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第13話 焦燥

 一二月三〇日の深夜、チェルは久し振りにゆっくりと羽を伸ばせる実家の湯船に浸かりながら、この数ヶ月のことを思い返していた。

 明日はチェルの宿恒例行事となっている新年祭お節作りが待っている。贅沢禁止令の中で、いかに楽しげな新年際を演出することができるか、チェル一家の腕に掛かっている。帰郷したからといって、腕を鈍らせるほどのんびりする気はチェルにはない。実家に帰ったその日から、父と弟と共に厨房には行っていた。それでも修行先とは違い、仕事が終われば一家の団欒があり、気兼ねなくゆっくり浸かることのできる風呂があった。

 しかし、独りでゆったりとしていると、頭の中には修行先や帝都で見聞きしてきたことが浮かんでしまうのだった。



 最後に四人が飲んだ日以来、間違いなくソル皇国は国際社会で孤立し始めていた。

 三国同盟が締結された後、態度を完全に硬化させたオリザニア共和国による魔鉱石や屑鉄の禁輸は、ソル皇国経済の体力を確実に削っている。

 チェルは、魔鉱石の禁輸がどのような事態を招くかは想像できたが、屑鉄などが入らなくなったところで何の影響があるのかと思っていた。だが、鋳鉄技術が未熟なソルにとっては、鉄鉱石がいくらあったところで良質な鉄を作り出すことができない。技術後進国であった五〇年前のソルにとって、一度鋳鉄された原料を輸入するしか、国内で製鉄することができなかった。原材料の加工からではコストがかかりすぎることも、鋳鉄技術を発展させる余裕与えなかったのだった。

 製鉄技術だけが発達してしまったソルにとって、屑鉄の禁輸は鉄製品の製造が止まることを意味していた。


 そんな中で、比較的ソルに対して好意的な態度を取るメヒクトリ共和国が、対ソル禁輸を解除した。

 オリザニア共和国と国境を接し、領土を巡る対立から一度は戦火を交えたメヒクトリ共和国が、ソルに対して好意的な理由は敵の敵は味方という感情からだった。多くのソル人が移民として彼の国に入植し、良好な関係を築いてきた歴史も物を言ったメヒクトリは魔鉱石鉱脈を国内に豊富に持ち、ここからの魔鉱石輸入の目処が立ったことはソルにとっては僥倖と言えた。

 新聞の報道でこのことを知ったチェルは、料理店などへの魔鉱石割り当てが増えることを期待した。だが、軍需産業にすべて割り振られ、チェルの期待は大きく裏切られてしまったのだった。



 一〇月一日に第五回国勢調査が行われたが当然のことながら動員力を把握するための調査であり、いざ対オリザニア開戦となった際の戦力を正確に掴むための調査だ。

 一〇月一二日には、大政翼賛会発会式が挙行され、大々的に新聞紙上で報道されていた。

 これは政党政治を廃し、挙国一致態勢を作り上げるためだった。これにより様々な意見をぶつけ合い、国家の暴走を止めるための議会は機能不全に陥ってしまった。

 それからひと月ほどが過ぎた一一月二三日には、大日本産業報国会の結成が大々的に報道された。

 全国労働組合同盟と、ソル労働組合同盟が解散させられ、全国の労働組合を内務省と厚生省の指導の下、労働者を戦時体制に統合するためだ。大政翼賛会の結成と合わせ、政治と労働者が完全に戦時体制に組み込まれていった。


 ソル国内の締め付けも厳しくなり、一〇月三一日に戦時体制への移行のため、帝都のダンスホールが閉鎖された。

 さらには、タバコの銘柄でサピエント語を使っているバットが金鵄に、チェリーが桜に改名させられた。敵性言語を使うな、ということだが、チェルには莫迦莫迦しい茶番劇か国家が狂気に染まったようにしか見えない。翌一一月一日には、帝都小劇場が国民新劇場と改称させられている。

 報道される世界情勢とは裏腹に、ソル国民の暮らしは間違いなく不自由になっていった。


「考えても仕方ない、か」

 明日に控えた新年際の準備に、チェルは意識を集中することにした。

 レグルと久し振りに会えることが、チェルの心を少しだけ明るくしていた。




「ねぇ、レグル。

 いきなり騎兵軍の参謀総長が代わったじゃない?

