第39話「凍える夜の連帯と極限の音色」
コウジとピピが硬質山脈の避難壕に残されてから、三日が経過した。
山脈は容赦なく冷酷で、ブリザードは容赦なく吹き荒れる。わずかに残された食料は底を突き、熱源となる炉は破壊されたまま。コウジは、防寒具をピピに多く譲り、自身は岩陰で寒さに耐えていた。ハーピー族であるピピも、高空での生活に慣れているとはいえ、この極寒には体力を著しく消耗していた。
「師匠、寒いです……もう、翼の感覚がありません」ピピは力なく呟いた。
コウジは、自身の服を裂いてピピの足に巻き付け、血行を促した。「ピピ、諦めるな。我々の工房は、ただの建物ではない。お前たちがいる、技術がある、それが我々の命綱だ」
しかし、コウジの言葉とは裏腹に、希望は薄れていた。ドレイクは、夜になると洞窟から出てきて、警戒するように山脈を徘徊する。その度に、彼らは凍えた体で身を潜めなければならなかった。
「ドレイクの鱗の波長は、見つかりましたか……?」ピピが尋ねた。
コウジは、砕けた水晶の破片を、雪の上に置いた。「理論は構築した。ドレイクの修復能力を上回るには、鱗の結合エネルギーを瞬時に崩壊させる波長が必要だ。それは、単純な物理振動ではなく、魔力と感情が複合した極限の音色でなければならない」
彼は、ドレイクの鱗の破片に触れ続けた。「硬さの裏に、生命の渇望のような魔力的な波長を感じる。修復の波長は、絶え間ない『生存本能』だ。それを打ち破るには……」
その時、コウジの脳裏に、前世の記憶が再び蘇った。あの交通事故の瞬間、誰かを救おうとした、生への執着、そして、絶望的な状況下での希望への衝動。
「ピピ、絶望を歌えるか?」コウジは尋ねた。
ピピは震えた。「絶望、ですか?ハーピー族の歌は、喜びや自由を歌うものです。悲しみは歌えますが、絶望を音波に乗せることは……できません」
「では、怒りは?貴様を、我々を、飢えと凍えで殺そうとするドレイクへの、純粋な怒りだ」
ピピは首を振った。「怒りも、歌の力にはなりません。私の声は、破壊のためにあるのではなく、共鳴のためにあります」
コウジは深く息を吸い込んだ。絶望も、怒りも、彼女の純粋な魂には合わない。それは、職人としての彼の倫理にも反する。
「そうか。ならば、歌うのは連帯だ」
「連帯……?」
「ああ。お前が一人ではないこと、工房の仲間たちが、必ず装置を修復して戻ってくるという、絆と希望の音色だ」コウジは決意を込めた眼差しで言った。「ドレイクの鱗が持つ孤独な生存本能の波長を、仲間との連帯という、より強固な魔力で打ち消す。ピピ、お前は、待つ希望を音波に乗せるのだ」
ピピはコウジの言葉に、ゆっくりと瞳を開いた。その瞳には、再び炎が灯り始めていた。
「希望……連帯の音色……試してみます、師匠」
コウジはピピを装置の残骸へと案内した。砕けた水晶の破片と、ひしゃげた銅製のラッパ。彼はそのラッパの先端を、ドレイクの鱗の破片に向けた。
「ピピ、この銅ラッパの先端めがけて、仲間を信じる気持ちを込めて歌え。これは実験だ。全力でいくぞ!」
ピピは目を閉じ、静かに歌い始めた。それは、甲高く鋭い旋律ではなく、低く、力強い、故郷の工房を思い起こさせるような温かい響きだった。
キン――。
音波が鱗に命中すると、微細な振動が走った。前回のような破壊的な火花は散らないが、鱗の表面に張られた修復の魔力が、一時的に弱まったように感じられた。
「効いている!修復の波長を上書きしているぞ!」コウジは確信した。「ピピ、そのまま継続しろ!俺は、この波長を増幅させるための準備をする!」
コウジは、避難壕の岩盤から、鋭利な水晶の破片をいくつも集めた。そして、その破片をピピの周囲に、古代エルフの儀式で使われる魔力増幅陣の形に配置し始めた。リリアの知識を思い出し、彼は魔力の流れを計算し、破片の位置を調整していく。
