部屋の中には
いる。
間違いなく何かが、いる。
玄関の前で、私は鍵を差し込んだまま止まっていた。
音がするわけじゃない。
けど、分かる。
虫の知らせってやつかな。
嫌な気配が、ドア一枚向こうから滲み出してくる。
泥棒?いや、虫?
まさか幽――いやいや。
考えるのやめよう。
私は深呼吸を三回して、意を決した。
勢いよく玄関を開ける。
「た・だ・い・まーっ!」
返事はない。
当たり前か。
それなのに、嫌な気配が消えない。
靴のまま上がり込んで、壁の照明スイッチを叩く。
明るくなった廊下の先。
リビングの奥。
やはり何かがいる気がした。
ひどく喉が渇く。
逃げたい。
けど、自分の家だしな。
一歩。
二歩。
心臓だけがやけにうるさい。
私はもう一度だけ息を吸って、勢いよく部屋の扉を開けた。
『オカエリナサイ』
「きゃっ!?」
心臓が飛び出るかと思った。
反射で半歩飛びのき、部屋の中を見回す。
テーブルの脚に、ごつん。
くるりと向きを変える丸い影。
ぴこん、と電子音。
お掃除ロボちゃんだ。
「なんだぁ……びっくりした。……ただいま」
膝から力が抜け、その場にへたり込む。
そういえば、タイマー入れっぱなしだったかも。
「きゃっ」とか言っちゃった。
なんだか笑えてきた。
立ち上がって、リビングの照明をつけた。
「実際こんなもんだよね。さて――」
いる。
背後に……いる。
全身の毛が逆立つ。
油断した。
冷や汗が首筋を伝う。
怖すぎて振り向けない。
背後で、荒い息が鳴った。
やだ、どうしよう。
いや、こういう時は――先手必勝!
「せやっ!」
振り向きざま、芸術的な後ろ回し蹴りを叩き込む。
側頭部に、確かな手応え。
「さあ、どこの――わああああああぁぁぁぁ!?」
そこにいたのは、幽霊だった。
映画でよく見るやつだ。
白装束。
透けてる。
しかも、おっさん。
床で悶絶している。
幽霊って、蹴れんの!?
おっさん幽霊が、よろよろ起き上がる。
「わわっ、うわああっ!」
パニックのまま、中段回し蹴りをねじ込む。
おっさんは情けない声を上げて吹っ飛んだ。
アドレナリン全開。
絶好調。
「どうだこの野郎!この技で私は世界ジュニアを制したんだ!」
私は高らかに勝ちどきを上げた。
「おい、さっきからうるせーぞ!」
壁の向こうから、隣人の怒声が飛んできた。
「あ、すいませんでした……」
一瞬で現実に引き戻された。
とりあえず、意識を取り戻したおっさん幽霊に話を聞く。
「おじさん、マジで幽霊なん?なんでうちにいたのよ?」
『いやぁ、最近暇でしてね。いろんな人を驚かせてるんですよ』
「……最悪」
話してみれば、妙に人間くさい。
というか、もうただのおっさんだった。
なぜか十分後には、今度飲む約束までしていた。
幽霊って酒飲めるんだ。
おっさんを見送って、私はようやく一息つく。
さて。
なんか気分もいいし、日本酒でも出すか――
ガサッ。
止まる。
いる。
視線だけで部屋を探る。
いた。
視界の端。
天井の角で、ぬらりと黒く光る小さな影。
あれは……。
あ、あれはぁぁぁ!
G――
そいつは羽を広げた。
まるで大空へ飛び立つ雛鳥のように、漆黒の軌跡を描いて飛んでくる。
「いやあああああああぁぁぁぁ!!」
私は失神した。




