第11話 秋嵐
「勘弁で、済むかぁっ!」
武官室に野太い声が響いた。
裂帛の気合いとは、正にこのことだろう。
声の主は、ソル皇国砂海軍連合艦隊司令長官ゴトム大将。
そして、その声を叩き付けられた相手は、砂海軍大臣キューセン大将だった。
二人は士官学校ではゴトムが一期下である上、公式の場においてはゴトムはキューセンの指揮下にあり、横柄な口を利いていい立場ではなかった。そのことはゴトム自身も充分弁えていたが、この日の会議の後キューセンから言われた言葉に、ゴトムの自制心は霧と消えた。
アレマニア共和国とウィトルス王国との三国同盟の締結が、この日の閣議で決定された。
ゴトムは、ナルミ中将、コーセイ大将とともに、この三国同盟には反対していた。この同盟が締結されてしまえば、ドラゴリー大岩盤における国際情勢から、オリザニア共和国と完全に対立してしまうことは火を見るより明らかだった。そもそも三国同盟自体が、アレマニア共和国とウィトルス王国の政府にとってはサピエント王国との対立やロス共和国への牽制であり、ソル皇国にしてみれば完全なオリザニア対策だった。
世界で第一位と第二位の砂海軍国であるオリザニアとサピエント、第三位から第五位に位置するソル、アレマニア、ウィトルスの対立は、再度世界を戦火の海に叩き込みかねない軍事対立だった。
既にアレマニアがドラゴリー大岩盤上で、他国への侵略意図を隠そうとしていない。
二六一四年から四年間続いた全世界を巻き込んだ戦争で、一敗地に塗れたアレマニアとウィトルスは戦後の賠償に追い詰められていた。社会に対する不満から社会主義政党が合法的な選挙で政権を握った後は、一気に全体主義、軍国主義への道をひた走り、一歩早く同じベクトルに傾いていたウィトルスと軍事的な結びつきを強めていた。
ドラゴリー大岩盤の南北に、この大岩盤を支配しようという意図を持つ政権が同時に成立していた。
戦勝国であるサピエント王国や他の国家は、世界大戦の後遺症から立ち直れてはいなかった。
結局のところ、ない袖は触れないため戦後の賠償金は思ったように毟り取ることはできず、ただアレマニア国民の不満を掻き立てただけに終わっている。アレマニアとウィトルスの両国に危険な思想を持った政権が成立しようとしたときも、戦争へのアレルギーからこれを制止することなく育つままにしてしまった。当時さらに東に成立していた共産国家であるロスからの共産革命輸出の防波堤にしようという意図があったことも否定できない。
メディエータとの戦争で世界から孤立しかけていたソルにとって、この両国がドラゴリー大岩盤を征服すことは、直接的な利益はない。
だが、メディエータとの関係に否定的なサピエントや他の国々が消滅することは、喜ばしいことだった。もちろん、アレマニアとウィトルスが他国を廃止して、大岩盤に巨大な版図を占める大帝国を並立させるとは思えない。形の上で様々な国々は残るだろうが、事実上両国の傀儡政権がそれらを治めることになり、ソルに口出しする国はなくなると考えられていた。
同時にオリザニアにとっては大西砂海を挟んで強大な国家が成立するとあれば、ソルやベロクロン大岩盤上での権益どころではなくなる。
ソル皇国内では、オリザニアの横槍は内政干渉と認識されており、日に日にオリザニアを討てという世論が盛り上がっていた。そこへ持ってきての三国同盟だ。国民のほとんどが熱狂的に賛意を示していた。
近代騎兵軍の勃興期に、アレマニアを範としていた皇国騎兵軍には同国のシンパが当然多い。範をサピエントに求めていた砂海軍の中にも、士官としての成長過程でアレマニアに留学した経験を有するものは少なくなく、その者たちの多くもアレマニアの砂海軍力には敬意を持ってこの同盟に賛成するものが多かった。
軍縮条約締結の会議において鑑定の保有比率を巡ってサピエントとオリザニア対ソル、アレマニアとウィトルスに分かれて激論を戦わせたことも、この二国に対する親しみを国民の間に醸成する結果になっている。
強国として認識されている三国が同盟すれば、他の国々はもちろんのこと、オリザニアもサピエントもその発言力を無視できないという観測が、騎兵軍の公式見解であり、砂海軍の多くもそれに同調していた。
二六三九年までの砂海軍大臣コーセイ大将、海軍次官ゴトム大将、砂海軍軍令部軍務局長ナルミ中将の三人は、この同盟がオリザニアとの決定的な対立に発展することを見抜いていた。
同盟の締結には当然書類仕事が大量に発生する。同盟や条約は砂海軍省の専決事項であり、軍務局第二課が担当している。ナルミが軍務局長を努めている限り、ここを書類が通るはずがない。軍務局長を頭越しにして次官へ書類を持っていっても、ゴトム大将が一喝するだけだ。当然、同盟反対派のコーセイ大臣がどんな経緯で書類が上がってこようと、承認の印を押すはずがない。
