまひとつ仕事に対して真面目に取り組めない理由のひとつになっている。

 何故外交を外務省の専門家に任せないのか。

 門外漢の予備役大将がしゃしゃり出るのか。

 ならばお手並み拝見、高みの見物と決め込もう、というのが、外務省の人間の偽らざる心境だった。


 そして、大使館幹部たちは、オリザニアの世論と空気に見事なまでに騙されていた。

 デルと熾烈な交渉を繰り広げたノムやクリスは、オリザニアが戦争を望んでいることを肌で感じている。だが、直接交渉の場に出ることのない公使以下の職員たちは、ローザファシスカ大統領が三選目の公約に掲げたドラゴリー大岩盤戦争への不介入という言葉を鵜呑みにしていた。そして、この時期であっても、世論は相変わらず戦争への不介入が主流だ。ソルと戦争になれば、アレマニアとウィトルスがオリザニアに対しても宣戦布告する。

 それが解っていてソルと戦争をするとは、公使以下の幹部には考えられないことだった。




 その頃大東砂海上では、第二補給隊の三隻が砂上補給の任務を果たし、護衛の駆逐艦とともに針路を西にソルへの帰途についていた。

 『ご成功を祈る』の信号を受け取った機動部隊は『多大なる戦果を』と返信し、艦隊の隊列を第六警戒航行序列に組み替える。そして、『艦内第一哨戒配備、戦闘配食』が下命され、二四ノット即時待機二八ノット二〇分待機で針路を真南に取った。即時待機とは命令されたら即座にあるいは二〇分で所定の速度を出せるように機関を調整することだ。戦闘配食と即時待機の命令に、全乗組員は開戦間近であることを嫌が応にも思い知らされた。


「酒保開け。

 各分隊は、酒を受け取れ」

 日没後、各艦の高声放送が高らかに鳴り響く。

 ついに迎えた開戦前夜、誰が死の河を渡るか、まだ誰にも予測はつかない。

 心残りがないようにと、司令長官を始めとした指揮官たちは、ひとりの例外もなく壮行会を開くことにしていた。


 ホンリュウがまたしてもエルミを返り討ちにした後に、艦攻隊のガンルームにオーキキ二航戦司令官が姿を現す。

 オーキキは普段と変わらないエルミの行動に、苦笑いしながらも余計な緊張感を感じさせない艦攻隊搭乗員たちに深い安堵を覚えていた。賑やかに酒を酌み交わし、持ってきた一升瓶が空になると、オーキキは艦爆隊のガンルームへと移動していく。そこではファルがてぐすね引いて待ち構えているが、前回エルミの後を追うように撃沈された苦い経験からこの日は少し大人しい。


「司令官、明日はボクたちに任せて、ひとつ大船に乗ったつもりでいてください」

 無礼講の席ということもあり、普段であれば絶対に許されない一人称でファルがオーキキに絡む。


「ファル少尉、頼んだぞ。

 全機突入の意気込みでやってくれ。

 だがな、コウモ君も言っていると思うが、自爆をしろといっているわけじゃない。

 そこは勘違いしてくれるなよ。

 七生報国という言葉があるが、これを七度死んでも七度生まれ変わってお国に尽くすと解釈する莫迦者が多くて困る。

 これは、七度死の危険に遭遇しても、その都度生還しお国に尽くすという意味だと、私は理解している」

 ファルの言動を咎め立てすることもなく、オーキキは新たに一升瓶の封を切り、ファルの湯飲みに注いだ。


「そうだ、少尉。

 貴様らの腕は、自爆突っ込みなんぞしなくても、充分に敵を殲滅できるだけには鍛えてある。

 『急降下爆撃の神様』が鍛えたんだ。

 気軽に行ってこようぜ」

 既に真っ赤になり、呂律が怪しいコウモ少佐がファルに酒を注ぐ。


「ひゃいっ!

 少佐、光栄でしゅ!」

 ファルにとってオーキキは父にも等しい存在だが、コウモはまさに神だった。

 ガチガチに緊張して湯呑を頭上に差し上げてから、ファルは一気に酒をあおった。


「私とはえらい違いだね、ファル少佐。

 妬けるじゃないか、コウモ君」

 オーキキの言葉に、ガンルームに笑いが弾けた。



 長官公室に戻ったオーキキを、やはり艦内を一巡りしてきたホンリュウ『デットン』艦長が訪ねてきた。


「司令官、こちらでしたか。

 随分とお酒を召されたようですが、明日は大丈夫でしょうな?」

 そう言いながら、ホンリュウは新しい一升瓶の封を切った。


「艦長こそ、大丈夫かね?