 この非常時に、わざわざ混乱するような真似するなんて、騎兵軍省は何考えてるんだろ」

 一二月三一日の早朝、帝都を出発した浮遊車の中で、眠たげな目を擦りつつエルミが聞いた。


 一〇月三日に皇室軍人の騎兵軍参謀総長の辞任が新聞発表されたが、オリザニアとの関係が悪化する中で、実働部隊の最高責任者が交代するなど、混乱を招くだけのことだ。

 寮の中では、軍の方針を批判するような発言は厳禁だ。もともとあまり仲が良いとはいえない騎兵軍に関することであっても、士官学生が何か物申すなど許されることではない。


「決まってるだろ、逃がしたんだよ。

 勝ち戦の栄誉は誰が持っていっても構わんが、負け戦の責任を皇族に取らせるわけにはいかないだろ」

 辺りを軽く見回してから、レグルが早口言葉のような勢いで吐き捨てた。

 総力戦となる対オリザニア戦争で、何かあった際に皇族が責任を取る羽目になる前に、勇退という形で避難させるためだった。


「でも、今までメディエータとの戦争で上手くいかなくても、特に何にもなかったじゃない。

 それに、ドラゴリー大岩盤では友邦は優勢よ。

 何も、今の時期に」

 大政翼賛会の発足が発表された一〇月一二日、ドラゴリー大岩盤ではアレマニア共和国軍が、また新たな方面作戦を開始していた。

 これによりドラゴリー大岩盤の情勢はさらに混迷の度を深め、アレマニア共和国と三国同盟を結ぶソルに対する風当たりが強められていくことになる。


 一〇月二八日には、ウィトルス王国がアレマニア共和国に後れを取るまいと、隣国に対して侵攻を始めた。

 同日に行われたアレマニア共和国総統と、ウィトルス王国総帥の会見は、両国の協力体制を全世界にアピールするための一大イベントとして捉えられている。もちろん、ソルの主要五紙もこのイベントの報道に大きく紙面を割いていたが、戦意高揚を意識した記事であることは明白だった。


「ほんとうに優勢だと思っているのか?

 お前も飛行士官学生の端くれなら、サピエントとアレマニアの航空機の性能くらいは知っているだろう?

 アレマニアの航空機でサピエントを落せるとは、俺は思えないんだがな」

 もちろん、全てが報道されるわけではないことくらい、エルミも充分承知している。


 レグルもこの時点では知る由もなかったが、一〇月三一日にアレマニア空軍によるサピエント王国に対する空爆が、サピエント空軍の頑強な抵抗に遭い一時的に頓挫していた。

 当然軍部はこの情報を得ていたが、ソル国内では全く報道されていない。アレマニア総統は自軍の有利を盛んに喧伝していたが、航続距離の短い航空機での空襲が思うような効果を挙げられず、被害が無視できないことを隠すために必死になっている。ソル騎兵軍にはアレマニア信奉者が多く、サピエント空爆の頓挫を一時的な戦略的後退だと主張する者がほとんどだった。

 冷静に情報を分析できるはずの外務省も、外相がアレマニアの熱狂的な信奉者であったため、自身が不利になるような情報を統制してしまっていた。



「確かにね。

 でもサピエントを航空攻撃だけで落そうとは思ってないでしょ、アレマニアも。

 サピエントに物資を運ぶサピエントの船を沈めちゃえば、それでいいんじゃないかな?