業を煮やした騎兵軍が、強引に騎兵大臣に辞任させ、後任を推薦しないという奥の手を使い内閣を瓦解させた。
次の砂海大臣には穏健派と目されたヨシゴー大将が就いたが、この人物も穏健派ゆえに同盟に対しても大反対だった。だが、この大臣は良識は充分すぎるほど持っていたが、非情に徹することのできない故人遣いがあまり上手くなかった。
同盟に反対するゴトムとナルミの暗殺を恐れ、ゴトムを連合艦隊司令長官に、ナルミをメディエータ方面艦隊参謀長転出させてしまった。
ヨシゴーはゴトムの軍政家としての手腕を高く買っており、いずれは砂海軍大臣としてその辣腕を振るわせたかった。
そのため、ここでむざむざ暗殺されるくらいなら、一度潮風に当てておくのも良いと判断してのことだったが、一部では反対派のゴトムやナルミの梯子を外したと噂されていた。ヨシゴーはそれでも同盟に反対していたが、閣内にあっては同盟の発案者である外相が積極的な推進者であり、前内閣のような閣内一致は難しかった。陰に日向に行われる騎兵軍から有形無形の嫌がらせや砂海軍開戦派、同盟はからの突き上げに、ヨシゴーは短期間に心と身体を蝕まれていった。
二六四〇年一一月に、ヨシゴーは病気を理由に砂海軍大臣を辞するが、陰では自殺未遂の噂も流れていた。
騎兵軍は政治的空白など自らの権勢のためには歯牙にもかけず、意に染まぬ内閣を騎兵相の辞任や後任を送らないなどの強硬手段で潰してきたが、政治的空白を望まない砂海軍はヨシゴーの後任をすぐに内閣に送り込んだ。
それが現在ゴトムに怒鳴りつけられているキューセン大将だった。
キューセンは学究肌の穏やかな人物で、学者が間違えて軍人になってしまったと陰口を叩かれるような大人しい人物だ。一期下のゴトムの気合に押し捲られている。百戦錬磨の政治家や、若手少壮将校の突き上げに耐えられるはずもなかった。
「だが、ゴトム君。
オリザニアとて両大砂海で戦争を行うとは思えん。
ソルかアレマニアのどちらかだけに宣戦布告するわけにも行くまい。
それを防ぐための同盟だと、外相たちは言っているではないか」
キューセンはゴトムに言うが、どう聞いても夢物語であり、ゴトムたちがやってきたことをぶち壊しにした言い訳でしかない。
「大臣、失礼ながら大臣はオリザニアの力を見縊っておられる。
あれほどの国力を持った国は他にはありません。
両大砂海を挟んで、我が国とドラゴリー大岩盤に軍を送ることくらい、いとも容易いこと。
この同盟は、我が国に対する宣戦布告の口実を与えたに過ぎません」
士官学校の後輩であり部下である連合艦隊司令長官が、先輩であり上司である大臣を怒鳴りつけるという前代未聞の光景は、ゴトムの自制心が戻ると同時に終わりを告げた。
ゴトムは落ち着いて自らの見通しを語ったが、キューセンはどこ吹く風だ。
「彼の国は孤立主義を取っておる。
アレマニアとウィトルスがドラゴリー大岩盤を席巻すれば、サピエントは我が国どころではなくなる。
南方資源地帯への進出が不可欠な我が国にとって、これは必要欠くべからざる同盟だ。
それに、贅沢に慣れたオリザニアの国民が、我々と戦争などできるはずもない」
ようやく落ち着きを取り戻したキューセンは、楽観的な見通しを語りゴトムとの会見を打ち切ろうとした。
「ですが、大臣――」
「ゴトム君、止むを得んのだよ。
これ以上砂海軍が反対していては、国を割りかねない。
先の革命紛いのように、陛下にご不安を抱かせてはならん。
あれを思い、これを考え、止むを得ず、真に止むを得ず、賛成した。
貴官を始めナルミ君やコーセイさんが、必死に反対していたこともよく分かる。
勘弁してくれ」
キューセンはそう言うと頭を下げた。
板挟みになったこの状況を、ただひたすら過ぎ去れと身を縮込めているだけだ。
そこには砂海軍大臣としての威厳も、士官学校の先輩としての貫禄も欠片もない。ゴトムは眼前で頭を下げる上司である先輩を、凍り付くような冷たい目で見下ろしている。さっきは激情のあまり怒鳴りつけたが、今は再度怒鳴りつける気も失せていた。
やがて、ゴトムは静かに立ち上がり、キューセンに目もくれず部屋を出ていった。 二六四〇年九月一九日の夕暮れのことだった。
「小母さん、今夜は遅くなりますので、夕食は結構です」
二六四〇年九月二八日の朝、下宿の食堂に置いてあった新聞を見ながらガルが言った。
この四月にガルは冶金技術専門学校に合格し、帝都に下宿するようになっていた。