 明日の今頃にはここにいない者がいるかと思うと、全員の顔を目に焼き付けておきたかったんだよ。

 約一名、先に沈んだ者がおったが、艦長のせいらしいな」

 姿勢を崩すことなく、オーキキはホンリュウの酌を受け、悠々とした所作で湯呑を空ける。


「申し訳ございません。

 しかし、あの娘にも困ったものですな。

 今日こそ私と司令官を沈めてやると息巻いておりましたが。

 司令官のお手を煩わすまでもありませんでした」

 軍務を離れてしまえば我が娘のようにエルミを認識しているホンリュウが、笑いながら頭を下げつつオーキキの酌を受ける。


「皆の顔を見ておきたいと思っていたのだが、私は少尉と縁がないようだな。

 いつも、私が行く前に艦長が撃沈してしまうから。

 縁といえば、女性飛行士官たちも年頃だ。

 良い話のひとつもあるのかね?」

 オーキキは、女性の士官登用には賛成だが、最も死に近い飛行士官に女性を起用することに、諸手を挙げて賛成というわけではなかった。


 確かに男性に比べ女性の方が、飛行に向いた魔力を持っている。

 これを攻撃や敵機の迎撃に用いれば、航空戦力は格段に向上する。だが、それは男の仕事ではないかという疑問もまた、オーキキは持っていた。

 せめて飛行士官として起用するのであれば、輸送機や教官といった後方支援任務のほうが良いのではないかと感じていた。なによりも、死の危険と隣り合わせであることより、子を産み育む立場の者が大量の死を振り撒くことに、どうしても馴染めなかったのだった。

 それゆえに、女性飛行士官たちに良縁があれば積極的に勧め、後方勤務に移動できるように計らいたいとオーキキは考えていた。


「それであれば、どうやらエルミ少尉には想い人がいる様子です。

 たまたまそういった方向に話が向いた途端、真っ赤になっておりました。

 そのせいですか、今夜も早々に轟沈したのは」

 呵呵大笑してホンリュウは湯呑を空ける。


「そうか、それは良いことだ。

 他の者にもそういった話があれば、このオーキキが仲人を買って出てもいいぞ。

 話は変わるが艦長、ここへ来る前に機関室を覗いてきたが、若い兵たちが壮行会に出ることもなく黙々と任務をこなしていた。

 決して機関長から強要されたわけではなく、自主的にだ。

 若者たちが開戦を前に闊達に振る舞う姿も頼もしいが、そういった縁の下の力持ちが自ら進んでその役を買って出ている姿も、また頼もしいものだ。

 明日は、ソル海海戦以上の戦果が上がることを、私は信じているよ」

 オーキキは、公室に戻る前に見てきた光景を、ホンリュウに話した。

 熱気のこもる機関室に詰め、魔鉱石への魔力供給に汗を流す者、ボイラーの異常がないか、また戦友が脱水症状を起こさないか常に目を光らせる者、万が一にも故障などさせないように各所に油を差して回る者、多くの下士官兵が壮行会に背を向け、黙々と任務に励んでいた。


「お褒めいただき、全乗組員を代表して御礼申し上げます。

 我がことのように嬉しいものですな、部下が褒められるということは」

 満面の笑みを湛え、ホンリュウが頭を下げ、そしてオーキキの湯呑に酒を注ぐ。


「内地に帰ったら、私と艦長で皆に奢るか。

 年頃の者たちの嫁や婿の世話も考えんといかんかなぁ」

 畏まったホンリュウの態度に破顔一笑して、オーキキ湯呑をあおり、そして酒を注ぎ返す。

 これから皇国の命運を掛けた乾坤一擲の戦が始まるとは、とても思えない雰囲気だった。




 ハトー時間一二月七日の午前四時、ソル時間で一二月七日の深夜二三時三〇分。

 機動部隊航空甲参謀ジッツー中佐は、攻撃隊発艦時刻より二時間も早く目を覚ましていた。艦内は第一次攻撃隊発艦準備の喧騒に包まれていた。ジッツーは艦橋に上がり、昨晩ここでナンクゥと交わした会話を思い出す。

 ジッツーの意見具申で、当初はハトーから二一〇浬、約三八九キロの地点で第二次攻撃隊を発艦させる予定だったものを、一九〇浬まで近寄ることに変更していた。さらに、第二次攻撃隊発艦後直ちに変針反転し、退避しながら第二次攻撃隊を収容する予定を、さらにハトーに近付いて一五〇浬の地点に変更していた。これは、攻撃隊をより確実に収容するためでもあるが、ハトーの在泊艦艇を討ち漏らすようなことがあれば、直ちに反撃を受ける危険と隣りあわせだった。

