第2話 少年たち
砂漠に陽が昇り、オアシスを囲むように点在する村を朝日が包んでいく。
日の出とともに鐘楼の鐘が鳴らされた。
それまで静まりかえっていた町が突然活気を帯び、家々から人々が路上に出てくる。
さらに鐘が鳴らされたとき、人々は一定の方角に揃って向かい、一斉に頭を垂れた。町の活気が一瞬でかき消され、鳥のさえずり、町に飼われている動物の鳴き声、そして風の音だけが流れていく。やがて、もう一度鐘が鳴らされ、姿勢を元に戻した人々が動き出す。
ある者は一日の労働に出かけ、ある者は家に戻って家事に勤しみ、子供たちは今日一日何をして遊ぼうか目を輝かせていた。
「ガル、お前はどうするんだ?」
日が暮れて暫くした酒場の片隅で、二人の若者が額を寄せて話し合っている。
「お前こそ、本気なのか、レグル?
考え直すなら、まだ間に合うと思うんだけど」
ガルと呼ばれた若者は、困り顔で逆に問い返す。
困ったような顔には、いくつか火傷や切り傷の痕がある。ソル人には普通にみられる直毛の黒髪と、細く僅かに垂れ気味な一重瞼の目には、これも一般的な黒い瞳を持っていた。僅かに低めの鼻梁と薄い口元が際どいバランスで精悍さを醸し出している。
身長一七〇センチほどのがっちりした上半身を持ち、特に腕の筋肉が発達している。テーブルに隠れているが、その上半身に比べ少し細目の下半身が繋がっていた。ソル人としては極めて標準的な、やや胴長短足のバランスだった。
それに対してレグルと呼ばれた若者は、顔に傷などはほとんどないが、よく陽に焼けている。
ガル同様漆黒の髪色だが、僅かにウエーブが掛かった癖っ毛だ。二重瞼の切れ長の目には、黒曜石のような瞳が輝きを放っている。ソル人離れした高い鼻梁と引き締まった口元は、意志の強さを主張するかのようだった。
ガルより僅かに身長が高く、さらに筋肉質の身体を持っており、下半身にもバランスよく筋肉がついている。両者の違いは子供の頃から手伝ってきた家業に由来しているものと思われた。
ただし、上半身と下半身の比率は、ガル同様ソル人の平均的なそれだった。
さほど賑わいを見せていない村の小さな酒場で、二人の若者に注がれる周囲の目は、何とも言えない生温かさに満ちている。
それは、二人の外見に由来する生温かさだった。どう見ても、少年から青年への過渡期にある二人の姿は、大人たちの中では明らかに異質な存在だ。
それでも二人の少年が酒場をつまみ出されずにいるのは、この世界で一般的に大人として扱われる一六歳という年齢を超えていたからだった。もちろん、肉体も精神も完成したからというわけではなく、働き手としての数に入れる以上は扱いも、という理由からによる。
ガルとレグルが生まれ育ったソル皇国でも、それは一般的なことだった。
「俺は、もう決めてるんだ。 年が明けたら王都へ出て、士官学校に入る。
いつか、将軍か提督になってやるんだ。
こんなシケた村で夢ばかり見てるなんざ、もう御免だね」
村で生計を立てている大人たちに、取りようによっては喧嘩を売っているかのようにレグルは言い放った。
しかし、その言葉にいきり立つような者はいない。
夢を語るのは、若者の特権だ。そこにいる誰もが一度は夢を語り、その実現のために若い命を燃やしてきた。そしてある者は村を後にし、ある者は自らの意志で村に残り、ある者は夢破れて村へ戻っていた。誰もが通ってきた道を、咎め立てするような野暮な者は、酒場などには近寄らない。
そして、この時代における立身出世の頂点が、大臣または将軍、そして提督だった。それを夢見ることを、笑う者などいるはずもない。
ソル皇国の国家元首は皇王だが、政治は議会が選出する総理大臣が統括し、各大臣が実務を掌握、国務に関して皇王を輔弼する。
そして、騎兵軍と砂海軍で将官に登り詰めた者を、それぞれ将軍、提督と称していた。
騎兵軍大臣と参謀総長、教育総監が騎兵軍の三顕職であり、砂海軍大臣、軍令部総長、連合艦隊司令長官が砂海軍三顕職であった。騎兵砂海の両大臣は国務に付いて皇王を輔弼するが、参謀総長、教育総監、軍令部総長、連合艦隊指令長官が、統帥上の輔弼を行っていた。