 オリザニアだって、戦争は嫌なんでしょ」

 僅かの間に両国航空機の性能と、国際情勢の知識を頭の中に描き、エルミが答える。


 一一月五日、オリザニア大統領選挙で、ローザファシスカが三選を果たしていた。

 ローザファスシカ政権は、ドラゴリー大岩盤での戦争に対して、当初サピエント王国寄りではあったものの、武器援助以外には基本的には介入しない政策を取っていた。これは、先の世界大戦に参戦した経験から、ドラゴリー大岩盤での戦争に関わるのは極力避けたいと考えていた、オリザニア国民の世論を意識してのことだ。


「万が一、オリザニアの船を沈めようものなら、あの国が本気になる。

 そうなったらアレマニアといえども、苦しいだろうな。

 アレマニアにとってはそのための三国同盟なんだろうが、そうなったら皇国は自動的に対オリザニア開戦だ。

 経済封鎖は確かに有効だが、オリザニアの協力がある以上完全にサピエントを封じ込めることは無理だろう。

 いよいよになったら、すべてオリザニアの船だけにすれば良いんだぜ」

 レグルは嗜めるように言った。


 ローザファシスカ政府は、ドラゴリー戦線においてアレマニア軍にサピエント本土上陸寸前まで追いつめられていたサピエント王国首相から、再三再四対アレマニアウィトルス戦争への参戦を求められている。

 さらに、ソル・メディエータ戦争下にあったメディエータ共和国総統のオリザニア留学経験もある夫人が、数度にわたり対ソル戦争におけるオリザニアの支援、参戦をローザファシスカに訴えかけている。


 当時のオリザニア政府は、サピエント王国やメディエータ共和国に対し既に多大な支援を行っていた。

 特に多額の戦債をつぎ込こんだサピエント王国が負けることは認め難いことだった。だが、ローザファシスカ大統領としても選挙では戦争に介入をしないと宣言をして当選していた手前、ドラゴリー戦線へ介入したくてもできない状況にある。


 ローザファシスカ大統領は、有権者と他国との見事な板ばさみになっていた。

 孤立主義に閉ざされていたオリザニア国民に対し、オリザニアは戦争に関わるべきではないかと魔道放送で問いかけた。

 『ドラゴリー、バキシム両岩盤の戦争はオリザニアに関係ないという人たちがいる。しかし戦争を引き起こしている者にオリザニアにつながる大砂海の支配権を渡すわけにはいかない』と問いかけたローザファシスカの言葉は、オリザニア国民の心に突き刺さってはいた。だが、それでも戦争という代償を払うかどうかについて、国民の決断は『否』だった。



「レグルは、あの話のこと、どう考える?」

 話題を変えるようにエルミが聞いた。

 一一月一一日、サピエント砂海軍が空母艦載機を、ウィトルス王国のターレス軍港に突入させた。

 停泊中のウィトルス砂海軍の三隻の戦艦は回避運動をすることもできず、数発の砂雷を喰らい大きな被害を受けてしまったが、サピエント側の被害は僅かに雷撃機二機に留まっている。航空機による戦艦への優位論がまたぞろ頭をもたげてきたが、ウィトルス軍の戦艦が作戦行動中ではないことや、完全に魔鉱石発動機を止めていた状態で対空砲火も打ち上げることができない状況であったことなどから、大艦巨砲主義者はこの論調を認めていない。それでも先見の明のある者たちには、大きなヒントになったことは間違いない。

 主要五紙が友邦の被害を報道することはなく、立場上情報に接した者たちには厳重な緘口令を敷いていた。厭戦気分や、友邦、ひいては軍部指導部に対する不信感が台頭することを、未然に防ごうという軍部の意思が裏で働いていたことは明白だった。


 だが、航空主兵主義の牙城である飛行士官学校では、早速にその戦術の研究が行われ始めている。

 それに対して、大艦巨砲主義の牙城ともいえる士官学校では、この事実を全くの偶然による研究する価値のない戦訓と捉える者、背筋に薄ら寒いものを感じ対空戦闘の研究を決心する者、ウィトルスの戦闘実力を小莫迦にして鼻で笑う者と様々だった。両校では生徒に対し、教官はそれぞれの見解からこのターレス空襲について講義の一部を割いて意見を述べている。

 飛行士官学校では前向きな授業であったのに対し、士官学校では様々な見解が示され、生徒たちの間には混乱が広がっていった。


「それは、後にしようぜ。

 俺たちの話が誰かに聞かれたら拙いだろ?