 しかし、奇襲が見込める第一次攻撃隊と違い、完全に強襲となる第二次攻撃隊は、間違いなく熾烈な対空砲火や迎撃戦闘機が待っている。機体の損傷や搭乗員が負傷する確率はあきらかに第一次攻撃隊より高く、途中で力尽きる者が増えてしまうことは確実だ。母艦がハトーに近付けば近付くほど、未帰還機を減らせることになる。一騎当千の荒鷲たちをむざむざと砂海に散華させる気は、ジッツーには欠片もなかった。


 多くの反対意見が出され、ジッツーの案は却下されるかに見えたが、それを救ったのは誰あろう、ナンクゥ司令長官だった。

 ナンクゥにとっても搭乗員たちは我が子同然であり、資源の乏しいソル皇国にとっては宝石などより貴重な存在だ。この搭乗員たちの危険を減らすことは、司令長官として当然の義務とナンクゥは認識している。たとえ、一パーセントに満たない確率の上昇であっても、ナナンクゥにその手段を躊躇わせる理由はなかった。


「私は、ここまで、攻撃地点まで艦隊を引っ張ってきた。

 後は、君と飛行部隊の責任だ」

 ジッツーの意見を取り入れ、予定変更を決定したナンクゥは、そう言ってジッツーを正面から見据えた。



 第一次攻撃隊総隊長のミッツ中佐は、ハトー時間の午前五時、攻撃隊発艦の一時間前に目を覚ましていた。

 このとき砂嵐が吹き荒れ、『コッヴ』は前後左右に激しく揺れている。既に旗艦『コッヴ』以下六隻の空母の飛行甲板には、第一次攻撃隊の機体が敷き並べられ、発艦時刻を今や遅しと待っていた。ミッツはたの搭乗員たちがそうであるように、万が一負傷した際シャツを血が汚しても気付かれないように真紅のシャツを着込み、その上から真新しい飛行服を着込んだ。

 そして朝食を摂りに士官食堂へと降りていくと、同じ格好をしたジュージ少佐が既に朝食を掻き込んでいる。


「おはようございます、大将。

 ハトーは太平楽に眠ってますぜ」

 ハトーの魔道放送が受信できるようになってから、敵信傍受班はハトーの魔道放送に変化がないか聞き耳をそばだてていた。

 この日の朝も、いつもと変わらない音楽番組が放送され、機動部隊が接近していることを告げる臨時ニュースはどの局からも放送されていない。

 そのことをミッツに告げたジュージは悪戯っぽく笑った。


 そこへ、難しい顔をしたナンクゥと、半ば怒りに顔を歪ませた参謀たちが入ってきた。

 荒れる砂嵐の中で、身軽な零型艦戦や九型艦爆はともかく、重い八〇〇キロ爆弾や航空砂雷を抱えた七型艦攻の発艦が危ぶまれていた。航空乙参謀は事故を恐れ、艦攻の発艦を中止し、第一次攻撃隊は艦爆だけでハトーを叩くべきだと進言している。司令部内でも意見が分かれ、このままでは攻撃隊発艦時刻になっても結論が出ないのではと、ジッツーは焦りを感じていた。

 しばらく押し問答が続いたが、ナンクゥが実際に飛ぶ者たちの意見を聞こうと言い出し、参謀たちを引きずるようにして艦攻隊の搭乗員待機所に来たのだった。


「随分と砂海が荒れているが、お前たち、このローリングでも魚雷を抱えたまま、見事発艦できるか?」

 何事かと訝しむ搭乗員たちに航空乙参謀が何かを言おうとするが、それを遮ったナンクゥが口を開いた。


「長官、私たちを誰だと思っているんですか。

 この程度砂嵐など、荒れているうちには入りません。

 見事、発艦してご覧に入れましょう」

 ジュージが気負うことなく冷静に答え、他の艦攻乗りたちが口々に追随した。


「よしっ!

 出そう!

 参謀長、いいではないか、出してやろう」

 ナンクゥが力強く言い切った。

 タンカン湾を出航して以来、初めて見せる颯爽たる指揮官ぶりだった。


 午前五時三〇分、乾いた音を残して第八戦隊の『ドラコ』と『ケロニア』から、攻撃隊に先立って二機の砂偵がカタパルトから撃ち出された。

 リンが操縦する『ドラコ』機はハイナ泊地に、『ケロニア』機はハトー泊地を目指して闇の中を真一文字に駆けていく。そして、この直後の午前六時、第一次攻撃隊一八三機が発艦を開始した。

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