第40話「職人の矜持と帰還の血路」
ボルドの前に突きつけられたのは、師の命か、師の職人としての誇りかという、あまりにも重い二者択一だった。
ケンタとリリアは、彼の苦悩を理解しながらも、何も言えずに見守っている。コウジの体は冷え切り、ピピは声帯が枯れ果てるほどに歌い続けた疲労で、もはや涙も出ない。
ボルドは、装置の起動レバーから手を離し、修復したばかりの音波共鳴装置の筐体――自身が鍛えた特殊合金の表面に、額を押し付けた。冷鉄と炎の魔石を制御する彼の鍛冶の魂は、今、極限の熱と冷たさに引き裂かれそうになっていた。
「師匠……あなたが、命を賭してまで、求めたものは何ですか……?」ボルドは嗚咽と共に呟いた。
それは、素材の獲得でも、名誉でもない。コウジが求めたのは、ドワーフギルドの伝統を超え、不可能を可能にするという、職人としての矜持だったはずだ。そして、その矜持を証明するために、自らの命を波長に変換したのだ。
ボルドは決断した。彼の両眼には、涙の跡とは異なる、決意の炎が燃え上がっていた。
「リリア、ケンタ。師匠は、生きて帰って、我々が修復した装置でドレイクを打ち破ると言った。師匠の魂は、討伐の成功を望んでいる!」ボルドは叫んだ。
「しかし、それでは師匠が!」リリアが叫ぶ。
「師匠の命を救う!だが、師匠の誇りも守る!」
ボルドは、誰も予想しなかった行動に出た。彼は装置の起動レバーを握るのではなく、自らの心臓部へと、鋭利な目打ちを突き立てた。
「ボルド先輩!」ケンタが悲鳴を上げた。
目打ちの刃は、皮膚を貫通する直前で止まった。ボルドは、自身の血と痛覚を極限まで利用し、彼の鍛冶の魂の根源――熱と衝動を、意識的に高めたのだ。彼の体から、炉の炎のような熱気が放出され、周囲の空気を震わせた。
「この熱は、俺の鍛冶の魂だ!俺の魂と、師匠の連帯の波長を、一瞬だけ切り離す!」
ボルドは、その熱エネルギーを、コウジの血痕と繋がった魔力増幅陣へと叩きつけた。二つの魔力、コウジの連帯の波長とボルドの熱の魂が衝突する。
キィィン!
コウジの体と鱗の共鳴が、一瞬、途切れた。その隙を逃さず、ケンタとリリアはコウジの体から、血で描かれた魔力増幅陣の跡を、魔力的な手法で引き剥がした。
「今だ!装置を起動しろ!」ボルドは叫んだ。
彼は、自身の魔力が尽きる寸前に、装置の起動レバーを倒した。
キィィィィィィィィィィィン――!!!
ピピの歌声、リリアの旋律、ボルドの熱の魂、ケンタの工学知識、そしてコウジの連帯の波長――全ての要素が凝縮された破壊の音波が、洞窟の奥へと放たれた。
轟音と共に、山脈全体が震えた。
ドーム状の洞窟の奥で、クリスタル・ドレイクは咆哮を上げる間もなく、その全身のダイヤモンドの鱗が、内側から激しく共振し、砕け散っていく。魔力による修復能力は、音波による構造そのものの崩壊を前に、何の手も施せなかった。
クリスタル・ドレイクは、静かにその巨体を岩盤に横たえ、絶命した。
討伐は成功した。しかし、残された職人たちの状況は、依然として絶望的だった。
ボルドは、魔力を使い果たし、体力を限界以上に消耗していた。ケンタは、コウジを抱えながら、リリアに訴えた。「リリア、師匠の意識が戻らない!このままでは凍死する!」
リリアは、ピピを支えながら、冷静に状況を分析した。「食料も、魔力の回復薬も尽きたわ。私たちは今、魔獣の討伐後の硬質山脈の頂上にいる。この場所から、安全に全員が帰還する手段がない」
ピピは、枯れた声でドレイクの鱗に目を向けた。「鱗が……剥がれています。鱗の裏の、革質の部分を使えば……」
コウジの意識が、微かに戻った。「ピピ……ドレイクの……皮……」
コウジは、命を削りながらも、職人としての最後の指示を出した。「ケンタ、ボルド……ドレイクの鱗の裏の、柔軟な革質の部分だけを剥ぎ取れ。その革は、究極の防寒具になる」
クリスタル・ドレイクの鱗の裏側は、予想に反して、極寒の環境で体温を保つための特殊な革質になっていた。ボルドは最後の力を振り絞り、ケンタと協力して、巨大なドレイクの体から、必要な革を剥ぎ取る作業を開始した。
「この革……確かに暖かい。しかし、鞣す時間がない!」ボルドが焦った。
コウジは、再び意識が遠のきそうになりながら、ケンタに指示した。「ケンタ……俺の……革加工の……秘密の道具……魔力乾燥機を、使え……」
コウジの工房には、乾燥時間を大幅に短縮する魔力駆動の乾燥機があった。ケンタは、その乾燥機を起動させるための魔力の計算を瞬時に行った。しかし、この山脈では、乾燥機を起動させるほどの魔力源がない。
リリアが、自らの魔力を解放した。「私の魔力を使って!その代わりに、残りの回復薬は全て師匠に!」
「リリア先輩!」
「いいから早く!時間がない!」
ケンタはリリアの魔力を受け取り、乾燥機を起動させるために魔力伝達ケーブルをボルドの体へと繋いだ。「ボルド先輩!ドレイクの鱗の革を、乾燥機に!そして、その乾燥機に、最後の力を込めて叩きつけろ!」
ボルドは、乾燥機に革をセットし、渾身の力を込めて、乾燥機を叩いた。鍛冶の加護の振動が乾燥機全体に伝わり、リリアの魔力が革の繊維に浸透していく。
轟音と共に、革は一瞬で鞣され、極上の防寒具の素材へと変貌した。その革は、凍える外界の冷気を完全に遮断する、究極の断熱材だった。
「間に合った……!」ケンタは安堵の息をついた。
コウジは、弟子たちが作ったその革で体を包まれ、ようやく凍死の危機を脱した。
「ピピ、リリア。お前たちは、その革を翼と体に巻きつけろ。ボルド、ケンタ。お前たちは、俺とピピを担いで、山脈を下るんだ!」
「はい、師匠!」
ボルドとケンタは、体力の限界を超えながらも、コウジとピピを担ぎ、硬質山脈からの決死の帰還の道を選んだ。彼らの背中には、ドレイクの鱗の裏側から剥ぎ取った、伝説級の防寒革が、凍てつくブリザードから彼らの命を守っていた。
この過酷な試練は、彼ら職人としての技術だけでなく、師弟の絆を、究極の「連帯」として固く結びつけることになった。彼らは、ただの職人集団ではなく、命を賭して互いを信じ、技術の限界を超える、真の「万族工房」のチームとなったのだ。
そして、硬質山脈からの帰還の途中、彼らは、予想だにしなかった一団と遭遇することになる。