輔弼とは、皇王が為すべきこと、または為さぬべきことについて助言を行い、その全責任を負うことだ。
ソル皇国の主権は皇王にあり、国務行為やその延長にある戦争は、実際には内閣や軍部が行うが、すべて皇王の責任において行われる。失政や敗戦の責任を、無謬の存在たる皇王に負わせてはその権威に傷が付き、統治に不都合が生じてしまう。そのため皇王に代わって責任を取る者が必要であり、その任を輔弼と呼んでいた。
各年度二〇〇人の士官学校卒業生の中から、将官まで登り詰める者はおよそ一〇人。
かなりの狭き門といえる。それ以前に士官学校自体が倍率数十倍の難関だ。スタートラインに着くことすら、困難といえた。
だが、レグルにはその資格があると、村の誰もが認めている。
この村始まって以来の神童と言われ、中等学校の教育課程では物足りず、高等学校から大学校レベルの問題まで解きこなす頭脳を持っていた。
そのレグルが士官学校を目指すことは、当然の流れではあった。
「どうせ二〇歳になれば、強制的に兵役があるんだろ。
それからでもいいじゃないか。
チェルが寂しがるぞ」
ガルがさらに言い募り、とどめとなり得る人物の名を挙げた。
「二〇からの強制兵役からじゃ、兵卒で終わりだ。
せいぜい特務尉官、良くて定年退官間際で特務佐官、よっぽど運が良くて営門大佐だぜ。
それに、いつオリザニア共和国とも開戦するかも知れないんだ。
一兵卒じゃ、戦功なんか立てられるわけないだろ?
皇族でもない俺が将官になるなんて、士官学校を出てなきゃ夢のまた夢じゃないか。
もう、一年も無駄にしちまったんだ。
これ以上、ここにいたらダメになっちまう。
それに、メディエータ共和国との戦争だって、長引けば強制兵役の年齢が繰り上げられちまうかも知れないんだぞ。
士官学校に入っていれば、そうなっても士官見習いにはなれるはずだ。
一兵卒に叩き落とすようなことは、いくらなんでもしないだろ。
チェルに良い暮らしさせるためにも、俺は行くんだ」
レグルは瞳を輝かせ、その恋人の名を口にした。
六年前にフェクタム帝国に駐留しているソル騎兵軍が、メディエータ共和国国境警備隊と小競り合いを起こしていた。
それをきっかけに、ソル皇国騎兵軍とメディエータ共和国軍騎兵軍との間で大規模な戦闘が発生した。両国の外務省同士が事態を収拾しようとしたが、ソル皇国騎兵軍のフェクタム派遣軍司令部の独断専行により、戦火は広がる一方だった。
ソル皇国政府は、派遣軍の独断に激怒し、現地司令官の解任を騎兵軍大臣に迫った。
だが、司令官クラスもまた輔弼職であり、統帥権の独立を理由に騎兵大臣はこれを峻拒していた。開戦当時は連戦連勝であり、新聞や魔道放送といったメディアもこれを大きく取り上げ、国民は熱狂した。国民の支持を背景に、騎兵軍はさらにメディエータ国内に侵攻し、開戦の責任論は吹き飛ばされ、派遣軍司令官は一躍時の人となっていた。
しかし、いくら連戦連勝とはいえ損害がゼロというわけではない。夫や父、息子や兄弟を失った者はいた。
その家族が嘆かないはずはないが、『お国のために命を捧げた英雄』の家族の談話は、『お国のお役に立てて本望』という形でのみ報道され、戦意昂揚のために利用されている。本音をおおっぴらに言えば非国民扱いされるのではないかという恐怖が、残された家族たちの口を塞いでいたのだった。
軍部が当てにならないと判断したソル皇国政府は、独自に外交ルートから事態の打開を図った。
だが、ほぼ同時に始まったメディエータ共和国の内戦により、その機能のほとんどが正常に働かないメディエータ外務省が事態を収拾できるはずもなかった。宣戦布告のない戦争は、ソル皇国騎兵軍とメディエータ共和国正規軍、新生メディエータ軍の三者が入り乱れ、泥沼の様相を呈していた。
そこへオリザニア共和国が横槍を入れてきた。
メディエータ共和国は広大な国土を有し、五億から六億の人々が暮らしている。