 そうだな、今夜飲むときにでもどうだい?」

 にやりと笑ってレグルが答えた。


 レグルとしては、この論争に関する飛行士官学生の意見を聞きたいところだった。

 もちん、骨の髄まで染み込みつつある大艦巨砲主義者としては、航空優位を認めるわけにはいかない。ひとつエルミを論破してやろうと、手薬煉引いて待っていたのだった。帝都から村までの浮遊車の行程は、この論争に集中するにはうってつけの状況ではあったが、緘口令が敷かれていることを公共の場で話すなど許される行為ではない。ここはひとつ自重し、夜に気心知れた者たちだけになるのを待つべきだった。

 その際にはエルミの次兄の意見も聞いてみたい。論争の勝ち負けとは別に、この事例を冷静に見ることのできる第三者の意見にも、レグルは興味があった。



 士官学校と飛行士官学校がその話題で持ち切りになったその日の紙面には、その代わりとでもいうように、御前会議でソル・メディエータ基本条約と、メディエータ事変処理要項を決定したことが伝えられていた。

 内戦を続けているメディエータを二分する政府のうち、ソルよりの共和国政府との間に結ばれた条約だ。ソルと完全に対立する共産主義政府に対する共同行動とソル皇国軍のメディエータ国内駐留権を認めることと引き換えに、共和国政府を合法政権と認めることを柱としていた。しかし、これはソル皇国軍によるメディエータ支配を、確立することが目的であることは誰の目にも明らかだった。これがメディエータ国民の怒りを買い、ソル・オリザニア関係悪化に追い討ちをかけると考える者の声は、新聞に載ることもなく、あったとしても圧殺されていった。

 そして、一一月三〇日にはソル・メディエータ基本条約調印が、大々的に報道されている。


「俺は、それよりソ・メ基本条約のことが気になるんだ。

 確かに、ベロクロン権益を守るためということは理解できるし、皇国のためには必要だ。

 内戦に明け暮れているメディエータを一本化して、いずれは対等の関係でやっていくためにもな。

 だが、もうちょっと、良いやり方があったんじゃないかとも思っちまうんだよな」

 小難しい顔をしてレグルが声を潜める。


「ちょっと、私の言うことは止めておいて、自分はそういうこと言っちゃうの?

 それは危ないと思うよ。

 だって、私はあれの設立が怖いの」

 辺りを見回してからエルミが怒ったような表情で、レグル以上に声を潜めて言った。


 一二月六日に内閣情報局設立され、それまでの内閣情報部が廃止された。

 戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的にした上級局への格上げだ。だが、単に内閣情報部の規模や権限を大きくした、というだけではない。それまで外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局図書課、逓信省電務局電務課の各省各部課に分属されていた情報事務を統合し、日本の内閣直属の機関に纏め上げていた。

 表向きはすべての情報収集、統制、発信が内閣に一元化されてはいたが、当然軍や内務省がその権限を手放すわけもなく、四つの情報機関が並立して活動している。


「何を心配してるんだ?