高等学校では品行方正に努めていたおかげもあり、授業料全額免除の特待生こそ逃したものの、半額免除を勝ち取っていた。試験の成績がよかったことはもちろんだが、高等学校からの内申書がモノを言った。二年間担任を勤めた教師から、これ以上はないというよい内申を書いてもらっていたのだが、当然ガルがそれを知ることはない。ただ、試験の結果と授業料半額免除が釣り合わないことくらいは理解できており、ガルは担任の教師に対し深い感謝の念を抱いている。
もちろん、一家で引っ越せるはずもなく、帝都にいるエルミの次兄の紹介で、賄い付きの下宿に起居するようになっていた。
「そうだったわね、今日は懐かしいお友達と会ってくるんだっけ?」
下宿屋の女将が顔をほころばせて頷いた。
士官学校と飛行士官学校に進学したレグルとエルミはともかく、レグルと一緒に帝都へ料理修行に出たチェルとはなかなか会うことはできなかった。
レグルとエルミは国から俸給が出ているとはいえ学生であり、安息日にはほぼ確実に休みが与えられている。しかし、外出許可は交代制であり安息日毎に外出できるわけではなく、ふたり揃っての外出はこの二年間の間に数えるほどしかなかった。それでもガルは帝都に出てきて以来、どちらかとは都合のつく限り会うことはできたのだが、安息日こそかきいれ時となるチェルはそうもいかない。チェルとレグルが会えない状況にも拘らず、学生の気安さもあってガルは時折隣のオアシスまで足を伸ばしていた。もちろん、チェルがレグルを捨てて自分に振り向くなど、微塵も考えてはいない。チェルにしても同じことで、レグルには会えず、友達も一日中顔を合わせ続ける修行仲間しかいない中、時折訪ねて来るガルは、故郷と自分を繋ぎ止める絆にも似た存在だった。
店が引けた後のチェルと浮遊車の最終便までの短い間、駅近くの深夜カフェでお茶をするひと時がガルとチェルにとつてはささやかな楽しみになっていた。
「あんまり突っ込んだ話はできそうもないですけどね。
珍しく隣のオアシスで料理修行してる子が、安息日に休みをもらえたんですよ。
士官学校に行ってる許婚と、飛行士官学校に行ってる幼馴染みが同時に外出許可取れたのも珍しいんですけど。
こんな情勢じゃ、あんまり軍の話は聞けないだろうなぁ」
ガルの目の前に広げられた新聞の一面は、ソル皇国、アレマニア共和国、ウィトルス王国の三国軍事同盟の締結を報じる記事で埋め尽くされている。
学生が社会に目を向けられるようにと、下宿屋の配慮で主要三紙を購読しているが、どの新聞も同盟締結を喜ばしいことと報じていた。
この同盟によりソルがベロクロン大岩盤に築いた権益は、オリザニアに侵すことはできなくなったと書いている新聞はまだ大人しいほうだ。この時代にオピニオンリーダーを自認する最も発行部数の多い新聞は、アレマニアのドラゴリー大岩盤征服は規定事実であり、それに呼応してソルはベロクロン大岩盤を支配し、両者がその勢いを駆ってバキシム大岩盤を制すれば、三国による世界統治が実現すると大衆を煽っている。冷静に世界情勢に目を向ける者であれば、そのような新聞の主張は愚者の戯言と切って捨てることも可能だ。だが、新聞社によってバイアスがかけられた情報しか与えられない情況では、世界に目を向けられるものは政治家と軍人くらいしかいない。
「今は聞けなくても、もう少しすればいろいろと教えてくれるんじゃなくて?
今回の同盟、ソルにとっては良いことばかりでしょ。
まさか、前の大戦のときみたいに、ドラゴリー大岩盤まで派兵することはないでしょうし。
オリザニアが引っ込んでしまえば、西部大東砂海共栄圏を邪魔するような悪辣な国はないでしょうしね」
女将の言い分が、この時代に生きる市井の人々が持つ意見の趨勢だった。
「だと良いんですけどね。
僕はなんとなく、危ない気もしますけど。
まぁ、僕が何言ったところで変わるわけもないし」
新聞を畳んでガルは食器を片付ける。
「いってらっしゃい。
どうする、ガルちゃん、遅くなるようなら、合鍵渡しとこうか?」
マスターキーの束から、下宿の入り口の鍵を探しながら女将が聞いた。
「そうですね、一応お借りします。
泊まってくるようなことは、ないと思うんですけど。
飛行士官学校の奴がどれくらい飲む気なのか分からないから」
そう言ってガルは、今まで一度も使用することのなかった鍵を受け取る。
「ゆっくり行ってらっしゃい。
でも、みんなが寝静まってるからって、女の子連れ込んじゃダメよ」
悪戯っぽく女将は笑い、ガルを送り出した。
「そんなこと、したことないじゃないですか。
じゃあ、行ってきます」
口を尖らせてガルは言い返し、下宿を後にした。
「どうだい、学校の方は。
もう、いい加減慣れただろう?」
士官学校の制服をきっちりと着込んだレグルがガルに訊ねた。
「いいなぁ、ガルの学校は。
制服なんてないんでしょ?