しかし、コウジの体は限界に達していた。極度の疲労と飢餓、そして寒さが、彼の集中力を奪っていく。設置を終えた瞬間、コウジは眩暈に襲われ、その場に倒れ込んだ。
「師匠!」ピピが歌を止め、駆け寄ろうとした。
「歌うのをやめるな!」コウジは呻きながら叫んだ。「この連帯の波長を途切れさせるな!仲間は、必ず帰ってくる!」
ピピは涙をこらえ、再び歌い始めた。彼女の歌声は、コウジの倒れた姿を見て、より一層、切実なものとなった。
その時、コウジは意識が朦朧とする中で、工房に残した弟子たちの顔を思い浮かべた。
「師匠の技術は、最高のものです!」(ケンタ)「俺の鍛冶の魂は、師匠の側にあります!」(ボルド)「必ず、お師匠の命綱になります!」(シルフィ)
コウジは、その絆を自らの生命力に変換した。職人としての強い生への執着が、彼の意識を繋ぎ止める。彼は、泥だらけになった手で、ピピの歌声が共鳴している魔力増幅陣の中心に、自らの血を滴らせた。
コウジの血は、増幅陣を鮮やかに染め上げ、ピピの歌声の波長と融合した。
「ピピ!行け!この連帯を、極限の音色に変えろ!」
ピピは、師の血と、仲間への強い信頼が融合した波長を浴び、その声帯から、これまでにないほどの力強い音波を放った。それは、絶望を突き破る、職人の連帯の叫びだった。
キィィィィィィィィィィィィィィン――!!
音波がドレイクの鱗の破片に命中すると、今度は破壊とは異なる現象が起きた。鱗は砕けず、代わりに、その表面に青白い魔力の膜が形成された。
『連帯の波長』が、鱗の持つ『生存本能』の波長を一時的に支配したのだ。
「成功だ……この波長だ……」コウジは安堵の息をつき、意識を手放した。
コウジが意識を失ってから、約半日後。
山脈の岩壁を、三人の疲労困憊した人影が登ってきた。ボルド、ケンタ、リリアだ。彼らは、コウジの指示通り、食料も休息も最小限に抑え、工房で装置を修復し、驚異的な速さで山脈へと戻ってきたのだ。
「師匠!ピピ!」ボルドが叫んだ。
彼らが避難壕に入ると、ピピがコウジを抱きかかえ、力なく歌い続けている姿を見た。コウジの体は冷え切り、意識はない。
「ケンタ、早く回復薬を!」リリアが叫んだ。
ケンタはすぐに回復薬をコウジの口に流し込んだ。しかし、コウジの衰弱は極限に達しており、回復薬の効果も限定的だ。
ボルドは、修復した音波共鳴装置を急いで設営した。炉は持ち運べなかったため、彼は自身の鍛冶の加護と炎の魔石を組み合わせて、熱音響変換機構を起動させた。
「ピピ、この装置に、その歌を!全力を出せ!」ボルドが叫んだ。
ピピは頷き、力を振り絞って歌い始める。音波が装置に集束し、ドレイクの洞窟へと向けられる。
しかし、その時、リリアが悲痛な声を上げた。
「ダメよ、ボルド!師匠の魔力が、ドウレイクの鱗と深く共鳴している!今、音波を放てば、師匠の魔力も一緒に破壊波長に巻き込まれる!」
ケンタがコウジの意識を失った手のひらを見た。そこには、彼の血で描かれた魔力増幅陣の跡が残っている。
「師匠は、自身の命を波長に変換したんです!ドレイクを打ち破るか、師匠の命を助けるか、二つに一つだ!」
絶望的な二択。ドレイクを討伐すれば、コウジの命は失われる。コウジの命を助けるために装置を止めれば、素材の獲得は不可能になり、コウジが命を賭した全てが無駄になる。
ボルドは、師の命か、師の職人としての誇りかという、苦渋の決断を迫られた。彼の鍛冶の魂は、激しく揺れ動いた。
「師匠……あなたが、命を賭してまで、求めたものは何ですか……?」ボルドは涙を流しながら、装置の起動レバーに手をかけた。