 俺は、何も批判されるようなことは言ってないぞ」

 もちろん、レグルは新聞発表以上のことはいっていないし、当たり障りのない批評を念頭に置いてのことだ。

 心に抱くオリザニアの反応や、ベロクロン大岩盤に展開する友軍に降りかかる負担の増大については、敢えて飲み込んだままだったが。


 ベロクロン大岩盤に展開する皇国軍は、当然騎兵軍が中心だが、砂海軍も少なくない兵力を送り込んでいる。

 二六一七年以来、小規模な遣メディエータ艦隊を派遣していたが、メディエータとの緊張が増大するに従いその規模が逐次増強されていった。だが、連合艦隊の規模から見れば、遣メディエータ艦隊は『戦隊』といって良い小規模なものだった。しかし、メディエータ南部事変に伴い、特別陸戦隊が編制され、これが常設化することで陸上戦力も統率下に置かれ、その規模はさらに増大されていくようになっていった。二六三七年の対メディエータ戦争勃発までに、遣メディエータ艦隊は二個艦隊に増強された上で、それぞれの艦隊を一旦廃止した上で戦隊化し、第三艦隊と改称していた。


 そして、砂海軍は対メディエータ開戦とともに、駐留部隊の大増強を実施した。

 そのため、一〇月までに駐留部隊は三個戦隊、三個砂雷戦隊、五個航空戦隊を擁するまでに膨れあがり、第三艦隊司令部の統率能力を大幅に上回ってしまうことになる。そこで、従来の第三艦隊に加え、増援部隊で第四艦隊を新設した上で艦隊司令部を増強し、その両艦隊を統率するために『メディエータ方面艦隊』を新設することにした。第三艦隊司令長官としが初代メディエータ方面艦隊司令長官の兼任を命じられ、連合艦隊に匹敵する大艦隊が誕生していた。

 レグルは指揮系統こそ異なるが砂海軍の負担増大が、いずれ避け得ないであろうオリザニアとの戦争にどれほどの影響を与えるか、漠然とした不安を感じていたのだった。


「でもね、私たちはある意味公人でしょ?

 私たちの発言は、あれの統制化にあるって考えたほうが良いと思うよ。

 士官学生が言ってた、なんて、変な噂が広がったら大変よ」

 エルミの顔色が幾分蒼ざめているような気がする。

 教官からは、情報局設立の際に、外部での発言については充分気を配るようにと、厳しく言い渡されている。


 一般人との会話はもちろんのこと、外出時に学友同士で交わす何気ない会話を、第三者に聞かれた際の影響は無視できないものがある。

 憶測だけで話す一般人同士の会話と違い、機密に触れる機会の多い軍関係者が発言したことはそれだけで信憑性があると思われやすい。学生同士が憶測だけで話そうと、その元になる知識や情報の量は一般人とは桁違いだ。新聞記者に聞きつけられ、妙なバイアスがかけられて報道でもされようものなら、国家の運営にどのような悪影響を与えるか分かったものではない。

 そうなった際、次の日に憲兵や特高が寮の私室の扉を叩く、実家や友人宅の扉を叩くなどということがあるかもしれなかった。


「自分から話を振っておいて。

 でも、そう言われればそうだよな。

 この話は、後にしようぜ」

 レグルはそう言ってソル・メディエータ基本条約についての話題を打ち切り、他愛のない話に終始することにした。


 途中駅で食事を摂り、乗り継ぎの浮遊車を待つ間、レグルはゆったりとした平和な気分に浸っていた。

 だが、その気分の中に、もうすぐこの平和を掻き乱されるであろう予感を嗅ぎ取り、得体の知れない焦燥に身を焦がしてもいた。




 一二月三一日の夕食後、ガルは時間潰しに父と共に鎚を振るっていた。

 エルミの家での宴席まで、あと一時間ほどだ。エルミもレグルも今頃駅に着いているはずだが、家族との団欒なしに宴席突入も忍びないと、ガルは出迎えには行かないことにしていた。