国としての発展が長く停滞していたため、多くの民は文化的とは言い難い暮らしをしていた。オリザニア共和国にしてみれば、それは巨大な市場となりうるフロンティアだった。世界恐慌に苦しむ自国経済を、一気に立て直す救世主となる可能性を秘めた市場だった。もちろん、ソル皇国も同様の思惑を抱いており、フェクタム帝国に軍を駐留させているのもいずれメディエータ共和国を市場化しようという野望のためだ。
そもそもフェクタム帝国自体、ソル皇国の傀儡国家であることは、公然の秘密だった。
オリザニア共和国は、自らが標榜する自由と公正の国の名に恥じることのないように、巧妙に策をめぐらせている。
ソル皇国が裏で糸を引いたフェクタム帝国のメディエータ共和国からの分離独立を責め、建国の取り消しと両国からの撤兵を求めた。もちろん、その後に武力を伴わずにメディエータ共和国に入り込むためだ。一度入り込んでしまえば、自国民保護のために軍を展開させるなど、いくらでもできる。だが、ソル皇国軍の侵攻中に、自国軍を他国内に展開させる正当な理由はつかなかった。
まだ国際社会の中では未熟なソル皇国は、正面からこれを拒絶してしまった。
オリザニア共和国はこれ幸いとばかりに態度を硬化させ、ソル皇国に対するあらゆる資源の輸出を停止した。
国内で産出する資源がほとんどないソル皇国は、鉄鉱石やこの世界で唯一のエネルギー資源である魔鉱石、その他さまざまな資源の新たな供給源を探さなければならなくなり、より一層フェクタム帝国内の権益やメディエータ共和国に深入りしていく羽目になる。
そして、さらに南方の列強植民地に目を付けた。
国際平和条約会議という国家間の利害調整を行う機関の総会で、ソル皇国代表は国の振る舞いを槍玉に挙げられ、半ば吊るし上げに近い非難を浴びた。
ソル皇国の政府は冷静に対処する気でいたが、メディアが煽り立てた結果世論は沸騰し、暴動騒ぎまで起きている。軍部に近い政党から内閣不信任案が提出され、示し合わせたように騎兵軍大臣が辞任し、後任を推薦しないという事態が発生した。それでも当時の首相は事態の打開に努めたが、平和条約とは別に締結された列強各国の艦艇の保有比率条約に不満を抱く、砂海軍青年将校による暗殺事件を招いてしまう。
首相を失ったことで自動的に内閣は総辞職に追い込まれ、国際平和条約から脱退とオリザニア共和国に対して強硬姿勢を取る政府が誕生してしまった。
当代の皇王アッキカーズは戦争の拡大を望まなかったが、君臨すれども統治せずの大原則から異を唱えることはできかった。
オリザニア共和国との資源輸出に関する交渉は、内閣の足並みが揃わず難航していた。それどころか、オリザニア側が提示する交渉の条件は、ソル皇国のメディエータからの撤兵ありきであり、まともな交渉は行われていなかった。高圧的な態度と条件に軍部は態度を硬化させ、いつ戦争が始まってもおかしくない雰囲気が醸成されている。
レグルの言ったことは、そのようなことを背景としていた。
ガルは、心のどこかをチクリと刺されたような感覚に襲われた。
しかし、それは、出征している兵士やその家族のことを思ってのことではない。
だが、ガルの心を刺した小さな棘は、それではなかった。
心のどこかにレグルが村を出ることを期待している自分がいることを、レグルに気付かれたような気がして嫌気が差している。レグルがいなくなれば、チェルを自分のものにできるのではという期待は、ひと月前から抱いていた。チェルには病気がちな母がいるため、村を出ることは考えられない。だが、二人で村に残ったとしても、チェルが振り向くはずもないと、ガルには判っている。レグルを引き留めているのは、チェルのためでもなく、自分の寂しさのためでもなく、チェルを諦めるためなのかも知れなかった。
それでも心のどこかに、チェルと寄り添う自分を想像し、また自己嫌悪に陥るのだった。
「だから、俺やチェルのことは大丈夫だから、おまえはどうするんだよ?
