第1話 破局
安息日の朝、大東砂海と呼ばれる広大な砂漠に囲まれた、大規模なオアシスにあるハトーの町は、いつもよりゆったりとした空気に包まれていた。
駐屯する軍の兵舎では、休暇を楽しみにしていた兵士が町に繰り出すため、私服に着替えて営門が開かれるときを待っている。不運な当番兵は浮ついた空気を纏う同僚に、羨望の視線を送りながら開門の時間を告げる鐘を待っていた。
狭い飛行場には、定期哨戒に飛び立つ偵察機以外の機影はない。
野球のバットのような金属製の機体には、先端にプロペラがあり、やや前方寄りの両側に主翼が伸び、機体の最後尾に小振りな尾翼と垂直尾翼がある。金属と魔鉱石と呼ばれる魔力を持った石で作られたがエンジンが、機首に据え付けられている。そのエンジンを動かす動力源は、搭乗者の持つ魔力だ。しかし、飛行に必要な魔力を振り絞ると、あっと言う間に搭乗員は脱水症状を起こしてしまうため、空戦の最中でも常に水を飲み続けなければならない。
そのため、事実上の燃料ともいえる水を満たしたタンクと、ストローのような細いチューブが機体内に存在していた。
飛行場の外に広がる砂海には、巨大な砲を敷き並べ、中央に丈高い鐘楼のような構造物を持ち、砂漠に艦体の下半分ほどを沈めた全長二〇〇メートルを超える八艘の戦艦が舳先を並べていた。
これら艦艇のエンジンも魔鉱石で作られており、その動力源は乗組員の魔力だ。その魔力で船体を砂中に浮揚させ、砂海を縦横に切り裂き、走り回る砂上の戦艦だ。艦上に敷き並べられた巨大な砲は、炎の魔法を封じ込めた弾丸を、これも炎の魔法を封じ込めた装薬で撃ち出し、地平線にある敵戦艦を撃滅する。
船体は自らの砲弾を決戦距離から撃ち込まれても貫かれることのないように、分厚い装甲板に覆われていた。
そこから少し離れた位置には、やや小ぶりでスマートな船体を持つ重巡洋艦、さらに小ぶりの軽巡洋艦、カミソリのような鋭いシルエットを持つ駆逐艦といった戦闘艦艇が、戦隊ごとにまとまって停泊している。世界に散らばる大国は、国の威信を賭けて戦艦を始めとした砂上艦隊の建造に血道を上げ、軍拡競争は留まることを知らなかった。
しかし、その費用に国家財政は圧迫され、民の生活に暗い影を落としていた。
航空機の整備班に配属された新兵は、安息日に当番という自身の不運を嘆きつつも、飛行機の整備に取り掛かろうとしていた。
日差しを割けるための屋根がある分、戦闘艦艇整備の担当よりは遙かにマシだが、それでも砂漠を干し上げる日光は強烈だ。油断していては、あっと言う間に熱射病になりかねない。水分と塩分の補給は義務化され、定期的な休憩が定められている。新兵が早くも最初の休憩を待ち望みながら、始業前の水を口に含んだ瞬間、耳を聾する爆発音とともに、彼の身体は弾き飛ばされた。
何が起きたかを理解する前に、灼熱の炎と強烈な痛みが襲いかかり、彼の意識は瞬時に暗転した。
その数分前、砂漠の彼方の地平線上に、芥子粒のような機影を発見した見張り兵がいた。
彼は、鐘楼下部にいる上官に、伝声管でこの日の飛行計画を問い合わせた。任務に就く前の説明では、この時間にハトーに到着する飛行群はなかったからだった。
彼の問い掛けに当直を代わったばかりの将校は、改めてその日の飛行計画書をめくり始めた。三〇分や一時間の予定のずれなど、日常茶飯事であり珍しくもないことだ。長距離魔道通話に必要な魔鉱石の加工は非常に費用が掛かる上、まだ量産技術も確立できていないないことから、航空機には搭載されていない。
基地間での通話はできるが、それ以後に発生する飛行時間の変動を事前に把握する方法はなかった。
「あぁ、あるぞ、二時間後に到着する予定飛行群が。
たぶん、それの先遣隊じゃないか。
ここで給水して、ミルドウィに飛ぶ予定だ。
さっさと準備をさせておこう」
間延びした将校の声が、伝声管から聞こえてくる。
「それは早過ぎませんか?
三〇分や一時間ならいつものことですが、二時間というのは異常です。
それに、飛行群の隊列が我が軍の――」
「やかましい!
言われたとおり、受け入れ用意の報せを打てばいいんだ。
その飛行群の隊長から、上に不備を上げられたら、困るのはお前だぞ」
一日を二四に分け、さらにそれを六〇に分ける時間の単位を口にした兵の言葉を遮り、将校の怒鳴り声が伝声管を満たす。
直後、兵の返答は聞く必要なしとばかりに、片方の口が閉じられる音が響いた。
不承不承といった様子で兵が上空を見上げたとき、破局が襲いかかった。
既にハトー上空に差し掛かっていた飛行機の群れから、黒い楕円形に見える物体が投げ落とされた。
その物体は地表や戦艇、航空機の格納庫に激突した瞬間に炸裂する。一回り大きな物体は、格納庫や建物の天井、戦艦の上部裝甲板を貫通してから爆発した。連続して起きる大量の爆発は、周囲に爆風と炎、そして土砂や破壊された戦艦の上部構造物と建物の破片、人体だった肉の破片を周囲にまき散らし、それがさらに新たな破壊と死を巻き起こした。
基地内を逃げまどう将兵を俊敏な動きの機体が追い、機首と赤い丸が描かれた主翼に装備された機銃が薙ぎ倒す。
呆然と空を見上げる見張り兵に、上空から真円の物体が迫ってくる。
彼は痺れたような頭で、新兵教育の際に聞いた話を思い出していた。楕円に見える爆弾は自分のいるこ位置には落ちてこないが、真円に見える爆弾は真っ直ぐ自分に向かっている、ということを。現実味が全く感じられない劫火の中で、逃げなければいけないんじゃないかと彼が考えたとき、見張り台に爆弾が命中した。
僅か一時間にも満たない短い時間で、ハトーの軍事施設は壊滅し、砂漠に停泊していた艦隊は、碌に反撃すらせずに世界から消滅した。