「学業ばかりで鈍ったかと思っていたが、どういうことだ、ガル?」

 夏の慰霊祭に合わせて帰省したときとほとんど変わらないガルの体つきに、父が訊ねた。


「うん、夏以降なんだけどさ。

 軍事教練の時間が増えたんだよ」

 勉強を怠けているとでも思われたのかと思い、言葉少なにガルは答える。

 だが、父の言葉に棘は含まれていない。


 小学校以来、軍事教練は当たり前のようにあったが、その割合が夏以降急に増えていた。

 そのせいでもともと筋肉質だったガルの身体は、座学が多い学校に通っているにも関わらず、村を出たときとほぼ同じ状態を保っていた。


「身体を鍛えておくことは良いことだが。

 学問のために帝都に行かせたんだがなぁ」

 ぶっきらぼうに呟くと、父は鎚を振るい続ける。


「そうなんだよなぁ。

 軍事教練に嫌はないんだけどさ。

 皇国民としてね。

 ただ、その時間が勿体無く感じちゃうんだ。

 読む本全てが面白いんだよ。

 親父のやっていたことがさ、ほとんど科学的に解明されているんだ。

 まだ解明できてないことも多いんだけど、それの研究もしてみたい、俺は」

 家にいた頃と意識して父の呼び方を変えたガルは、目を輝かせて言った。


 七月の贅沢禁止令以来、たいして帝都で遊ぶことはできなくなっていた。

 時折息抜きのようにレグルやエルミ、チェルたちと会うことはあっても、最後に飲んだときのように羽目を外すことはそうそうない。軍事教練で減った勉強時間は、図書館から借りた本を下宿で読み込み、授業の後に教授たちに質問しに行くことで補っている。三学期制の専門技術学校では学期ごとに試験が行われ、ガルはその試験でそれなりの成績を修めていた。

 もちろん、特待生でいるための努力でもあるが、ガルの知識欲がその成績に証明されていた。


「まあ、さっき見せてもらった成績表なら、心配はないだろうが。

 お国も、学生の使い方を間違えないでくれれば良いんだが」

 父は、あからさまに口にすることはないが、学生を兵士として徴発するような事態にならなければ良いと考えていた。


「大丈夫だよ。

 いくら教練を積んだからっていったって、毎日訓練を積んでいる兵隊さんたちみたいに働けるはずないじゃないか。

 銃後の意識を引き締めるためだと、俺は思うよ」

 模範的な回答を意識して、ガルは答える。


「それなら良いんだが、な」

 そう言って父は時計を見る。

 エルミの家で開かれる宴席まで、あと三〇分ほどだ。


「そろそろ、いいかな?」

 ガルは父の顔色を窺うように聞いた。


 エルミの家までは近いとは言え、仕事で汚れたまま行くわけにはいかない。

 四人が顔を合わせるだけならそれでもいいのだろうが、エルミの次兄を始めとした村の有力者や、それ以上の立場となるエルミとレグルの前に、汚れきったままで立つような失礼が許されるはずもない。ガル自身も、卒業後は学士様としてそれなりの尊敬を集める立場になるのだが、今はまだ学生の身分だ。既に軍人としての立場を得ているレグルやエルミとは、わけが違う。

 それ以前に、それなりに身なりは整えていかなければ、いくら友人の家とはいえ失礼な振る舞いだった。


「ああ、構わん。

 これで今年の仕事は仕舞いだ」

 父は鎚を置き、笑顔になった。




 二六四一年の新年際も最終日の一月三日早朝、村の駅からは浮遊車を見送った人々が吐き出されていた。

 帝都に向かうレグルとエルミを、一足遅れて帝都へ行くガルと、帝都に戻るあてが今のところはっきりしていないチェルは村の駅で見送った。ガルの新学期は一月七日からとはっきりしているが、チェルは修行先から連絡が来るまで村にいることになっている。食堂自体の営業は禁じられていないが、客足はめっきりと減り、チェルたちを食わせておく余裕がないのだった。レグルたちと一緒に帝都に戻るつもりだったチェルの元に、親方からたった一言『来都ニ及バズ』の魔道通報が届いたのは、昨夜遅くになってからだった。