私には、この制服っていうのは窮屈だわ。
まさか外出時も着なきゃいけないとは思わなかったわよ」
何度も繰り返される愚痴が、エルミの口から零れ落ちた。
「まあ、そろそろな。
もう半年になるんだし。
しかし、エルミはもう一号生徒だろ、お前こそいい加減に慣れたらどうなんだ?」
七つボタンに詰襟という飛行士官学校の制服の胸元に目をやりながら、ガルがからかう。
三年制の士官学校と飛行士官学校では、一年次を三号生徒、二年次を二号生徒、三年次を一号生徒と呼んでいる。
三号生徒は右も左も分からない状態で、いきなり規則や慣例で雁字搦めの学校と寮に放り込まれる。
入学入寮一日目は、二号生徒が懇切丁寧に様々なことを教えてくれるが、翌日からは突然鬼に変貌する。廊下ですれ違った祭の挨拶の声が小さいというだけで殴り飛ばされ、敬礼の指の角度を見咎められては張り倒され、食事の際に上級生より先に箸を取ったといっては蹴り飛ばされていた。最初は何故殴られたのかすら分からず食って掛かる三号生徒もいたが、そのような態度を取ればそれこそ袋叩きだ。だが、決して怪我をするような殴り方をすることはなく、基本的には殴った後に三号生徒が納得するまで懇切丁寧に理由を説明する。
もちろん、三号生徒には入学時に『上級生の言葉は皇王の言葉と同義であり、一切の反抗は許さない』と言い渡されていた。
理不尽でしかないのだが、戦場において上官の命令を聞かない部下に存在価値はない。
たとえ承服し難い命令であっても、その都度上官と衝突していては、瞬転の間に勝敗が決する戦場では生き残れない。何があっても命令には服従する兵や下士官、下級将校を作り上げなければ、軍という組織は維持できないのだった。
三号生徒は理屈ではなく殴られたくない一心で、上級生の言うことを聞き、命令に従う。そうすることによって、いついかなるときでも命令に服する士官ができあがるのだった。
もちろん、上級生の威光を笠に着て、下級生の人としての尊厳まで踏みにじるようなことがあれば、その上が黙ってはいない。
「首がね。
どうしても慣れないのよ。
だいたい、中等学校のときはセーラー服だったんだから。
あんたたち、よくこんなの着てられたわね」
本当なら詰襟のホックを外したくてしょうがないエルミが、首元に指を突っ込みながら答える。
慣れないのは平手打ちもなんだけど、とこれは口に出さずに呟いていた。
エルミにしてみれば、たとえ教育のためとはいえ下級生の頬を張ることに抵抗がある。
男同士であれば少々怪我をしてもたいした問題ではないのだが、飛行士官学校には少なくない女子生徒がいる。暗黙の了解で、男子上級生が女子下級生に対して手を上げることはない。当然、女子下級生に対する教育はエルミたちに回ってくる。三号生徒の頃は覚えることが多すぎて、引っ叩かれた後に怒り覚える余裕もなかったが、いざ下級生を張り倒す立場になってみると恨みを買うのではないかという恐怖もあった。
代々そういう思いが続いているということに気付いた頃、一号生徒から同じ思いだったことを告げられて、エルミはようやく三号生徒の頬を張れるようになっていった。
「チェルは、何時頃になるんだ、レグル?
せっかくお前たちが同時に外出許可と、チェルが安息日に休みが取れたのに」
ガルが時計を気にしながら聞いた。
今腰を落ち着けている酒場の閉店時間まで、あと二時間ほどしかない。
それぞれの授業が終わってから、交通の利便を考えてチェルのオアシスに近い位置にある酒場に集まっていた。さすがに帝都だけあって、村にいた頃とは浮遊車の便数も路線数も桁違いだ。帝都とチェルが始業しているオアシスも、深夜まで浮遊車が運行していた。それでもそれぞれが帰る時間を考慮すると、そんなに遅くまで飲み歩いているわけにはいかない。
それなのに、チェルが来る気配はまったくなかった。
「最近、少しは料理をさせてもらえるようになったらしいからな。
そうそう持ち場を離れるってわけには行かないんだろう。
どうする、隣のオアシスまで行ってみるか?