俺と一緒に、帝都へ出ようぜ。
おい、聞いてるのか、ガル?」
考え込んでいるように見えたガルに、心配そうにレグルが問い掛けた。
「あ?
ああ、俺は親父の後を継ぐよ。
あんな鍛冶屋でも、なくなっちまったら不便だろ?
お前は、本当に行くのか?
親父さん、よく許したな」
社交的な反面仕事には厳しい父と、人付き合いは苦手だが良い作物を作るレグルの父の顔を、ガルは思い浮かべていた。
本心では、華やかな帝都へ出てみたいという気持ちの方が強いのだが、家業を継がなければならないという義務感もある。もちろん、チェルが村に残るということも、帝都へ出る決心をさせていない理由のひとつだ。逆にチェルを忘れるために、帝都へ出てしまいたいとい気持ちもある。
自身の迷いが、言い訳がましい言葉となって現れてしまい、ガルはレグルに質問をすることで誤魔化そうとした。
「ああ、親父は大賛成さ。
親父も、本当は軍に行きたかったんだ。
あれさえなきゃな」
ガルの気持ちなど知らぬ気に、レグルは嬉しそうだが少しだけ眉根を寄せていった。
レグルの言った『あれ』とは、一五年前にソル皇国帝都を襲った大地震を指す。
たまたま運悪くこのとき帝都を訪れていたレグルの父は被災し、一生引きずる大怪我を負ってしまっていた。幸いにも後遺症は日常生活であれば不自由が多少ある程度だったが、軍務には耐えられないと判断され、強制兵役すら免除となっていた。
もっとも、レグルの父が受験可能な年齢になった頃には、士官学校は国内最難関校になっていた。片田舎で多少頭が良いと言われるくらいの者では、到底合格など適わない遠い存在だった。特権階級とされている貴族ですら、軍に無能者はいらないという理由から受験に際して優遇措置など皆無であり、完全な実力主義を貫いていた。
受験資格に制限はなかったため、レグルの父も試験には臨んだが、敢えなく不合格となっており、己が夢を息子に託していたのだった。
「そうか。
あの店も、親父さんの代で終わりか。
寂しくなるな」
気の抜けたエールを喉に流し込み、ガルは恨みがましそうにレグルに言った。
農協に相当する機関はこの村にはなく、農民のそれぞれが畑の近くに店を構えていた。
レグルの父が引退し、後を継ぐレグルが帝都へ出てしまえば、まだ幼い妹と母の二人だけでは畑と店を維持することは不可能だ。畑と店はいくらでも借り手は付くだろうから荒れ果ててしまう心配はないにしろ、レグルの父が作る作物を超える物はそうそうない。
近隣の村からも客が来る名物店がなくなることは、ガルは村の損失だと思っていた。
それからは他愛のない話に終始し、翌日の仕事に影響が出る前に二人は酒場を出た。
この世界で使われている共通の暦である太陽暦で、二六三七年一二月八日のことだった。