 一瞬クビかと目の前が真っ暗になったチェルだったが、一時間後にもう一通届いた『解雇ニアラズ』の魔道通報に、大きく胸を撫で下ろしていたのだった。



 同日、帝都港に停泊する連合艦隊旗艦を務める戦艦『アーストロン』の長官公室を訪ねる影があった。

 扉を叩く音にゴトム大将は気さくに答え、入室を促す。入室した人物の敬礼に見事な姿勢の答礼を返し、従兵に紅茶を持ってくるように命じた。そして、来客にソファ歩を勧めつつ、自らもその対面に腰を下ろした。


「どうしたんだね、新年早々。

 ついでで良かったんだが」

 穏やかな表情でゴトムが口を開く。


「いやいや、来いというお手紙を頂戴しましたからな。

 わざわざお手紙ということは、いよいよ長官のお心の内をお聞かせいただけるのかと思いまして」

 来客は、ついでで良いはずはあるまいという表情で従兵から紅茶を受け取ると、口をつける前に言った。

 相手が紅茶に口をつけた後、ゴトムは自分の紅茶をゆっくりと啜り、自分の表情から意を汲み取れと目で語りかけた。


「飛行機で、やれんかね?」

 長い沈黙の後、ゴトムはソファから立ち上がり、相手に背を向け舷窓から外を眺めるような素振りを見せながら、やっと口を開いた。


「ハトーを、やれんかね?」

 相手の沈黙が破られることはないと確信したゴトムは、もう一度口を開いた。


「飛行機で……

 ハトーを……」

 第一一航空艦隊参謀長ロウ少将は、思いもしなかったゴトムの言葉に呟くと、また長い沈黙に沈んでいった。



 大東砂海に浮かぶオリザニア領ハトーのオアシスに、オリザニア砂海軍は一大根拠地を設置したのは二六〇八年のことだった。

 それ以来、ハトーの存在はソル砂海軍にとって、最大の脅威と看做されている。ハトーの砂海軍基地はハトー要塞とも呼ばれ、中には戦艦と撃ち合える四〇センチ砲も設置されていた。砂上艦艇による侵攻可能な死角も存在しなかったため、艦砲射撃や上陸作戦には成功の見込みはないと見られている。

 それでもソル皇国軍は工事労働者に変装したスパイを多数送り込み、要塞の詳細を把握することに努めていた。


 ソル砂海軍は対オリザニア戦争の基本戦略として、漸減邀撃作戦を長年にわたって研究してきた。

 これはハトーからソルへ向けて侵攻してくるオリザニア艦隊の戦力を、潜砂艦と航空機を用いて漸減させ、ソル近砂海において艦隊決戦を行うというものであった。だが、連合艦隊司令長官ゴトムは、異なる構想を持っていた。


 かつてオリザニアに駐在武官として滞在し、同国の大学に留学した経験を持つゴトムは、オリザニアとソルの国力の差を痛感していた。

 軍縮条約で保有艦の対オリザニア比率を六割五分に抑えられたソルにとって、オリザニアの大東砂海艦隊と全力の条件で艦隊決戦を行うなど自殺行為でしかない。せめてハトーを出撃した大東砂海艦隊を漸減邀撃作戦で討ち減らし、艦隊決戦時までに極力対等の条件に近づけておかなければ、数の力に飲み込まれてしまうのは自明の理だった。だが、多少の数の差は個艦性能で補うとしても、対オリザニアの艦艇比率が六割を切っていては、いくら漸減邀撃作戦を頑張っても艦隊決戦を対等の条件に持ち込むことは困難であった。