たまには奢ってやるよ。
俺たちは俸給があるからな」
レグルがエルミを見て頷く。
「そうね、ちょっとくらいならいいわよ、ガル。
この前、教官に連れて行ってもらった料亭って、泊まってくることもできるみたいだしね。
私、ちょっとチェルに連絡とってみるわ」
そう言ってエルミは酒場のカウンターに行き、魔道通信の機器を貸してもらえないか交渉を始めた。
一般家庭にはまだ通信機器は僅かしか普及していないが、商売をする店においては不可欠になりつつある。
官公庁や公共施設のほとんどには設置は完了しており、一般の人々の連絡にも使われ始めている。同時に商店や大きな飲食店にも取り引きだけでなく商品や席の予約のため、魔道通信機器を備えるところが増えてきていた。個人的な連絡も、公費や経費ではあるが、多少であれば目を瞑っているところが多い。
エルミは店主に事情を話し、店主も快く魔道通信機器の貸してくれた。こんなところでも飛行士官学校生徒の制服が役に立っている。
「まだお店にいたわ、チェルは。
でも、もう着替えて出てくるところだったみたい。
ギリギリってところね。
チェルのお店から近くにある料亭を予約してもらえるって。
同業のよしみで格安だってよ」
しばらくしてエルミがうきうきした表情とともに戻ってきた。
もちろん、この時代の料亭には芸者が出入りし、宴会の後は同衾することも可能な場所だった。
当然、エルミがそのような目的で行くはずもなく、教官に社会勉強の一環として連れて行かれただけだ。レグルは同級生や上級生、教官からその知識を得ていたが、料亭までは行くことはあっても芸者と寝るようなことは決してしていない。チェルもそのような業界に身を置いている以上、本来酒席が済んだ後にどのようなことが行われているかは承知している。当初は性を売り物にする芸者や、そういった場所を提供する料亭に抵抗を感じていたが、今ではそれが当たり前の社会の仕組みなんだと自身を納得させていた。
ガルにしても、金さえあればそういったところで芸者と寝ようが誰からも責められる筋合いはないのだが、チェルに対して操を立てているため、そういった施設とは縁がなかった。
「じゃあ、そこで落ち合うか。
ここは、割り勘でいいか、ガル?
仕送りだけだろ、料亭は奢ってやるから、安心しろ。
お前の懐具合は分かってるさ」
レグルが勘定を手早く済ませ、三で割った金額をそれぞれに言った。
ほろ酔い加減の三人は近くの駅から浮遊車に乗り、チェルがいるオアシスへと移動する。
さっきまでいた酒場で三人は、半年振りの馬鹿話に興じていた。もちろん、レグルもエルミも漏れ伝わってくる軍の機密に関りそうな話をすることは一切ないし、ガルもその辺りは空気を読んでいる。今朝見た新聞発表について二人の意見を聞いてみたくもあったが、さすがに大人数の耳に入りやすい状況では憚られるものがあった。学生ではあっても事実上軍人と看做されている者が政治的な発言をすることは、どのような噂となって世間を駆け巡るか分からない。料亭であれば個室は仕切られており、少々声を潜めれば他の部屋の者に話を聞かれることはない。万が一、店の者に聞かれたとしても、それを外に漏らさないことが店の信用というものだった。
ガルにはもうひとつ聞いてみたいこともあった。
オリザニア共和国からの対ソルくず鉄禁輸。
この時代、ソル皇国は製鋼技術こそそれなりの水準に発達していたが、国内に鉄鉱石の鉱脈がほとんどなかったことから、他国から銑鉄やくず鉄を輸入して工業製品を製造している。国産鉄鉱石やそのものを輸入して製鉄するより、外国、特にオリザニア共和国からの安い銑鉄やくず鉄を使った方が圧倒的に経済的であったため、製鉄技術が発達する余裕がなかった。このくず鉄を三国同盟締結の前日、九月二六日に禁輸するとオリザニア共和国政府は通告してきていた。三国同盟に対する牽制なのか、近い将来の開戦を睨んでの動きなのかは判然としないが、同盟締結の前日に通告してきたところからその両方と見ていいと考えられていた。
くず鉄が入らなければ、工業製品はもちろんのこと、軍備の生産が滞る。
