ショートショート『心を繋ぐものの欠片(かけら)』
自己の中に違う人格を持つ人の話
視角の解離、私は強制的に自己防衛に入った。
それは正に私にとって事故的出来事だった。
時は夏に入る前、だったか──
私はあることに気づいた、気づいたというか府に落ちた。
それは、思い続ける人が特定の異性と、限りなく確実に一緒に居ることだった。
私は多分、この時からその確定されているであろう現実を受け止めることはできないと、自己確認した。
そして、気づけば解離する自己を存在させていた。
それは、明らかに几帳面な私とは違い、
『ガサツ』ということが一目瞭然で見て取れる──
そして、それは、"ゆん"と呼称した。
私はゆんの出現は私の自己防衛からくるものだと、即座に理解したが受け入れることはできなかった。
なぜ?どうして?、と聞かれてもないのに
話してみることにする。
まず、私は一人が好きなのに、
この解離するものは、私の許可なく現れるのである。
そして、おしゃべりである。
私は静かが好きな方である。
存在自体もさっき書いた『ガサツ』という言葉がしっくりくる、
少々偏見ではあることをご容赦願いたいのだが、
"私が受け付けない格好をしている"のだが
それも私をイラつかせる。
話を戻そう、
私の思い続ける人は、
そう私が幼少の頃に見た、棋士の山県蒼士に似ていた。
まだ自我が芽生えたころだと記憶するのだが
人を好き、嫌いという概念はまだなかったであろう。
とはいえ母親、父親はその概念を超越しているのだけれども、私が幼き日に見た棋士、山県蒼士は私の初恋であった。
母親から今でも笑われるのであるが、私は山県蒼士が流れるテレビを食い入るように見ている姿がとても印象に残っているらしい。
いくら大泣きしていても山県蒼士がテレビに映ると『ピタッと』泣き止むので、
両親は山県蒼士に今でも感謝しているという。
しかし等の本人は、もうさほど山県蒼士をなんとも思っていないのであった。
自我も芽生えていない幼き私は、棋士の山県蒼士のどこにそんなに惹かれたのだろうか?
確かに山県蒼士は世間でいう『男前』ここはあえて古風の言い回しににしてみたのだけれど、その言葉がピッタリ似合う、"イケオジ"なのである。が、私は、もうここまで読んでいれば薄々気づいていると思うのだが、
『男である』
男であることが、山県蒼士に初恋する事に否定するだけの説得力を私は持っていなかった。
現実世界に戻ってみれば、私があのとき見た光景は私に大きな影を落とした。そのため私には"分身"ができたのである、が、───
この解離した存在がゆんなのであるが、私はまだこのゆんと話したことはないのである。
そう、ゆんは一方通行で私の許可なく出現しては一方的にしゃべってくるのである。
私はこういう"場の空気"を読み取れないものが大嫌いなのであり、それは私のなかでは『無視』する対象でもあった。
しかし、
ゆんの発した言葉に釣られて私は返事を返してしまったのです。
これはゆんが私に"おもんばかる"ゆえの言葉だった事は後から教えてもらった。
そこから私はゆんと心で会話するまでになった。私がゆんを見たとき初めに感じた『ガサツ』という、私の印象も今ではガラリと反対側に変えてしまったのである。
ゆんは私の心の隙間をリサーチして私を全方位からサルベージで沈没を防ぐ心のスットパーの役目をしてくれていたのであった。
おしゃべりは心を通わすのに、
ガサツは関心を惹く為に、
そして何より棋士、山県蒼士を思い出させることで、私を幼き記憶のトリガーにより"心の沈没"を防いでくれていた。
ゆんの発した言葉は
そう
『棋士、山県蒼士ってイケてるよね。』であった──
おわり