 もちろん、軍縮条約の制約下で、という条件の下での話だ。


 メディエータとの紛争がまだ戦争にまで発展していないうちに、将来を危ぶんだソル皇国は軍縮条約破棄を表明し、さっさと巨艦の建造を始めていた。

 もちろん、失効した条約にオリザニアを始めとした他の条約締結国が律儀に従うはずもなく、それ以降は無秩序な建艦競争が再開している。ソルの千倍ともいわれる工業力を始めとした国力にモノを言わせ、オリザニア各地の造船所は猛烈な勢いで艦艇を建造し始めていた。このまま手を拱いていれば両国の艦艇保有比率は、あっという間に五割を切ってしまう。特に建造と慣熟航海に時間のかかる戦艦と違い、漸減邀撃作戦で沈めておくべき補助艦艇を大量生産されては、作戦そのものが成り立たない。

 先手必勝。そして、短期決戦。矢継ぎ早に戦果を挙げ、オリザニアの継戦意欲を挫くしかない。ソルが生き残る道はこれしかないと、ゴトムは確信していた。


 この方法を軍令部とは別に模索していたゴトムの元に飛び込んできたのが、ターレス軍港空襲のニュースだった。

 子飼いの先任参謀に、航空機によるハトー基地攻撃の全体作戦立案を、ゴトムは密かに命じていた。同時に航空作戦の草案を作るように、この日非公式にロウ少将に命じるために、この場に来るように呼び出していたのだった。



 前年末の一二月二九日、オリザニア大統領ローザファシスカが『オリザニア共和国は民主主義国の兵器廠となる』と発言している。

 これは、明らかにメディエータとサピエントに対して、武器供与を始めとした援助を強化するという意思表示だ。つまり、両国の工場を破壊しても、継戦能力を完全に奪うことはできないということだった。その上、オリザニアはメディエータともサピエントとも、参戦義務を伴う同盟条約は結んでいない。両国に武器を輸送するオリザニア船籍の輸送船は、完全に第三者の立場であり、ソルやアレマニア、ウィトルスの攻撃対象にしてはならない存在だった。

 万が一にも現場指揮官の独断専行などでオリザニアの輸送船を攻撃してしまえば、自動的にオリザニアと戦端が開かれることを意味している。


 せいぜい三国同盟国にできることは、メディエータやサピエントに入港しようとするオリザニア輸送船を臨検し、武器供与を自国に対する敵対行為として、実効支配下の砂海域から追い返す程度のことしかできることはない。

 それにしても、ソルやアレマニア、ウィトルスの実効支配をオリザニアが認めなければ、その海域から出て行く義務はないのだった。自国の正当な行動中に公砂海や友邦国の領砂海内で、友邦国に敵対する国家の臨検を受けるなど、常識的に考えても許されることではない。臨検を行った国に対してどのような国民感情を持つかなど、考えるまでもないことだった。いつ、輸送船団の護衛艦隊と、臨検する警備艦の間に砲火の応酬が起きてもおかしくない状況だ。

 火の魔鉱石粉末をぶちまいた路上を、咥えタバコで歩き回るような状況が、両大砂海に広がっていた。


 そのような状況下で、軍令部が主張する南方資源地帯への進出は、オリザニアとの開戦を決定付けるものとゴトムは認識している。

 それよりもオリザニア大東砂海艦隊をハトー根拠地に集結しているうちに一気に殲滅し、オリザニアの継戦意欲を挫いた上で早期和平を結び、その上で平和裏に南方資源地帯への進出を『協議』すべきだと考えていた。


 そして、ゴトムは対オリザニア交渉が、平和的に解決されることを本心では願っている。

 だが、その願いとは裏腹に、彼の任務はオリザニア艦隊の撃滅だ。平和を願いつつも、巨大な死を振り撒く作戦を練り上げる義務があった。そして、現在の状況は、彼が活躍の場を与えられてしまう方向へと傾いている。彼は対オリザニア交渉の平和的な解決を望みつつ、己の意に反してオリザニア艦隊撃滅の必勝作戦を練ることしかできなかった。それでも彼は、多くの若者の命を散らすことがないように、早期和平のための短期決戦を主軸とした作戦案を練っていた。

 ハトー攻撃は、そのための最も重要な作戦だと、ゴトムの中では既に決定済みのことだった。


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