艦艇も航空機も、銃や鉄兜、砲弾、銃弾、あらゆる物が鉄から作られている。ガルにとっては、実家が廃業に追い込まれかねない由々しき事態だ。前年までには段階的に魔鉱石も禁輸されていた。これは明らかにソルの経済を締め付けるばかりでなく、軍の動きを封じようとするものだった。ベロクロン大岩盤への進出に対する制裁措置とみて間違いない。
これに対抗してソル皇国は、南方資源地帯といわれている列強の植民地に、新たな資源の供給地を求めようとしていた。もちろん、オリザニアと歩調をあわせたドラゴリー大岩盤の列強が簡単に資源を供給するわけもなく、資源が欲しければベロクロン大岩盤からの撤兵をソルに対して求めている。真綿で首を絞められるような経済封鎖の解決に、ソル皇国政府および軍部はさらなる軍事的手段で抗しようとしていた。
どんよりと曇った街を歩く人々の表情に、今のところそれほど陰は見られない。
まだ国内に備蓄された資源に余裕があるため、今日明日に経済が行き詰るということはない。しかし、これが一年二年先となれば、魔鉱石の不足は確実に経済を破綻させる。鉄資源が枯渇して新しい製品を作れなくとも、修理や補修の需要がなくなることはないため、当面ガルの実家が廃業することはない。だが、魔鉱石がなければ修理補修といったことすらできなくなり、間違いなくガルの実家は廃業に追い込まれてしまうだろう。ガルの実家だけではなく、ありとあらゆる事業そのものが停止する。化石燃料がほとんどないこの世界では、魔鉱石にすべてのエネルギーを依存しているのだった。
動けない艦艇や航空機など、飾り物の役にも立たない。
ソル皇国は魔鉱石や鉄鉱石だけに留まらず、ゴムやボーキサイト、スズやレアメタルといった資源をほとんど国内に持っていない。
それを打開するためのベロクロン大岩盤への進出だったが、それが却って経済の首を絞めることになっていた。その辺りをどう考えているか、ガルは二人の意見も聞いてみたかったのだった。
やがて、浮遊車は駅に到着し、多くの人々を吐き出した。
ほとんどの人々は家路を辿る途中であり、ここから乗り換えて行く者も多い。帝都に次ぐ規模を持ったオアシスの主要駅は、夜が更けても多くの人々でごった返していた。
ガルたちもローカルな支線に乗り換え、三つ目の駅で下車してからは歩いて料亭を目指した。駅から近いほど料亭の格や規模が上であり、立派な門構えが続いている。当然、ガルたちがそのような料亭に自力で行けるはずもなく、裏通りにある少々格の落ちる店が今回の目的地だ。それでも先程まで飲んでいた店とは、天と地ほどの差があった。
「おい、大丈夫なのか、こんな店に入っちまって?」
ガルが門の前で気圧されたように言った。
「大丈夫だ、安心しろ。
チェルが俺たちの懐具合を知らんとでも思うか?
それなりのところを選んでいるさ」
レグルは全く気後れしたところを見せず、ずかずかと門を潜ってしまった。
「何よ、ガル。
随分と気が小さいんじゃない?
今度俸給が入ったら、表通りの店にも連れて行ってあげようか?」
エルミも堂々とした足取りで門を潜ろうとした。
「いや、それは分かってるんだが。
俺は、こういう店入るの初めてなんだよ」
田舎者と馬鹿にされはしないか、ガルは余計な心配をしている。
「お店にとっては、お金だけが重要なの。
田舎者だろうと、都会者だろうと、お金を払っていれば扱いが変わることなんてないの」
そう言うとエルミはガルの腕を取り、まるで恋人同士がするように腕を組んで門を潜った。
「おい、ちょっと、エルミ!
放せ、こっ恥ずかしいっ!」
ガルが必死に抵抗する。
店に入ることより、エルミと腕を組んでいることに抵抗を感じていた。
恋人として認識していないエルミに腕を取られていることへのささやかな抵抗感と、自分の肘がエルミ胸に当ってしまう恥ずかしさがない交ぜになり、ガルの抵抗は封じられた。
「いいの。
たまには、こういうのもいいでしょ?」
少しだけ得意気な表情で、エルミはガルを引っ張っていく。
いいじゃない、少しくらい恋人気分になったって……
「何騒いでるのよ。
そっちのほうが恥ずかしいよ、ガル。
早く入って」
チェルが玄関で腕を組んで睨んでいる。
もちろん、怒ってなどいるわけもなく、少々からかってやろうといだけだ。
「ああっ、チェル!?
なんとかしてくれぇ!」
情けない声を上げ、ガルは助けを求めた。
「あんまり恥ずかしい真似はするなよ、ガル。
とにかく、四人が揃うなんて久し振りだ。
まずは、乾杯といこうぜ」
レグルが猪口を手に取ると、それぞれの横に就いた芸者たちが酒を注ぐ。
チェルの発声で猪口を干すと、間髪を入れずに酒が注がれた。
芸者たちから微かに香る白粉の匂いや、その洗練された所作にガルは圧倒されて酒の味など判らなくなっていた。
「ありがとうございます、お姐さんたち。
後は、こっちでやりますから」
幾度かの酌と返杯が繰り返された後、チェルが芸者たちに頭を下げた。
どう頑張ってもガルたちの懐具合で、芸者を呼ぶなど不可能だ。
たまたまこの日はチェルと顔見知りの芸者たちがこの料亭に上がっていたため、ちょっとくらいならとそれぞれのお座敷を抜けてきてくれたのだった。もちろん、その席に呼んだ者たちの了解は得てのことだ。士官学生や飛行士官学生にとって芸者など珍しくもないのだが、地方から帝都に勉強のために来た若者に学問以外の勉強をとそれぞれの客が快く、ちょっとした悪戯心を含めて芸者たちを送り出していた。客の意を受けた芸者たちはガルに身体を押し付けたり、返杯された猪口に口紅を残し、そこから飲むように言ったりと、一頻りガルをからかって座敷を出て行ったのだった。
後には完全に固まったガルと、それを見て大笑いするレグルたち三人が残されていた。
「魔鉱石の節約は、もう始まっているよ。
やっぱりウチは火力が勝負でしょ。
他に比べたら消耗が早いから、もう大変よ」
少し眉根を曇らせてチェルが言った。
三国同盟とオリザニアによる魔鉱石、くず鉄禁輸の関係や影響をガルが聞いて、チェルがまず答えていた。
「ここだけの話、実弾演習はほとんどやってないんだ。
まあ、これは禁輸以前からなんだけどな。
でも、この一年は一、二回くらいだぜ。
標的艦の艦長殿が暇だって愚痴ってるって話だ」
猪口を口元に持っていき、そこで止めてからレグルが言う。
「そうねぇ。
私たちは模擬弾だし、フェクタム帝国産の魔鉱石がまだあるからね。
でも、国内での訓練は減ってるみたいよ」
座椅子に背を預け、少々だらしない格好でエルミが答えた。
既に制服の上着は脱いでおり、首元が楽になったせいかすっかりだらけている。
「どうなんだ、やはり、同盟締結は皇国に良いことはないのか?
開戦はあるのか?」
単刀直入にガルが聞いた。
ガルとしては戦争を肯定も否定もしていない。
ただ、幼馴染が死の危険と隣り合わせになってはほしくない。
「俺は、あると見ている。
いつになるかは、はっきりと見えないけど、来年、再来年には確実だ。
日乾しになる前に、かならず皇国は動く。
南方に手を伸ばすだろうな。
同盟は南方に植民地を持つ列強への牽制だ。
本国が戦争状態になれば、植民地に構ってなんぞいられないからな」
やるせない表情でレグルが猪口を呷る。
「つまり、南方資源地帯への進出のためよ、同盟は。
それで平和的に進駐なんてできないから、結局は戦争だよね。
でも、そんな理由で人殺しはしたくないぁ。
軍は民を守るためにあるって、私は思うの。
他の国から資源を奪ったり、そのために攻め込んだりするためじゃないって。
今、皇国のやってること、やろうとしてることは誉められたことじゃないよね」
いつになく大人びた顔でエルミが言う。
普段の脳天気さは、すっかり影を潜めていた。
「列強植民地を解放して、西部大東砂海共栄圏を作るんだって言うけどさ。
それって、列強の代わりに皇国が大東砂海西部を支配するって言ってるようなものだよね」
酔いが回ってきたのか赤い顔でチェルが言った。
「どういうことだ、チェル?
西部大東砂海共栄圏は、列強植民地から解放した独立国家と対等の関係を結ぶって謳い上げてるじゃないか?」
ガルが不思議そうな顔でチェルに聞いた。
「ガル、新聞くらいは読んでるみたいだけど。
字面を見てるだけじゃダメなのよ。
あたしもお店でお客さんの言ってること聞いて解ったから、偉そうなこと言えないけどさ。
だいたい、解放してくれた国と解放された国が、対等に付き合えると思う?
無理でしょ?
自力で植民地のくびきから逃れられない国がさ、もし解放できたとしてよ、皇国に逆らったらどうなると思う?
圧倒的な軍事力を背景に、形だけの独立国家を恣にするだけでしょ。
政府には、多分表に出ないように皇国の人間が睨みを効かせる。
何か変わるっていうのかしら」
チェルの言葉に、ガルは学業に専念するあまり、自分の視野が狭いことを恥じていた。
「おい、チェル、誰かに聞かれたらどうするんだ?
さすがに拙いぞ、それは」
一瞬で顔を蒼ざめさせたレグルが止めようとした。
メディエータ料理の修行をしているからというわけではないが、チェルは大東砂海西部の国々に対して好意的な考えを持つようになっている。
だが、その中でも特にメディエータは、泥沼の戦いを継続中の敵国だ。肩入れするような発言が第三者にでも聞かれたら、非国民扱いならまだマシなほうで、下手をすれば特別高等警察や憲兵に引っ張られかねない。
特別高等警察は主に共産主義者を取り締まりの対象にしているが、反戦活動や似非宗教などの反政府的な団体や個人も監視するようになっている。
数年前には共産主義作家を過酷な拷問で死に追いやっているが、捜査はスパイを用いるなど陰湿なものだった。書物の検閲も行っており、思想統制の尖兵となっている。目を付けた人物を共産主義者や反戦活動家に仕立て上げ、闇に葬るような真似しもしていた。その陰湿な行動から、たとえ戦争を推進する立場の者からも、特高という組織は蛇蝎の如くに嫌われている。
一方憲兵は騎兵軍大臣の指揮下にある軍事警察だが、行政警察、司法警察の分野にも場合によっては所轄大臣の指揮によって入り込んでいる。
本来、軍隊内の犯罪を取り締まる組織であったはずだが、いつの間にか軍に対して反抗的な者も取り締まるようになっていた。職務の性格上、他に対して高圧的な態度であることが多く、憲兵に対するイメージは良いものではない。かつて、帝都を襲った大震災の際に無政府主義者とその内縁の妻、幼い甥を殺害したこともあり、特高と並んで国民から嫌われる存在になっている。
「大丈夫よ、レグル。
何でこの店にしたのか、それくらい解るでしょ」
からからと笑ってチェルははぐらかす。
主人同士の仲が良いこともあるが、座敷で起きたことをどんな些細なことであれ外部に漏らさないというのが、店の信用というものだった。
表通りの店には特高や憲兵の息の掛かったものが潜り込んでいることもあるが、この店に関しては今のところそういった心配はない。天下国家を論じる割には、庶民的とはいい難い生活を送ろうとする共産主義者や無政府主義者たちが、格が落ちる店に来ることはほとんどなかった。仲間内に対する見栄が先走り、会合や密談には借金を重ねてでも高い店を選んでいるのだった。
高価な酒や料理を貪りながら芸者を侍らせ、天下国家を夢だけで論じる彼らは、ほとんどの人々からは害虫同然に見下されていた。
「ならいいが。
あんまり外では言わないでくれよ。
アカに間違えられたら……」
「出世に響く?」
レグルの言葉を遮り、チェルが混ぜっ返した。
「莫迦」
顔を真っ赤にしながらレグルが答える。
ふたりの息の合った遣り取りに鼻白みながらも、ガルは思わず笑ってしまった。
「あんたたち、冗談でもそういうことは止めてよね。
さっきから冷や汗が止まらないわ。
寮に帰ったら憲兵が待ってたなんてごめんだからね」
本気で血の気を引かせたエルミが二人を嗜めた。
「そういうエルミも、さっきは随分なこと言ってたじゃないか。
いいのか、戦争反対みたいなこと言っちまって」
ガルが心配そうに聞く。
皇国の方針を否定するようなことを、エルミは言っていた。
「大丈夫よ、ああいう意見は飛行士官学校の中だけじゃなく、提督たちの間にも普通にあるもの。
それに、いざ命令を受けたら、それには従うわよ、私たちは。
従わなきゃいけないもの」
軍人として骨の髄まで叩き込まれた命令には服従するという精神は、既にエルミやレグルの中に息衝いている。
「そうか。
とにかく、俺はお前たちに死んで欲しくないだけだ。
なんか俺が変なこと聞いちまって、湿っぽくなっちまったな、久し振りに四人揃ったのに。
すまん。
まあ、折角だから盛り上がろうぜ、奢ってもらう身分ですまないが」
ガルが座敷の空気を変えようとして、銚子を直接呷った。
「ああ、勘定は気にするな。
腰が抜けるまで飲んでやろうぜ。
次はいつになるか判らんからな」
レグルも負けじと銚子を呷る。
「お願いだから、後々座敷を汚すような真似はやめてよね。
チェルの立場が悪くなっちゃうでしょ」
そう言いつつ、エルミもかなり飲んでいた。
「あなたが一番心配なの」
短く言い捨てたチェルが、何か覚悟を決めたように銚子を傾ける。
やがて軒を叩く雨の音が聞こえてきた。
「降り始めちまったか。
珍しいな、こんなに本格的に降るなんて。
泊まりにしておいて正解だな」
レグルの開き直ったような呟きが天に聞こえたのか、雨脚は激しくなる一方だ。
両極の海から送られてくる湿った風が、ベロクロン大岩盤上で雨を降らせ、その残りがソルに恵みの水をもたらしてくる。
毎年九月下旬かせ一〇月上旬頃には纏まった雨が降るが、時に大荒れとなることが多々あった。
皇国の未来を思わせるような、嵐の季節がやってきた。